徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

明日は八朔! 8月1日という日

2016-07-31 23:30:10 | 
 明日は早くも八朔。今年の上半期は異常なことが続いたのであまり実感が湧かない。8月1日とはどんな日だったのか、過去5年間の8月1日をブログ記事で振り返ってみた。


2015年8月1日 出水神社薪能

 毎年恒例の水前寺成趣園・出水神社薪能。この日は能では、基本中の基本といわれる「羽衣」が演じられ、能楽殿の芝生を埋めた大勢の観客が幽玄の世界を楽しんだ。


2014年8月1日 大荒れの八朔

 台風12号は各地に大雨をもたらしたり、はたまた猛暑をもたらしたりと大荒れの一日となった。そんな中、猛暑の京都・祇園では恒例の「八朔」が行なわれたというニュースが。映像にはまだ口紅が下唇だけの頃の懐かしいまめ藤さんやまめ菊さんの初々しい姿も。


2013年8月1日 舞踊団花童、玄宅寺で2回目の舞踊会

 かつて熊本一の観光地だった水前寺の再活性化を図ろうと立ち上がったプロジェクトの一環として始まった舞踊団花童の玄宅寺舞踊会はこの日が2回目。現在も毎月続いており、今月は8月25日(木)に開催予定。


2012年8月1日 野林祐実 高校総体で2冠達成!


 新潟県で行われた高校総体陸上で、九州学院高2年の野林祐実が、熊本県勢としては男女通じて初めて、100m・200mの2冠を達成した。


2011年8月1日 なでしこフィーバーと黒糖ドーナツ棒

 この半月前になでしこジャパンが世界チャンピオンとなり、再開したなでしこリーグは、各会場でなでしこフィーバーが起きた。なでしこリーグのトップチーム、「INAC神戸」のユニフォーム・スポンサーになっている熊本のフジバンビ社でも、主力商品「黒糖ドーナツ棒」に注文が殺到した。

佐渡裕 指揮 スーパーキッズ・オーケストラ

2016-07-29 14:49:26 | 音楽芸能
 オープニングの「弦楽セレナード第1楽章」の演奏が始まったとたん、「なんだ この音は!」と鳥肌が立つ。クラシックのコンサートは初めてではないが、こんなに近い距離でナマ音を聞くのは初めてだ。メンバーは小学生・中学生・高校生とはいえ、全国からオーディションで選ばれた精鋭たち。彼らが世界的な指揮者の指導を受けるとこんな音が出せるのかと感動する。クラシックの本場ヨーロッパでも大絶賛を受けたというのもむべなるかなという感じだ。こころ豊かなひと時を過した。

▼会場:熊本県庁新館1階ロビー


会場は溢れんばかりの人で鈴なり状態


佐渡さんは、震災からこころの復興を願う活動を展開中。音楽の偉大な力をあらためて感じた。

長谷検校記念 第22回くまもと全国邦楽コンクール

2016-07-28 13:46:26 | 音楽芸能
 熊本地震により延期となっていた「くまもと大邦楽祭2016」が、下記のとおり開催されます。

■長谷検校記念 第22回くまもと全国邦楽コンクール

 【日 時】平成28年11月25日(金)10:30〜12:30
           結果発表・表彰式 13:30〜

 【会 場】熊本市植木文化ホール/入場無料

 【出場者】箏曲5人
      尺八・笛音楽7人
      琵琶楽1人
      三味線音楽2人
      三曲等合奏1組
      合計15人1組


※当初開催予定の「第2回くまもと子ども邦楽祭」は中止となりました。



▼昨年度の最優秀賞受賞者・優秀賞受賞者


最優秀賞 本條秀慈郎(三味線音楽の部)


優 秀 賞 中島裕康(箏曲の部)


優 秀 賞 後藤有子(箏曲の部)


優 秀 賞 久保田正知(尺八・笛音楽の部)

熊本地震なかりせば・・・

2016-07-27 22:57:01 | 熊本
 平成10年に始まった熊本城復元整備計画を今一度見直してみた。



 第2期の7番目「馬具櫓および続塀」まで進んでいたわけだ。その「馬具櫓および続塀」も今回の地震で壊れてしまった。
 もし、熊本地震がなかったら、何年後かには、棒庵坂下のKKRホテルあたりからこんな風景が見えていたはずだ。いつの日か復元されるかもしれないが、僕がそれを見ることができないことはたしかだ(泣)


