徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

水野詩都子さんを悼む

2024-07-31 15:10:13 | 音楽芸能
 今朝早起きしてパソコンを開くとショッキングなお知らせが。それは﨑秀五郎さんのフェイスブック。秀五郎さんの相方で民謡歌手の水野詩都子さんご逝去のお知らせだった。一瞬、思わず「エーッ!」と声を出しそうになった。昨日もYouTubeでお元気に歌っておられるお姿を拝見していたのでにわかには信じ難かった。秀五郎さんのお知らせにはご病気だったことが書いてあった。全然存じ上げなかったことが何だか申し訳なかったような気がした。
 水野さんとは一度もお会いしたことはない。公演で何度も熊本に来られて存じ上げていた秀五郎さんと「東海風流プロジェクト」というグループを結成されて初めてそのお名前を知った。以来、水野さんがテレビ出演された時の話題などをフェイスブックを通じてやり取りさせていただくようになった。
なかでも2年ほど前、僕が個人的に大好きな山口県民謡「男なら」を水野さんに唄っていただきたいというお願いをしたことがある。ちょうどその頃、「しずごろうチャンネル」という東海地方にこだわらない民謡の発信を秀五郎さんとともに始められたこともあって僕のリクエストは数ヶ月後に実現した。
 Messengerでの水野さんとのやり取りを読み直しながら、一度お会いしたかったなぁと感慨に浸っている。

 水野さん、ありがとうございました 心よりご冥福をお祈りいたします 合掌

 愛知県一宮市ご出身の水野さんが、最もいきいきと唄っておられた印象が強い「一宮機織唄」と件の山口県民謡「男なら」を続けて、秀五郎さんの三味線とともに聴いてみた。




夏!三景

2024-07-30 17:50:05 | 季節
 こう暑くてはなんにも考えたくない。思考停止の状態だ。ブログネタもいくつかあるのだが、文章を打つ気になれず、今日はとりあえず、夏から秋にかけて楽しみなイベントを三つあげてみた。特にコロナの影響で2019年を最後に途切れていた「熊本復興ねぶた」が復活するらしいので楽しみだ。


2014.8.2 水前寺成趣園能楽殿 出水神社薪能

2012.8.15 大宮神社 奉納灯籠踊り 山鹿灯籠踊り保存会

2017.9.2 熊本城二の丸公園 熊本復興ねぶた

蝙蝠と小鍛冶

2024-07-29 21:18:17 | 古典芸能
 連日の猛暑でしばらく散歩もしていなかったので今日は日が暮れてからわが家の近くを歩いてみた。新坂を下り、中坂を上っていると薄闇の中に鳥のような物体が音も立てずに飛んできた。頭上2㍍くらいを通過する瞬間に「蝙蝠(こうもり)」だとわかった。飛び去る姿を目で追いながら、ふと漱石の句を思い出した。



 「蝙蝠(かわほり)に近し小鍛冶が槌の音」

 これは謡曲をお題とした漱石の句の一つで、謡曲「小鍛冶」も習っていたのだろう。「蝙蝠」は「かわほり」とも読み、夏の季語で、こうもりが飛んでくるような夏の夕暮れに、鍛冶屋の槌音が響き渡っているという夏の風情を詠んだものだろう。
 昨年の正月、Eテレで喜多流の「能 小鍛冶」が放送された。録画して2回見たのでまだ印象深い。

 今日は謡曲「小鍛冶」をもとに作られた長唄「小鍛冶」を聴いてみた。曲中何度か大鼓と小鼓が息を合わせながら打つところがまさに「能 小鍛冶」の小鍛冶と稲荷明神が互いに槌を打つ場面を思い出させて面白かった。今日、一般的な用語となっている「相槌(あいづち)」と言う言葉の始まりらしい。ちなみに相槌の音がそろわない様子から「とんちんかん」という言葉が生まれたらしい。


和泉式部の登場

2024-07-27 17:32:21 | ドラマ
 大河ドラマ「光る君へ」に和泉式部はいつ登場するのだろうと思っていたら、先日NHKから追加出演者のアナウンスがあり、和泉式部を泉里香が演じるとあった。この女優さんは名前を聞いたことがあるくらいでほとんど存じ上げないが、平安中期の有名な歌人で恋多き女ともいわれたという和泉式部をどう演じるのか見ものである。一条天皇の中宮彰子に仕えていたこともさることながら、個人的には肥後国司を務めた藤原保昌と後に再婚することでも興味がある人物である。藤原保昌は武勇に秀で、道長四天王と称されているので今後登場してもおかしくない。また和泉式部への恋を成就するため、紫宸殿の紅梅を手折って北面武士に射かけられるという武勇伝も残っている。
 和泉式部の歌としては百人一首のなかに次の歌がある。

  あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今一度の 逢ふこともがな
  (意訳)私はもうすぐこの世を去るでしょう。あの世へ持っていく思い出に、もう一度だけ
      あなたに逢えないのでしょうか。

 右は梅林天満宮に掲示されている百人一首の絵札。

 能に「東北」という和泉式部の霊が登場する曲がある。


2023.9.17 藤崎八旛宮例大祭・新町御旅所能奉納  喜多流 半能「東北」後シテ和泉式部の霊 友枝雄人

藤間紫さんの舞踊

2024-07-26 20:04:43 | 音楽芸能
 朝ドラ「ブギウギ」にヒロイン・スズ子の幼なじみタイ子を演じていたのが藤間爽子(さわこ)、日本舞踊家としての名前は三代目藤間紫。日本舞踊 紫派藤間流の家元である。女優として大活躍されたお祖母様の初代藤間紫さんとは異なるたおやかなイメージの女優さんである。お名前だけはだいぶ前から存じ上げていたが、これまで出演されたドラマなどもほとんど見ていないので「ブギウギ」が初見に近かった。


   藤間紫さんによる「藤娘」の舞台映像

オクラのはなし。

2024-07-25 19:47:19 | 料理
 こう暑い日が続くと食欲も低下しがち。そんな時は「冷や汁」というわけで、先日、妻が「オクラ」や大葉入りの「冷や汁」を作ってくれた。
 「オクラ」はふだん煮物や揚げ物でよく食べる。しかし、「冷や汁」の具材で食べたのは記憶がない。料理本にも「冷や汁」の具材として「オクラ」を使うレシピが結構載っている。たしかに美味かったのだが、食べているうちにだんだん「とろみ」が気になりだした。翌日からおなかの具合が微妙に変わった。「オクラ」には整腸作用があると料理本にも書いてある。

 ちなみに「オクラ」といえば、ラフカディオ・ハーンがアメリカ南部ニューオーリンズで過ごした経験をもとに「クレオール料理読本」なるレシピ本を出版している。このクレオール料理の代表的なものが「ガンボ(Gumbo)」だという。ガンボはフランス語の「Gombo」が語源で「オクラ」のこと。なお「オクラ」は英語の「Okra」が日本語化したもの。
 「ガンボ(Gumbo)」は⿂介類や⾁などを「オクラ」と⼀緒に煮込んだとろみのあるスープ料理だという。食べたことがないので論評のしようがないが、クレオール料理の代表と言われるくらいだからきっと美味いのだろう。
 ハーンは「ゴンボ・ゼーブス(Gombo Zhèbes)」と題するクレオールの俚諺集も出版している。

ニューオーリンズのマルディグラ(Mardi gras:カーニバル祝祭)にガンボがよく食べられるという。

今年の頓写会

2024-07-24 20:47:55 | イベント
 昨夜は加藤清正公の菩提を弔う本妙寺頓写会(とんしゃえ)。日中のあまりの暑さに行くか行くまいかだいぶためらったのだが、日没後に出かければなんとか・・・と思って出かけた。これが甘かった。日中の熱気が冷めやらぬ参道と、出店が立て込んだ桜馬場の混雑の人熱れで息苦しいほど。出かけるのが遅かったので既に大本堂から写経を浄池廟に納める行列は出発した後。これは熱中症で倒れでもしたら大変だなと思い、大本堂前と胸突雁木の下で遥拝して失礼した。


