徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「男はつらいよ」第50作

2018-10-31 16:53:09 | 映画
 「男はつらいよ」シリーズの第1作が公開されてから来年は50周年を迎えるので、それを記念して第50作目を来年公開する計画が進んでいるようだ。メガホンをとるのはもちろん山田洋次監督。平成8年(1996)に亡くなった渥美清さんが主役の寅さんを演じたこのシリーズは48本作られ、渥美さんの没後作られた特別編と合わせてこれまで49作が公開された。今回の新作には渥美さんの寅さんも合成画面で登場するようだが、妹・さくら役の倍賞千恵子さん、さくらの息子・満男役の吉岡秀隆さんら、おなじみのメンバーも出演するそうだ。さらに、山田洋次監督のたっての希望で、シリーズ終盤の5本に出演した後藤久美子さんに出演依頼したという。後藤久美子ことゴクミが初出演したのは平成元年(1989)の第42作。当時15歳の初々しい少女だったゴクミもいまや44歳。あの泉ちゃんが成熟した女性として登場するのだろうか。いずれにせよ公開が待ち遠しい1本ではある。

 下の新聞記事は、4年ほど前、熊日新聞のコラムシリーズ「わたしを語る」に、熊本市の新市街で電気館を経営されていた窪寺雄敏さんが「電気館と歩んだ半世紀」と題して寄稿されたうちの一つ。平成2年(1990)1月、電気館で公開中の第42作の舞台挨拶に吉岡秀隆さんと後藤久美子さんが訪れた時の思い出を語っておられる。

天神さんのはなし。

2018-10-30 18:25:53 | 日本文化
▼恋みくじ
 今日、所用で前を通ったので山崎菅原神社(熊本市民会館の隣)に立ち寄り参拝した。この神社は今、ユニークな「恋みくじ」がメディアでも紹介され、特に若い女性の人気スポットになっている。話題になっている「恋みくじ」は現代美術作家イチハラヒロコさんの企画によるもので、単なる吉凶占いではなく、神様の歯に衣着せぬメッセージが大きなゴシック体で書かれている。そのおみくじのデザインもインスタ映えすると評判で、書かれた内容はクスッと笑えるものばかり。さすがに今日はおみくじは遠慮したが、興味のある方は一度訪れてみてはいかが。


山崎菅原神社拝殿


▼草分天神の鳥居
 熊本地震で倒壊した草分天神(中央区京町2丁目)の鳥居が、加藤神社の御奉仕で3月末に再建され、先日行われた例祭で奉告が行なわれた。これに伴い、草分天神の祭事や維持管理等、全般が地区の世話人会から加藤神社に移管されることになった。


10月25日に行われた例祭


▼梅林天満宮例大祭の巫女舞
 まもなく梅林天満宮(玉名市津留)の例大祭の時季となる。この祭の呼び物は熊本県指定重要無形民俗文化財に指定されている流鏑馬(やぶさめ)だが、もう一つの楽しみは、毎年、太宰府天満宮から派遣される巫女さんによる巫女舞。二人の巫女さんにより「榊の舞」と「扇の舞」が奉納される。


昨年の巫女舞


▼おまけ映像
長唄舞踊 天神さん


京町台ゆかりの人々

2018-10-29 23:23:32 | 熊本
 わが町、京町台(京町本丁、京町一・二丁目、出町、池田町、稗田町など)は歴史を遡ると、意外と著名な人々が足あとを残している。
 古い方からあげると、明治初期、宇土小路が現在の京陵中学校敷地の方まで延びていた頃、その一角に住んでいたのが、西南戦争で西郷隆盛に呼応し、熊本隊を率いた池辺吉十郎。旧熊本藩士で維新後、私塾を開いていた。西南戦争で敗れた後、刑死した。その息子が明治時代、ジャーナリストの先駆けとして活躍した池辺三山。朝日新聞の礎を築いた人で、夏目漱石を朝日新聞に招いたことでも知られる。
 稗田町で少年時代を過ごしたのが、世界的な画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ)。母校の熊大附小には昭和4年にフランスから帰国した際に寄贈した自作の絵が残されている。
 日本映画の草創期、映画監督として活躍したのが、京町で生まれ育った牛原虚彦。主な作品は「噫無情」「狼の群」「彼と東京」「大都会・労働篇」「南風薩摩歌」「若者よ何故泣くか」「誰に恋せん」など。息子の牛原陽一も映画監督。
 出町の米穀商の息子として生まれたのが、喜多流能楽師の塩津清人。戦後の混乱時に能楽の復興に尽力した。「道成寺」を披いたのが68歳という晩熟の役者で、枯淡の演技に定評があった。その息子が同じく喜多流能楽師の塩津哲生。その長男も喜多流能楽師の塩津圭介。ともに東京を拠点に九州各地にも足を運び、能の普及に努める。
 わが家の前に50年ほど前、マンションが建ったが、この土地はそれまで京町の大地主細谷家の邸宅があった。大きな築山があって、僕らの子供の頃の格好の遊び場だった。威厳に満ちた老人がおられて、その方は戦前、養蚕業で大成功した方と聞いていた。そのお孫さんが、りそなホールディングス会長などを務めた細谷英二。僕の一つ年上だが6年前に他界。