明治5年の明治天皇巡幸に随行した写真師、内田九一が撮影した写真。
大小天守をはさんで、左側に御裏五階櫓、右側に櫨方三階櫓が見える。


地震前の棒庵坂下からの風景。右の石垣の上に櫨方三階櫓があった。今の加藤神社の裏にあたる。

 現在、加藤神社がある一角には、肥後熊本藩六代藩主・細川重賢公の時代に行われた「宝暦の改革」において殖産興業政策の柱の一つとして推進された櫨栽培と製蝋事業を管理する櫨方会所(藩の専売品である蝋を取扱う部署)が置かれていた。


現在、竹の丸の入口となっている櫨方門は、移築されたもの。


菊池川に沿って並ぶハゼの木はかつての櫨栽培の名残り。

花は散らで残りしなり

2016-07-26 19:52:29 | 音楽芸能
※秀鵬の秀は、正しくは「王」へんに「秀」

 シテ方喜多流能楽師の狩野秀鵬さんが亡くなった。僕は能の鑑賞歴がまだ短く、秀鵬さんの舞台は仕舞を何度か拝見したに過ぎない。実に品格を漂わせる舞だった。しかし、シテ方としての能をとうとう見ることができなかった。それが残念でならない。
 狩野家は代々細川家お抱えの絵師の家系だったのだが、秀鵬さんの父勇雄さんが能楽師に転身。秀鵬さんもその後を継いだ。現在は息子の了一さん、孫の祐一さんも能楽師として活躍している。
 秀鵬さんは、国内はもとより、海外においても能の普及に尽力された。フランスやドイツなどヨーロッパ各地で公演し、特にフランスのエクサンプロバンス市には能舞台を寄贈、その縁もあって熊本市とエクサンプロバンス市は2013年に交流都市を締結した。下の写真は、20数年前、ドイツのハイデルベルグ公演時に市長を表敬訪問した時の写真で、その時、秀鵬さんをアテンドした森浩さんよりご提供いただいたものである。
 立派な後継者も育てられたので、思い残すことはなかったのではないだろうか。享年79歳 合掌

まことに得たらん能者ならば、花は散らで残りしなり。 「風姿花伝 by 世阿弥」より


世界文化遺産 ― 細川ガラシャ ― どちりなきりしたん

2016-07-25 17:05:23 | 音楽芸能
 長崎県と熊本県の12の構成資産から成る「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が再び、世界文化遺産の候補として選ばれ、再来年の登録を目指すことになった。出直しという形になったが、ともかくひと安心だ。


海の上のマリア像(天草市河浦町崎津)


 昨夜の「真田丸」(NHK総合)では、細川忠興の留守宅で、妻ガラシャがミサをやっている場面が出て来た。歌われている讃美歌は、「サカラメンタ提要」(キリスト教教会用の典礼書)に収録された19曲のグレゴリオ聖歌のうちの一つ「Tantum Ergo/この大いなる秘蹟を前に」。「サカラメンタ提要」が日本で初めて長崎のコレジオで発行されたのは1605年といわれているので、はたしてガラシャが生きていた関ヶ原(1600年)前の時代に歌っていたかどうかはさておき、この「Tantum Ergo」は下の合唱曲「どちりなきりしたん」にも織り込まれている。
 どちりなきりしたんとはキリスト教の教義書のことで、作曲家の千原英喜さんが2002年に作曲した組曲。

どちりなきりしたん

合唱:熊本大学教育学部附属中学校合唱部

冨田勲の世界

2016-07-24 12:23:46 | 音楽芸能
 今日の「題名のない音楽会」(テレ朝)は、5月5日、84歳で亡くなった冨田勲さんを特集し「冨田勲の音楽会」と題して放送された。近年の同番組の中では出色の企画だったと思う。それは何よりも冨田勲さんの偉大さが浮き彫りになったことによるもの。
 2006年に奥三河の霊山である鳳来寺山で行なわれた「仏法僧に捧げるシンフォニー」で共演した尺八の藤原道山さんが、冨田さんの代名詞ともいえる「新日本紀行」を演奏した時は胸にこみ上げるものがあった。晩年のCGの初音ミクとオーケストラが共演した「イーハトーヴ交響曲」が再現されるなど、見どころの多い30分だった。

