徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

済々黌水球部の草創期

2024-09-12 20:25:47 | 水球
 先日、大先輩の藤本重信さん(ローマ・東京五輪水球日本代表)から電話あり。3年ぶりの電話だったので何ごとかと思ったら、済々黌水球部草創期の成績を載せた新聞記事を調べてほしいとの依頼。小中高そして会社の大先輩のご依頼とあって、一昨日、市立図書館の記事検索システムで熊日新聞の戦後7、8年間の記事を片っ端から調べた。そして出てきたのは下の2件。さっそく、結果を藤本さんにメールで連絡し、図書館でもらった新聞のコピーを郵送した。
 藤本さんは、昭和23年の創部から短期間で全国制覇を成し遂げた草創期の先輩方を顕彰することによって、低迷が続く母黌の、現役の指導者や選手たちに何らかの示唆を与えられるのではとのお考えのようだ。僕も先輩の一人としてできるかぎりのお手伝いをしたい。


昭和26年の初優勝メンバー


水球ボールの違い

2023-07-25 22:23:08 | 水球
 今、福岡で世界水泳選手権をやっている。水球もやっているが特に見に行こうというつもりもない。来月に入ると熊本で世界マスターズ水球が行われるので1試合ぐらいは見ておこうかなと思っている。
 先日テレビで世界水泳・水球予選リーグの日本対ハンガリーと日本対アルゼンチンのダイジェストを見た。試合内容・結果ともに「こんなもんだろうなぁ」という感じで特に驚くようなこともなかった。
 僕らの時代は1964年の東京オリンピックの前後だから、試合時間だとかバイオレーションだとかいくつかルールも変わっているが基礎技術は何も変わっていない。ちょっとうらやましく感じたのは使用するボールのこと。現在の使用球はまだ触ったことはないが、いかにも扱いやすい感じがする。耐水性を強化した特殊ゴムで出来ているらしいが、僕らの頃の牛のなめし革を張ったボールとはハンドリングに大きな差が出るように感じられる。また、ミドルレンジからのバウンドシュートなど昔のボールには考えられなかった。選手にとっては大いに助かっているとは思うが見た目がどうもね。

 
現在のボール         昔のボール

世界マスターズ水球2023 @熊本

2023-05-28 19:44:04 | 水球
 上通のアーケードを歩いていたら床面に「世界マスターズ水球2023」のポスターシートが貼られていた。「世界マスターズ水泳選手権」の種目、競泳、飛込、水球、アーティスティックスイミング、オープンウォータースイミングのうち、水球は熊本が会場になるという話は聞いていたがここでポスターを見るとはとちょっとビックリ。ポスターのモデルは日本代表のエースとして長く活躍し、昨年現役を引退した熊本出身の志水祐介さん。半面が水球選手、半面が戦国武将というなかなか凝ったつくりだ。
 7月中旬から福岡で「世界水泳選手権2023」が行われるが、引き続いて「世界マスターズ水泳2023」が行われる。「世界水泳選手権」は各国の代表が出場するのに対し「世界マスターズ水泳」の方は世界中の水泳愛好者が集まる大会。しかし、マスターズを甘く見てはいけない。かつて世界のトップレベルで活躍したレジェンドたちだから技術的なレベルはハンパないのだ。
 熊本が水球の会場に選ばれたことは大変喜ばしい。低迷する熊本の水球再興のきっかけになればいいのだが。
 それはともかく、1980年のハンガリーチーム日本遠征以来、海外チームのプレーをナマで見ていないのでぜひとも見に行きたい。


青春の光 高校水球!

2022-12-30 19:37:15 | 水球
 gooブログ「徒然なか話」とともに僕はもう一つ「済々黌水球部の記録」というブログをエキサイトブログでやっている。とは言ってもなかなか更新できていなくて、今ではほとんど休眠状態というのが実情なのだが。
 そんなブログにこれまで済々黌の先輩や後輩などからはお便りをいただくことがあったが、このほど他校の出身者から初めてメールをいただいた。それは昭和43年(1968)の福井国体水球3回戦で済々黌と対戦したという大阪茨木高校出身のTさんという方だった。ブログには当時、済々黌水球部の部長を務めておられた平田忠彦先生が残された記録や写真を載せており、茨木高と対戦した時の写真も含まれていたのでTさんも高校時代を懐かしく思い出されたのだろう。フォワードをつとめていたTさんも写っている。また、Tさんからは当時のチームメイトから送られたという済々黌との対戦スコアカードも添えられていた。
 この大会で済々黌は2度目の国体優勝を果たしたのだが、実はこの年、僕は大学を卒業したばかりで現役時代の体力を維持していたので、連日仕事の合間に後輩たちの練習相手をつとめた思い出がある。Tさんのメールによって久々に青春の熱い日々が甦った。