京町本丁、県道303号(旧国道3号)の熊大附小前辺り

坂口安吾の檜垣論

2018-10-28 14:48:06 | 文芸
 昭和時代に活躍した作家の一人、坂口安吾のエッセイ「青春論」の中に、女性の若さへの想いの強さについて謡曲「檜垣」を取り上げて語った一節がある。熊本ゆかりの謡曲でもあり、とても興味深い一節である。
 坂口本人が自ら曖昧な記憶のもとに書いていることを断わっているが、檜垣嫗が閼伽の水を捧げに日参したのは霊厳洞の岩戸観音であり、檜垣寺(蓮台寺のこと)ではない。蓮台寺が創建されたのは檜垣嫗の時代よりも後と考えられる。謡曲「檜垣」はあくまでも世阿弥が創作したフィクションであり、檜垣嫗の時代には雲厳禅寺もまだなく、岩戸観音の山に居住する僧も実在したのかどうかはわからない。なお、「何とか河」とは白川のこと。
 そうしたいくつかの「?」はともかく、僕が一番興味深いのは、世阿弥が謡曲「檜垣」を創ったのは佐渡へ流刑となった70歳を超えてからの作品であるということだ。成仏を妨げる妄執にとらわれる老婆が、ありし青春の日々を回想しながら舞う姿は、世阿弥が自分自身の姿に見立てたのではないかと思うのである。

▼青春論(坂口安吾)より




霊厳洞の岩戸観音


白川(右岸に蓮台寺)

秋雨の夜の舞踊会

2018-10-26 21:14:18 | 音楽芸能
 今夜は10月度の玄宅寺花童舞踊会。午後から降りだした雨で、いつもの道も渋滞が続く。開始にはなんとか間に合う。花童の子らはいつもと変わらず、一所懸命に日頃の稽古の成果を見せてくれた。

    秋雨や 濡るる古刹に わらべ舞い


今週のカバー写真 ~足利義満と能~

2018-10-25 15:33:12 | 歴史
 昨夜のNHK「歴史秘話ヒストリア」では、室町の黄金時代を築いた3代将軍足利義満を取り上げていた。父足利義詮の死により、わずか10歳で将軍を継ぎ、室町時代の最盛期を築いた生涯を、後見を務めた細川頼之との関係を中心に描かれていた。
 今日の日本文化の原点は室町文化にあるといわれ、能・狂言・茶の湯・生け花などの多くがこの時代に生まれ、洗練されながら基盤を確立していったものだ。中でも能は、義満が「大和猿楽」の観阿弥・世阿弥父子を後援したことが、父子による能の大成につながり、後には武家の式楽としてその地位を確立することになった。
 また、義満は世阿弥と同世代の「近江猿楽」の犬王(道阿弥)も寵愛したが、世阿弥は物真似主体の大和猿楽に、犬王の得意な天女舞を取り入れ、今日の能の舞の基礎を作り上げた。


2018.3.31 水前寺成趣園能楽殿「熊本地震義捐能」 観世流 能「羽衣」シテ菊本澄代

滅びゆく農村文化

2018-10-23 17:57:47 | 日本文化
 昨日のBSP「プレミアムカフェ選」は2003年に初回放送された「中国山地 湧き水の村の四季」だった。広島県旧豊松村に800年前から湧き水を使った稲作を続けてきた旧家の一年を、5年に一度行われる供養田植などの伝統行事を中心に描く。農村の機械化とともに牛馬による耕作はなくなったが、供養田植は牛馬を供養し、五穀豊穣を祈念して早乙女たちによる大田植を、男たちの田囃子が盛り上げる。この家の中学生の娘は来年は高校進学のため村を離れなければならない。早乙女を務める最後の機会に臨む娘と、心配そうに見守る母と祖母。日本の農村に代々継承されてきたこの文化ははたしていつまで受け継がれていくのだろうか。そんなことをしみじみと考えさせる番組だった。




玉名女子高吹奏楽部 5年連続金賞!!!

