昨日関東地方は梅雨あけ。
昨日の夕方は セミの声が 桜の木のほうからしていました。今日は午後から 鳴き声が。
気象庁の発表より、セミの鳴き声が聞こえると 梅雨あけを実感する。
セミは 季節を なんで感じるのか 不思議。
昨日関東地方は梅雨あけ。
昨日の夕方は セミの声が 桜の木のほうからしていました。今日は午後から 鳴き声が。
気象庁の発表より、セミの鳴き声が聞こえると 梅雨あけを実感する。
セミは 季節を なんで感じるのか 不思議。
茨城のむかし話/茨城民俗学会編/日本標準/1975年
出だしとおわりはちがうが、竜宮伝説の一つでしょうか。
ひどく貧乏な”むたいち”が、毎日鰐が淵で魚を釣っていた。鰐が淵というところは天狗が住んでいるといわれ、ほかのだれも近づこうとしなかったところ。
ある日、いつものように鰐が淵で釣りをしていると、白い杖をもったおじいさんがあらわれた。おじいさんがいうことには、むたいちが、釣りをするようになってから天狗が姿を現さなくなりお礼をしたいという。連れていかれたのは。水の下の竜宮。ここで夢のような日を過ごしたむたいち。家に帰ろうとすると、お姫さまが くれたのは 打ち出の小づち。
打ち出の小づちをふると、米でも金でも食い物でもなんでも出てきた。それから、むたいちはは、みるみるうちにゆたかになり、一年後には、村の者から万石長者とよばれるほどになった。
何年かたったある日、八幡太郎義家が、奥州の安部氏を滅ぼすために、長者屋敷にとまったとき、村では長者を中心に、義家の連れてきた10万の家来をもてなした。
やがて安部氏を滅ぼして帰ってきた義家一行を、こんども前以上に大判振る舞いをした。
義家は、歓待をされながら、「こんな金持ちの長者を、このままにしておいたのでは、後日の災いになる。今のうちの滅ぼすにかぎる」と、長者の屋敷を焼き討ちにし、家のものを皆殺しにしてしまう。火は三日三晩燃え続け、打ち出の小づちも見当たらなくなった。
このあたりを八幡太郎義家が、とおっていったのでしょうか。竜宮は、きっかけなのか?
トゥクパをたべよう/インドの ごちそう スープ/ブラハ・ラム&シーラ・ブルイット・文 シルバ・ラナデ・絵 あまがい ひろみ・訳/イマジネーション・プラス/2020年
副題に「インドの ごちそう スープ」とあったので、インドの食べ物の紹介かと思ったら、それだけではありませんでした。
「トゥクパ」は ヒマラヤの北にあるインドのラダックやチベットの ひとびとがたべている麺の入ったスープで、特別な日しか食べないごちそう。
お寺の鐘が鳴っておうちにかえるツェリンは、ばあちゃんがつくるトゥクパが楽しみで、鼻歌交じりで家路を急ぎます。なかよしのリグジンが ちかづいてきたので、トゥクパを たべようと さそいます。迷子になった子羊をたすけると、タシおじさんから声をかけられ、おじさんもトゥクパに さそいます。ニーマおばさん、ヌルブーさんも くることになりました。
ばあちゃんは、みんながくると知って大慌て。水も麺も野菜も足りません。ツェリンは豆を駕篭にいれ、おうちにかえると 豆のさやを やさしくわります。みんなは、水とチーズ、ほうれんそう、あんずのジャム、こねた麺をもってきました。
ばあちゃんが、料理していると停電になって、トゥクパがつくれないと 困っていると・・。
ツェリンは目が不自由でした。スパイスを においで 野菜や水を ばあちゃんに わたしします。すると家じゅうにトゥクパのいい においがして あとひといきで できあがりです。みんなも手伝いはじめると、ちょうど電気がついて・・・。
目の不自由なツェリンには、お寺の鐘の音、羊のなきごえ、畑のシャベルの音が助けになります。そして、豆は指先でたしかめながら収穫しますから、停電になっても、あわてることなく ばあちゃんの お手伝いが できました。ツェリンが目が不自由なことは、一言もでてきません。音や匂いを自然に感じさせる すてきな話でした。
特色のある帽子をかぶり、民族衣装を着た村人の素朴な感じが よくでていました。
話はめぐる/聞き手から語り手へ/ナショナル・ストーリーテリング保存育成協会・編 佐藤涼子・訳/リブリオ出版/1999年
エリザベスは12歳。顔はそばかすだらけ。ある日、そばかす取りクリームの広告を見て、お小遣いで買える値段と知って注文。広告には「濃い茶色の包装紙」で届くと書いてありました。三週間郵便トラックの到着に合わせて、一日をやりくりし、包みを待った。家族の誰かが包みを受け取ったら、この先ずっとからかわれることがわかっていたからだ。ついに包みが届くと、魔法のような品物に興奮しそのクリームを使う気になれなかった。
つぎの朝、鏡に映った顔を見て、クリームをぬってみた。その日、夏の間はほとんどそうしているように、兄やいとこたちとタバコ畑の草取りに出かけた。クリームを塗って日にあたると、ピンクですべすべの肌になるかわりに、そばかすはもっと増えてもっと濃くなるというのに。
その日の終わり、家に戻ると、みんなが顔を見て、「エリザベス、お前、前からこんなにそばかすがあったっけ?」といわれ、泣き出して、夕飯も食べず、外の屋根のある井戸のそばにしゃがみこんで泣きじゃくった。エリザベスが祖父に、そばかす取りクリームを注文したことを話すと、祖父は笑わず、「満月に死んだ黒猫を埋めても同じことじゃろう。」というようなことを口にしただけだった。エリザベスは、どんなにそばかすが嫌いか、ジャネット・エリザベスと自分をくらべて、どんなに劣っているように感じているかを話した。祖父はびっくりして、「だがな、エリザベス。いろんな花があって、どれもみんな美しかろうが」というが、エリザベスは、「そばかすがある花なんてみたことがないもん!」と言って、ドアを閉めた。
