徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

年末のご挨拶

2021-12-31 19:26:12 | 
 今年も多くの皆様に、当ブログをご訪問いただきありがとうございました。
 心より御礼申しあげます。
 昨年末、コロナに振り回され続けた1年が終わるに当たり、新年の終息を期待しながらご挨拶申し上げた憶えがあります。
 ところが、今年末もまた同じような気持で暮れることになるとは思いもしませんでした。
 今年は希望的観測を述べるのは差し控えさせていただきますが、皆様にとりまして新年が、様々な障害はあろうとも息災にお過ごしになりますことを心よりお祈りいたします。
 引き続き当ブログをよろしくお願い申しあげます。
筆主敬白


水前寺成趣園

今年も暮れてしまひけり

2021-12-30 21:31:42 | 
 毎年、年の瀬になると思い出すのが次の句。

  思ふこと今年も暮れてしまひけり

 正岡子規が年の暮れの心境を詠んだ句で、まもなく一年が終わろうというのに無為に過ごしてしまった感を抱いていたのだろう。
 僕自身も今年の年初に「今年こそは」と思ったことがいくつかあったのだが、ほとんど何も手をつけないままに終わりそうだ。その一つが絵を描くことだ。小・中・高あたりまでは絵はわりと得意な方だったので、人生の最終盤にもう一度チャレンジとは思っているのだが、これがなかなか・・・
 まさに子規も同じような心境だったのかもしれない。


スケッチブックを手に出かけてはみたけれど・・・

思い出の1枚 ~雪中の舞~

2021-12-29 19:50:44 | 日本文化
 初詣で賑わう元旦の水前寺成趣園および出水神社。「新春寿ぎの舞」を花童が奉納するようになって7、8年になるだろうか。毎年これを見に行くのが年始の習わしのようになっていた。しかし、コロナ禍のため今年は中止。来る新年も中止になるという。残念なことだ。
 これまでのいろんなシーンを思い出すが、中でも忘れられないのは2015年、雪が降りしきる中での寿ぎの舞。そんな悪条件の中でも、くるみさんとあやのさんは平然と5曲を舞い切った。舞い終わる頃には雪もやみ、なんと陽が差して来たのだった。その最も雪が強かったシーンが下の写真である。


熊本水遺産

2021-12-27 18:43:37 | 熊本
 熊本市には「熊本水遺産」という登録制度があります。その趣旨について熊本市の説明は次のとおりです。

 熊本市は九州の中央に位置し、東に阿蘇、西に有明海を望み、水と緑の豊かな街です。約74万市民の水道水源を100%地下水でまかなっています。これは人口50万人以上の都市では日本唯一、世界でも稀少な都市です。その他にも清冽な湧水群、河川、湖沼などの水資源を有するとともに、水にまつわる風習や伝統行事など、有形・無形の水資源が数多く存在し、地域の文化や風土として息づいています。かけがえのない「水と文化」に幅広く目を向け、熊本市の水にかかわる自然、歴史、風習、人物、芸術など有形または無形の資源を熊本水遺産として登録、顕彰することにより、熊本市の水資源について保全の機運を高めるとともに、その魅力を内外に発信し、もって熊本市の水に感謝し守る価値観や生活文化を後世に継承していくことを目的に実施するものです。

 これまで登録された「熊本水遺産」92のうち、人物で登録されているのが下記の二人です。

89.加藤清正
 加藤清正は熊本の基礎を築いた人物であるが、いまなお熊本市民の崇拝を集めているのが治水・利水事業である。土木の神様、治水の神様と称され、いまも熊本市民の暮らしに恩恵を与えている。熊本の水を語るとき、清正抜きに語れず、水に特に関わりの深い人物である。





90.桧垣
 桧垣は平安時代の女流歌人で、勅撰和歌集にも歌が載るすぐれた歌人である。白川べりの蓮台寺は「桧垣寺」とも呼ばれ、ここに庵を結んでいたという。「桧垣の井戸」や「こぼし坂」、歌など、水と関わりの深い物語をもつ熊本ゆかりの人物である。




