クジラまつり/川村たかし・文 赤羽末吉・絵/BL出版/2019年
1973年に発行されたものの復刊です。
およそ400年前、紀伊国・太地(和歌山県)。
正月の二日、あしたはクジラまつりという元日のこと。
庄屋のかそうじと、もりうちのいえもんのふたりが、ことしもクジラがとれますようにと、お宮の前で手をたたいていると、「えらいこちゃ」という声がしました。
駆けつけてみると、クジラの親子がシャチの群れに襲われていました。見かねたいえもんがほらがいをふきならすと、元日は休みで仕事などないはずなのにと不審におもいながら村人たちがやってきました。
舟にかかげられた黒いのぼりはシャチが来たという合図。大きなクジラもシャチにはかないません。クジラとシャチの壮絶な戦いがはじまっていました。子どもクジラの姿はなくて、ははクジラのはらに、シャチがかみついています。
「やい。こんとくしょう。おらたちが クジラをとっているのはなあ、あそびとは わけがちがうのじゃ。おまえらのような 面白半分とはー」
クジラをくいちらかして はしゃぎまわっているシャチを、ゆるしてはおけない、となんどもシャチを つきさした 男たち。
けれども、男たちが、やっとのことで海のオオカミを おっぱらったとき、大クジラは もう ぐったりして 波にうかんでいました。
庄屋のかそうじの声で、男たちは「えびすさま」を運んで村に帰ります。
「えびすさま」とは、クジラのこと。福の神のように村を豊かにしてくれることから、そう呼ばれていました。
何百人もの村人が、手分けしてしごとにかかります。思いがけない福の神がやってきて、人びとは、ニコニコ顔。
クジラまつりの日、海の上には。歌声がながれます。引き返して酒やごちそうを食べようとすると、二頭のクジラが海の上にみえました。
庄屋のかそうじは、クジラをとろうとしますが、「よくばるものじゃありませんぞ。クジラも また いきていますのじゃ」と、声をかけたのは、もりうちのいえもんでした。
男たちはしーんとし、クジラが小舟の前をとおりかかると「たっしゃでな」と、声をかけます。
「やーい、クジラ。はるに なって かえってくるときは ようじんせえよ。おらのおとうは もりうちのめいじんだからよう」たきちは のびあがってつけくわえました。
シャチとクジラのたたかい、舟でこぎだす村人、四ページのおおぜいの村人が力をあわせてクジラを陸にあげ、解体する様子は、どれをとって力強さにあふれています。
クジラまつりの日、また見つけたクジラを捕ろうとする庄屋のかそうじに、欲張るものでないといういえもんの仁王立ちの姿は海の男そのもです。
クジラとのかかわりは、縄文時代までさかのぼるといいます。油は灯火用の燃料に、肉と軟骨は食用、骨やヒゲは手工芸品の材料、毛は綱に、皮は膠に、血は肥料や薬などあますことが利用されていたといいます。
日本の食文化にかかせなかったクジラも、国際的な流れの中でほとんど縁がなくなりました。