徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ジーナ・ローランズさんを悼む

2024-08-21 21:18:14 | 映画
 ブログ「ミューズの声聞こゆ」さんの昨日の記事で、アメリカの女優ジーナ・ローランズさんの訃報を知った。もう94歳になっておられたそうだ。訃報を知ってまず思い出したのは、カーク・ダグラスさんと共演した「脱獄(Lonely Are the Brave)」(1962)という映画だった。ダグラスさんが演じる脱獄した男は時代遅れの孤高のカウボーイ。その元恋人の役がジーナ・ローランズさん。今は男の親友の妻となっている彼女はかつて愛した男との再会にも嬉しさを抑えている。昔を懐かしむかのように遠くに視線をやる彼女の表情が胸を打つ。
 この映画を最初に観たのが高校生の頃だからもう60年も前だが、この映画を観たという人に出会ったことがない。ところが20数年前、この作品がアメリカでは高い評価を受けているということを知って驚いた。60年代に一世を風靡したアメリカン・ニューシネマの先鞭をつけたと言われているらしい。デヴィッド・ミラー監督、渾身の一作である。
 ジーナ・ローランズさんの代表作と言えばおおかた「グロリア」(1980)があげられる。しかし、僕は「脱獄」の彼女の方が好きだ。実生活ではジョン・カサベテス監督の奥さんであり、ニック・カサベテス監督の母親でもある。心からご冥福を祈る。


ラインの仮橋

2024-06-07 23:34:44 | 映画
 昨日、ゲール・フォン(Gaël Fons)さんのフェイスブックに、6月6日は「D-Day」で、フランス人にとってとても重要な日であることが書かれていた。
 これを読みながら、僕は「史上最大の作戦」と共にもう1本、別の映画のことを思い浮かべていた。それはフランスの社会派監督アンドレ・カイヤットの「ラインの仮橋(1960)」である。僕が高校生の頃で「史上最大の作戦」とほとんど同じ頃に見た覚えがあり、今でも心に残る名作だと思っている。

▼あらすじ
 第二次大戦、ドイツ軍の捕虜となったフランス人のパン職人ロジェと新聞記者のジャン。二人はライン河にかかった軍用仮橋の上で出会い、一緒に労役に服するため、あるドイツの村へと送られる。ここから二人の男の人生観と生き様が、際立った対照を見せながら、物語は進行する。村長の娘ヘルガを誘惑し、利用して脱走を図ったジャン。フランスへ逃げのび、レジスタンス運動に走る。一方、従順に労役をこなし、ドイツ人の信頼を得たロジェはやがて、男たちが兵役に駆り出された村で、村長代理を務めるほどの存在となる。そして、終戦、解放されてフランスへ帰還したロジェはどうしても、片思いのヘルガのことが忘れられない。ジャンに見送られながら、二人が出会ったあのラインの仮橋を渡り、再びドイツへと戻って行く。


パン職人ロジェを演じたシャルル・アズナブール

山崎貴監督を祝して

2024-03-13 20:03:43 | 映画
 山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」がアメリカ映画アカデミー賞で「視覚効果賞」を受賞したことは大変喜ばしい。16年前、山崎監督の作品「BALLAD 名もなき恋のうた」熊本ロケにボランティアスタッフとして参加させていただいた一人として心からお祝い申し上げたい。
 当時僕は「くまもとフィルムコミッション」に登録していたので、エキストラやスタッフとして3本ほど参加したが、エンドクレジットに名前を載せてもらったのは山崎監督の「BALLAD」だけ。そういう意味でも忘れられない映画となった。阿蘇を中心とした熊本ロケは2週間ほど続いたが、僕の仕事は毎日のエキストラの員数を確保すること。他のスタッフとともに、あらかじめ登録されているエキストラ希望者に電話をかけまくった。阿蘇では合戦シーンが撮影されたのでエキストラの集まりが悪い日は撮影も苦労されただろう。「三丁目の夕日」シリーズなどで知られる山崎監督だが、この作品では得意のVFXは極力控えておられたのが印象に残る。結局、山崎監督を拝見したのはスタッフ&エキストラ向け謝恩試写会の時だけだったが、上映後には山崎監督のトークショーも行なわれ、製作意図などを直接聞けたのは嬉しかった。
 今回の受賞をステップにVFXにこだわらず映画史に残るような大作を作ってほしいと願っている。
※上の写真は「BALLAD 名もなき恋のうた」のシナリオ