20ヘクタールの希望

2021-12-26 18:43:40 | テレビ
 今から12年前、2009年2月8日の深夜に見て感動し、翌日とその4年後の二度、ブログに掲載したドキュメント「20ヘクタールの希望」が今夜帰ってくる。実は制作の山口放送はその後も追跡取材をしていたらしく、今回放送されるのはその後も加えた特別編のようだ。多くの方にぜひ見ていただきたい。

◆放送:日本テレビ NNNドキュメント「20ヘクタールの希望」12月26日 25:25〜26:20

▼放送案内より
「農」に生きるある女性の日々を、13年に亘り取材した。山口県山口市の中澤美樹さん(40)。瀬戸内に広がる20ヘクタールの広大な田を祖父から受け継ぎ、家族とぶつかり模索をしながら自分なりの米づくりを追求してゆく。雑草との闘い、無農薬への挑戦、結婚、子育て、死別、家族の病―。土と向き合いながらの13年は、自分自身と向き合う日々でもあった。農の中に自分らしさを見出し、人生を切り開いてゆくある女性の記録。

▼2009年2月9日のマイブログ記事
「20ヘクタールの希望 木原美樹27歳 私は「農」に生きる」
 昨日の深夜、KKTで放送された「NNNドキュメント'09」を見た。永年、祖父が守ってきた20ヘクタールの米づくりを継いだ、木原美樹さん(27歳)の苦闘の日々を見続けたドキュメンタリーだった。農業経営、とりわけ米づくりの大変さは今までもいろんな番組で紹介されてはいるが、その深刻さをこれほど実感を伴って見せてくれた番組は初めてだった。また、米農家に関するいくつかのキーワード、すなわち、採算性、大量生産、コスト削減、人手不足、食の安全、有機栽培、直販、設備投資等々が織り込まれており、問題点を体系的に理解することが出来た。木原さんが流す涙を見ながら、国はこんな娘を泣かせちゃいかん!と怒りみたいなものがこみ上げた。
 木原さんの田んぼがある山口市佐山は、かつて僕が防府に住んでいた頃、阿知須にあったフィールドアスレチックに子どもを連れて行くとき車でよく通った所だ。豊かな田園風景が広がっていたのを今でも憶えている。それだけに身につまされるものがあった。できればこの番組はゴールデンタイムで再放送してもらい、より多くの人たちに見てもらいたいものだ。

年賀状騒動

2021-12-25 20:33:46 | 
 毎年、切羽詰まらないとやらない年賀状の投函。ご多分に漏れず今年も元旦に届くギリギリの今日、パソコンで宛名書きをしようとすると、なぜかプリンターが作動しない。LANで接続している3台のパソコンのうち、筆まめの住所録が入っているパソコンから、メインのパソコンにつないでいるプリンターへデータを送って印刷をしようとするのだがプリンターは無反応。昨年も同じ条件でやって何の問題もなく印刷できたのにと思いながら、いろいろチェックしてみたが状況は変わらず。もう時間もないので、この方法はあきらめ、メインパソコンの方に宛名書きのフリーソフトを入れることにした。まず、フリーソフトをインストールした後、筆まめの住所録をCSV形式で出力し、メインパソコンのフリーソフトに読み込んだ。何しろ宛名書きだけに特化したフリーソフトだけあって余計な機能は付いていないので筆まめに比べると軽い軽い。何とか80枚の宛名書きが3時過ぎには終わった。さっそく歩いて5分ほどのところにある郵便ポストに投函できた。文面だけは先にメインパソコンで作っておいたので間に合ったが、一時は今日の投函はあきらめかけていた。


昨夜放送の「クリスマスの約束」でJUJUが歌った「白い恋人達」(桑田佳祐)

