高峰秀子さんが亡くなった。86歳だったそうだ。昭和4年(1929)、5歳のときに子役でデビューしてから、昭和54年(1979)に引退するまでの50年間、常にトップ女優であり続けた昭和の大女優だ。僕は日本映画史上最高の女優だと思う。「二十四の瞳」、「浮雲」、「名もなく貧しく美しく」などを始め、多くの映画で楽しませてもらった。おそらく数的にも一番たくさんの本数を見た女優さんだと思う。彼女の著書「にんげん住所録」の巻末に書かれた一節を掲げて送る言葉にしたい。合掌。
▼私の死亡記事「往年の大女優ひっそりと」
女優・高峰秀子さんが三ヶ月ほど前に死去していたことが判明した。
生前「葬式は無用、戒名も不要。人知れずひっそりと逝きたい」と言っていた。その想いを見事に実践したようだ。
彼女は十八歳の時、盲腸炎の手術を受けて以来、その死までの数十年間、医師、病院の手を煩わすことは全くなく、健康保険証には一字の記載もなかった。故に死因は不明。死亡診断書を認めた医師は「病名はわかりません。強いていえば天寿でしょうね」と言った。
昭和五十四年にスクリーンを退いたが、その死に至るまで多くのファンの親切と厚意に支えられ、高峰節といわれた達意の文章で随筆集を重ねてファンに応えた。「死んでたまるか」という文章も書いたが、相手が天寿では以って瞑すべし、しあわせな晩年であった。
※この文章を書いたのが8年前、78歳頃と思われるが、はたしてシミュレーションどおりになったのだろうか。
▼私の死亡記事「往年の大女優ひっそりと」
女優・高峰秀子さんが三ヶ月ほど前に死去していたことが判明した。
生前「葬式は無用、戒名も不要。人知れずひっそりと逝きたい」と言っていた。その想いを見事に実践したようだ。
彼女は十八歳の時、盲腸炎の手術を受けて以来、その死までの数十年間、医師、病院の手を煩わすことは全くなく、健康保険証には一字の記載もなかった。故に死因は不明。死亡診断書を認めた医師は「病名はわかりません。強いていえば天寿でしょうね」と言った。
昭和五十四年にスクリーンを退いたが、その死に至るまで多くのファンの親切と厚意に支えられ、高峰節といわれた達意の文章で随筆集を重ねてファンに応えた。「死んでたまるか」という文章も書いたが、相手が天寿では以って瞑すべし、しあわせな晩年であった。
※この文章を書いたのが8年前、78歳頃と思われるが、はたしてシミュレーションどおりになったのだろうか。