伊豆の踊子は何を踊った…

2024-02-06 19:37:28 | 映画
 大林宣彦監督が亡くなられてやがて4年。生前、いつか「伊豆の踊子」を自分の手で映画化したいという夢を語っておられた。「伊豆の踊子」はこれまで6回映画化されているが、1974年に山口百恵主演の映画化の際、実は大林監督にオファーがあったそうだ。ところが、当時は百恵ちゃんの人気絶頂期、彼女のスケジュールがタイトで撮影に3日しかとれないとわかり、それでは無理とお断りしたそうだ。しかし、その後も「伊豆の踊子」への思い断ちがたかったらしい。そして作るに当たっては、過去の作品がすべて踊子薫が17、8歳の設定だったが、原作に忠実に13、4歳の幼い美しさを描きたいとも述べておられた。大林宣彦監督版「伊豆の踊子」が見たかった。
  • 恋の花咲く 伊豆の踊子(1933)田中絹代
  • 伊豆の踊子(1954)美空ひばり
  • 伊豆の踊子(1960)鰐淵晴子
  • 伊豆の踊子(1963)吉永小百合
  • 伊豆の踊子(1967)内藤洋子
  • 伊豆の踊子(1974)山口百恵
 ところで、「踊子」という役柄上、踊るシーンは欠かせない。戦前の田中絹代の薫だけは見ていないが、後の5本は見ている。見ているのだが、かなり昔になるので記憶が曖昧になっている。特に美空ひばりは何を踊ったか思い出せない。この人は幼い頃から芸達者だったので民謡、端唄など何でもござれだったのだろう。次の鰐淵晴子は「銚子大漁節」を踊ったことを憶えている。ほかにも「ノーエ節」なども踊ったかもしれない。「ノーエ節」は静岡県の民謡なので伊豆を舞台とした「伊豆の踊子」では何度か使われた記憶がある。吉永小百合は「ハイカラ節(自転車節)」が印象深い。ほかにもたしか和歌山県民謡の「串本節」も踊ったと思う。次の内藤洋子がどうも思い出せない。太鼓を叩いている姿は浮かぶのだが。最後の山口百恵は「ストトン節」が印象に残る。いずれも原作者の川端康成が伊豆の旅をした大正7年頃流行っていた歌で、当時の時代背景を表しているのだろう。
※写真は吉永小百合主演「伊豆の踊子(1963)」より

ノーエ節

ストトン節

ハイカラ節(自転車節)

古町小町とブリジット・バルドー

2023-09-24 22:33:31 | 映画
 今日、RKKラジオ「村上美香のヒトコト」に城下町古町案内人の古町小町こと瑠璃さんがゲスト出演、案内人を始めた動機や日頃の活動などを話された。案内人を始めて12年だそうだ。だいぶ前から存じ上げているがもうそんなに経っていたかと驚いた。熊本地震直後、熊本城は復旧するかもしれないが城下町は消滅するのではないかと盛んに言われた。たしかに多くの町屋は姿を消したが、残された城下町の風情を守り、それを一人でも多くの方に知っていただきたいと有志の方々が頑張っておられる。彼女もそんなお一人である。


2012年クリスマスの上村元三商店前

 今日の放送の中でフランス語に堪能な彼女が2曲紹介されたが、そのうちの1曲がなんとブリジット・バルドーの「Ça Pourrait Changer (変わるかも)」だった。聴きながら、僕が映画少年だった頃の思い出が甦った。
 あれは小学校6年か中学1年の時だったが、通町筋の大劇でブリジット・バルドー(当時は“ベベ”と呼ばれていた)主演のフランス映画「裸で御免なさい」(1956)を見た。おそらく西部劇か何かの添え物だったと思う。ところが、10年前、BSでこの映画が放送された。50年以上も経つとこちらの観る眼が変わっていて、添え物だったこの作品が妙に愛おしい。なんだかんだあって“ベベ”がストリップコンテストに出場する羽目になる。素面はさすがにムリと仮面をつけて出場するのだが、彼女はイタリア娘“ソフィア”と名乗る。これは同世代のソフィア・ローレンをパロっているのがわかってクスッとくる。なかなか小洒落たコメディなのだが共同脚本を担当しているのが当時の“ベベ”の夫ロジェ・バディムだから、きっと彼女の魅力は知り尽くしていたのだろう。

「Ça Pourrait Changer (変わるかも)」が使われた日産モコのCM

映画「気分を出してもう一度」(1959)の1場面

The Streets of Laredo(ラレドの大通り)