クリスマス・イヴ

2021-12-24 19:38:49 | 
 今日は朝から家内と立田山の墓掃除と墓参に行った。来週から寒波が来るというのでいつもの年より早めに済ませることにした。幸い午前中は日差しもあって暖かかった。昼前からは今年最後の歯科クリーニング。待合室ではクリスマスソングのBGMが流れていた。ジャズバンドによる演奏だった。ふと、大好きなペリー・コモのクリスマスソングが聴きたくなった。今日はクリスマスイヴだからせめてケーキぐらい買うかと、昼過ぎ、スイス上熊本駅店へ行った。まだ時間が早かったせいか、客は3、4人だった。客が並ぶラインや仕切りがものものしく設置されていたが、まだそんな必要もなかった。クリスマス用のデコレーションケーキがいくつも並べられていたが、いかにも大量に準備しました感がアリアリで買う気が失せ、ショートケーキを適当に10個選んで買った。なんだかよくわけのわからないイヴの一日だった。


今年忘れられない風景(下期)

2021-12-23 20:50:36 | 
 今年ブログに掲載した写真の中で、2021年の思い出として残しておきたい写真。
 上期編に続いて今日は下期編。


2021.8.24 宇土小路のシンボル的存在だった辻のお地蔵さんが民家建設のため撤去された。


2021.9.10 国の重要文化財である熊本城宇土櫓は復旧工事を前に発掘調査が行われた。


2021.11.13 熊本市が総事業費23億円超をかけて整備を進めてきた「花畑広場」が完成オープンした。


2021.11.28 水前寺成趣園350年祭では、武田流と小笠原流の合同による騎射鏑流馬が行われた。


2021.12.5 熊本城特別公開が再開され、多くの観光客が特設通路を通って本丸へ向かった。

八代海干拓遺跡が国の史跡に

2021-12-22 20:26:21 | 日本文化
 八代海干拓事業の遺跡が「八代海干拓遺跡」として国の史跡に指定されることになったというニュースが先日流れていた。

 八代海の干拓事業で、江戸時代後期から昭和初期にかけて築かれた八代市の堤防や樋門が「八代海干拓遺跡」として新たに国の史跡に指定されることになりました。国の史跡に指定されるのは、八代市にある「高島新地旧堤防跡」と「大鞘樋門群」、それに「郡築樋門群」の合わせて6つの構造物です。いずれも八代海沿岸に農地を作り出すために行われた干拓事業により、江戸時代後期から昭和初期にかけて作られました。(NHKニュースより)

 八代は、父が太田郷小学校に長く勤め、熊本から汽車通勤をしていたが、日曜日にはよく僕を連れて行った。幼い頃の思い出が残る懐かしい町だ。しかし、その後なぜか八代とは縁遠くなってしまった。3年前に約60年ぶりくらいに訪れたが、父が生きていればおそらく八代へ連れて行けというだろう。八代は昨年、豪雨災害に見舞われたりもしたが、今回の国史跡指定が八代の町の観光振興に効果をもたらしてくれれば喜ばしい。


大鞘樋門跡


   ▼八代干拓工事の作業歌として歌われ始めたという「八代おざや(大鞘)節」

やまとは国のまほろば

2021-12-21 20:18:34 | 音楽芸能
 今日、加藤神社で珍しいパフォーマンスを見た。
 書道アーティスト劔朧(ケンロウ)さんによる神前奉納書道と覆面和踊り集団の「太宰府まほろば衆」とのコラボレーションによるパフォーマンス。
 劔朧さんの力強い書道パフォーマンスと異様な風体の太宰府まほろば衆の和踊りに、参拝者の皆さんも興味津々。太宰府まほろば衆は飛鳥時代をイメージした衣装や音楽を現代風にアレンジしたそうだが、「やまとはくにのまほろば」というヤマトタケルの歌を連想させる不思議な世界に妙に惹かれる。機会があれば再見したいパフォーマンスである。