▼演奏曲
 「リボンの騎士」
 「きょうの料理テーマ」
 「勝海舟テーマ」
 「文五捕物絵図」
 「新日本紀行」
 「イーハトーヴ交響曲」初音ミク共演
 「『ドクター・コッペリウス』より フィナーレRising Planet 9」



今年は寂しい 清正公さんの御逮夜

2016-07-23 22:15:24 | 歴史
 今夜は加藤清正公の御逮夜。毎年、この日は本妙寺の頓写会に出かけるのだが、今年は仁王門が熊本地震で損壊し、いまだ通行止めとなっており、夜店の出店も取りやめになったというので、行くのをやめ、近くの加藤神社でお参りだけを済ませた。


加藤神社も今年は、清正公まつりの前夜祭が中止となり、ひっそりと静まり返っていた


一・二・三の天守は今夜も美しくライトアップされていた


このままでは余りにも寂しいので、7月16日の加藤神社での「音楽の日(TBS)」中継風景を貼っておきます
熊本第一高校音楽部

今日の話は昨日の続き・・・

2016-07-22 21:04:02 | ニュース
「今日の話は昨日の続き、今日の続きはまた明日」

 これは、7月12日に他界された大橋巨泉さんが、1960年代にラジオ関東で放送していた「昨日の続き」という番組の決まり文句として作ったそうである。
 この番組は、巨泉さんが前田武彦さん(2011年没)、冨田恵子さんとともにやっていたトーク番組だが、実は1964年に僕が大学進学して上京した時、最初に馴染んだラジオ番組で、毎晩これを聞いてから寝るのが日課となっていた。巨泉さんの名前を知ったのもこの番組だった。
 この当時はただ聞き流していたが、この「今日の話は昨日の続き・・・」という文句はとても深いなぁと思う。今、世の中で起こっているあらゆることが、数年前、数十年前、数百年前の人々が行なったことの結果として起こっているのである。今日起きたことが今日完結することはない。われわれの子孫が悲惨な目に遭うことがないように、今を生きるわれわれの責任として、誤った判断をするわけにはいかない。今日の話は明日へ、明後日へ、数十年後へと未来永劫に続いてゆくのである。


1964年、広島の原爆ドーム前、広島平和記念公園を走る聖火リレー

玄宅寺舞踊会 再スタート!

2016-07-21 22:26:06 | 音楽芸能
 熊本地震発生以来、中止していた舞踊団花童の「玄宅寺月例舞踊会」が3ヵ月ぶりに今日から再スタートしました。ちょうど3年前、かつて熊本一の観光地として賑わった水前寺を再活性化させようというプロジェクトの一環として始まりました。毎回、中村花誠先生の趣向を凝らしたプログラムが好評で、水前寺の行事として定着、確実に花童のファン層も広げてきましたが、新しいメンバーも加わり、今後の展開がさらに楽しみになってきました。




▼チャリティ公演のお知らせ

坂東玉三郎さんの舞踊公演

2016-07-20 21:52:11 | 音楽芸能
 今朝の熊日新聞に、今秋、山鹿の八千代座で行われる坂東玉三郎さんの公演が紹介されていた。今回の演目は長唄「秋の色種」長唄「元禄花見踊」だという。そして、玉三郎さんは熊本地震についてもふれていた。しかし、この公演を見ることができるのはごく限られた人たちだけだ。
 今から8年前の平成20年4月30日の夜、「熊本城築城400年祭」のエピローグとして、熊本城二の丸広場で「坂東玉三郎 特別舞踊公演」が行われた。この時の演目は長唄「君が代松竹梅」長唄「藤娘」だった。入場は無料とあって、この夜は1万2000人の観客が二の丸広場に押し寄せた。
 熊本城はまだ復旧工事の真っ只中。いつか城内の整理がついた時点で、8年前のような公演がもう一度実現することを願ってやまない。きっと被災者に元気を与えるイベントになるだろう。


玉三郎さんの藤娘


1万2000人の大観衆で埋まった二の丸広場





2013年1月2日 熊本城本丸御殿 冬のくまもとお城まつり
三味線:今藤珠美と今藤珠美社中
  筝:下田れい子
鳴 物:中村花誠と花と誠の会
振 付:中村花誠
踊 り:ザ・わらべ