仁王門下


大本堂


胸突雁木

米原長者口説き歌

2024-07-23 19:11:53 | 歴史
 山鹿灯籠まつりの時季が近づいて来た。かつては毎年見に行ったものだが、熊本地震以降すっかり足が遠のいた。今年は久しぶりに見に行こうかと思っている。
 このまつりの呼び物は何といっても、頭上に灯籠を載せた女性たちが「よへほ節」の調べに合わせ、優雅に舞い踊る「山鹿灯籠踊り」。
 しかし、このまつりで踊られる曲は「よへほ節」だけではない。「山鹿盆踊り」と「米原長者口説き歌(よなばるちょうじゃくどきうた)」を合わせた3曲が踊られる。このうち「米原長者口説き歌」は歌自体は現代に作られたものだが、歌われているのは1300年前、ヤマト政権によって築かれた鞠智城(きくちじょう)がある米原地区に当時から言い伝えられている「米原長者伝説」をもとにしたもの。「口説き」というのは、長い物語を同じ旋律の繰り返しにのせて歌うもののことをいう。
 「米原長者伝説」は3部構成となっており、第1部は米原に住む貧しくも働き者の若者のところに、夢のお告げを受けた姫が京から嫁ぎ、彼女が持参した千両の金を元手に長者になったというサクセスストーリー。第2部は、長者となった男が、同じように栄華を極める「駄の原長者」と宝くらべをするというお話。ありったけの金銀財宝を並べた米原長者に対し、駄の原長者は恵まれた多くの子宝を連れて来た。民衆はほとんどが駄の原長者の子供たちに関心を寄せ、米原長者の財宝に関心を寄せたものは数えるほどだった。第3部は、朝廷から「長者」の称号を賜るほどの権勢をほしいままにしていた米原長者は、ある時、田植が思い通りに進まないことに業を煮やし、太陽を呼び戻して三千町歩の田植えを続けさせた。これに天罰の火の輪が降り注ぎ、全財産が灰塵に帰してしまうという転落の物語。
 「米原長者口説き唄」は、この中の第2部を題材にしている。歌詞は30番まであるが、通常の演奏は時間の制約もあり7番まで。(資料提供は本條秀美さん)


米原地区にある八角形鼓楼(鞠智城の一部)


パリ五輪とジャンヌ・ダルク

2024-07-22 20:08:55 | スポーツ一般
 「2024パリ五輪」の開幕がいよいよ今週末に迫った。テレビなどではフランスを紹介する番組が目立つようになったが、フランスを象徴する人物として「ジャンヌ・ダルク」の名前がよく登場する。日本でも世界史の授業で必ず教わる「ジャンヌ・ダルク」はフランス人にとって国家的ヒロインである。
 「パリ五輪」開幕にちなみ「ジャンヌ・ダルク」に関する話題を二つ。

ザンとジャンヌ・ダルク
 サザンオールスターズの新曲「ジャンヌ・ダルクによろしく」がTBS系スポーツ2024テーマ曲に決定!この楽曲は、7月26日(金)に開幕する「2024パリ五輪」のTBSでの中継を始め、さまざまな場面で使用されるという。


楽とジャンヌ・ダルク
 喜多流能楽師「狩野琇鵬(丹秀)」さん(2016年没)は80年代初めから、能を通じたフランスとの文化交流を続けて来られた。特にエクサンプロバンス市には「狩野丹秀能楽堂」を寄贈、度々公演やワークショップなどを行なって来られた。2009年にはフランス芸術文化勲章「オフィシエ」を受章、2012年には「ジャンヌダルク600年祭」を記念して、自ら演出された新作能「ジャンヌ・ダルク」を、オルレアン、パリ、エクサンプロバンスで公演された。

熊本と長崎

2024-07-21 20:25:32 | 熊本
 先日、久しぶりに熊本県立図書館へ出かけた。ついでに電車通りをはさんだ向かい側の「ジェーンズ邸」を見て、図書館へ戻ろうと横断歩道の信号待ちしていると、公務員風の中年男性が横に並んだ。「暑いですね~」と声をかけた。男性はうなづきながら僕の方をじっと見て「お元気そうですね~、散歩ですか」と言った。一瞬「ん?」と思ったが、おそらく男性には僕がかなりの高齢に見えたのだろう。後期高齢者には違いないが、他人からそういう風に見られているのだと認識を新たにした。男性は続けて「熊本はこの辺にも名所旧跡が多いのでいいですね」と言う。熊本の人じゃないのかと思って「どちらのご出身ですか?」とたずねると「長崎です」。さらに僕が「長崎のどちらですか?」と聞くと「長与です。ご存じですか?」と言うので「知ってますよ!」と答えると、嬉しそうに「ご存じですか!」と微笑んだ。その時、信号が青に変わり、男性はやって来た電車に乗るのか、「お元気で!」と言いながら横断歩道を駆け出した。
 長崎も随分行っていない。会社員の頃、高校や高専のリクルートで長崎県内も何度か回ったことがある。長与は知っているなどと言ったが、長崎市からどこかへ移動する時に通っただけだ。長崎は熊本に勝るとも劣らない見るべきところが多い県。いつかじっくり見て回りたいものだが、同じ肥州なのに有明海をはさみ近くて遠い。

