徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

明日はもう3月

2022-02-28 21:24:59 | 
 あっという間に2月が終わり、明日はもう3月。無為徒食の毎日を過ごしている。
 行ってみたいところもいくつかあるが、コロナの状勢もまだまだ油断はできない。来週、3回目のワクチンを打つ予定なのでそれまでは大人しくしていよう。
 世界では、今日この時に戦火で命が失われている国もあるが、いまだに前近代的な指導者がいることに驚きと戦慄を覚える。


能の奥義「関寺小町」

2022-02-27 18:08:17 | 伝統芸能
 今夜の「古典芸能への招待」(Eテレ)は、能の最高の奥儀ともいわれ、「姨捨」「檜垣」とともに三老女の一つに数えられる「関寺小町」。近江の国関寺の僧が、寺の稚児を連れて、近くに住む老女を訪れる。老女が歌道をきわめていると聞いていたので、稚児たちの和歌の稽古に役だつだろうと考えての訪問であった。話が有名な古歌の由来に及んだとき、小野小町の作として知られている歌が話題になり、この老女こそ百歳を越えた小町その人だとわかる。
 シテである老後の小野小町を演じるのは金春流の重鎮・本田光洋。シテ方金春流としては10年ぶりの演能だそうである。今年80歳を迎える本田光洋は「明治の三名人」といわれた櫻間左陣の最後の弟子であった父秀男から厳しい稽古を受けたという熊本ゆかりの能楽師でもある。今年正月の北岡神社および藤崎八旛宮の松囃子にも参加した。3年前の8月に行われた出水神社薪能で「羽衣 替ノ型」でシテを務められた時、僕は初めて本田光洋師を舞台で拝見した。今夜の「関寺小町」は初見なので大いに楽しみだ。




2019.8.3 出水神社薪能 金春流 能「羽衣 替ノ型」(シテ:本田光洋)

ゆりあさんの栄誉

2022-02-26 21:31:01 | 音楽芸能
 舞踊団花童の「はつ喜流月蘇女」さんこと小堀ゆりあさんが、熊本県高等学校文化連盟から日本舞踊の文化功労賞を授賞されたことが、彼女のお母さんのフェイスブックで紹介されていた。高校卒業にあたり、これまでの彼女の文化振興への貢献が認められたことは喜ばしい限りだ。
 思えば彼女がたしか7歳の頃から舞台を見せていただいているが、幼い頃から一生懸命表現しようという姿勢が際立っている子だった。年年歳歳、彼女は実力をつけていき、舞踊団のお姉さんたちが次々に卒業していくなか、みんなをリードしていく立場となった。高校2年に上がる前には「はつ喜流月蘇女」として名取を許され、熊本市PR特命大使に任命されている舞踊団花童のリーダーとしての存在感はますます大きいものとなった。高校卒業後はいったん舞踊を離れ、次のステップに向けての準備に入られるそうだが、再び舞台で躍動する彼女の姿を見る日が早く来ることを願うばかりである。
 
今から10年前、熊本城本丸御殿中庭での「桜の宴」で「羽根の禿」を踊るゆりあさん(右)とあかねさん

2019年5月、山鹿八千代座における第二回山鹿をどり「春興鏡獅子」で「胡蝶の精」を踊る
ゆりあさん(左)とかなさん

春のくまもとお城まつり

2022-02-24 17:30:06 | イベント
 一昨年から、コロナ禍が続き、中止や縮小開催が続いていた「くまもとお城まつり」が3月12日から始まる「春のくまもとお城まつり」で本格的に復活するようだ。
 コロナも終息までは未だしの感があるが、桜の開花とともにポストコロナのエポックを画するイベントになれば幸いである。
 様々なプログラムが用意されているが、個人的には次の二つが楽しみだ。