2023-09-08 18:17:35 | 映画
 今日のBSプレミアムシネマは、巨匠ジョン・フォード監督の「三人の名付親」。最初に観たのは昭和28年、小学2年生の時だった。僕が映画に目覚めた記念すべき一本である。
 この映画で忘れられないのが、要所要所で流れる音楽「The Streets of Laredo」である。カウボーイソングの名曲として知られているが、元歌はアイルランドの古い民謡らしい。多くの歌手が歌っていて、中でもマーティ・ロビンスのバージョンが一番有名だと思う。映画の中ではこの曲がアンダースコアとして時にはマイナーに転調しながら雰囲気を盛り上げる。また、ならず者の一人キッドが赤ん坊を抱いて歌って聞かせるシーンは感動的。映画音楽を担当したのは「駅馬車」などのフォード映画で知られるリチャード・ヘイグマン。

【あらすじ】
銀行を襲撃した3人のならず者たち。砂漠を逃走するなか、3人は身重の女性と出会い、出産を助けるが、女性は生まれた赤ん坊を託して亡くなってしまう。名付け親となった3人は生まれたばかりの赤ん坊を連れて目的地に向かうが…。送り届ける町の名前がニュー・エルサレムで、たどり着いた日がクリスマス。聖書に描かれたイエス・キリストの誕生に立ち会った三賢者の話になぞらえている。3人の名付け親を演じるのはジョン・ウェイン、ペドロ・アルメンダリス、ハリー・ケリー・ジュニア。ジョン・フォード監督が、サイレント時代の作品を自らリメークした涙と感動の傑作西部劇。


左からハリー・ケリー・ジュニア、ジョン・ウェイン、ペドロ・アルメンダリス


   ▼Trailer


   ▼The Streets of Laredo (Marty Robbins)

地平線はどこだ!

2023-03-07 17:11:46 | 映画
 現在公開中のスティーブン・スピルバーグ監督の最新作「フェイブルマンズ」について、フォローさせていただいているブログ「ミューズの声聞こゆ」さんが紹介しておられる。この映画はスピルバーグ監督の自叙伝的作品だといわれているが、その中のエピソードにスピルバーグ監督が敬愛してやまないジョン・フォード監督と出会った時の「地平線はどこだ!」のくだりが映像化されていると紹介されていた。この「地平線はどこだ!」のくだりとは、10数年前にBS放送で見たピーター・ボグダノヴィッチ監督によるジョン・フォードに捧げるドキュメンタリー「Directed by John Ford」の中でスピルバーグ監督自身が語っていたエピソードで、この作品の中で最も印象深かった。僕は自叙伝的な映画はあまり好きではないので「フェイブルマンズ」も見ようという気は起きなかったのだが、「ミューズの声」さんのブログを拝見し、ジョン・フォード映画をこよなく愛した少年時代を思い出し、見てみようかなと思い始めている。また、「フェイブルマンズ」の中でジョン・フォード監督に扮しているのはデヴィッド・リンチ監督であることや、ジョン・フォード監督作品「荒鷲の翼」(1957)に登場するジョン・フォード監督(役名ジョン・ダッヂ)はワード・ボンドが扮していたことなどが紹介されていた。フォードをダッヂに替える自動車ネタのユーモアはいかにもフォード監督らしい。この「荒鷲の翼」は小学生の頃に見た懐かしい映画。「錨を上げて」の勇ましいメロディが浮かんできた。
※写真はモニュメント・ヴァレーを背景にディレクターズチェアに座るジョン・フォード監督

 数ある「錨を上げて」の映像の中から、横浜市消防音楽隊の素敵な演奏とポートエンジェルス119のキレッキレのドリルの映像を選んでみた。

西の魔女が死んだ-サチ・パーカー(再掲)

