徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

草の芽の便りきいたか

2025-02-21 20:45:38 | 季節
 わが家の白梅もやっとほころび始め、護国神社の梅園の紅梅は開き始めた。寒波が襲来する中、春はたしかにその歩みを進めている。
 昨年の今頃は、坪井川遊水地の河津桜もだいぶ咲いていたので行ってみた。しかし、まだ蕾は固く開く気配も感じられない。樹下をふと見ると、小さなピンクの花をつけた野草がビッシリ。踏むのが可哀想で足の踏み場を探しながら土手道へ移動した。何という花なのか帰ってからネットで検索してみた。雑草の一種で「ホトケノザ」という名のようだ。と言っても「春の七草」のひとつである「ほとけのざ」とは別種らしい。丸い葉とその上に咲く花の形状を蓮華座と仏像に見立てた名前だという。
ここにも春を迎えて新しい小さな命が芽生えているのである。


護国神社の梅園の紅梅もやっと花開き始めた。


坪井川遊水地の河津桜の樹下に自生する「ホトケノザ」


節分

2025-02-02 17:00:11 | 季節
 今日は節分。加藤神社の節分祭が行われ、恒例の虎口をくぐって厄除けを行なう「厄除け虎くぐり」を行なった。その後、本殿に参拝し家族の息災を祈ったあと福豆をいただいた。虎口は年々くぐるのが窮屈になってきているが、体の柔軟性が徐々に失われていることが如実に現れる。
 その後、護国神社にまわって梅園の紅梅を見に行ったのだが、未だ開花は見られない。今年の開花の遅れは特別なようだ。「熊本城マラソン2025」が行われる16日あたりには何とか見ごろになってほしいものだ。


厄除けの虎口をくぐる参拝者たち


開花にはもう数日かかるか、護国神社梅園の紅梅

福参(ふくまいり)と和楽

2025-01-26 19:54:33 | 季節
 2月6日に斎行される「熊本城稲荷神社初午大祭」を前に、今日1月26日は恒例の「福迎え御神幸行列」が斎行された。献弊式に続き、宮司や今年の福男と福娘たちが「発輦(はつれん)!」の掛声も高らかに神社を出発、熊本市の中心街を練り歩き、商店を巡りながら「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願した。


熊本城稲荷神社から「福迎え御神幸行列」のご発輦


 「福迎え御神幸行列」のご発輦を見送った後、熊本市民会館へ移動し、筝演奏家の小路永和奈さんからご案内を受けていた「人づくり基金コンサートvol.6」を見に行く。小路永さんはお母様のこずえ様や自ら主宰のお箏教室の生徒さんたち、それに普段から交流のある演奏家の皆さんとのセッションで計6曲を演奏された。完成度の高い素晴らしい演奏会だったと思う。



演奏仲間とともに

梅の開花時期

2025-01-17 20:47:23 | 季節
 今日はもう1月17日。わが家の梅も護国神社の梅園の梅も、いまだに蕾の膨らむ気配すらない。今年は開花が遅いという話は聞いていたが、気になったので過年度のブログ記事を確認してみた。
 なんと昨年は護国神社の紅梅が1月13日にはほぼ開花と言っていい状態である。2015年のわが家の梅は1月14日にはだいぶ開いている。今年の状態はというと蕾が膨らみ始めるのはまだ1週間以上先と思われる。その年々の気候条件によって開花時期は左右されることはわかっているが、やはり梅の開花は「春のたより」。待ち遠しいものだ。
 そこで梅を季語とした漱石の句を二つ。いずれも漱石お得意の邦楽にちなんだ句。

   紅梅にあはれ琴ひく妹もがな(明治29年)

   紅梅や舞の地を弾く金之助(大正4年)


2015.1.14


2016.1.16


2019.1.20


2020.1.23


2021.1.19


2024.1.13

春隣(はるとなり)

