徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

県立の能楽堂を!

2015-04-30 11:07:26 | 音楽芸能
 先月28日の本妙寺桜灯籠の時、妙心院で肥後金春流中村会の皆さんによる仕舞や連吟を観た。挨拶に立たれた肥後金春流中村家十三代当主の中村勝さんが次のような話をされた。

 加藤清正が金春流の武家役者・中村政長を召し連れ、肥後に入国してから肥後能楽の歴史が始まった。加藤家が改易された後、入国した細川家は学問、文化を尊ぶ家柄で、能楽が奨励され、肥後細川藩は徳川御三家や前田藩、伊達藩などと並ぶ全国でも有数の能楽が盛んな藩となった。しかし明治維新によって大名という後楯を失った能楽は衰亡の危機に瀕したが、各神社の神事能を務めるなどで苦難の時期を耐え忍ぶ一方、東京へ出た熊本の能役者たちが、日本の能楽の主流を占め、多くの名人を輩出し、今日に至るまで日本の能文化を支えている。
 そんな輝かしい歴史を有する肥後の能楽だが、その拠点となるべき公立の能楽堂をいまだに持っていない。福岡県は大濠公園に県立の能楽堂、大分市も平和公園に市立の能楽堂、鹿児島県はふれあい館の中に移動式の能楽堂がある。熊本県には、出水神社能楽殿、段山能舞台、藤崎宮能舞台、菊池神社松囃子能舞台、河尻神宮能舞台の五つの能舞台があるが、いずれも神社所有の施設。肥後能楽の歴史と伝統を広く発信していく拠点として県立能楽堂の建設を望んでいる。

 僕がこれまで能を見た能舞台は、出水神社能楽殿と熊本県立劇場や熊本城内の特設舞台などだったが、たしかに常設の能舞台と展示室を併設した能楽堂ができたら、能楽の普及発展にも寄与するだろうし、観光資源(特に海外からの観光客向)にもなるにちがいない。かつて藩主の屋敷があった御花畑には能舞台があった。花畑町界隈の再開発計画、もしくは藤崎台球場移転後の跡地利用計画の中で検討する価値は大いにありそうである。
※右の写真は肥後金春流中村家十三代当主の中村勝さん


水前寺成趣園の出水神社能楽殿


河尻神宮能舞台


段山能舞台


藤崎宮能舞台

スポーツと怪我

2015-04-29 19:28:55 | スポーツ一般
 スポーツに怪我はつきものだが、スポーツ選手が大きな怪我を負ってしまうと、復帰するまでに本人はもとよりサポートする家族や関係者も大変な苦労を強いられる場合がある。かくいう僕も水球をやっていた学生時代に腰を痛めた経験があり、復帰の大変さはよくわかる。
 陸上の新シーズンが開幕してやがてひと月。僕のイチオシである北川愛菜さん(熊本学園大付高)の欠場が続いているのがずっと気になっていた。それで今日、水前寺競技場で開催された「私学陸上選手権」を見に行った。100mの予選に出場したものの、彼女本来の走りには程遠いものがあった。彼女の傍にお母さんと思しき方の姿が見えたので、思い切ってお尋ねしてみた。やはり、足の怪我の快復に思いのほか時間がかかったらしい。今では完治に近い状態だそうだが、怪我する前のような走りができないため、本人の精神的なストレスも大きいようだ。その後の200mも優勝はしたものの、彼女本来の後半の伸びは影をひそめたままだった。彼女は今年が高校最後のシーズン。1ヶ月後には県高校総体も迫っており、あせる気持もあるだろう。しかし、それに照準を合わせて無理をすることだけは避けてほしい。それでも今日は100mが予選決勝の2本、200m、そして4×100mリレーと4本も走ることができた。今日が、彼女のこれからの長い競技生活の再スタートの日になれば嬉しいのだが。