済々黌(熊本)vs 茨木高(大阪)の一戦。済々黌・西田選手のペナルティースローが決まる。


スコアカード

1961年8月21日

2018-07-11 23:27:21 | 水球
 今日の熊本放送(RKK)の情報番組「週刊山崎くん」で、再開発が進む熊本駅とその周辺の話題を宮崎美子さんのナビゲートで紹介していた。昔の熊本駅の懐かしい映像も映し出されたが、中でも昭和33年の選抜高校野球で済々黌が優勝し、3万人の群衆が熊本駅前に済々黌ナインを迎えた映像は、当時小学6年だった僕もどこかに映っているはずだなどと思いながら見入った。また、昭和36年当時の熊本駅ホームでの集団就職の見送り風景を眺めながら、同じ年の熊本駅でのある風景が思い出された。それが下の映像なのだが、この年のインターハイ水球で2連覇を果たした済々黌チームが熊本駅へ凱旋してきたときの様子だ。僕は当時1年生で、インターハイ前の東京合宿には参加したが、大会開催地の金沢へ行くメンバーには入れなかったので、先に熊本へ帰って朗報を待っていた。この日、先輩方を出迎えた僕も一瞬映像に映っている。遠い夏の日の想い出だ。

先輩・村山憲三さんの提供

挑戦者たち

2017-07-01 22:10:18 | 水球
 2020年の東京オリンピックを見据え、世界にチャレンジする日本人アスリートたちにスポットを当てるドキュメント「挑戦者たち」(NHK総合)。先週、水球王国といわれるハンガリーで武者修行を続ける志水祐介選手(熊本出身)を取り上げていた。日本代表ではエース的な存在の彼も、世界トップレベルのハンガリーリーグではなかなか思うようなプレーができない様子が見てとれた。
 見ながらふと、今から56年前の昭和36年、3年後の東京オリンピックを控えて放送されたあるテレビ番組を思い出した。それは3年後に東京にやって来るであろうハンガリー水球の強さの秘密を探るような内容だった。まず日本の4分の1ほどの面積に温泉が豊富で、街には温水プールがあちこちにあり、幼い頃から水球に親しむ施設が整っていること。それらの施設を拠点としたクラブが競い合うリーグ戦が盛んで、国民の人気も高く、ハンガリーではサッカーと並ぶ国技のような存在であること。凡そそんな内容だったと記憶している。
 その番組を見た当時、僕は既に高校で水球を始めていたので、ものすごく羨ましいと同時にハンガリーに憧れたものだ。そして3年後の東京オリンピックでは、大会前の練習から試合までハンガリーチームをべったりマークして観察したことを思い出す。
 今また、3年後に東京オリンピックがやって来る。56年経った今も彼我の差はまったく縮まっていない。いやむしろ広がっている。嗚呼・・・


リオ五輪水球 日本初戦でギリシャに逆転負け!

2016-08-08 14:29:14 | 水球


 リオ五輪日本水球チームは予選リーグ初戦でギリシャに逆転負けを喫した。第3クォーター終了時点で日本が3点リードしていたので、NHKの中継では、アナウンサーも解説者も「歴史的な大金星か!」と興奮を隠さなかった。それを聞きながら、僕は違和感をぬぐえなかった。たしかに近年ではギリシャは世界選手権などで好成績を収めているが、48年前のメキシコ五輪の頃、ギリシャは欧州勢の中では弱小チームだった。現に日本はメキシコ五輪の予選リーグでギリシャに勝っている。結局、日本は決勝ラウンドには進めなかったものの予選リーグでは、ギリシャ、ブラジル、メキシコに勝って3勝4敗の成績を収めている。仮に日本が今回のリオ五輪でギリシャに勝っていたとしても、はたして「歴史的な大金星」と言えるのだろうか。その点が腑に落ちないのである。たしかに現時点では彼我の間には大きな差があるのかもしれない。だとすれば、この48年の間にそうなってしまったのはなぜなのか。それを究明しなければならないと思う。ギリシャに善戦したからと喜んでいたのでは日本水球の明日は暗い。
 ちなみにメキシコ五輪日本チームには、わが済々黌OBの桑山博克(S37年卒)、坂本征也(S38年卒)、米原邦夫(S35年卒)の3名が含まれている。

