どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

千びきザル・・大分

2023年02月10日 | 昔話(九州・沖縄)

          大分のむかし話/大分県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1975年)

 

 ある日、うそつきな男が、「鍋割坂をとおたら、千びきのザルを見つけた」と、はなしじょうずな男に自慢します。

 「千びきザルを見たとは はじめてきいたが、ほんとうにそりゃおったかえ」と、はなしじょうずな男が言うと「俺が、この目で たしかにみたんじゃ」と うそつき男。

 「お前のことだから なんぼかうそがあるといかん。七、八百びきくらいは、おったんじゃねえかな」

 うそつき男「そんなこといえば、そりゃ千びきじゃないけれど、七、八百びきは ほんとうにおったがのう」

 「ふうん、七、八百びきか、ちっとは多いようでないか。五百びきぐらいが ほんとうのところじゃろう」

 うそつき男「おおう、そうじゃのう。五百びきぐらいじゃ。もう少なくはできないよ」

 「ほんとうか。へえ。三百びきぐらいなら、このへんにおるかわからんけんどのう。五百びきぐらいというと、まあ多いようだ」

 うそつき男「ふうん、そういや、三百びきぐらいかもしれん。とてもいっぱい寄ってきたから、数えきれなんだ。」

 やりとりが続いて

 「百びきどまりだろう」「もうちっと、まけんかよ」

 うそつき男「ほんなら百びきにしちょこう。百びきど」

 「ほんなら鍋割に、見にいこう」

 うそつき男「おまえが見にいっても、おるかおらんかしらんど」

 「そんなら、もう五十びきじゃのう」

 さらに問い詰めると

 うそつき男「十びきぐらいはおったど」

 

 やりとりが続くと、だんだん見たという数が少なくなり、ついには「サルだったと思う」まで。嘘といわれるとムキになるが、それとなく追及していくと、大きな嘘も、だんだん小さくなるのは、嘘つきの心理をついたもの。 

 軽妙さを楽しめるのは、語りが一番でしょうか。


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