徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

年末のご挨拶

2019-12-31 13:45:09 | 
 皆様、今年も当ブログをご訪問いただきありがとうございました。心より御礼申しあげます。
 特に今年は年初より、大河ドラマ「いだてん」の劇中「熊本自転車節」が使われたことにより、8年前にYouTubeに投稿した映像と、その関連の当ブログの記事に、ふだんはあり得ないほどのアクセスをいただきました。その効果はしばらく続き、例年を大きく上回るアクセス数となりました。あらためて厚く御礼申しあげます。
 さて、熊本地震発生から3年8ヶ月経ちましたが、復興の道のりはまだまだ遠いようです。
 皆様にとりまして新年が安穏で健やかな1年になりますことを心よりお祈りいたします。
 また、引き続き当ブログをよろしくお願い申しあげます。
筆主敬白


三角ノ瀬戸から正面に中神島、右に三角西港、遥か彼方に雲仙岳を望む

いだてん三昧

2019-12-30 11:44:48 | テレビ

四三とスヤが自転車を漕ぎながら「自転車節」を歌うシーン(中村勘九郎&綾瀬はるか)

 今日の午後、NHK総合で大河ドラマ「いだてん」の総集編が放送されるので半日はいだてん三昧で過しそうだ。
総合テレビ
●12月30日(月)
午後1:05~3:20 〈第1部〉前・後編
午後3:25~5:40 〈第2部〉前・後編
BSプレミアム
●1月2日(木)
午前8:00~10:15 〈第1部〉前・後編
●1月3日(金)
午前8:00~10:15 〈第2部〉前・後編

 民謡歌手の西村直子さんが、先日、玉名市繁根木の「いだてん 大河ドラマ館」を訪問された際、インタビューを受けて「自転車節」を披露されたそうだ。(下の映像)
 西村さんは昭和56年に恩師 本條秀太郎さんの作曲による「八代の花嫁唄」でビクターレコードよりデビュー。このレコードのB面が熊本民謡「ポンポコニャ節」(本條秀太郎編曲)だった。これにより長い間埋もれていた熊本民謡「ポンポコニャ」が再び日の目を見ることになった。現在、家業の農園経営のかたわら、民謡歌手、歌謡教室主宰、料理研究家、タレントなどマルチに活躍しておられるが、ステージやお座敷では「自転車節」もよく唄われるそうである。


今年のベスト・ピクチャー(番外編)

2019-12-29 21:35:41 | Web
 先日、このブログに今年掲載した写真のベスト3を選びましたが、今日はそれ以外に印象に残る3枚を掲載してみました。

▼鎮守の杜(2019.9.27)
 見ごろとなった番所の棚田の彼岸花と稲穂の風景を見た帰り、前から気になっていた山鹿市菊鹿町上内田の上内田神社に立ち寄った。鎮守の杜に覆われたお社はまさに日本の原風景。次の世代、そのまた次の世代へと残したい風景だ。




▼清正時代の飯田丸石垣(2019.2.21)
 熊本城飯田丸の復旧工事中に、内側から清正時代の別の石垣が現れたというニュース。最も古い大天守の石垣とほぼ同じ頃、築造されたものの、その15年後くらいに拡張工事が行われたため、外側の石垣の中に埋められていたという。四百年の時を経たタイムカプセルのよう。




▼御田植祭と早乙女(2019.6.8)
 熊本城稲荷神社の御田植祭は、舞踊団花童のメンバーが早乙女を務めるのが恒例となっている。豊饒祈願の舞を奉納した後、しめ縄を張った神田に入り、苗を植える。毎年拝見しているが、メンバーも徐々に代替わりし、悠久の時の流れを感じさせる。




「肥後にわか」と「おてもやん」

2019-12-27 20:54:52 | 音楽芸能
 熊本日日新聞で毎月第4金曜日の夕刊に連載されている「肥後にわか~笑いの来た道~」は今日が第20回。今回のテーマは肥後にわかと民謡「おてもやん」の深い関係について取り上げていた。
 そもそも肥後にわかに「おてもやん」が登場したのは昭和28年頃、熊本を代表する女性像として「おてもやん」の名を借りたのだという。にわかとして面白おかしくするため、たれ眉や赤いホッペにしたのが始まりで、それがエスカレートして行き、いわゆる「おてもやんメーク」の不細工な女性のイメージが定着したのだという。
 この唄の由来については、これまで諸説あったが、昭和50年に郷土史家が永田イネ作者説を発表したことがきっかけとなり、平成18年になって小山良著の「くまもと人物紀行 おてもやん」が広まり、今日の作者永田イネ、モデル富永トモ説が定説となったという。
 一方、曲については、当初「熊本甚句」と呼ばれていたことから、「名古屋甚句」などと同じく「本調子甚句」系だとはいわれていたが、今回、本條秀五郎さんなどのお力を借りてルーツが明確になった。詳しくは下記のサイトを参照されたく。

