徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

祖母の33回忌

2009-01-31 20:30:57 | その他
 今日は祖母の33回忌の法要をした。出席していただいた親戚の方々は皆、高齢者ばかりなので、おそらくこれが祖母の弔い上げになるだろう。
 祖母は昭和52年(1977年)に93歳で亡くなったが、孫の僕が幼い頃は60代で、子どもの教育は厳しく僕ら兄弟には怖い存在だった。当時の女性としては大きな方で近所では「やかましもん」として知られていた。祖父が早世だったので33歳で寡婦となり、二人の息子(父と叔父)を苦労して育て上げた。今にして思えば、まさに明治女の気骨というのだろう。凛とした生き方を貫いた人だった。生まれが熊本市中心部の水道町でバリバリの熊本弁を使っていた。最近、テレビなどで使われている得体の知れない熊本弁とはちょっと違う。おそらくあれが正調熊本弁というやつだと思う。いつかあの懐かしい言葉を何らかの形にまとめたいと思っている。


昭和6年(1931年)当時の祖母(右)と義姉、後ろは父と叔父

与田準一と橋本淳

2009-01-30 16:37:57 | 音楽芸能
 海達公子を世に出したキーマンの一人が、童謡作家であり児童文学者でもあった与田準一である。与田は福岡県瀬高町の出身で児童文芸誌「赤い鳥」を通じて公子の父、貴文(松一)と知り合い、住まいも近かったことから知己の間柄となった。その後、北原白秋の助手となった与田は公子と白秋をつなぐパイプ役もはたした。
 その与田の息子、準介は橋本淳というペンネームで、グループサウンズはなやかなりし1960年代から数々のヒット曲の作詞家として有名である。
 橋本淳のヒット曲のうち代表的なものをピックアップしてみた。

【橋本淳 作詞の主なヒット曲】
ブルー・ライト・ヨコハマ(作曲:筒美京平)

  【その他】
   亜麻色の髪の乙女(作曲:すぎやまこういち)
   ブルー・シャトウ(作曲:井上忠夫)
   カナダからの手紙(作曲:平尾昌晃)
   シーサイド・バウンド(作曲:すぎやまこういち)etc.

お年玉付き年賀はがき

2009-01-29 16:58:15 | その他
 100枚ほどいただいた年賀はがきのお年玉当選番号チェックがめんどくさくてほったらかしにしていたが、できるだけ簡単にやろうと、エクセルを使ってチェックすることを思いついた。あらかじめ、当選番号一覧表をテーブル表として作成しておき、番号を入力する度に、VLOOKUP関数を使って当選番号に該当していたら「Bingo!」と表示させるようなシート表を作った。やってみたら入力は数字だけだから楽だし、「Bingo!」と表示されるかどうかわくわくして楽しい。来年もこれで行こう!
 しかし残念ながら当ったのは切手シートが1枚だけ。この1枚がなんと、次男ファミリーからの年賀状だった。みわちゃん!てっぺいくん!ありがとう!

36回目の結婚記念日

2009-01-28 15:19:51 | その他
 今日は36回目の結婚記念日。久しぶりに新婚旅行の写真など眺めてみた。沖縄に行ったが、沖縄はその前年の5月にアメリカから日本に返還されたばかりで、まだ車も右側通行だったり、ちょっと裏通りに入るとまるでアメリカの田舎町(映画でしか見たことはないが)を思わせる風景が残っていた。あれ以降沖縄を訪れたことはないが、36年の歳月が流れ、すっかり様相は変わっているだろう。とにかく海が綺麗だったことと1月の終りというのに泳げそうなくらい暖かかったことが印象深かった。
 今日は家に風邪ッぴきもいるので特別なことは何もやらないが、ケーキでも買ってささやかなお祝いをやろうと思う。


新婚旅行先の沖縄で


1973年に大ヒットした「幸せの黄色いリボン」

徳島弁のセリフ

2009-01-27 16:50:11 | ビジネス
 シナリオのセリフを徳島弁化するお願いをしていた「熊本徳島県人会」の幹事、多田さんから「出来たよ!」との連絡。さっそく頂きに行った。やはり、書物などで調べただけではわからない地元特有の言い回しがあるようだ。多田さんはわざわざ徳島県庁の方に手紙を出してPRしていただいたらしく恐縮のいたりだ。多田さん情報によれば、今年9月から放送されるNHK朝の連続テレビ小説「ウェルかめ」は同じ美波町を舞台にしているそうだ。「ウェルかめ」は美波町の日和佐だそうだから僕のシナリオの舞台、美波町の阿部とは15キロほどしか離れていない。つまり同じ言語圏(?)と考えていいだろうから随分参考になるに違いない。そう言えば昨年10月、現地を訪問した時、日和佐の薬王寺が見えるガソリンスタンドで給油をしたことを思い出した。それはさておき、さっそく作業の再開だ。

渋井陽子の優勝!