2018-10-22 14:24:42 | 音楽芸能
 昨日、名古屋国際会議場で行われた第66回全日本吹奏楽コンクール・高等学校の部において、玉名女子高等学校吹奏楽部が金賞を受賞しました。おめでとうございます!
 玉名女子高の金賞受賞はこれで5年連続となります。次は11月18日(日)に大阪城ホールで行われる第31回全日本マーチングコンテストでの5年連続金賞受賞を目指すことになります。

▼今年6月、アイオワ州のクラリンダ高校体育館で開催されたグレンミラー・フェスティバルで演奏する玉名女子高吹奏楽部


▼今年6月、ワシントン州タコマ市のパシフィックルーテラン大学のホールで演奏する玉名女子高吹奏楽部(曲目:鷲が舞うところ)


▼昨年6月、熊本県高校総文祭パレードでマーチングする玉名女子高吹奏楽部(今年はアメリカ遠征のため不参加)

熊本城と武田流流鏑馬

2018-10-21 16:44:24 | 歴史
 秋のくまもとお城まつりも終盤。今日は毎年恒例の「熊本城流鏑馬(やぶさめ)」。約千百年もの間受け継がれてきた熊本県重要無形文化財の「武田流騎射流鏑馬」が二の丸広場で行われた。ここ二の丸広場は細川藩時代、藩校時習館が置かれていた。その時習館の必修科目となっていたのが「武田流流鏑馬」。当時、馬術調練は藩主の屋敷である花畑邸の南側に隣接し、南北に伸びていた追廻馬場で行われていた。そんな由緒正しい流鏑馬を熊本城天守閣を背景に見ることができるのはこの上ない幸せだ。








いのちのうた ~はなちゃんのみそ汁-10年後~

2018-10-20 17:59:41 | 音楽芸能
 妹がチケットを譲ってくれたので市民会館へ見に行った。「はなちゃんのみそ汁」で知られる2008年にがんで亡くなった安武千恵さん(享年33)が、闘病中から音楽を通して命の尊さを伝えようと企画、出演したコンサートだそうだ。千恵さんの他界後はロックミュージシャンの三宅伸治さんらが中心となって毎年開いているという。
 存命中の千恵さんと幼いはなちゃんとの映像なんか見せられたら、涙腺ユルユルのオジサンにはもうたまりません。(´_`。)
 そのはなちゃんはもう高校生。今日はダンスユニットのメンバーとして、またサポートメンバーとしてピアノを担当したりで大活躍。お父さんの安武信吾さんも4年前からサックスを始めたそうで、サポートメンバーに加わった。
 三宅さんとホンジャマカの石ちゃんによる忌野清志郎ナンバーもよかったが、お目当てはやはり一青窈。「ハナミズキ」と「満天星」(映画「はなちゃんのみそ汁」の主題歌)の2曲だけだったのが残念。最初に歌った丸山純奈の透明感のある声が印象に残った。







宇土櫓が心配

2018-10-19 20:00:03 | 熊本
 今朝の熊日新聞に熊本城・宇土櫓の石垣の一部が極めて不安定な状態になっているという心配な記事が載っていた。地震で倒壊した続櫓の下の石垣に大きく膨らんだ部分があるという。現在は応急処置として樹脂ネットで覆っているそうだが、いずれ石垣を積み直さなければならないかもしれないという。記事によれば地震前から経年変化は確認されていたらしい。思えば、今回の地震で倒壊した不開門下の石垣の膨らみを無粋なコンクリートで応急処置した昭和初期から、さらに各所の石垣で経年変化が進んでいたのだろう。
 僕は、熊本城の中でも宇土櫓に最も愛着を感じる。なぜなら、僕の幼い頃からあったのは宇土櫓であり、西南戦争時に焼失した大小天守などは、昭和35年に再建されたものだからだ。昭和初期につくられた新民謡「五十四万石」には、当時、熊本城の代名詞だった宇土櫓が登場する。そんな宇土櫓の一日も早い復旧を願っている。 


昨年末の宇土櫓。足場を組んである部分の石垣の一部が大きく膨らんだ状態となっている。

2018.10.19 熊日新聞より





熊本とエクサンプロバンスの縁(続き)

2018-10-18 17:09:15 | 日本文化
 今月は日仏交流160周年を記念する「くまもとフレンチウィーク」というイベントが熊本市で行われている。昨日からは鶴屋百貨店で「2018フランス展 ~南仏プロヴァンス特集~」という催しが始まったので今日覗いてみた。フランスの産品を買い求める大勢の女性で賑わっていた。バゲットかマカロンでも買って帰ろうと思ったが、どこもお客で一杯、おばちゃんたちの圧に負けてあきらめて帰った。
 熊本市は5年前にエクサンプロバンス市と交流都市となっているが、その時の様子が熊本市のホームページに掲載されていた。また、そのきっかけをつくった喜多流能楽師の狩野琇鵬さん(2016年没)の活動を紹介するフランスのルポルタージュがYouTubeに投稿されていた。