Dear heart ~ あなたへ ~

2015-04-28 21:19:04 | 音楽芸能
 50年も前、学生時代に初めて聞いたが、何年経ってもいっこうに古びない。いい歌はやっぱりいい。
 僕があの世に持って行きたい歌のベストワンかな・・・
 今は亡きアンディ・ウィリアムスとヘンリー・マンシーニの共演。



Dear heart wish you were here to warm this night
My dear heart, seems like a year since you've been out of my sight
A single room, a table for one
It's a lonesome town all right
But soon I'll kiss you hello at our front door
And dear heart I want you to know
I'll leave your arms never more

久留米そろばん踊り

2015-04-27 09:47:13 | 音楽芸能
 江戸時代後期、久留米城下で生まれた井上伝(当時13歳)は、色あせてまだらになった着物の模様にヒントを得、「久留米絣(かすり)」を考案した。その後、技術に改良が重ねられ、「久留米絣」は久留米藩内はもちろん、全国に広く知られるようになり、今日では久留米を代表する伝統工芸品となった。機織りは農村の子女の副業として筑後地方一円に広まり、機織りの音に合わせた作業唄「そろばん踊り」がお座敷などで広まって行った。現在では夏祭りなどで総踊りが行われている。
 久留米は僕にとって第二の故郷。住んでいた頃はこの曲を断片的にしか聞いたことがなかったが、今回初めてガッツリ聞いたので、歌詞の耳コピーに挑戦してみた。聞き違いはご容赦を。


〽わたしゃ久留米のはた織り娘よ
 化粧ほんのり 花ならつぼみよ

 わたしゃさいの
 久留米のひばた織りでございますもんの
 わたしがっさいひばたば織りよりますとさいの
 村の若い衆が来て
 遊ばんの遊ばんのち言いますもんの
 一緒に遊ぶたよかですばってん
 ひばたがいっちょん織れまっせんもんの
〽惚れちゃおれどもまだ気がつかんかね

〽わたしゃ評判 はた織り娘よ
 通う心は 一つに結ぶよ

 わたしゃさいの
 久留米のひばた織りでございますもんの
 わたしがっさいひばたば織りよりますとさいの
 村の若い衆が来て
 彼氏はおるか彼氏はおるかち聞きますもんの
 彼氏はおることはおりますばってん
 名前は人にゃ言えまっせんもんの
〽心許したお方は一人だよ

〽わたしゃ年頃 はた織り娘よ
 赤いたすきに 姐さんかぶりよ

 わたしゃさいの
 久留米のひばた織りでございますもんの
 わたしがっさいひばたば織りよりますとさいの
 村の若い衆が来て
 嫁に欲しか嫁に欲しかち言いますもんの
 嫁にゆくとはよかですばってん
 まだまだつぼみでおりたかですもんの
〽その場限りの浮気はご免だよ

第18回 民謡「田原坂」全国大会に思うこと

2015-04-26 21:14:35 | 音楽芸能
 植木町が熊本市と合併して以降、合併特例区として行なわれてきた旧植木町の事業が今年3月22日を以って終了した。そんな中で、今年、第18回目を迎えた「民謡 田原坂 全国大会」が地区住民の主催による行事として昨日、植木文化センターで行われた。
 今回は植木町としての広報媒体もなくなり、事前に大会のポスターやチラシを見ることもなかった。会場は昨年までの大会とくらべ雰囲気は大きな違いは感じられないが、参加者は200名弱と、主催者によれば減少傾向は否めないという。今回は過去の蓄積があったため、予算的には何とか賄えたものの、今後の見通しは立っていないようだ。
 民謡「田原坂」は史跡とともに熊本市の文化的遺産。「観光立県」を掲げる熊本県としても、観光資源を守るためにも、せっかく18回も重ねてきたこの大会を何とか来年以降も継続できるよう支援してほしいものだ。
 文化センター前の広場に「植木町閉町」を記念する木が植えられていた。それを眺めていると、市町村合併する時には美辞麗句が並べられるけれど、やっぱり一つの町が消えることなんだという現実をあらためて感じた。










「民謡田原坂全国大会」は明後日26日 植木文化ホールで!