2009-01-25 18:48:34 | スポーツ一般
 今日行なわれた大阪国際女子マラソンで渋井陽子が優勝した。マラソンでの彼女の優勝は随分久しぶりのような気がする。調べてみたら2004年9月のベルリンマラソン以来というから、もう4年4ヶ月も前のことになる。日本女子長距離陣のエースと言われながら、不本意な成績が続いた彼女だが、今日やっとその実力ぶりを証明してくれたような気がする。つい2ヶ月ちょっと前まで、彼女がかつて僕と同勤だった方の娘さんだとはつゆ知らず、度々終盤で失速するレースを見ながら「性格に問題があるんじゃね~の?」なんて無責任な見方をしていたものだ。しかし、最近では「なんとか最後まで失速しないで・・・」と祈るような気持で見るようになった。今日も終盤、独走状態になっても、まだどっかで不安を払拭できないでいた。だから無事トップでゴールインした時は最近になく興奮したものだ。今日の優勝は3年後のロンドンが楽しみになってきた。

第16回会津若松国体の想い出

2009-01-24 12:55:04 | 水球
 一生見ることはないだろうと思っていた映像を偶然発見した。それは今から48年前の昭和36年(1961年)に福島県の会津若松で開催された夏季国体の映像だ。この大会は僕にとって初めて参加した大きな大会だったので特に思い入れの強い大会だ。高校1年生だったので残念ながら試合出場の機会はなかったものの、大会期間中、台風に見舞われ、競技が一日延期になったり、停電で真っ暗な旅館の大広間にろうそくを立て、熊本県選手団が全員黙々と夕食をとったり、水球の視察に来られた義宮様を間近で見ることができたり、まだ水洗ではなかった旅館の深~いトイレの中に財布を落っことして大騒ぎを起こしてしまったりと沢山の想い出が残っている。以前、この大会の記録や映像・画像がないかとネットで随分調べたが、この年の秋季大会は秋田県で行われ、水泳競技だけが会津若松で行なわれたこともあってか、どこにも見当たらなかった。今回発見したのは「ふくしま教育情報データベース」というサイトの中の「県民ニュース」の1ページだった。この映像を繰り返し繰り返し見ていると、当時の想い出が鮮明に甦ってくる。
■ふくしま教育情報データベース
 http://www.db.fks.ed.jp/


【動 画】



水泳競技の開会式(メーン会場は鶴ヶ城内の会津若松市営プール)


競技開始、スタンドには鈴なりの観衆


水球会場となった会津若松市立第一中学校プール


水球競技を視察に来られた義宮様

大容量ファイルの転送

2009-01-21 17:20:41 | ビジネス
 今使っているカシオのデジカメは1010万画素なので高精細モードで撮ると、1枚が2メガや3メガ当たり前になってしまう。以前は他の人との画像ファイルのやりとりはもっぱらメールに添付という方法を使っていたが、これだけ画像サイズが大きくなるとメールは使えない。そこで最近では画像ファイルのやりとりは、ほとんど「宅ふぁいる便」を使っている。プレミアム会員(無料)になっておけば一度に100メガバイトまで送信できるので便利だ。写真だけでなく、プレゼンテーションのファイルになると一つで30メガバイトくらいになったりするので、「宅ふぁいる便」はホントに重宝している。

準備おさおさ、おこたりあり!

2009-01-20 17:15:41 | その他
 最近、ろくに仏壇に手を合わせてもいないし、昨日は親父の月命日でもあったので、今日は思い立って歩いて立田山まで墓参りに出かけた。途中、母校(濟々黌)の校門の前を通りかかると、校舎の解体工事をやっていた。ちょうど校庭の掃除をやっていた学生にたずねたら、新校舎を建てるため更地にするのだという。歴史ある黄壁城が無残に壊されていく様子を見るのはしのびなく早々に校門を後にした。墓参りを済ませた後、泰勝寺跡の立田自然公園に立ち寄ってひと休みした。半分ほど回ったところで、なんとデジカメの電池切れ、なんたる不覚!「出発する時にな~ぜカクニンしない!」と自らを責めながら、やむなく携帯にスイッチ。泰勝寺を出てから小峰墓地の中にある小泉八雲のお気に入りだったという「鼻欠け地蔵」を拝んだ後、熊大のキャンパスの中を抜けて帰路についた。