日本女子水球の行方

2016-03-17 19:26:54 | 水球
 32年ぶりにオリンピック出場を決めた男子水球に続けとばかり、女子水球チームが、来週からオランダで行われる世界最終予選に参加することになった。日本を含め12ヶ国が参加し、上位4ヶ国がオリンピックに出場できる。まず、2グループに分かれて予選ラウンドが行われるが、日本が組み入れられたAグループには、ロンドンオリンピックのチャンピオン、アメリカを始め、カナダ・ギリシャ・スペイン・南アフリカと強豪ぞろい。この中で上位2チームに入るのはかなり厳しいと言わざるを得ない。
 昨日、TBSのニュースで日本女子チームの秘策は「パスライン・ディフェンス」と言っていた。これは僕らの時代にもやっていた「アウトサイド・ディフェンス」のこと。欧米の体が大きくて力が強いフローター対策として、またカウンターを狙う攻撃的な守備として一つの方法ではあるが、実はこれがなかなか難しい。ジャストパスを入れられたらアウトだし、カウンター攻撃につながらなければ意味がないし、ディフェンダーは今まで以上に俊敏さとタフさを求められる。
 まぁ、今回は協会にせっかくチャンスを与えてもらったのだから、日本女子水球の将来のために、世界のギリギリの戦いの場を体感してきていただきたい。それは必ず生きてくるだろうし、また生かさなければならない。

▼2015日本選手権 女子水球決勝戦

水球男子日本 32年ぶり五輪出場!

2015-12-21 19:08:47 | 水球
 今朝のテレビ各局は、水球男子日本チームが32年ぶりに五輪出場を決めたことを大々的に報じていた。水球のOBとして嬉しいニュースであることは間違いないのだが、実は32年前のロサンゼルス五輪の出場は東欧諸国がボイコットしたおかげで、棚ボタ式に出場できたもの。実力で出場権を勝ち取ったのは1972年のミュンヘン五輪以来だから、実に44年ぶりになるのである。僕たちが現役だった60年代から70年代の初め頃は、ローマ五輪、東京五輪、メキシコ五輪そしてミュンヘン五輪と、日本水球が五輪に出場するのは当たり前のような時代だった。70年代半ば頃から、中国、イランなどが急激に力をつけて来て、日本はアジアで勝てなくなった。これは日本の水球界にも進化を阻む構造的な問題があったのだと思う。今回ともかくアジアの壁を破った。今後もアジアのトップであり続けるために、日本水球に革命的な変化の波が起きてほしいと願っている。
 ところで、日本水球の五輪チームにはこれまで、済々黌OBを始め、延べ10名を超える選手を熊本から輩出している。そして今回リオ五輪の出場を決めたチームのキャプテンが熊本出身の志水祐介君(京陵中出)というのはちょっと因縁めいたものを感じるのである。


1枚の写真 ~ なつかしいあの日あの時 ~

2014-06-18 21:51:46 | 水球

 昭和38年(1963)5月、僕が高校3年の運動会の写真である。この年の運動会の写真はこれ1枚きりだ。この時からすでに51年の歳月が流れた。どんな運動会だったのか、ほとんど記憶に残っていないが、ただ一つだけハッキリ憶えているのが部活紹介のパレードだ。パレードでは先輩たちが勝ちとったインターハイや国体などの優勝トロフィーや楯などを持って行進するのが習わしだった。入場門で待機していると必ず、他の運動部の部員たちから「それ何のトロフィー?」と尋ねられたものだが、まるで自分たちが勝ちとったかのように説明するのが誇らしかった。そして、それは自分たちもその伝統を守り、次の世代へつなぐのだという覚悟を決める儀式のようなものだったのかもしれない。

50年目の夏

2013-08-03 21:11:27 | 水球
 昭和38年(1963)の夏から今年でちょうど50年。半世紀などという表現をすると、ものすごい昔の話のように聞こえるけれど、僕にとってはそれほど昔のこととは思えない。
 高校入学と同時に水球部に入った僕には、高校の夏休みにどこかで遊んだという記憶がない。夏休みに入ると同時に合宿や遠征試合などの毎日で、熊本で過ごした思い出すらない。僕が3年生となったこの昭和38年もそんな夏だった。在京の大学水泳部の合宿所を渡り歩き、大学生のチームと練習試合を繰り返しながら、日本選手権に出場したり、新潟の柏崎へ遠征したりしながら、8月下旬のインターハイに備えた。大阪でのインターハイでは優勝候補の一角と目されながら、決勝戦で敗れ、全国制覇はならなかった。
 そんな思い出がなぜか今年はしきりに思い出されてならない。きっと、この3年間応援し続けた陸上の野林祐実さんが最後のインターハイだったからだろう。それほど思い入れが強かったのかも・・・


杉並区阿佐ヶ谷にあった中央大学水泳部合宿所にて(1963年8月)