2023-01-16 22:06:50 | 映画
 今夜、BSプレミアムで映画「西の魔女が死んだ」が放送された。この映画を見たのは15年前になるが、ブログ記事にした憶えがあった。懐かしくなってその記事を再掲してみた。
▼初掲(2008年11月18日)
 さて今夜は映画「西の魔女が死んだ」の上映会が電気館で行なわれる。数ヶ月前、この映画が公開された時はそれほど興味はなかった。主役のサチ・パーカーという名前に、どこかで聞いた覚えがあるなとは思いながら、それっきり忘れていた。ところが先日、あるサイトで彼女がシャーリー・マクレーンの娘だと書いてあるのを見て一瞬で記憶が甦った。何としても今回の上映会に行きたいと思った。
 僕が中学生だった1960年頃、ハリウッドの大スターだったママ、シャーリーは映画情報誌「スクリーン」に度々登場した。そして愛娘サチと一緒に写ったスナップも何度か見た記憶がある。当時は僕にとって洋画の情報源といえば、この「スクリーン」誌しかなかったから、隅から隅まで貪り読んだものだ。だから当時の記事で克明に憶えているものがいくつもある。サチのパパとママは有名な親日家だった。パパはママと離婚した後、たしか日本人女性を後妻にもらったと記憶している。その頃はハリウッドスターが家族と一緒に写ったスナップがよくスクリーン誌を飾った。今でもよく憶えているのは、チャールトン・ヘストンの息子フレイザーくん、トニー・カーティスとジャネット・リーの娘ジェイミー・リーちゃん、ジョン・ウェインの娘アイサちゃん、そしてシャーリー・マクレーンの娘サチちゃんなどだ。くんやちゃん付けをしているが、いずれももうオッサン、オバサンになっている。
 余談はさておき、今夜の映画の内容はともかく、サチ・パーカーのお婆ちゃんぶりが見ものだ。


1959年頃のサチとママ シャーリー

映画でおぼえた英語

2022-10-20 17:03:27 | 映画
 母の知人に映画館主がいたおかげで小学校に上がる頃から映画館通いをするようになった。それも洋画で、主に西部劇だったが英語のセリフのなかでいくつになっても忘れないセリフがある。
 そんななかから三つのセリフをあげてみた。

That'll be the day.
 ジョン・フォード監督の名作「捜索者(1956)」の中での主役ジョン・ウェインのセリフ。
 直訳しても意味がわからない。アメリカ人がよく使う慣用句で「そんなバカな!」とか「そんなワケね~だろ!」と言ったニュアンス。ジョン・ウェインはこの映画の中で何度かこのセリフを言うが、他の映画でも使ったと記憶している。

ジョン・ウェイン

「捜索者」でこのセリフを使う場面

ジョン・ウェインのセリフにインスパイアされたロック歌手のバディ・ホリーの同名の曲

Don't forget the way back.
 人気絶頂期にあったスティーブ・マックイーンが主演した西部劇「ネバダ・スミス」(1966)の中で、両親を惨殺されたマックス(ネバダ・スミス)が敵討ちの旅に出る時、彼の叔母がマックスに贈る言葉。「必ず帰って来るのよ!」と訳されていたような記憶がある。
マックスが敵討ちの旅に出る場面

Low Down Yankee Liar.
 ジョージ・スティーヴンス監督の名作「シェーン」(1953)のクライマックス。シェーンと殺し屋ウィルソンの対決、シェーンがウィルソンを煽って銃を抜かせるシーンのセリフ。「卑劣なヤンキーの嘘つき」というような意味合いか。これには南北戦争で南軍兵だったシェーンが同じく南軍兵だった農民トーリーを殺害した北軍兵のウィルソンに対する恨みが込められている。


クライマックスのガンファイト

Shall We Gather at the River

2022-06-11 21:39:28 | 映画
 映画の中で聴いたあの歌この歌。いつまでも忘れられない歌の1曲や2曲は誰にでもあるものだ。
 僕にとってそんな歌の一つがジョン・フォード監督作品の中で聴いたこの「まもなくかなたの(Shall We Gather at the River)」。
 日本では「たんたんたぬきの金時計」などと替え歌が作られているが、もともとはアメリカの讃美歌。詳しい説明は次の「世界の民謡・童謡」サイトを参照。
 ♪ まもなくかなたの(Shall We Gather at the River)

 下の動画には次の7本のフォード作品の中で歌われた場面が収録されているが、僕が小学校から大学までに見た映画ばかりで懐かしい思い出が甦る。
  • タバコ・ロード(1941)
  • 荒野の決闘(1946)
  • 幌馬車(1950)
  • 荒野の女たち(1966)
  • 駅馬車(1939)
  • 捜索者(1956)
  • 三人の名付親(1948)
   ※画像をクリック⇒動画再生