▼熊本城薪能
  • 日 時:3月12日(土)午後6時半~8時
  • 会 場:熊本城二の丸広場特設ステージ
  • 出 演:観世流・金春流



▼島唄コンサート
  • 日 時:3月21日(祝)午後6時~8時
  • 会 場:熊本城二の丸広場特設ステージ
  • 出 演:古謝美佐子・舞踊団花童ほか

こんぴらさんのはなし。

2022-02-23 19:38:19 | 歴史
 昨夜のブラタモリ・セレクションは5年前に放送された「こんぴらさん編」。2008年に家内と四国旅行をした時の「こんぴらさん参り」を思い出し懐かしかった。また、昨年NHKを退職した近江さんの姿を見られたのも嬉しかった。彼女はNHK熊本での新人時代の印象が強いので特に思い入れがあった。
 それはさておき、金刀比羅宮、金刀比羅神社、金比羅宮、金比羅神社等々、こんぴら系の神社は日本全国各地にあるが、いったいどのくらいの数になるのだろう。ウィキペディアには600とか書いてあるが、あれは神職が常駐している神社だけなのだろう。妹夫婦の家がある玉名市下の金刀比羅宮にはよく参拝するのだが、ちょっと調べてみたら、玉名市だけでも下を始め、月田、石貫、高瀬、横島と5つ見つかった。おそらく全国には何千というこんぴらさんがあると思われる。
 江戸後期にはこんぴら参りがお伊勢参りと同様に大流行し、江戸や大坂から大勢の参詣者を乗せた船が讃岐を目指したが、その船上で歌われ始めたのが、今日では讃岐民謡として知られる「こんぴらふねふね」だという説がある。(諸説あり)
 そのこんぴらさんの主祭神は 大物主神(おおものぬしのかみ)。しかし、神仏習合の時代は金毘羅大権現を主祭神としていた。金比羅さんというのはお釈迦様の弟子なので明治初期の神仏分離令によって金毘羅大権現ではまずいとなったのか、大物主神と金毘羅大権現は同体であるという無理やりな設定で大物主神を主祭神としたという。


金刀比羅宮(香川県琴平町)御本宮前で


金刀比羅宮参道で


こんぴらふねふね

わが家のそばの古代遺跡

2022-02-22 15:12:50 | 歴史
 考古学の先生に言わせれば、京町台は遺跡の宝庫だという。わが家から歩いて5分ほどのところに、平安時代に天台宗「大道寺」があったと推定されている一画があり、これまで度々発掘調査が行われている。ここには、明治35 年(1902) 1 月から平成23 年(2011) 2 月までの109年間、気象観測を行う京町測候所として馴染んできた熊本地方気象台が置かれていた。気象台が新しく出来た熊本地方合同庁舎に引っ越したあと、現在は民間の集合住宅が建てられている。
 この伝大道寺遺跡からは平安時代初期の瓦が大量に出土しており、飽田郡の郡寺だった可能性も指摘される。また、この遺跡付近には、養蚕(こかい)駅から西へ延びた官道が想定されており、飽田郡の重要地点に造られた施設であった可能性もあるという。
 わが家の近くに古代の郡の重要施設や官道が!!!古代ロマンにワクワクする。


「文化財通信くまもと」より


伝大道寺遺跡の発掘調査


京町台の東のヘリにあたる。


鞠智城跡(山鹿市菊鹿町米原)から出土した瓦と近い時代の瓦が伝大道寺遺跡から出土している。

阿国歌舞伎が江戸城で演じられた日

2022-02-20 21:24:52 | 伝統芸能
 慶長12年(1607)の今日2月20日、出雲の阿国が江戸城に招かれかぶき踊りを演じたと江戸時代初期の史書「当代記」に書かれています。かぶき踊りが芸能として正式に認知された日ということができると思います。しかし、その時の演目など具体的な内容はわかっていません。阿国歌舞伎は「ややこ踊り」「茶屋遊び」「念仏踊り」の三つが主要な演目だといわれていますが、一部の題名や詞章が伝えられているだけで、音楽や舞踊についてはほとんどわかっていません。
 
 そんな阿国歌舞伎のおもかげを残す芸能として注目されているのが、新潟県柏崎市に伝わる民俗芸能「綾子舞」です。土地に伝わる由来伝承によれば、京都から伝来したもののようです。

