「こぶとり」は頬のこぶ、「ノックグラフトンの昔話」「背中にこぶのある男」は、背中のこぶの話。どちらもこぶをとられますが、もう一人が前の人のものまでもらってしまうという話。「こぶ」は、なんの象徴でしょうか?。
・こぶとりじいさん(こぶとり/宇治拾遺ものがたり/川端義明 訳/岩波少年文庫/1995年初版)
「こぶとりじいさん」の話は、だいぶ古そうです。
・ノックグラフトンの昔話(イギリスとアイルランドの昔話/石井 桃子・編訳/福音館文庫/2002年初版)
ヨーロッパなどの話には、話のすじに直接関係しない背中にこぶのある人物がでてくることがありますが、このこぶがないと成立しない話。
ラスモアという背中にこぶのある貧乏な男が、妖精が音楽を楽しんでいるところにでかけ、そこで歌われていた唄をより楽しいものにします。
するとよろこんだ妖精は背中のこぶをとってくれます。
「こぶとり」では、鬼の踊り、「ノックグラフトンの昔話」では、妖精の音楽です。
・背中にこぶのある男(ポルトガル)(世界の民話7 スペイン・ポルトガル編/三原幸久・文/家の光協会/1978年初版)にでてくるのは魔女。
やはり音楽がキーワードです。背中のこぶをとってもらったばかりでなく、真珠や金貨の入ったふくろまでもらいます。
面白いのが魔女のことば。
「わたしたち魔女は日曜日という神さまの日がとても きらいなんだ」
宗教的なものも入っている昔話です。
・ビリー・ベックとトム・ベックと妖精(マン島の妖精物語/ソフィア・モリソン・著 ニコルズ恵美子・訳/筑摩書房/1994年初版)
イギリス マン島にも、背中のこぶをとる話があります。二人の靴屋がでてきます。
いつもビリーのいいなりになっていたトムが、山の羊をつれかえろうとしたとき、道に迷い、そこであったのが妖精の行列。
ここでの合言葉が「月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日」。
ここで妖精の王の命令で、トムの背中のこぶがなくなります。
これを聞いたビリーも妖精のところにでかけますが、自分の利巧なことをひけらかそうと「月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日」のあとに「日曜日」というと、もうひとつのこぶが背中にくっつけられてしまいます。
ポルトガル版とおなじように、妖精も日曜日がきらいだったようです。
・こぶじいさん(朝鮮)(アジアの昔話4/松岡享子・訳/福音館書店/1978年初版)
耳の下のこぶ、あごの下にこぶをもったじいさんがでてきて、鬼ならぬトッケビがでてきます。トッケビがいい声がこぶからでてくると思いこんで、最初のおじいさんのこぶをとるのが楽しい話です。
・妖怪にとられたこぶ(けものたちのないしょ話/中国民話選/君島久子・編訳/岩波少年文庫/2001年)
林のなかで薪を取っていた若者が、とつぜんの暴風と雨で、近くの大きな木で雨宿りしていた夜。妖怪たちのぶざまな踊りやへんてこな歌にしびれを切らした若者が、自慢の歌や踊りを披露すると、妖怪たちがよろこんで、また来るようにと こぶをとってしまいます。若者のとなりの放蕩息子は、歌も踊りもへたくそで、こぶをもらってしまい、べそをかきながら山をおります。
・瘤とり娘(ベトナムの昔話/編訳:加茂徳治 深見久美子/文芸社/2003年)
おじいさんではなく、頬にこぶのある娘がふたり出てきます。一方は貧しい家の子。こぶをつけられてしまうのが長者の娘。
鬼たちの踊りにであった娘が、美しい声で歌をうたって、鬼たちに気にいれられ、大事なもの預かると、こぶをとられてしまいます。
長者の娘は、調子はずれの歌で、こぶをつけられてしまいます。
さいしょに、こぶをとられた娘が、会う人に、できごとを吹聴してあるいたので、それを聞いた長者の娘が、鬼のいる場所を聞いて、そこに出かけます。
ベトナムの鬼ですが、「顔は真っ黒で毛むくじゃらで異様な風体」と訳されているので、いまひとつイメージが わきません。