熊本県立美術館本館で始まった「歌川広重展」を観に行く。「東海道五拾参次」の他、「五拾参次名所図会」、「名所江戸百景」など約200点が展示されていた。写真撮影OKというので張り切って撮りまくっていたが、撮った写真を確認してみると、どれも表面のガラスに照明などが映り込んで使えそうもないのであきらめ、一つ一つの作品を至近距離からつぶさに観ることに集中した。すると、今まで見えなかったその時代の風俗などが見えてきて時間の経つのも忘れるほどだった。
▼東海道五拾三次のうち一番目の宿場「品川」(部分)
飯盛女を大勢抱えた旅籠が立ち並ぶ街道筋を大名行列が通り過ぎてゆく。それを待ちかねた茶屋の客引女は手ぐすね引いて旅人を待ち構えている。束の間の緊張から日常のさざめきが戻る瞬間をとらえていて面白い。
▼東海道五拾三次のうち三十六番目の宿場「赤阪」(部分)
赤阪宿(愛知県豊川市)のある宿屋の風景。左の部屋では夕食の膳が運ばれ、手配した按摩も顔を出している。右の部屋は客に備えて化粧をする娼婦たち。それを覗きこむ遣り手婆は支度を急がせているのか。街道筋の宿屋ではこんな風景が日常茶飯事だったのだろう。
▼歌川広重が「品川宿」を描いていた頃、品川宿で唄われていた「品川甚句」
1863年、品川宿に逗留していた長州藩の高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔(博文)ら尊王攘夷派が、御殿山の英国公使館を焼打ちする事件が起きた。この「品川甚句」は長州弁で唄われている。