書道アーティスト劔朧さんの書道パフォーマンス


太宰府まほろば衆の奉納和踊り


太宰府まほろば衆の奉納和踊り


参拝者の皆さんも物珍しげにパフォーマンスを見ていた。


▼太宰府まほろば衆のPV

いつも笑顔のOLさん

2021-12-20 22:11:55 | スポーツ一般
 小・中・高そして大学と、陸上短距離で活躍していた野林祐実さん。彼女が現役時代、このブログで度々取り上げていたせいか、今でも時々「野林さんはその後どうされていますか?」というおたずねを受けることがある。彼女は2018年に大学卒業とともに故郷熊本へ帰って来て、地元の企業に就職されたことまでは知っているが、最近は陸上競技の大会にも出られなくなったので何も情報を持たず、お答えに窮していた。
 つい先日、彼女が勤めているというS社のサイトを見ていたら、彼女について紹介されていた。お元気にOLとして働いておられるようで安心した。たしかまだ25歳のはずなので、いつかトラックに戻って来られる日が来るかもしれない。


株式会社三勢のサイトよりお借りしました。


   ▼高校時代の活躍
2011.9.17 KKウィング 全九州高校新人陸上県予選 女子100m決勝

文学碑いろいろ

2021-12-19 19:17:44 | 文芸
 先日、菊池神社境内にある長田幹彦の句碑の文字が判読できないという記事を書いたところ、さっそく、たろう様という方からコメントをいただき、「また咲いた花明るきや宵の春 幹彦」と文献に書かれているとご教示いただいた。図書館に行って調べてみようと思っていたのでありがたい。
 そんなこともあって、これまで現物を見たことのある熊本県内の文学碑(歌碑・句碑など)を一度整理してみようという気になった。その中から今日は主な14件をリストアップしてみた。

▼清原元輔の歌碑
 肥後の国司時代の清原元輔(清少納言の父)が藤崎八旛宮の「子の日の松」行事にちなみこの歌を詠んだと伝わる。
   「藤崎の軒の巌に生ふる松 今幾千代の子の日過ごさむ」

藤崎八旛宮境内


▼与謝野晶子の歌碑
 昭和7年に与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻が人吉を訪れた時に晶子が詠んだ歌。
   「川あをく相良の町の蔵しろし 蓮の池にうかべるごとく」

人吉旅館敷地内


▼夏目漱石の句碑
 熊本の五高教授時代に漱石が詠んだ句。 
   「すみれ程の小さき人に生まれたし」

上熊本駅から京町を越える新坂沿い(京陵中学校前)


