
加藤清正が金春流の武家役者・中村政長を召し連れ、肥後に入国してから肥後能楽の歴史が始まった。加藤家が改易された後、入国した細川家は学問、文化を尊ぶ家柄で、能楽が奨励され、肥後細川藩は徳川御三家や前田藩、伊達藩などと並ぶ全国でも有数の能楽が盛んな藩となった。しかし明治維新によって大名という後楯を失った能楽は衰亡の危機に瀕したが、各神社の神事能を務めるなどで苦難の時期を耐え忍ぶ一方、東京へ出た熊本の能役者たちが、日本の能楽の主流を占め、多くの名人を輩出し、今日に至るまで日本の能文化を支えている。
そんな輝かしい歴史を有する肥後の能楽だが、その拠点となるべき公立の能楽堂をいまだに持っていない。福岡県は大濠公園に県立の能楽堂、大分市も平和公園に市立の能楽堂、鹿児島県はふれあい館の中に移動式の能楽堂がある。熊本県には、出水神社能楽殿、段山能舞台、藤崎宮能舞台、菊池神社松囃子能舞台、河尻神宮能舞台の五つの能舞台があるが、いずれも神社所有の施設。肥後能楽の歴史と伝統を広く発信していく拠点として県立能楽堂の建設を望んでいる。
僕がこれまで能を見た能舞台は、出水神社能楽殿と熊本県立劇場や熊本城内の特設舞台などだったが、たしかに常設の能舞台と展示室を併設した能楽堂ができたら、能楽の普及発展にも寄与するだろうし、観光資源(特に海外からの観光客向)にもなるにちがいない。かつて藩主の屋敷があった御花畑には能舞台があった。花畑町界隈の再開発計画、もしくは藤崎台球場移転後の跡地利用計画の中で検討する価値は大いにありそうである。
※右の写真は肥後金春流中村家十三代当主の中村勝さん

水前寺成趣園の出水神社能楽殿

河尻神宮能舞台

段山能舞台

藤崎宮能舞台