世界の水球の歴史にわがチームも・・・

2013-02-22 17:21:25 | 水球
 ヨーロッパでは最もメジャーなスポーツの一つである「水球」。その「水球」の世界各国における歴史を写真と動画で綴り、世界の水球界ではよく知られているブログが「Water Polo Legends」である。このブログの編集者であるギリシャのジアノリスさんという方から突然メールが届いた。
 僕が編集を担当しているもう一つのブログ「済々黌水球部の歴史」を偶然見つけたらしい。掲載している写真や動画を使わせてほしい。そしてそこに映っているチーム名や選手名を知らせてほしいというのが主旨のようだ。この「Water Polo Legends」というブログは僕も以前からよく見ていて、その意欲的な取組みに感心していた。出来る限りの協力をしたいと思っている。
▼URL
 Water Polo Legends
 済々黌水球部の歴史


友との別れ・・・

2012-05-14 18:29:47 | 水球
 昨日は高校時代のチームメイトF君の四十九日だった。葬儀には参列できなかったので山の上にある公園墓地での納骨に、他のチームメイトらとともに立ち会った。
 僕にはどうしても忘れることのできないF君との想い出がある。それは高校3年の時のインターハイ決勝の朝のことだ。かつて数々の国際大会が行われた大阪扇町プールが試合会場だったが、僕らはそのプールへ朝練に行った。ゲーム形式の練習の最中、僕が不用意に腕を動かした瞬間、マークについていたF君の顔面に僕の肘が当った。F君のまぶたが切れ鮮血が流れた。傷はかなり深かった。F君はキャプテンでディフェンスの要でもあった。大事な試合前のキャプテンの負傷にメンバー全員のショックは大きかった。たまたま応援に来ていた医師の先輩の応急処置で何とか試合には出られることになった。しかし、僕らのモラールは明らかに落ちた。案の定、試合は優勢といわれていた僕らが負けた。もちろん負けた原因はそれだけではないが、僕は自分の不用意さを悔いた。しかし、F君はもちろん、他の誰もそのことは一切口にしなかった。あの日から49年の歳月が流れた。お坊さんの読経を聴きながらじっとそんなことを考えていた。彼とあの日のことを笑って語り合うことも今生ではもうない。
※写真は今朝、雨に打たれながら咲いていたマツリカの花。昨年、中学時代の友人にもらったもの。クリックすると大きなサイズで見られます。

伝説のハンガリー・ゴールデンチーム

2011-11-07 21:42:37 | 水球
 8月から母黌の水球部の歴史を辿るブログを始めてから、随分永い間忘れていた昔のことを想い出す必要に迫られる。そんなある日、YouTubeを検索していて偶然見つけた映像がこれだ。多分1950年代、ゴールデンチームといわれ、世界のトップに君臨していたハンガリー代表水球チームの練習風景と思われる。懐かしい顔が見える。マルコビッチ、ジャルマティ、カルパティ等々。このうちの何人かは、1964年の東京オリンピックにもやってきた。思えば僕らが最終目標としていたのは彼等だった。この映像が撮られた時からおそらく50年以上経っていると思うが、その間、水球のルールや戦術なども随分変わった。しかし、基礎技術というのはきっと何も変わっていないのだろう。


青春の1ページをブログで! ~ 濟々黌水球部の記録 ~

2011-08-29 23:06:29 | 水球
 この8月から母黌水球部の歴史を辿るブログを立ち上げた。OB仲間の支援もあって始めたのだが、実はこの企画、濟々黌水球部の黄金時代を築いた名コーチ、矢賀正雄さんがまだご存命だった7年ほど前、何か目に見える形で記録を残しましょうとご相談していた企画なのである。その当時はまだブログが普及していなかったのでビデオ化を考えていた。矢賀さんはさっそくシナリオづくりに取り掛かられたが、その直後に病に倒れられ、企画は中断したまま、残念ながら矢賀さんは帰らぬ人となってしまわれた。それ以来、ず~っと気にはなっていたが、なかなか再び立ち上がる気力が湧いてこなかった。しかし、近年、諸先輩方が次々と鬼籍に入られたり、年の近いOBたちの中にも早世する人が出てきたりすると、もう時機は今しかないのではないかと思うようになった。これから記録を調べたり、OBや関係者の皆さんから情報を集めたりするのは大変だが、気長にやって行きたいと思う。近々、矢賀さんのお墓に報告に行くつもりだ。
■ブログタイトル
 Legend Of Seiseiko Water Polo Club(碧落仰げば偉なる哉 ~濟々黌水球部の記録~)
 http://swpc.exblog.jp/