昨年12月に行われた熊本県邦楽協会演奏会から、この「長唄 鏡獅子」を聴いてみる。
「鏡獅子」についての解説を「日本芸術文化振興会」のウェブサイト 歌舞伎への誘い ~歌舞伎鑑賞の手引き~ で確認してみた。
▼春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)
明治時代に九代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が、初演した長唄舞踊(ながうたぶよう)です。小姓の弥生(やよい)が将軍の前で踊りを披露し、飾られた獅子頭を手にすると獅子の精が乗り移る、という内容です。前半は気品のある女方、後半は荒々しい獅子の精という対照的な役を一人で踊り分ける点に見どころがあります。九代目團十郎の死後、上演が途絶えていましたが、六代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が復活させて当り役として以降、現在でもたびたび上演されるようになりました。
そんなわけで、久しぶりに「変わらぬ想い(Nothing's gonna change my love for you)」を聞きたくなった。ジョージ・ベンソンのオリジナルも良いのだが、今日は小林香織のサックスで聞きたい気分だった。そこでサビの部分だけ、歌詞と和訳を掲示してみた。
Nothing's gonna change my love for you
You ought to know by now how much I love you
One thing you can be sure of
I'll never ask for more than your love
Nothing's gonna change my love for you
You ought to know by know how much I love you
The world may change my whole life through
But nothing's gonna change my love for you
たとえ何があっても君への愛は変わらない
どんなに愛しているか知ってるはずさ
これだけは信じてほしいんだ
君の愛さえあれば何もいらない
たとえ何があっても君への愛は変わらない
どんなに愛しているか知ってるはずさ
世の中が僕の生活をくつがえそうと
君を想う気持ちは絶対に変わらない
※写真は肥後手まり
▼子守唄・手まり唄
♪お月様ないくつ 十三、七つ
七つで子持って 子はだれ抱かしゅ
おまんにだかしゅ
おまんはいやてち 油買いはってぇた
その油はどうしたか 犬がねぶった
あとからこうこがついて行く
こうこ泣くならよ 船乗する
船はどこまで 大阪まで
大阪みやげはなになにか
一で香箱 二で鏡
三で薩摩の板こうて
板屋ぶきして門立てて
門のぐるりに杉植えて
杉の間に泣く鳥は
がんかずいしょうか うのとりか
ひふみつよついつ 六つと数えて
七つになれば 私は尋常一年生
あ~ うれしいな うれしいな
▼盆遊びの歌
♪だんだらぢょうちん とうもして
きつねの嫁入り いたちの仲立ち
さっさらほ さっさらほ
▼八雲
先生の教授法は一種独特のものであった。例えば文法を教えらるるにも教科書を用いらるるでなし、また口授筆記をさるるでなし、教場に入られて、出訣(欠)をつけらるる。それからクルリと振り返って、黒板に向い、チョークを取って、左の上の隅から文法を書き始められる。生徒は黙々としてそれを写す。その書かるるのはいささかの渋滞なく、時間の終わりの鐘のなるまで続く。鐘が鳴ると一礼して退出さるる。かくして写しきった筆記帳を放課後読んでみると、秩序整然、しかも日本学生にとって最も適切な文法上の注意が与えられている。先生は一片の原稿もなく、全時間いささかの淀みなく書き続けられ、しかもそれが極めて整ったものであったのは驚くべき技倆と思う。これは先生の天稟の文才もあったろうが、教場に出らるるまでには、頭の中で十分練って来られたことと思う。
『龍南』第二百号(1926年)所収
▼漱石
授業振りは、一言にして言えば、粗略であった。噛んで含める様な丁寧な教え方ではなくて、
「ザ、ネキスト。ザ、ネキスト。」
と次から次に読ませて、不審を聞けば、
「どの字が解らない?・・・・・・字引を引いたのか?」
という風に反問されるから、滅多に質問もされない。でその進むこと進むこと。
由来、教科書は中途または三分の一ないし三分の二しか済まないものときめていた。中でも英語の教科書はジ・エンド(終り)まで読んだことは臍の緒切って以来一度もなかった。然るに、夏目先生から教わった一年間に、「アチック・フィロソファー」や、「オピヤム・イーター」や、「オセロ」など皆ジ・エンドまで読んだ。その上「サイラス・マーナー」の半分まで進んだ。教科書を一冊終りまで読むことは、何でもないようだが非常に嬉しいものである。私はこの喜びを先生から授けて貰った。
1976年岩波『漱石全集月報』所収