ジェーンズ邸
 ジェーンズ(Leroy Lancing Janes)とは明治4年、廃藩置県直後の熊本県に招かれて若者の教育をしたアメリカ人である。ジェーンズが教鞭をとった熊本洋学校からは多くの人材が育った。このジェーンズ邸は、当時ジェーンズ一家が住んでいた家で、もともと、現在の熊本県立第一高校がある熊本城域にあったもの。水前寺成趣園の東に移築されていたが、8年前の熊本地震で倒壊し、水前寺成趣園南側に場所を変えて再建されたもの。

 長崎の唄といえばまず思い出すのは「長崎ぶらぶら節」。この唄が大好きになったのは、吉永小百合さん主演の映画(2000年)を見てから。映画に描かれていたように長崎丸山の芸者愛八と郷土史家の古賀十二郎によって発掘された古謡だが、元歌は江戸時代中期に江戸の遊里で流行った「やだちゅう節」といい、もともと秋の実りを寿ぐ「豊年唄」だったそうである。この「やだちゅう節」が長崎に伝わり、様々な歌詞をつけて歌われるようになった。その数50近くにもなるという。

今日も暑かった!!!

2024-07-20 20:39:38 | 
夜の月
 今日、熊本は気温が34℃まで上がったとテレビで言っていたが、街中のアスファルトの上の体感温度はそれをはるかに超えていたと思う。熱中症にでもなったらいけないので散歩もしばらく控えている。日が暮れてから恐る恐る歩いてみた。道路の熱気が冷めていないのですぐにやめた。美しい月が東の空に上っていた。明日が満月らしい。


新坂の「漱石ポイント」から見た月
 明治29年4月13日、第五高等学校の英語教授として熊本へやってきた夏目漱石は池田停車場(現JR上熊本駅)に降り立ち、人力車に乗って薬園町の菅虎雄宅へ向かう途中、新坂のこの辺りで、眼下に広がる熊本市街を見下ろして「森の都だなぁ!」と言ったと伝えられる。

涼感 
 涼しげな音楽を聞きたくなって選んだのがこれ。一昨年4月、熊本市で開催された「第4回アジア・太平洋水サミット」の記念ソング「水と花と夢と」。

作詞:古賀鈴 作曲:麻生朱里 編曲:藤川いずみ・志娥慶香


真夏の風景寸描

2024-07-19 19:41:46 | 季節
 今日は午前中かかりつけ医に定期的な受診に行った。この医院でも新型コロナの感染者が急増しているらしい。コロナが5類になって医療費の公費負担がなくなったが、自己負担診療ではたして感染拡大を食い止められるだろうか。

 明日から熊本市内の小中学校は夏休み。今日は終業式が行われたらしく、家路につく子供たちの顔はいつもより生き生きとしている。宿題もたくさんあると思うが、夏休みは成長のチャンス! 自分のことを言うのもなんだが、小学3年だったと思うが、母の実家に長期滞在し、近くの菊池川の砂浜で日がな一日を過ごしていた。ある日、川の流れに乗って泳げるようになっている自分に気付いた。それがきっかけとなって水泳にハマり、人生の大きなターニングポイントとなった。

 今日は世界的なシステム障害のニュースが飛び交っていた。ファーストフードチェーンのマクドナルドのレジが作動しない不具合に始まって、ウィンドウズパソコンが昼過ぎから自動的に再起動がかかるという異常が発生。幸いわが家のパソコンは異常がなかったが、国内外でこの影響とみられるトラブルが相次ぎ、航空便などにも障害が発生したようだ。ネットでつながったシステムはいったんこういうことが起きると甚大な影響を及ぼすので怖い。


学生時代のお気に入り音楽

2024-07-18 19:54:13 | 音楽芸能
 2008年7月のブログを見ていたら、「学生時代のフェイバリット・ソング」と題して下の3曲をあげていた。この3曲が大好きだったことはよく憶えているが、学生時代から60年が経ち、後期高齢者となった今でもその気持ちは変わっていないのだろうかと聴いてみた。最近のポップスで感動したことのない僕には、1周廻って新しく聴こえる。聴いている間は学生時代の街の風景や友の顔などが浮かんできて、ひとときの学生気分にひたっていた。


① 愛なき世界(1964年)ピーターとゴードン
 ピーターとゴードンはいわゆるリバプールサウンドの一員。この曲はレノン&マッカートニーが作った。ピーターの妹とマッカートニーが恋仲だったため提供したといわれる。