2025-01-01 21:25:02 | 季節
 あけましておめでとうございます
 本年もどうぞよろしくお願いいたします

 好天に恵まれた元日、暖かい日差しを浴びるとまさに「春隣」を思わせます。
 思えば昨年は前年暮から母が入院し、正月は連日見舞いの日々でした。それに比べれば今年は母の体調も落ち着いており、心穏やかな正月となりました。あと10日もすれば、わが家の梅の木の蕾も白い花を咲かせ始めることでしょう。

 2015年元日、水前寺成趣園特設ステージでは小雪舞い散る悪天候のなか舞踊団花童の舞初めが行われました。いまだに忘れられない思い出です。

くまもとの秋もまもなく・・・

2024-11-04 11:45:28 | 季節
 暦の上では今は晩秋。あと3日もすれば「立冬」。もう冬である。
 「秋は夕暮・・・」などと枕草子気分になることもなく、慌ただしく秋は去ってゆくのだろうか。
 そんななか、昔と変わらぬ人々の営みに懐かしさと愛おしさを覚える今日この頃である。


「七五三詣り」加藤神社


「肥後のつりてまり」下通商店街

思い出の那須高原

2024-10-16 20:22:57 | 季節
 この季節になるとどうしても那須高原を思い出す。3年3ヶ月過ごした那須にはなつかしい思い出がいっぱいだ。春夏秋冬それぞれ美しい風景を見せてくれるのだが、とりわけ秋の美しさは忘れられない。那須湯本にあった会社保養所(数年前に人手に渡ったらしい)の管理も僕の仕事の一つだったので、多いときには週3回は那須高原に登った。近くには那須与一ゆかりの「那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)」や九尾の狐伝説の「殺生石」。那須茶臼岳、沼ッ原湿原、そして那須湯本温泉等々。冬にはスキーも楽しんだ。各地を10ヶ所ほど転勤して回ったが、風光明媚という点では那須が最高だったかもしれない。今日もネットで那須高原一帯の地図を眺めながら思い出にひたった。
 ところで、「那須」という姓は、下野国(今の栃木県)がルーツだと言われているが、日本全国で「那須」姓の人数が多いのは宮崎県と熊本県がトップ2だそうである。お気付きの方も多いと思うが、平家落人伝説の残る宮崎県椎葉村と熊本県五家庄(現八代市泉町)。いずれの伝説も平家落人追討にやって来たのが那須与一の一族で、そこにとどまって子を生すという話。宮崎と熊本の那須さんが全部その子孫だとは思えないが、壇ノ浦で平家が滅亡して840年。時空を超えたロマンを感じる。




那須茶臼岳


那須温泉(なすゆぜん)神社


殺生石(せっしょうせき)


沼ッ原湿原(ぬまっぱらしつげん)

秋の七草 ~萩・桔梗~

2024-09-26 20:04:24 | 季節
 今日は「秋の七草」を探して歩くのも面白いかなと思って出かけた。
  萩・桔梗/葛・藤袴/女郎花/尾花・撫子/秋の七草
 「はぎききょう くずふじばかま おみなえし おばななでしこ あきのななくさ」と五七五七七の短歌形式のフレーズは結構憶えているものだ。
 まず「萩・桔梗」から。「萩」は稗田町の藤田嗣治画伯旧居跡にあるのは知っているので行ってみた。しかし、やっと花が開き始めたばかりのようで見ごろは10月第2週くらいではないかと思われる。
 次の「桔梗」は心あたりがないので、とりあえず京陵中学校前の「漱石記念緑道」へ行ってみた。ここには季節の花々が植えられているのでもしかしたら・・・。すると桔梗と形が似ているピンクの花が数輪咲いていた。僕の知識では桔梗だともそうでないとも断定できないので写真を撮って調べてみることにした。残りの五つもまた後日探してみたい。


漱石記念緑道


 藤田嗣治画伯旧居跡の萩           桔梗(熊本市動植物園の画像より)

      端唄「萩桔梗」
  秋の風物に託して、恋い慕う女心を唄い上げられたもので幕末から唄われている。  
   玉 章:(たまずさ)手紙
   野 末:野の隅 野の端
   すだく:群がり集まる・虫が泣く事
   あだし:自分を悩ます
   仇 波:変わりやすい人の心
(歌詞と解説は「江戸端唄・俗曲の笹木美きえ師匠のサイト」より)