▼2012年の「ジャンヌダルク600年祭」を記念し、狩野琇鵬さん自ら演出した新作能
 「ジャンヌ・ダルク」を、オルレアン、パリ、エクサンプロバンスで公演。

10年前の万田坑

2018-10-17 17:46:17 | 熊本
 10年前の今日、僕は映画「信さん・炭鉱町のセレナーデ」の万田坑ロケにエキストラとして参加した。当時、登録していたくまもとフィルムコミッションの事務局からお誘いがあり、面白そうだったので参加した。くまもとフィルムコミッションの登録メンバーとしてロケに関わったのは結局3本だったが、エキストラ出演したのはこの「信さん」だけだった。ロケは、物語の舞台である架空の衣島炭鉱で坑内爆発事故が起きるというクライマックスシーンの一部で、早朝から夕方までまる一日を要した。
 このロケの7年後の2015年、三池炭鉱万田坑は「明治日本の産業革命遺産」の構成要素の一つとして「世界遺産」に登録されたが、ロケ当時は訪れる人もなく、下の写真で見てとれるように寂れた遺構でしかなかった。現在では荒尾市の観光スポットとして整備され、観光客がひっきりなしにやって来るらしいが、10年前の廃墟に近い状態を見ることができたのは貴重な経験だったのかもしれない。


万田坑第二竪坑櫓(2008年10月17日撮影)


第二竪坑坑口(2008年10月17日撮影)


映画「信さん」のロケに参加したエキストラの仲間たち(2008年10月17日撮影)


監督の平山秀幸さん(2008年10月17日撮影)


予告編

熊本地震発生から2年半(№2)

2018-10-16 16:24:01 | 熊本
2017.1.6 崩落した北十八間櫓下の瓦礫撤去作業始まる


2017.2.19 崩落した二の丸の石垣を横目で見ながら熊本城マラソンの選手たちが走る


2017.3.7 北十八間櫓復旧に向けての現地調査


2017.3.15 一部損壊し、通行禁止となったまま、改修のメドが立たない本妙寺仁王門


2017.4.1 桜開花に合わせ、立入規制の行幸坂が一部開放される


2017.4.8 熊本復興映画祭が二の丸広場で始まり、「うつくしいひと」の続編が上映される


2017.4.13 損壊して閉館されたまま、いまだ復旧のメドが立たない夏目漱石内坪井旧居


2017.5.18 熊本城大天守の復旧工事が本格化。加藤神社からのポイントが観光コースに


2017.9.2 熊本復興ねぶたが二の丸広場で開催される


2017.11.27 倒壊した旧細川刑部邸の外塀は復旧のめど立たず


2018.1.2 地震で湧水が止まり、一時枯渇した水前寺成趣園の池の湧水が復活。初詣で賑わう


2018.3.31 熊本地震 義捐能 ~復興を祈って~ 水前寺成趣園能楽殿にて開催される


2018.4.14 倒壊した京町の草分天神鳥居が加藤神社の御奉仕で再建される


2018.4.16 本震から2年、加藤神社では犠牲者の冥福と国土安泰を祈るキャンドルが灯された



熊本地震発生から2年半(№1)

2018-10-15 22:18:59 | 熊本
 熊本地震発生から2年半が経つ。復旧復興が進んでいるところもあれば、いまだ手付かずのところもあり様々だ。この2年半の中で僕にとって忘れられない場面を振り返ってみた。今日はその第1回。


2016.4.17 ショッキングな阿蘇神社楼門崩壊のニュース


2016.4.17 崩落した京町のむくり屋根の家の石垣。未だ手付かずのまま。


2016.4.18 わが家の近隣でも目を疑うような惨状




2016.4.20 北十八間櫓の崩落


2016.4.28 会社の先輩たちが避難所の京陵中学校で炊き出しのボランティア


2016.5.27 京町台の石垣はどこも崩落寸前(雁木坂)


2016.6.8 熊本城内の道路、崩落した石垣で通行禁止


2016.6.8 熊本城大小天守は痛々しい姿に


2016.6.8 西大手門の石垣も崩落


2016.6.13 崩落した石垣の整理が始まる


2016.6.24 崩落した加藤神社の石垣の中から現れた観音石


2016.7.18 熊本復興支援狂言 野村万作・萬斎の狂言で大盛り上がり


2016.7.29 復興を願う「佐渡裕とスーパーキッズ・オーケストラ」の演奏に癒される