2015-04-24 10:14:45 | 音楽芸能
 合併特例区が終了し、存続が危ぶまれていた「民謡田原坂全国大会」が、住民が主体となって運営する行事として今年も行われます。

■日 時 4月26日(日) 午前9時開会
■場 所 植木文化センター文化ホール
■入 場 無 料


 この大会が今後も継続して行われますよう、多くの皆様のご来場と応援をよろしくお願いいたします。

※クリック拡大してご覧ください

狩野了一さん & 松下知代さん

2015-04-23 23:06:20 | 音楽芸能
 夕方のNHKローカルニュースで、熊本県の優れた芸術文化活動に贈られる今年の県文化懇話会賞が決まったと報じていた。そして、その新人賞喜多流能楽師の狩野了一さん筝演奏家の松下知代さんの二人も選ばれていた。お二人とも斯界の第一線でご活躍中の方なので、新人賞というのはいささか違和感があるが、ともかくお目出度いことにかわりはない。
 狩野さんの演能は昨年9月の「熊本能三昧」で初めて見たが、お名前はずっと前から母から聞いて存じ上げていた。実は彼が熊大附属幼稚園に通っていた頃、母はこの幼稚園に勤務していたからだ。
 松下さんは今年1月の「熊本県邦楽協会演奏会」で花童と共演していただいた。同演奏会のクライマックス「越後獅子」での全出演者による演奏で十七絃を弾かれたのでお名前は記憶に残っていた。お名前を存じ上げている方が受賞されるのは嬉しいものだ。

▼「熊本県邦楽協会演奏会」における「越後獅子

藤の花房 色よく長く

2015-04-22 20:31:02 | 音楽芸能
 毎年この時期、藤の花を見、そしてその甘い香りを嗅ぐと同じネタが浮かんでしまい恐縮です。

色あひ深く花房長く咲きたる藤の松にかかりたる

 これは清少納言枕草子」の「めでたきもの」の冒頭の一節です。
 藤の長い花房が、まるで恋人のようにに寄り添う美しい景色を表現しています。




 歌舞伎舞踊「藤娘」の中の見どころの一つである「藤音頭」。艶やかな踊りを見せるのは実は藤の精。そして恋しい殿御に見立てたのは。少しお酒を呑まされて酔い、初々しい恋心を踊ります。
 藤の花たおやかな女性のイメージなのです。


陸上競技2014年度ランキングのことなど

2015-04-21 17:28:06 | スポーツ一般
 熊本陸上競技協会の2014年度ランキングがやっと発表された。
 僕の注目の短距離は、昨年まで5年連続ナンバー1だった江里口匡史や4年連続ナンバー1だった野林祐実の名前が消え、上位に新しい顔ぶれが多く名を連ねた。
 先日、今年度の熊本陸上競技選手権大会を見に行ったが、有力選手の欠場などもあって全般的には低調。これから高校総体や国体に向けて短距離陣には奮起を望みたい。

▼平成27年度 熊本陸上競技選手権大会(2015.4.19)


▼2014年度熊本陸上競技協会ランキング



≫≫≫ 期待の女子短距離陣 ≪≪≪
▼左から宮崎亜美香(必由館2年)、酒井優香(熊本商3年)、北川愛菜(学園大付3年)
  

▼八代東 4×100mチーム、右端が深川恵充(3年)



≫≫≫ 野林さんは立命館で頑張っています! ≪≪≪
▼立命館大 4×100mチーム、野林祐実(2年)、本村優華(2年)、仁尾友美(3年)