▼小原木踊(おはらぎおどり)
 その「綾子舞」の代表的な演目で「小原木踊」という曲目があります。これは中世小歌にもよまれている京都八瀬の大原女の姿をうたったものです。阿国歌舞伎は小歌と四拍子の演奏で進行し、まだ三味線は使われていなかったそうですので、この映像を見ますと何となく雰囲気がわかります。



▼歌舞伎踊り(七つになる子)
 これは、中世の狂言小謡「七つ子」を現代の長唄に作り変え、舞踊小曲としたものですが、「七つ子」は阿国歌舞伎でも使われたことが分かっています。

「七つに成る子が、いたいけな事云うた、殿がほしいと諷(うと)うた、さてもさても和御寮(わごりょ)は、誰人(たれびと)の子なれば、定家葛(ていかかずら)か離れがたやの、離れがたやの。」と謡います。


渾身の一記事

2022-02-18 21:15:52 | Web
 今日、gooブログの編集ページに入ったところ、「あなたの渾身のブログ記事を応募しませんか」という趣旨のポップアップウィンドウが開いた。応募した記事の中から選考してgoo blogのトップページに掲載するのだという。
 この種の企画に応募したことはほとんどないが、今までの自分のブログを振り返り、今後の方向付けを考えてみるのもいいかなと思い、応募するかどうかは別にして「渾身の1本」を選んでみた。ところがやってみると1本を選ぶのはなかなか難しい。結局、昨年7月5日の記事「謡曲『檜垣』のナゾ」を選び、goo事務局へ送った。この記事を選んだ理由は自分で行動して調査をした記事であること、まだ未解決のテーマであることなどだ。
 おそらく選ばれることはないだろうが、ブログに対するあらためてのモチベートにはなったような気がする。


檜垣嫗(ひがきのおうな)が四里の山道を日参し閼伽の水を供えた岩戸観音


八幡の国というカブキ女、肥後に下る

2022-02-17 20:38:43 | 歴史
 「津々堂のたわごと日録」さんが今日、「熊本の中心が『新町』であった時代」という記事をアップされていた。
 現在、熊本市内では「春の植木市」が行われているが、城親賢(じょう ちかまさ)が隈本城主時代に始めたといわれ、その場所が熊本の中心である「新町」であったという。
 城親賢の時代から7年後、肥後に入国した加藤清正は新たに熊本城築城とともに城下町として新町・古町などの整備を行った。関ヶ原の戦の後、肥後一国領主となった清正は慶長11年(1606)に熊本城を完成した。慶長15年(1610)春、清正は八幡の國(出雲阿国)なる芸能者を招き、鹽屋町三丁目(現中央区新町2丁目)の武者溜りで歌舞伎を興行した。この場所は城下の流通の大動脈として清正が付け替えた坪井川水運の船着場である船場のすぐそばであり、船場川(坪井川)には木橋を架けたと推測される。つまり水陸両方からあらゆる階層の多くの人々が集積することができる立地だった。やはり清正時代も熊本の中心地は「新町」だったということができるだろう。 

▼天正19年(1591)頃、加藤清正の肥後半国領地時代の城下町


▼現在の古城・新町辺り

洗馬山のタヌキ像辺りに阿国歌舞伎の舞台があったかも。



出雲阿国


四条河原遊楽図屏風(一部)※鹽屋町三丁目の武者溜りでもこんな風景が見られただろう。

今は昔 上熊本駅前

2022-02-16 17:56:14 | 熊本
 昨日、所用で上熊本駅まで歩いて行ったら、駅前の福栄旅館が解けて更地となっていた。かつての上熊本駅前繁栄の名残として唯一といっていい建物が消えた。寂しい限りである。
 僕らが子供の頃まで、上熊本駅で降りて熊本市内に向かう行商人が多く、この福栄旅館がそうした行商人たちの拠点になっていたと聞く。しかし、時代は車社会へと移り変わり、上熊本駅で乗り降りする行商人の姿は消えた。
 また、この旅館は僕の高校の同級生であり、水球のチームメイトでもあったF君の実家でもある。現在本人は和歌山県に住んでいるが、戻る実家がなくなった彼の思いはいかばかりかと。