 ▼「なんさま「肥後にわか」^^;」
 ▼「東海風流」さんの「おてもやん」解説





益城中学校吹奏楽部 栄光の5連覇!

2019-12-26 14:42:37 | 音楽芸能
 益城町の益城中学校吹奏楽部が、第5回全日本ブラスシンフォニーコンクールにおいて優勝し、この大会が始まって以来、毎回優勝の5連覇を達成しました。3年前の熊本地震では震度7という、最も被害が大きかった益城町で、様々な障害を乗り越えながら5連覇を成し遂げたことに心から敬意とお祝いを表したいと思います。
 今回も、僕の友人の娘さんが部員として活躍しており、喜びも格別です。



第5回全日本ブラスシンフォニーコンクール 本選大会
 日 程:2019年12月25日(水)
 会 場:府中の森芸術劇場 どりーむホール

 優 勝:益城町立益城中学校(熊本県)
 準優勝:守谷市立守谷中学校(茨城県)
 審査員特別賞:桐光学園中学校・高等学校(神奈川県)
 敢闘賞:川口市立鳩ヶ谷中学校(埼玉県)
 敢闘賞:市川市立福栄中学校(千葉県)

やっと復旧工事が… ~夏目漱石内坪井旧居~

2019-12-25 19:19:21 | 熊本
 今日のニュースで夏目漱石内坪井旧居の復旧工事が来月から始まることを知った。3年前の熊本地震で大きく損壊し、以来、閉館が続いている。庭園だけは入って見ることが出来るようになっているが、肝心の建物が段々朽ち果てていくような気がして見るのが辛かった。やっと復旧工事が始まるが、柱が傾いているというし、耐震工事なども行われるようなので、かなり大工事になるようだ。完成は2022年3月ということだが漱石ファンにとっては待ち遠しい。


復旧工事開始の知らせに漱石先生もお喜びに違いない。


庭園の句碑「我に許せ 元日なれば 朝寝坊」

今年のベスト・ピクチャー

2019-12-24 20:02:35 | Web
 今年、このブログに掲載した写真(ただし自分自身が撮影したもの)のベスト3を選んでみた。

▼4月16日「鎮魂と復興祈念のキャンドル」
 熊本地震本震から3年経過、今年も加藤神社では鎮魂と復興祈念のキャンドルライトが灯された。
 背景は復興の槌音高い熊本城天守閣。その一方では未だ手付かずの箇所との格差が目立ってきた。




▼5月19日「三斎好みの茶室」
 立田自然公園内の細川家の茶室「仰松軒」は内部を見られる機会は滅多にないが、この日はたまたま茶事が行われていたため、7年ぶりに内部をじっくり見ることが出来た。




▼5月12日「第二回山鹿をどり」
 三味線音楽の重鎮・本條秀太郎さんを始め、一流の演奏家、舞踊家が八千代座に集う「山鹿をどり」は第二回を迎え、さらに趣向を凝らしたプログラムが繰り広げられた。写真は「鏡獅子」より「胡蝶の精」。 


古りし伽藍 ~岳林寺~

2019-12-23 23:04:06 | 歴史
 古城にあった中世隈本城の城主を務めた城親賢(じょうちかまさ)公のお墓にお参りしようと、先日、島崎の岳林寺に向かった。小降りだった雨がだんだん強くなり、着いた頃には山門の甍から雨が激しく流れ落ちていた。お参りを済ませた後、雨を避けながら山門の凝った造りにしばらく見入った。ここは夏目漱石の「草枕」ゆかりの寺でもある。明治30年の大晦日、漱石と山川信次郎の二人が小天温泉へ向った出発点と紹介されることが多いが、二人は大江村(新屋敷)の家を出てから既に一里ほど雨の中を歩いて来ており、行程の一通過点と言うのが正しい。
 降り続く雨が流れ落ちる山門を眺めていると、ふと漱石の新体詩「鬼哭寺の一夜」の冒頭の一節を思い出した。「百里に迷ふ旅心 古りし伽藍に夜を明かす。」そして、この伽藍(がらん)というのは岳林寺のことではないかという気がした。「草枕」と「鬼哭寺の一夜」はほぼ同じ頃に作られたと聞く。ともに小天への旅がモチーフになっているのかもしれない。数年前、この岳林寺から小天までの道を実際歩いたことがあるが、岳林寺以外にこの詩のイメージに合う寺はなかったと記憶しているので、案外、雨の中で見た岳林寺のイメージがこの詩に表現されているのかもしれない。