                              関西学生陸上競技連盟サイトより

潮来出島の真菰の中に あやめ咲くとはしおらしや

2015-04-20 21:36:35 | 音楽芸能
 今日、玉名の実家へ行った家内が裏の畑に咲いていたあやめを持って帰って来た。染め色やカラーコードでいう「あやめ色」よりはだいぶ青味が強い。あやめは漢字で「菖蒲」と書き、「しょうぶ」とも読む。ところがあやめしょうぶは全く別の植物であり、あやめと同じ種類のものは「花菖蒲(はなしょうぶ)」である。肥後六花の一つになっているのもこの花菖蒲だ。茨城県の水郷潮来で行われる「あやめまつり」や「あやめおどり」は全国的にも有名だが、あのあやめは実は花菖蒲のことらしく、あやめと呼んでいた中世の名残りらしい。

▼潮来音頭
  潮来出島の真菰の中に アリャセー あやめ咲くとはしおらしや ションガイー
  しおらしや あやめ咲くとは しおらしや ションガイー
  揃うた揃うたよ 踊り子が揃うた アリャセー
  秋の出穂よりよく揃うた ションガイー
  よく揃うた 秋の出穂よりよく揃うた ションガイー
  さらばこれよりションガイ節やめて 次の甚句に移りましょ ションガイー

▼潮来甚句
  揃うた揃うたよ 足拍子手拍子 アラヨイヨイサー 秋の出穂より ヤレよく揃うた
  潮来通いの船ならば 津の宮河岸から帆を上げて 潮来の河岸へと乗り込め乗り込め


最近のテレビ番組から

2015-04-19 22:39:30 | テレビ
にっぽんの芸能
 先週金曜日の「にっぽんの芸能」は歌舞伎俳優の中村時蔵、尾上菊之助ほか花形俳優の出演による「阿国と山三の面影 舞踊 春霞歌舞伎草紙(はるがすみかぶきぞうし)」が放送された。歌舞伎の祖といわれる出雲阿国と名古屋山三の、再会と別れを描いた舞踊劇だが、明治から昭和にかけて活躍した女流作家・長谷川時雨の作という。題材は「阿国歌舞伎夢華」と同じ、出雲阿国が実際に演じていたと伝えられる古典をもとにしている。花形俳優たちの名演はさすがだが、正直な話、2年前の同番組で見た日本舞踊協会の「阿国歌舞伎夢華」の方が個人的には好きだ。

ブラタモリ
 昨夜は「復活!ブラタモリ」の2回目。なじみのある長崎でもあり、それはそれで楽しいのだが、以前のブラタモリと何かが違う。もともとこの番組はテレ朝の「タモリ倶楽部」の街歩き企画を発展させたもの。ゆるさと妙なマニアックさが見ていて面白かった。NHK、しかも地方ロケとなるとやっぱりキッチリやらないといけないんだろうな。ただの観光番組になってほしくない。それに新しいパートナーの桑子アナはちょっとハシャギ過ぎ?

池島炭鉱とN君のこと

2015-04-18 21:25:20 | 友人・知人
 今夜のブラタモリは「長崎」の第2回目。港町長崎を海の方からの視点で見てみようというものだった。とりわけ僕が興味深かったのは「池島炭鉱」。長崎には何度も行ったことがあるが、もちろん「池島炭鉱」など行ったことはない。坑道に入った経験と言えば、6年前、荒尾の万田坑での映画ロケにエキストラ出演した時だけだ。
 それはさておき、僕には行ったことがない「池島炭鉱」に忘れられない思い出がある。それは20数年前のこと。当時、勤務していた彦根工場で10年ぶりの大量採用をすることになった。関西一円の採用だけでは賄い切れず、僕は九州各県の採用に出かけた。そして合計100名ほど採用した中で、僕がベスト1の人材だと思ったのが、N君という20代後半の青年だった。彼は池島炭鉱を辞めたばかりだった。体格もいいしクレバーで、しかも礼儀正しかった。彼は池島炭鉱の将来が決して明るくないことを見通して転職してきたのだった。僕は彼を育てた池島炭鉱がどんなところなのかとても興味深かった。今夜のブラタモリを見ながら、僕はN君の顔が頭から離れなかった。あれから20年以上経った今、彼はどんな生活をしているだろうか。