「山名屋浦里」 の原点

2016-07-19 20:00:59 | 音楽芸能
 20数年前に住んでいた彦根の高宮はかつて中山道の高宮宿として栄えた町。そこから6kmほど中山道を北上した辺りに鳥居本宿があった古い街並みがある。街道沿いには今でも僕の知人が住んでいるが、この鳥居本の一角に上品寺(じょうぼんじ)という古刹がある。このお寺は歌舞伎で有名な法界坊(十八代目中村勘三郎を今でも思い出す)のモデルとなった法界坊了海ゆかりの寺である。了海は江戸吉原で寄進を受けて梵鐘を鋳造したことで知られる。この寄進に最も協力したのが、吉原随一の花魁花扇だと伝えられる。明治22年に出版された「法界坊実説鐘建立」(柾木素堂著)には、その花扇の人となりについて次のような記述がある。

――当時新吉原の某楼に花扇という娼妓ありけるが、容貌最も麗しくその性信ありて情ふかく、愛敬ある質にて召し使う雛妓は更なり。若者内芸者幇間出入茶屋の小厠にまで懇ろに附合いて心くばりの行届かぬ所なければ知るも知らぬも花扇の事を賞めざるはなく・・・――

 その美しさはもちろんのこと、どんな人にもわけへだてなく接し、細やかな心づかいをする素晴らしい人間性の持ち主だったようである。
 先般、歌舞伎化されることが発表されて話題となった「廓話山名屋浦里」(さとのうわさやまなやうらざと)は、笑福亭鶴瓶の新作落語「山名屋浦里」がもとになっているが、その原型となったのはタモリブラタモリのロケの時に仕入れてきた話。それは、花魁花扇の実話だという。その人となりを知れば、「山名屋浦里」の物語になったような花扇にまつわる伝説はいくつもあったのかもしれないと思ってしまう。


歌川広重が描く鳥居本の摺針峠(左にあるのは望湖堂)


歌麿が描いた扇屋の花扇

熊本復興支援狂言 ~万作・萬斎の狂言で大盛り上がり!~

2016-07-18 19:33:55 | 音楽芸能
 入園料が無料になる午後3時半前には正門前は既に長蛇の列だったが、あとからも来るわ来るわ。会話に耳をそばだてていると、どうやらほとんどの人が野村萬斎見たさに来たようだ。熊本県文化協会会長の吉丸良治氏の開会の挨拶では、1500人の来場と言われていたが、その後さらに増えて、おそらく1800から2000人くらいに達したかもしれない。成趣園の能楽殿にこれほどの人が来たのを見たのは初めてだ。萬斎の絶大な人気をあらためて知らされる。おかげで肝心の狂言は人と人の隙間から垣間見る羽目になったり、台詞がよく聞こえなかったりしたものの、普段は高額のチケットを買わなければ観られない舞台を無料で観られたし、復興の義援金もそれなりに集まっただろうから、この舞台の意義は大いにあったと言えるだろう。


水前寺成趣園の池もほとんど地震前の水位に戻ったようだ


座席はあっという間に埋まり、次から次に立ち見客が入って来る


野村萬斎さんの饒舌な解説で実にわかりやすい


能楽殿の芝生の外から遠巻きに眺める客もどんどん増える


万作・萬斎親子共演の「附子(ぶす)」では会場の盛り上がりも最高潮に達した

416回目の「ガラシャ忌」

2016-07-17 21:27:56 | 歴史
 今日は416回目の「ガラシャ忌」。立田自然公園(泰勝寺跡)は現在、四つ御廟のみ無料で入場できる。一昨日、わが家の墓参りのついでに立ち寄ったが、時間もなかったので四つ御廟に向かって手を合わせただけで帰った。今度あらためてお参りするとしよう。
 ところで、大河ドラマ「真田丸」ではそろそろ細川ガラシャが登場するようだ。ただ、演じるのが橋本マナミというのがなんだかなぁ、という感じ。まぁ、このドラマは一種のパロディだと思っているからどうでもいいのだが。
 大河ドラマといえば、「細川ガラシャを大河ドラマに」を目標に数年前からガラシャゆかりの京都府下の7市町が誘致活動を進めていて、熊本県と熊本市もオブザーバーとして加わっている。可能性はどうなんだろう。熊本としては加藤清正の大河ドラマ化という永年の悲願もあるし、ちょっと複雑な思いがある。


細川ガラシャ(玉子)廟