(冒頭部分のみ)

楽しみなドラマ ~ストレンジャー~

2019-12-22 18:50:52 | テレビ
 年末30日に楽しみなドラマが放送される。芥川龍之介の「上海游記」をもとに渡辺あやが脚本化した異色作「ストレンジャー ~上海の芥川龍之介~(NHK)」だ。何が楽しみかと言えば、僕は映画「ジョゼと虎と魚たち(2003年)」以来、大の渡辺あやファン。テレビドラマは2014年の「ロング・グッドバイ(NHK)」、映画は2015年の「合葬」以来、ご無沙汰だった渡辺あやの脚本を久しぶりに味わえるからだ。朝ドラ「カーネーション」も、数々の表彰を受けたドラマ「火の魚」も随分前のことのような気がする。そろそろ新作が見たいと思っていたところなのでグッドタイミング!
 ところで、芥川龍之介の「上海游記」は読んだことがなかったので「青空文庫」で読んでみた。しかし、どうも今ひとつピンとこない。そこでこの作品の解説がないかとネット上で探してみた。すると「東京紅團」というサイトの中に、100年前の芥川龍之介の上海紀行を追体験しながら解説した記事があった。これを読むと何となく映像が見えてきた。今度のドラマの映像と符合するのかどうか、それも楽しみだ。


芥川龍之介を演じる松田龍平と脚本の渡辺あや

どんど堰とタンタン落し

2019-12-21 21:45:29 | 熊本
 壺川校区自治会報の最新号に校区内の坪井川にかかる橋を特集した記事が掲載されていた。郷土史を研究しておられる校区にお住いの佐治さんという方がまとめられたものだ。実は数年前に僕も坪井川の橋に興味を持って調べたことがあるが、なかなか手がかりとなる文献や資料を見つけることができず途中で断念した。佐治さんはよく調べられたなと感心したがだいぶご苦労があったようだ。
 中でも興味深いのは校区内で一番上流に架かる永康橋の項目。この橋は平成9年にコンクリートで架け替えられたが、僕の高校時代、木の橋で毎日通学で渡っていた。この記事に「どんど堰」のことが書かれていた。かつて灌漑用の堰があり、祖母などは坪井川のことを「どんど川」とも呼んでいた。しかし、この周辺の田畑は洪水対策の遊水池となったため、今ではコンクリートで固めた「越流堤」が築かれている。
 治水・利水の神様といわれた加藤清正はいろんな手法を使って治水・利水を行なったと伝えられるが、この「どんど堰」も「越流堤」も肥後の各地の河川で使っている。「明治前日本土木史」によれば「越流堤」を日本で本格的に採用したのは加藤清正が最初であるともいわれる。この「越流堤」の別名を「タンタン落し」と呼ぶそうだ。堤の崩壊を防ぐため、わざと曲面の斜面にして越流の勢いをそいでいたらしいが、「タンタン」の意味は「湛湛」なのか別の意味なのか文献を調べても見いだせない。


坪井川・永康橋の数百㍍上流。前方に「越流堤」が見える。


大雨で坪井川が増水し、「越流堤」を越えている。(2012年7月12日)


▼肥後のタンタン節
 これは熊本では健康体操などで人気の高い創作曲。「タンタン」の意味が、はたして「タンタン落し」とつながるのか、作詞者に聞いてみないとわからないが、「ポンポコニャ」「キンキラキン」「キンニョムニョ」など言葉遊びの好きな熊本人の特徴を表した唄の一つと言えるのかもしれない。


初めて阿蘇山を見た漱石

2019-12-19 18:41:45 | 熊本
 明治29年(1896)4月13日、熊本に着任した夏目漱石が初めて阿蘇山を目にしたのがこのポイントです。12年後、漱石はこの時の印象を次のように語っています。