解体中の濟々黌


立田自然公園・苔園


立田自然公園・仰松軒(茶室)


小泉八雲が愛した鼻欠け地蔵


熊本大学五高記念館

寺田寅彦と映画

2009-01-19 20:58:30 | 映画
 物理学者であり、文人でもあった寺田寅彦(1878~1935)は、まだ草創期にあった映画についても数多くのエッセイを遺している。彼の死後80年近く経ち、映画は著しい発展を遂げたが、彼の指摘は極めて正確に的を射ており、今日読んでも興味深い。下の文章は昭和7年8月に「日本文学」誌に寄稿した「映画芸術」と題する随筆の一部である。
 ちなみに彼が五高(現熊大)生の頃、英語教師だった夏目漱石と物理学教師だった田丸卓郎と出会い、極めて大きな影響を受けたといわれる。彼の下宿先は僕の親父の生家から歩いて5分くらいのところだったらしい。

■映画と国民性
 すべての芸術にはそれぞれの国民の国民的潜在意識がにじみ出している。映画でもこれは顕著に滲透(しんとう)している。アメリカ映画はヤンキー教の経典でありチューインガムやアイスクリームソーダの余味がある。ドイツ映画には数理的科学とビールのにおいがあり、フランス映画にはエスカルゴーやグルヌイーユの味が伴なう。ロシア映画のスクリーンのかなたにはいつでも茫漠(ぼうばく)たるシベリアの野の幻がつきまとっている。さて日本の映画はどうであろう。数年前の統計によるとフィルムの生産高の数字においてはわが国ははるかにフランスやドイツを凌駕(りょうが)しているようであるが、これらの映画の品等においてはどうであるか。たくさんの邦産映画の中には相当なものもあるかもしれないが、自分の見た範囲では遺憾ながらどうひいき目に見ても欧米の著名な映画に比肩しうるようなものはきわめてまれなようである。
 ロシア崇拝の映画人が神様のようにかつぎ上げているかのエイゼンシュテインが、日本固有芸術の中にモンタージュの真諦(しんたい)を発見して驚嘆すると同時に、日本の映画にはそれがないと言っているのは皮肉である。彼がどれだけ多くの日本映画を見てそう言ったかはわかりかねるが、この批評はある度までは甘受しなければなるまい。なんとなればわが国の映画製作者でも批評家でも日本固有文化に関心をもって、これに立脚して製作し批評しているらしい人は少なくも自分の目にはほとんど見当たらないからである。アメリカニズムのエロ姿によだれを流し、マルキシズムの赤旗に飛びつき、スターンバーグやクレールの糟(かす)をなめているばかりでは、いつまでたっても日本らしい映画はできるはずがないのである。
 剣劇の股旅(またたび)ものや、幕末ものでも、全部がまだ在来の歌舞伎(かぶき)芝居の因習の繩(なわ)にしばられたままである。われらの祖父母のありし日の世界をそのままで目の前に浮かばせるような、リアルな時代物映画は見たことがない。チャンバラの果たし合いでも安芝居の立ち回りの引き写しで、ほんとうの命のやりとりらしいものはどこにも求められない。時局あて込みの幕末ものの字幕のイデオロギーなどは実に冷や汗をかかせるものである。現代の大衆はもう少しひらけているはずであると思う。もちろん営利を主とする会社の営業方針に縛られた映画人に前衛映画のような高踏的な製作をしいるのは無理であろうが、その縛繩(ばくじょう)の許す自由の範囲内でせめてスターンバーグや、ルービッチや、ルネ・クレールの程度においてオリジナルな日本映画を作ることができないはずはない。それができないのは製作者の出発点に根本的な誤謬(ごびゅう)があるためであろう。その誤謬とは国民的民族的意識の喪失と固有文化への無関心無理解とであろう。もっとも、良い映画のできないということの半分の責任は大衆観客にあることももちろんであろうが、しかし元来芸術家というものは観賞者を教育し訓練に導きうる時にのみ始めてほんとうの芸術家である。チャップリンのごとき天才は大衆を引きつけ教育し訓練しながら、笑わせたり泣かせたりしてそうして莫大(ばくだい)な金をもうけているのである。
 和歌俳諧(はいかい)浮世絵を生んだ日本に「日本的なる世界的映画」を創造するという大きな仕事が次の時代の日本人に残されている。自分は現代の若い人々の中で最もすぐれた頭脳をもった人たちが、この大きな意義のある仕事に目をつけて、そうして現在の魔酔的雰囲気(ふんいき)の中にいながらしかもその魔酔作用に打ち勝って新しい領土の開拓に進出することを希望してやまないものである。それには高く広き教養と、深く鋭き観察との双輪を要する事はもちろんである。「レオナルド・ダ・ヴィンチが現代に生まれていたら、彼は映画に手を着けたであろう」とだれかが言っているのは真に所由のあることと思われる。