② マジック(1965年)ラビン・スプーンフル
 当時はイギリスのリバプールサウンドが世界を席捲しつつあったが、その一方でアメリカンポップスを代表するグループの一つとして、新鮮なサウンドを作り続けていた。


③ 赤ずきんちゃん(1966年)サム・ザ・シャム&ザ・ファラオズ
 独特のサウンドで人気のあったアメリカのバンド。1967年の映画「夜の大捜査線」で監督のノーマン・ジュイソンはこの曲を使いたかったらしいが、高額な使用料を要求されて断念し、ほとんどパクリのような「Foul Owl on the Prowl」という曲を使った。

最近のトピックス

2024-07-17 21:26:58 | Web
 最近の個人的トピックスといえば、一つはYouTubeマイチャンネルの登録者数がいつの間にか1万人を超えていたことです。2008年12月に初めて投稿してから16年。始めた時はこんなに多くの方に登録していただけるとは想像もしませんでした。登録していただいた皆様に深く感謝申し上げます。
 二つ目は昨年12月にYouTubeに投稿した「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」が、投稿後7ヶ月にして視聴回数11万回を数えたことです。この動画は12年前に投稿していたものですが、昨年暮れに見直して画質の悪さが気になり、幸いオリジナル映像が残っていたので画質の精度を上げて再投稿したものです。まさか再投稿版がこんなに多くの方に見ていただけるとは驚きでした。
 また、多くの方からコメントもいただきました。好評価が多いのですが、中には「年端も行かない女児に芸者のマネをさせる」ことへのお叱りもいただきました。12年前も同じようなご意見はいただいておりました。それから12年経ち、しかもメンバーの多くが既に舞踊団を卒業した現在、今さらとは思いますが、あえてご説明させていただきます。この舞踊団花童の主宰である中村花誠先生のお考えは、この舞踊団の本旨は「歌舞伎舞踊」であり、それを基本として育成を図っておられました。しかし、当時は年間200回を超える公演があり、会場も観客層も様々であり、普段日本舞踊とは縁のない方も多く見に来られました。そこで先生は1公演で10数曲の演目を、「歌舞伎舞踊」「各地の民謡」「端唄・俗曲」「童謡」そして誰でも知っている「歌謡曲」などをバランスよく配したプログラムを組んでおられました。この「お座敷小唄/芸者ワルツ」は歌謡曲の中の一つとして演じられたものです。しかし彼女らの踊りは先生の厳しい指導を受けた基本的な所作です。「三つ振り」ひとつとっても誰でもすぐにできるものではありません。そうした点も踏まえていただきあらためてご覧いただければ幸いです。


八丈島の歴史と民俗

2024-07-15 18:02:34 | 音楽芸能


 NHK-BS「英雄たちの選択」は「島々の歴史を探る旅シリーズ」第一回の今夜は八丈島。関ヶ原の戦いに敗れた宇喜多秀家が徳川家康により島流しにされてから流刑地になった八丈島。江戸時代におよそ1,900人が八丈島へ流刑になったという。流人たちは島でどんな人生を歩んだのか。最初の流人・宇喜多秀家と最後の流人・近藤富蔵の生き様を通して、流刑の実像と八丈島の歴史を検証していた。

 僕が八丈島に行ったのは36年ほど前の東京勤務の頃に一度きり。会社の水泳仲間とダイビングをするのが目的、往復飛行機で一泊二日の旅だった。日中はほとんど海の中でろくに観光もしていない。したがってそんな八丈島の歴史を知る由もなかった。

 八丈島はその昔、「女護ヶ島」ともいわれ、美しい女性ばかりが住み、男性が足を踏み入れると二度と島を出られないという伝説も残っている。八丈島の代表的民謡に「八丈ショメ節」(東京都無形民俗文化財)という唄がある。盆踊りや宴会などで即興で歌われた唄で、何百という歌詞があるというが、多くの島ことばが使われていて、その中に「めならべ」という島言葉がある。「女童」あるいは「美並」とも書いて若い娘のことだそうだ。前述の流人・近藤富蔵が書き残した「八丈実記」には「めならべ」とは「美並」と書くという一節もある。

▼ショメの由来
「ショメ」という囃子ことばの語源は「塩梅」、「潮目」、「処女」、「所望」など諸説あるらしい。


森田曠平 「八丈のめならべ達」


2014年10月25日 熊本城本丸御殿「秋夜の宴」
 【立方】花童くるみ・花童文乃
 【地方】唄と三味線:本條秀美と本條秀美社中  鳴物:中村花誠と花と誠の会