▼漱石談話(明治41年2月9日の九州日日新聞に掲載された熊本の思い出)
 彼處から眺めると、家ばかりな市街の盡くるあたりから、眼を射る白川の一筋が、限りなき春の色を漲らした田圃を不規則に貫いて、遥か向ふの蒼暗き中に封じ込まれて居る。それに薄紫色の山が遠く見えて、其山々を阿蘇の煙が遠慮なく這ひ回つているという絶景、實に美観だと思つた。


漱石が新坂を下る場面の再現(2016年4月13日 「お帰りなさい漱石祭」にて)


漱石が熊本の街を眺望したポイントに設置されているプレート


 その阿蘇山は、10月7日に中岳第一火口が噴火して以来、火口周辺警報(噴火警戒レベル2、火口周辺規制)が継続中です。下の写真が現在の阿蘇山の状況です。


2019年12月13日の阿蘇山(漱石が見たポイントから撮影したものです)


▼漱石の目にはこう見えていたのでは、という絵です。

夏目漱石内坪井旧居パンフレットより

まめ藤さんのカムバック!

2019-12-18 21:13:02 | ニュース
 FB友の竹中邦彦さんから先月、まめ藤さんが芸妓として復帰したらしいという連絡あり。
 まめ藤さんといえば3年前、京都祇園の超人気舞妓だったにもかかわらず突如引退、熊本へ帰って父親の事業を手伝っていると聞いていた。どういう事情があったかはわからないが、彼女がいるべき場所に戻ったということなら喜ばしい。
 竹中さんから、13日に行われた京につたわる古いならわし「事始め」に参加した彼女の姿が映っている映像の紹介があったので下に掲載した。相変わらずお綺麗だ。
 映像は京舞の井上八千代師匠を、仲間の芸舞妓さんたちとともに訪れ、ご挨拶をした時の様子のようだ。
 心機一転、今度は芸妓として頑張ってほしいものだ。




第四回喜多流「久留米座」能

2019-12-17 17:46:41 | 伝統芸能
日 時:2020年1月25日(土)午後3時開演
会 場:久留米シティプラザ「久留米座」(福岡県久留米市六ツ門町8-1)
番 組:舞囃子「高砂」
     狩野了一、浦政徳、古田寛二郎、白坂保行、田中達
    能「箙(えびら)」
     狩野祐一、大日方寛、吉住講、浦政徳、古田寛二郎、白坂保行
    ※解説 大島衣恵
料 金:指定席前売 4,000円(当日4,500円)、自由席 3,000円

▼能「箙(えびら)」
【分 類】二番目物(修羅能)
【作 者】世阿弥
【主人公】前シテ:里人、後シテ:梶原源太景季の霊
 寿永3年(1184)の源平生田の森の合戦で、源氏の若武者・梶原源太景季が梅の枝を箙に差して戦った故事にちなんだ曲。(箙とは矢筒のこと)

2019年 それは平成時代に別れを告げる年

2019-12-16 23:22:33 | 歴史
 そろそろ1年の振り返りの時期になった。しかし、今年は平成の時代が終わった年。どうしても今年のことだけではなく、平成時代を振り返ってしまう。
 そこで平成時代の30年と4ヶ月の間で特に忘れられない出来事をあげてみた。
 まずその1は、30年ほど続けたサラリーマン生活を辞めたこと。その後独立して始めた事業も10年ほどでやめた。家族にはいろんな面で迷惑をかけたことを反省。
 その2は父が他界したこと。亡くなってから、教わっておけばよかったと悔やむことしきり。
 その3は二人の孫が出来たこと。その孫もあっという間に高1と小6となり、爺婆のところへは足が遠のいた。
 その4は、3年8ヶ月前の熊本地震。まさに、かつてない強烈な体験。人間という存在のちっぽけさをはかなむ。


わが家近くのマンションが潰れた熊本地震(平成28年4月)

 暗い話題の一方、平成21年(2009)10月の少女舞踊団ザ・わらべとの出会いは僕にとって大きかった。日本舞踊にとどまらず、邦楽、能、狂言などへと興味が広がり、それまで全く縁のなかった新しい世界を知った。これは僕の一生において実に大きいことだったと思う。
 2019年はそんな平成時代に別れを告げる1年ではなかったかと思う。


平成24年(2012)4月21日 熊本城本丸御殿 春の宴より