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今日の熊日新聞に種田山頭火を描く映画作りが進められているというニュースが載っていた。山頭火の生誕130年を記念した企画だという。監督を務めるのはハンセン病への偏見や差別を題材にした映画「あつい壁」などで知られる中山節夫監督。社会派の中山監督がどんな山頭火像を描くのか興味津々だ。
山頭火を描いたドラマとしては1989年にNHKで放送された「山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」がある。フランキー堺さんが山頭火を演じているが、これはもともと脚本家の早坂暁さんが、渥美清さんの主演を想定して書いた脚本。健康上の理由で渥美清さんは出演できなかったが、本人は並々ならぬ意欲を見せていたという。山頭火が一時、堂守を務めていた植木町味取の味取観音堂がある瑞泉禅寺に渥美さんがふらっと訪ねて来たことがあるという。これは瑞泉禅寺がご実家の民謡三味線・本條秀美さんから聞いたお話だ。そういえば先日、高倉健さんも「山頭火役のオファーを断ったことがある」とインタビューで答えていた。
今回の映画がどういう脚本になるか興味があるが、特に妻の咲野さんがどういう風に描かれるのかに最も注目したい。ちなみに1989年のNHKドラマ版では、咲野さんを桃井かおりさんが演じていたが、その咲野さんと息子の健さんが登場するラストシーンがこれだ。
一草庵で目をとじて倒れている山頭火。
もうイビキもなく―――。
カメラはゆっくり遠ざかる。
「昭和十五年十月十一日
山頭火
脳溢血にて死す」
絶叫するような山頭火の声がひびく。
寺で遺骨を胸に寺の長い階段を上がっていく咲野と健。
本堂で遺骨を和尚の前に置いて、咲野と健。
咲 野「……この人は、わたしや子どもを養う力はございませなんだが、たくさんの、美しい、優しい、
心にしみる俳句をわたしらに残してくれました。役立たずといわれるお人でなければ、決して
見つけることのできない優しい眺めや、美しい心をわたしらに、くれました」
和 尚「(うなずいている)」
咲 野「でも和尚さま。残された句を、読んでみますと、なんと淋しい句が多いのでしょう。……泣き
ながら、旅をしております。……あたたかい団欒を、人一倍欲しがっておるのに、不器用で
それをつくれなかったお人の涙が、このたくさんの句だと思います。……結局は帰ってまいり
ませんでしたが、ずっと待っておってよかったとわたしは思うております。……かわいそうな
お人でした」
健も、うなずいた。
咲 野「これが、最後の句です」
短冊を見せる。
和 尚「……もりもり 盛りあがる 雲へあゆむ」
咲 野「……最後の最後が、力強い句で、ありがたかったです」
雲へ歩む山頭火
力強く盛りあがる夏の雲。
その雲に向かって歩いてゆく山頭火のうしろ姿。
白いクリーム瓶が一つ、ころがっている。
もりもり盛りあがる雲へあゆむ