▼夏目漱石の句碑
 熊本の五高教授時代に漱石が水前寺の風景を詠んだ句。
   「鼓うつや能楽堂の秋の水」

水前寺成趣園能楽殿


▼夏目漱石の句碑
 漱石の名作「草枕」の中の一句。 
   「春風や惟然が耳に馬の鈴」

鳥越峠の茶屋


▼夏目漱石の句碑
 熊本の五高教授時代に漱石が詠んだ句。
   「我に許せ 元日なれば 朝寝坊」

夏目漱石内坪井旧居


▼夏目漱石の句碑
 「草枕」の題材となった小天旅行の時に詠んだ句。
   「家を出て師走の雨に合羽哉」

草枕の道・石畳の道入口


▼夏目漱石の句碑
 「草枕」の題材となった小天旅行の時に詠んだ句。
   「天草の後ろに寒き入日かな」

草枕の道・野出峠の茶屋公園


▼夏目漱石の句碑
 熊本の五高教授時代に漱石が詠んだ句。
   「秋はふみ吾に天下の志」

熊本大学(旧五高)構内


▼種田山頭火の句碑
 山頭火が一時堂守を務めた瑞泉寺。ここから放浪の旅に出発した。
   「松はみな枝垂れて南無観世音」

味取観音瑞泉寺


▼種田山頭火の句碑
 山頭火はこの報恩禅寺の住職・望月義庵のもとで寺男となり、得度した。
   「けふも托鉢こヽもかしこも花さかり」

報恩禅寺


▼種田山頭火の句碑
 山頭火を得度させた望月義庵が後に住職を務めた大慈禅寺に山頭火自筆の句碑がある。
   「まったく 雲がない 傘をぬぎ」

大慈禅寺


▼宋不旱(そうふかん)の歌碑
 行き倒れて亡くなった不旱を憐れに思う人たちによって水前寺公園の一角に歌碑が建てられた。
   「ふる郷になお身を寄する家ありて春べを居れば鶯の鳴く」

出水神社境内


▼若山牧水の歌碑
 馬見原(現山都町)を訪れた若山牧水が一夜を過ごした宿で詠んだ歌。 
   「山の宿の固き枕に夢を呼ぶ 秋の女神の衣白かりき」

馬見原商店街

能楽伝承 ~熊本の能文化~

2021-12-18 18:44:38 | 伝統芸能
 今日から熊本博物館で始まった「能楽伝承 ~熊本の能文化~」展を見に行った。
 これまでも細川家や松井家のコレクションを中心とした能に関する展覧会は何度か見たことがあるが、加藤清正の肥後入国後の熊本の能文化の歴史は今回が一番まとまっていて分かりやすかった。
 ただ、加藤清正以前に、菊池の松囃子以外にも肥後猿楽の歴史はあったはずであり、それがよくわからない(史料がないのだろう)ことや熊本の能楽の現状がどうなっているのか、歴史はどう受け継がれているのか、等についてももっと説明があってもいいような気がした。
 展示品では、古文書や書状などを見ると能に関わった人たちの人間臭さのようなものを感じられたことがよかった。展示品の中では出目右満(でめすけみつ)作の能面「十六」が敦盛の悲しげな表情を思わせて印象に残った。


On the Sunny Side of the Street

2021-12-17 16:14:28 | 音楽芸能
 今朝のNHK「あさイチ」に女優の上白石萌音が登場。ヒロインを演じている朝ドラ「カムカムエヴリバディ」のビハインド・ザ・シーンについて語った。全回見ているわけではないが、これまで見た中での白眉のシーンは、進駐軍のクリスマスパーティにおける世良公則のナマ歌「On the Sunny Side of the Street」のシーン。見ている安子(上白石萌音)の感動が演技ではなく素の表情に見えたわけがわかった。ドキュメンタリータッチで長回し撮影したらしい。歌手として舞台にも上がる萌音さんはナマ音の臨場感や、ドラマで娘るいの名前の由来となったルイ・アームストロングが歌う「On the Sunny Side of the Street」に特別な思いが湧き上がったのだろう。

 このドラマを見ていると、幼かった頃、目の前を走る進駐軍のジープや、米軍将校と一緒に住んでいたオンリーさんの顔や、防空壕に一人で暮らしていた復員軍人や、進駐軍が引き揚げていった上熊本駅頭の光景などを走馬灯のように思い出す。

クリックして動画をお楽しみください!    


▼「エド・サリバン・ショー」で「 On the Sunny Side of the Street」を歌うルイ・アームストロング

今年忘れられない風景(上期)

2021-12-16 21:07:40 | 
 今年も残すところ2週間。今年ブログに掲載した写真の中で、2021年の思い出として残しておきたい写真を選んでみた。今日は上期編。


3月9日、水前寺成趣園能楽殿で念願だった能楽公演「翁」を見ることができた。


3月25日、新型コロナが再び蔓延し始め、桜が満開というのに本妙寺参道は閑散としていた。


天守閣復旧工事が終わり、様々なイベントが企画されていたが、コロナ禍のためすべて中止となった。


5月22日、「加藤神社150年式年奉納」挙行。新作狂言「熊本三獣士」公演が加藤神社境内で行われた。