“あさみちゆき”でカタルシス

2009-01-18 13:40:18 | 音楽芸能
 あさみちゆきの歌を聴くとなぜか心がスッキリする。よくよく考えてみたら、これがいわゆる「カタルシス効果」なのかなと思う。彼女の歌にはつらく悲しい立場にある人の心情を歌ったものが多い。例えば最近リリースした「鮨屋で・・・」は、両親が離婚し、父親と別れて暮らすことになった女の子が、父親と最後の食事をする時の心情を歌った歌だ。歌を聴きながらその情景を思い浮かべ共感する。共感することによって心の奥底の感情が揺さぶられ思わず涙を流したりする。その結果、心が癒され、浄化されたような気がするのだ。いやぁ、ますますはまりそうだ。

「鮨屋で・・・」(歌詞


「港のカラス」(歌詞

西原村

2009-01-17 16:16:41 | その他
 阿蘇の西原村は隣接する大津町や菊陽町に次いで、熊本県内では人口増加の多い地域だという。また、南阿蘇の玄関口であり、かつ熊本市内や空港からも近いという立地条件もあってか、県内外から多くの文化人が移り住んでいるという話も聞く。そんな影響もあるのだろう、民間レベルで地域の振興にも活発に取り組んでいるようだ。一方で進行する市町村合併の流れの中で西原村がどんなポジションを占めていくのか気になるところではあるが、新しい文化の集積地として発展していくことを期待している。


西原村観光推進協議会作成の「西原村ぐりーっとマップ」(大サイズはこちら

歌会始

2009-01-15 20:49:30 | その他
 今日、新春恒例の「歌会始の儀」が皇居で行われた。これにちなみ、散歩をしながら一句吟じてみた。


◎金融不況~ たくさんお金をバラまくから~ みんなでやろうよ ムダづかい~・・・・・あると思います!(アソウタロウ)

◎給付金~ くれるというならもらうけど~ 誰が使うか 苦しい家計~・・・・・あると思います!(ヒコクミン)


榎坂(えのきざか)熊本市京町2丁目6
霊験あらたかな大榎がありこの名がある。西へ下り八十米程の山道であり、
竹林や大きな樹木が立ちこめ、鉄砲組衆が守ったところ。

不愉快な「アナログ」の文字

2009-01-15 00:22:18 | 時事
 今週から民放テレビ各局も画面右上に「アナログ」の文字が表示されるようになった。NHKだけでも気になっていたのに、これからしばらくはずっとこの文字を見せられながらテレビを見なくてはならないかと思うとうんざりだ。なんだか毎日脅迫されているような気にすらなる。わが家はまだ地デジ対応のテレビは1台もないし、まだ換える気にもならない。だいたいそんなに簡単に買える金額じゃない。数年前、さかんにIT革命だの何だのと言っていた時も政府は「デジタルデバイド(情報格差)」が問題だ、問題だと散々言っていたくせに、結局のところほったらかしだ。おそらく今度もほったらかしになって格差社会が益々進行することになるのだろう。いったい誰が望んだのか知らないが。

くまもと世界の蘭展2009

2009-01-13 15:59:11 | その他

 グランメッセ熊本で開かれている『くまもと世界の蘭展2009』に、母と姉を連れて行った。平日だというのに会場内は凄い混雑だ。蘭の鉢が飛ぶように売れていく。日本はホントに不況なんだろうか。まず最初に頭に浮かんだのはそのことだった。一方では住むところもない人が急増しているってのに、日本って変な国だなぁ。それはさておき、まぁ見事な蘭に圧倒される。


グランプリ作品
Paph.(Emerald Sea×malipoense)‘chikako’


準グランプリ作品
Rsc.(Tokyo Girl)‘Ai’


 
≪誕生月の蘭≫
【左】 2月(僕の誕生月)リカステ 花言葉/清らかな心
【右】10月(妻の誕生月)カトレア 花言葉/優雅な女性