八景水谷でひと涼み

2024-09-19 10:12:24 | 季節
 昨日は家族から頼まれた戸籍謄本を取るため北区役所・清水総合出張所へ出かけた。以前、戸籍謄本を取りに熊本市役所本庁へ行った時、えらい手間取ったので行先を変えてみた。来庁者も少なく窓口の職員も親切で交付手続きはあっけないほど短時間で終わった。
 この清水総合出張所のすぐとなりが八景水谷(はけのみや)公園である。ここは熊本市の水道を賄う水源地の一つでもあり観光スポットでもある。せっかく近くまで来たので、しばらく涼んで行こうと園内を散歩した。豊かな自然が広がり心が安らぐ。幼稚園や小学校時代は遠足の定番でもあった懐かしい想い出の残る場所でもある。
 「八景水谷」の名前の由来は、江戸時代中期、熊本藩主の細川綱利公がここに御茶屋を造り、辺りの景観を近江八景や金沢八景などになぞらえて「八景水谷」と名付けたと伝えられる。もともと「ハケ」と呼ばれていた地名に八景をかけたものといわれる。「ブラタモリ 国分寺編」で「国分寺崖線」のことを地元の人たちは「ハケ」と呼ぶと紹介されたが、ここも同じで台地のへりの崖から地下水が湧き出すことを意味していたらしい。柳田國男は 著書「地名の研究」において、「ハッケまたはハケは東国一般に岡の端の部分を表示する普通名詞である」と記しているが、実際には必ずしも東国にかぎらず、ここ九州も同様と思われる。八景水谷はかつての湧水量に比べれば随分減ったと言われるが、世代を継いで残すべき大事な熊本市の宝である。


清流の岸辺にはヒガンバナが咲き始めていた。


清水を満々と湛える八景水谷

秋の色種(あきのいろくさ)に言寄せて

2024-08-29 20:23:47 | 季節
 史上最強といわれ、各地で猛威をふるっている台風10号ですが、直撃を覚悟していたわが町では一時激しい雨は降ったものの暴風らしいものもなく、やや拍子抜けの感がありました。
 まずは被災された皆様へお見舞い申し上げるとともに、これからの台風進路にお住いの皆様のご安全を心よりお祈りいたします。

 まだ台風もいくつか来襲するとは思いますが、8月も終わりに近づき、いよいよ秋色濃い時季になっていくものと思われます。猛暑続きだった今年の夏。「夏バテ」の症状が出てくる頃かもしれません。皆さまどうかご自愛くださいますようお祈り申し上げます。



八朔と猛暑

2024-08-02 21:23:08 | 季節
 昨日は八月朔日。藤崎八旛宮に八朔詣りに行った。節供なので拝殿でお詣りした後、境内の末社をお詣りして廻った。その間の暑さといったら…。八朔というのはもともと旧暦での節供で、新暦では今年の場合、9月3日になるようだ。その頃になると、稲穂が頭を垂れ始める頃で、摘んだ御初穂を神に供える習わしがあったので、八月朔日を「ほづみ(穂摘)」ともいうようになったそうだ。
 各末社の神前には神饌が置かれていたが、右の写真のように「酒・塩・オクラ」だった。オクラは季節野菜の代表として供えられたのか、本来ならばこれに御初穂が供えられていたのだろう。
 家に帰り着いてホッとしていると、テレビでは京都祇園の八朔の習わし、芸舞妓さんたちの関係先へのお礼参りの様子がニュースで流れていた。
 下の写真はちょうど10年前、京都祇園の八朔の様子を報じるTBSのニュース映像の一部だが、当時もやはり相当暑かったと見える。新人舞妓時代のまめ藤さんが写っていて懐かしい。


夏!三景

2024-07-30 17:50:05 | 季節
 こう暑くてはなんにも考えたくない。思考停止の状態だ。ブログネタもいくつかあるのだが、文章を打つ気になれず、今日はとりあえず、夏から秋にかけて楽しみなイベントを三つあげてみた。特にコロナの影響で2019年を最後に途切れていた「熊本復興ねぶた」が復活するらしいので楽しみだ。