荒野の決闘(1946)の1シーン ヘンリー・フォンダとキャシー・ダウンズ

かつて名優たちがいた

2021-10-22 22:53:42 | 映画
 「男はつらいよ」シリーズの第6作に「男はつらいよ 純情編」というのがある。全48作の中でいくつかある好きな作品の一つだ。
 寅さんが、長崎港から五島に渡る船の最終便に乗り遅れ、一晩港近くの宿に泊まることにする。すると、同じように乗り遅れた、赤ん坊を背負った若い女(宮本信子)に気付く。女は一晩泊まる金がなく、寅さんに金を貸してほしいと頼む。寅さんは「一緒に来な」といって女と赤ん坊を自分と同じ宿に泊めてやる。金を返すあてのない女は、夜中、寅さんの前で服を脱ごうとする。その時の寅さんのセリフが秀逸。

 オレの故郷にな、ちょうどあんたと同じ年頃の妹がいるんだよ。
 もし、もしもだよ、その妹が行きずりの旅の男にたかだか二千円
 くらいの宿賃でよ、その男がもし、妹の体をなんとかしてえなんて
 気持ちを起こしたとしたら、オレはその男を殺すよ。
 五島とかいう…あんたの故郷で待っているおとっつあんだってオレと
 同じ気持ちだよ。それに決まってらぁな!

何度見てもこのシーンは泣ける。
その五島のおとっつあんを演じるのが、なんと森繁久彌。
森繁久彌は役者としてコメディアンとして渥美清の大先輩。二人の絡みのシーンを見ていると渥美の森繁に対する尊敬の念がにじみ出ている。それは山田洋次監督も知っていたのだろう。実に味のある二人の絡みだった。この二人、実は共通点が多い。軽妙洒脱な芸風や滑舌の良さもそうだが歌も上手い。既に二人とも鬼籍に入られたが、二人の後を継ぐような役者がいまだ見当たらない。


バベットの晩餐会

2021-09-12 22:42:17 | 映画
 昨日の深夜、BSプレミアムで映画「バベットの晩餐会」を放送した。時間的に見るかどうかちょっと迷ったが、「デジタルリマスター版」に惹かれて見始め、とうとう最後まで見てしまった。これでこの作品を3回見たことになる。前回、前々回の印象と全く変わらないまさしく名画だと思う。どこかの評論に、この映画を貫いているのは「静謐と清貧」と書いてあったが、そのとおりだと思う。この歳になると静かな映画が好ましい。いかにも北欧らしいどんよりした天候の寒村にひっそりとつつましく暮らし老いゆく人々。鬱々とした毎日はいつしか親しい友にもとげとげしい言葉を吐くようになる。何だか身につまされるようだ。クライマックスの晩餐会の料理は、ほとんどベジタリアンに近い僕には食材を見せられると「ウッ!」となるが、晩餐会の参加者たちがだんだん幸せな表情に変わっていくところが何ともいい。

【あらすじ】
 19世紀後半、重苦しい雲と海を背景にしたデンマーク・ユトランド半島の小さな村。牧師である老父と美しい姉妹、マーチーネとフィリパが清貧な暮しを送っていた。姉妹の元には若者たちや、姉にはスウェーデン軍人ローレンス、妹にはフランスの有名な歌手アシール・パパンが求愛するが、父は娘二人に仕事を手伝ってもらいたいと願い、また姉妹も父に仕える道を選び、申し出をすべて断り清廉な人生を過ごしながら年老いていく。父亡きあと、姉妹の元に家族を亡くしてフランスから亡命してきた女性バベットが、パパンの書いた手紙を携え家政婦として働くようになる。父亡きあと、村人の信仰心の衰えに気付いた姉妹は、父の生誕100年を記念したささやかな晩餐会を催して村人を招待することを思い付くが――。(TCエンタテインメントの作品情報より)




なつかしい1枚の写真 (2)

2021-06-21 22:51:51 | 映画
 13年前、僕は当時、登録していた「くまもとフィルムコミッション」の募集に応じ、平山秀幸監督の映画「信さん・炭鉱町のセレナーデ」万田坑ロケにエキストラとして参加した。「くまもとフィルムコミッション」の登録メンバーとしてロケに関わったのは結局3本だったが、エキストラ出演したのはこの「信さん」だけだった。ロケは、物語の舞台である架空の衣島炭鉱で坑内爆発事故が起きるというクライマックスシーンの一部で、早朝から夕暮までまる一日を要した。朝7時の集合だったが、参加者した40名のエキストラの衣装合わせやメーキャップが終ったのはもう10時近かった。炭鉱夫、鉱山職員、警察官、消防団員などの役があったが、僕は消防団員の役をもらった。指示どおりに動くだけかと思っていたら、何とほとんどの役にセリフが当てられた。女性の参加者は炭住の奥さんたちの役だったが、皆さん、演技の上手さにはビックリした。エキストラ経験の豊富な方もおられたようだ。概して男性よりも女性の方が度胸があると思う。1シーンも最低5~6テイクはやるし、さらにカメラアングルを変えて同じシーンを数テイクやる、それに加えて同じシーンの音録りをやるので大変だ。待ち時間がまた長いので結局終了したのは午後6時を回っていた。疲れたがとても貴重な体験になった。
 この写真は制作会社のスタッフの方に撮っていただいたもので、参加したエキストラ40名全員が揃って写っている。生涯二度とないであろういでたちのとても貴重な写真である。
 このロケの7年後の2015年、三池炭鉱万田坑は「明治日本の産業革命遺産」の構成要素の一つとして「世界遺産」に登録された。ロケ当時は訪れる人もなかったが、今では荒尾市の観光スポットの一つとして整備されている。