▼同じ場所を今日の地図で見てみると・・・
▼竹林の下を左の方に入った辺りが金剛寺があった場所。
下は白川 両芝居 少しさがればな オヤ 本山渡し船
オオーサポンポコ ポンポコニャ
♪ 花の熊本 涼みがてらに眺むれば オヤポンポコニャ
清水湧き出る水前寺 少し下がればナ オヤ 江津湖の舟遊び
オオーサポンポコ ポンポコニャ
♪ 花の熊本 銀杏城から眺むれば オヤ ポンポコニャ
下は清正公菩提所 少し下がればナ オヤ 横手の五郎さん
オオーサポンポコ ポンポコニャ
♪ 花の京町 中坂越ゆれば金剛寺 オヤポンポコニャ
揚弓ガッチリ 信濃の善光寺 少し下がればナ オヤ ほんまの二十四拝
オオーサポンポコ ポンポコニャ
昭和36年(1961)当時の磐根橋から見た加藤神社(熊日新聞より)
同じポイントから見た今日の風景
2011.12.4 熊本市国際交流会館
第53回熊本県芸術文化祭参加
第47回熊本県邦楽協会演奏会
唄:安藤典子、宇野民子
三味線:杵屋五司郎、杵屋五司起久、杵屋五司幸、杵屋五司貴
囃子:
(太鼓)堀尾嘉恵、上村文乃
(小鼓)後藤美和、松永真由子
( 笛 )藤舎仁鳳
撮影・編集:大山喬
蓮田善明の生家も植木町のお寺なので交流があったのかもしれないが、いわば社会からドロップアウトした存在の山頭火と、後に国文学者として、そして国士として三島由紀夫に影響を与える存在になる蓮田善明に接点があったことはとても興味深い。また妻子を捨て行乞の人生を送った山頭火直筆の書を受け継いだ蓮田善明の長男、蓮田晶一さんが、日本で唯一の「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」を始めることになったのは、けっして偶然ではない因縁のようなものを感じてならない。
日本マラソンの父と謳われる金栗四三翁の出身地として、本格的な市民マラソン大会の開催は県民の悲願でもある。とにかく初めての開催でいろいろ予期せぬことも起こるかもしれないが、2回目、3回目と経験を積み重ね、世界中のランナーたちが集う大会に育って行ってほしい。
もう一つの「城下町くまもと時代絵巻」は九州新幹線全線開業記念として昨年開催予定だったが、直前に東日本大震災が発生し、1年延期されていたイベントだ。慶長十六年(1611)3月28日、二条城で徳川家康と会見する豊臣秀頼に付き添うため上洛する加藤清正とその軍勢を模した武者行列が、当時の陣立て図をもとに再現される。加藤清正に扮するのは、かつて大型時代劇ドラマ「関ヶ原」で清正を演じたことのある藤岡弘さんだ。歴史ファンならずとも見逃せない。
The program which The Warabe dances on this video is three folk songs of the Kanto district. It is "Itako-Ondo", "Itako-Jinku" and "choshi-tairyobushi". These three folk songs were sung around Tonegawa River water system from the Edo era. Itako is the area that prospered very much as a important port of the transportation by water in earlier period of Edo era. Choshi is located in the area facing the Pacific Ocean of the Tonegawa mouth of a river, and prospered as a fishing port from ancient times. Itako is the birthplace of the folk song eminent in Japan. The melody of a folk song born in Itako is called "Itako-bushi". I shot this video at the time of "Kumamoto-Castle Festival 2011 autumns". This program is one of the repertories good at The Warabe.
ザ・わらべが踊るこの演目は関東地方の三つの民謡で構成されています。「潮来音頭」、「潮来甚句」そして「銚子大漁節」がその三つです。この三つの民謡はいずれも利根川水系の周辺地域で江戸時代から唄われてきたものです。潮来は利根川水運の重要な港として江戸時代前期から栄えました。銚子は利根川河口の太平洋に面した漁港として古くから繁栄しました。潮来は民謡の発祥地として日本全国でも有名です。潮来で生まれた民謡の旋律を「潮来節(曲)」と呼んでいます。このビデオ映像は昨年の「秋のくまもとお城まつり」の時に撮影したものです。この演目はザ・わらべが得意な演目のうちの一つです。