2014.8.2 水前寺成趣園能楽殿 出水神社薪能

2012.8.15 大宮神社 奉納灯籠踊り 山鹿灯籠踊り保存会

2017.9.2 熊本城二の丸公園 熊本復興ねぶた

真夏の風景寸描

2024-07-19 19:41:46 | 季節
 今日は午前中かかりつけ医に定期的な受診に行った。この医院でも新型コロナの感染者が急増しているらしい。コロナが5類になって医療費の公費負担がなくなったが、自己負担診療ではたして感染拡大を食い止められるだろうか。

 明日から熊本市内の小中学校は夏休み。今日は終業式が行われたらしく、家路につく子供たちの顔はいつもより生き生きとしている。宿題もたくさんあると思うが、夏休みは成長のチャンス! 自分のことを言うのもなんだが、小学3年だったと思うが、母の実家に長期滞在し、近くの菊池川の砂浜で日がな一日を過ごしていた。ある日、川の流れに乗って泳げるようになっている自分に気付いた。それがきっかけとなって水泳にハマり、人生の大きなターニングポイントとなった。

 今日は世界的なシステム障害のニュースが飛び交っていた。ファーストフードチェーンのマクドナルドのレジが作動しない不具合に始まって、ウィンドウズパソコンが昼過ぎから自動的に再起動がかかるという異常が発生。幸いわが家のパソコンは異常がなかったが、国内外でこの影響とみられるトラブルが相次ぎ、航空便などにも障害が発生したようだ。ネットでつながったシステムはいったんこういうことが起きると甚大な影響を及ぼすので怖い。


七夕に

2024-07-06 22:44:01 | 季節
 天の川 紅葉を橋に わたせばや たなばたつめの 秋をしも待つ(古今和歌集・詠み人しらず)
 ▼訳
 天の川に紅葉の葉が散ったのを水に浮かべて、橋のように渡すからなのだろうか、
 おり姫は恋人の訪れるという秋をひとしお待っていることよ。(古語辞典より)

 明日は「七夕」。これから猛暑のピークが来るというのに「七夕」は秋の季語。これはもともと旧暦7月7日の節句だった名残り。今年に読み替えると8月10日だそうである。つまり立秋を過ぎているので秋の季語というわけ。
 下の端唄「もみじの橋」は上述の和歌をモチーフに織姫と彦星の天の川での七夕の逢瀬を唄ったもの。歌詞には深まりゆく秋の情景が唄われており、今日的には違和感も・・・


文月朔日詣りは大雨の中・・・

2024-07-01 17:33:21 | 季節
 今日は朝から断続的に降り続く強い雨の中、文月朔日詣りに行った。
 「文月(ふみづき・ふづき)」の名の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝したりする風習があったからといわれている。



 また今日は「童謡の日」でもある。今から106年前の大正7年(1918)7月1日、児童文芸誌「赤い鳥」が、鈴木三重吉によって創刊されたことにちなんで制定されたもの。夏目漱石門下の小説家だった三重吉は、当時活躍していた作家や画家らに協力を依頼、創刊号には芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声ら時の文化人がこぞって賛同の意を表明し、表紙絵を清水良雄が描いた。この創刊号には芥川龍之介が初めての童話「蜘蛛の糸」を発表した。三重吉らによる「赤い鳥」を通じた文化活動は「赤い鳥運動」と呼ばれ、日本の近代児童文学と児童音楽に多大な影響を与えた。大正~昭和初期に、この「赤い鳥」に多くの少年少女たちが投稿した。なかでも海達公子や豊田正子らは象徴的な存在となった。
 「赤い鳥運動」を代表する楽曲の一つが下の「からたちの花」である。今日は、高校時代の2010年選抜高校野球大会開会式での「君が代」独唱で話題となったソプラノ歌手・野々村彩乃(ののむらあやの)さんの歌で聞いてみた。