更地となった福栄旅館跡


かつての上熊本駅舎


2015年3月14日、新駅舎の落成式


明治29年、夏目漱石が五高へ赴任のためこの駅に降り立つ。漱石像は現在、新坂登り口の三角公園に

百寿を迎えた母

2022-02-15 18:31:40 | ファミリー
 母は今日めでたく百歳を迎えた。
 大正11年2月15日、玉名市大浜町の理容店を営む家に呱々の声をあげた。かつて菊池川河口の港町で、廻船問屋が建ち並び、浜千軒と呼ばれ大いに栄えた大浜町は、大正時代の頃までその名残があり、理容店は多くの客で繁盛した。割と恵まれた環境で育った母は、高瀬高等女学校に進んだ。女学校を卒業すると看護職を目指し、熊本医師会の看護学校で資格を取り、さらに養護教諭を目指して勉強した。念願の養護教諭となった母は、島崎校、花園校に勤務、さらに熊大附属幼稚園へと転じる。その間、昭和17年に父と結婚した。附属幼稚園には結局36年間勤務することとなる。母がよく思い出す卒園児の中に喜多流能楽師の狩野了一さんやNHKアナウンサーの武田真一さんらがいる。
 残念ながらコロナ情勢を考慮し、大勢で集まる祝宴は当面やらないことにしたが、晴れてファミリー揃ってお祝いがやれる日まで元気でいてくれることを願うばかりである。
※写真は高瀬高等女学校時代の母(後列左端)

漱石と六段の調

2022-02-14 17:45:30 | 伝統芸能
  春雨の隣の琴は六段か(明治31年)

 これは夏目漱石が大江村(新屋敷)に住んでいた頃の作らしく、春雨そぼ降る中、近隣から筝曲の「六段の調」が聞こえてくる何とも春の風情を感じさせる句で、僕の大好きな一句だ。
 熊本での三番目の住まいとなった大江村の旧居があったのは、現在の熊本市中央区新屋敷1丁目、白川小学校の東側である。漱石がここに住んだのは明治30年9月から31年4月までのわずか8ヶ月に過ぎないが、30年暮れの小天旅行が「草枕」の題材となった。この旧居は現在、水前寺成趣園東隣に移築されている。
 漱石が大江村にいた時期と重なるかどうかは不明だが、この頃、わが祖母方の曽祖父が大江村の村長をやっていたらしい。


夏目漱石第三旧居(大江村旧居)


大江村に住んでいた頃の漱石夫妻


奏者は第23回くまもと全国邦楽コンクール最優秀賞に選ばれた大川義秋さん

くまもと花博 準備に大わらわ

2022-02-13 21:13:51 | イベント
 3月19日から始まる全国都市緑化くまもとフェア「くまもと花とみどりの博覧会 ~THE GREEN VISION 未来への伝言~」に向けて、会場となる「街なかエリア」「水辺エリア」「まち山エリア」の各エリアでは準備に大わらわのようです。
 開会がちょうど桜の開花時期(熊本は21日の予想)と重なり、ところによっては桜並木が突如出現したりということもありそうです。
 ブラタモリ「江戸の盛り場 ~吉原編~」で紹介された吉原仲の町の、開花時期だけ移植される桜並木の話を思い出しました。


水辺エリアのうち熊本市動植物園の整備が進む


完成後の姿が楽しみ



歌川広重「江戸名所 新吉原仲の町桜時」

最近気になるテレビCM

2022-02-12 21:17:50 | テレビ
 最近、最も気になるテレビCMは、資生堂150周年のCMだ。安藤サクラ、池田エライザ、石田ゆり子、小松菜奈、近藤華、長澤まさみ、広瀬すずらの今を時めく女優陣に混じって、なんと前田美波里さんが登場する。現在御年73歳。19歳の頃、今や伝説となった資生堂のポスターに起用されてから54年が経った。現在もミュージカル女優としてご活躍中だが、54年前と同じ衣装で登場されるCMを拝見すると時の流れの残酷さを感じてしまう。