青いドレスのシャーリー

2021-05-30 20:27:55 | 映画
 昨日の深夜、BSPでヒッチコックの「ハリーの災難」を放送していた。10年以上前、やはりBS放送で見て以来の再見。おそらくヒッチコック以外の人が作ったら面白くもなんともない映画になっただろう。ヒッチコック映画おなじみのハラハラドキドキがあるわけでもなし、スクリーミングがあるわけでもない。アメリカ北東部の美しい秋の風景の中で淡々とブラックコメディが展開していく。
 僕の注目はやはり、これが映画デビューとなったシャーリー・マクレーン、当時21歳の魅力。映画衣装のカリスマ、イーディス・ヘッドがデザインした衣装を身にまとっているが、中でもチャーミングなこの青いドレス。役柄としては殺人犯かもしれないこの女性を、この青いドレスがミステリアスながらも清新なイメージを与えているのだ。
 この後、シャーリー・マクレーンはハリウッドのトップスターに昇りつめて行くのだが、数多くの作品で楽しませてもらった。あえて3本選ぶとすれば次の3作品だろうか。
 アパートの鍵貸します(1960)、噂の二人(1961)、愛と追憶の日々(1983)
 彼女はかつて夫婦関係にあったスティ-ブ・パーカーとともに親日家として知られ、愛娘にも日本名をつけるほどだったが、その娘「サチ」が13年前、日本映画「西の魔女が死んだ」にお婆ちゃん役で登場した時は、時の流れに感慨深いものがあった。
※参考記事「西の魔女が死んだ-サチ・パーカー


ジョン・フォーサイスとシャーリー


1959年頃のサチとシャーリー

「荒野の決闘」とスイカズラ

2021-05-25 21:27:21 | 映画
 YouTubeにジョン・フォード監督の傑作西部劇「荒野の決闘(My Darling Clementine)」がアップされていたので久しぶりに観た。映画館での初見はたしか高校1年の時だったと思うのでもう60年前のことになる。以来、映画館でさらに2回、レンタルビデオやTV放送を合わせると10回以上は間違いなく観ている。僕にとってオールタイムベスト3には入れたい映画だ。
 好きなシーンはいくつもあるが、その中の一つが「スイカズラ」にまつわるシーン。ワイアット(ヘンリー・フォンダ)、モーガン(ワード・ボンド)、ヴァージル(ティム・ホルト)のアープ三兄弟が、日曜の朝の礼拝へ急ぐ開拓民たちをホテルのポーチから眺めている。ヴァージルが「スイカズラの匂いがする」と言う。ワイアットが答える。「俺だよ。床屋でな」。ワイアットが散髪をした後、スイカズラの香りのスプレーをたっぷりかけられていたのだ。そのシーンの後、今度はワイアットとクレメンタインが同じくホテル前のポーチに立つ。クレメンタインが「お花の匂いがする」。ワイアットは再び「私です」と答える。この繰り返しが面白い。ジョン・フォードはひょっとしたらスイカズラの甘く爽やかな香りをクレメンタインのイメージとして表現したのかもしれない。この後二人はぎこちなく腕を組み、ゆっくりと礼拝場へ歩いて行く。聞こえてくるのは讃美歌「まもなくかなたの(Shall We Gather at the River)」と鐘の音。日本では「タンタンタヌキの」で知られた曲だ。そしてやがて、有名なフォークダンスシーンへと・・・。
 この動画を観た後、ちょうど今頃、スイカズラの咲く季節であることを思い出し、昨年見た立田山の某所へ行ってみたがスイカズラは見つけられなかった。


「荒野の決闘」のワンシーン


スイカズラ(Honeysuckle)