泣きながら寝入って、つぎの朝、はれぼったい目を開けたとき、枕の上に、オニユリの花が目に飛び込んできた。当時住んでいた山岳地帯で、それを見かけたことはいちどもなかったが、たしかに祖父がそれをおいてくれたのだと、母が後で教えてくれた。
物語はここでおわるが、オニユリの花を知らないと、はてな?と思う。そばかすに悩む孫に、そばかすがある花オニユリを何も言わずに置いて、そばかすがあるのが恥ずかしいことではないんだよと諭す祖父のふるまい。
オニユリは、確かに奇麗で、黒のそばかす模様があります。
子どもや孫が、なにかに悩んでいるとき、そっと声をかける存在でありたいものです。
梅雨の合間、カボチャのツルを整理。小玉スイカもツルが黒ずんできてまもなく片付けの時期。相変わらず放任栽培で、カボチャは四株で四個、小玉スイカは、おもったより多くて、四株で八個。残っているスイカのおおきさは、最初のころと比較すると、小ぶり。
どちらも栽培面積を必要なので、空中栽培。受粉も虫任せなので、せっかく実らしきものができても、大きくならず。やはりそれなり手間暇かけるべきなのはわかるが・・・。
もりのはなやさん/ふくざわゆみこ/Gakken/2024年
もりのなかに、おおかみさんのはなやさんがあります。おおかみさんは、「みんな おはよう。きょうも もりの みんなに えがおを とどけようね」と、はなたちにいいました。だれにも ないしょですが、おおかみさんは はなの ことばがわかるのです。
さいしょのおきゃくさんは、くまさん。ぼうしに にあう はなを かいにきました。くまさんが えらんだのは ポンポンダリア。
かるがもの ひなさんたちは、せなかの かびんに はなを さして、うれしそうに かえっていきました。ぶたさんは、ワンピースを ほんものの はなで かざって ごきげんで かえっていきました。
はなのなかで、さっきまでげんきだったチューリップが うなだれています。だーれもかってくれないと おちこんでいたのです。おおかみさんが、うさぎさんから ちゅうもんが はいっているときくと、きいろい つぼみの チューリップは あっというまに げんきのなって ふくらみました。おおかみさんが、うさぎさんのところへ、チューリップを とどけにいくと、あしを けがし、ダンスパーティにいけなくなり ドレスにあわせようとしたチューリップは もういらないと いわれてしまいます。
おおかみさんが チューリップからいわれて、うさぎさんの まどべに こっそり おいていくと、くまさんがやってきて、みんなのダンスを みにいこうとさそわれて かつがれて パーティー会場の もりのホテルへいくと・・・。
おおかみが やさしく えがかれ、見る人を 幸せにしてくれる花がいっぱい。やさしくほっこりする お話しも つかの間の? 癒しを 与えてくれます。
しずくのぼうけん/マリア・テルリフスカ・作/内田莉莎子・訳/福音館書店/1969年
おばあさんのバケツから飛び出した水のしずくの冒険の話。裏庭でほこりがいっぱいになり、クリーニング屋さんできれいにしてもらおうとしますが、ドライクリーニングで かわいちゃうよと アドバイスをもらい、病院へ。
病院で黴菌がいっぱいで、黴菌を殺すため ぐらぐら 煮るといわれ また逃げ出します。
おひさまのところへのぼって しずくはどんどんやせていく。でも雲が広がって しずくは雨になって 地面へ後戻り。
岩の中へ落ちて もうだめと思ったら さむいさむい夜がきて、しずくは 氷の塊。岩を こなごなにして また旅へ。
川を流れて 水道の取入れ口につかまり、濾過機できれいになって、台所の蛇口から、洗濯機へ。
もうだめかと思ったら、ストーブが どんどんもえて 蒸気になってまた外へ。
寒い冬で 大きなつららになって でも春がくれば つららがとけて・・。
しずくは、なんどもせまる危機を形を変えて脱出します。
岩が ”はぜる” という感覚が うまくつたわるか 心配になりました。
原書は1965年、ワルシャワでの出版。水が液体、気体、固体と変化するのを話し合ってもよさそう。
話はめぐる/聞き手から語り手へ/ナショナル・ストーリーテリング保存育成協会・編 佐藤涼子・訳/リブリオ出版/1999年
1973年からつづくストーリーテリング・フェステバルで話されたという中の一遍。ちょと あっけにとられる話。
ある魚釣りの名人の少年が水車用の池へナマズ釣りに出かけた。一匹また一匹釣れてみんなしんでしまったとおもったら、一匹だけ まあだ息をしている。釣ってきたナマズのはらわたを抜いていったが、そのナマズは まだ息をしている。そこで少年は仕込むことにした。
ナマズに水を入れたバケツをあてがって、一日目は二時間、二日目は三時間、三日目は四時間と毎日バケツから だしてやった。そしてとうとう、水なしでも暮らせるようになって、そのナマズは、水のそばには近づかなくなった。そのナマズにホーマーという名前をつけたが、少年の行く先にはどこにもついてきた。
ある日、少年が学校に行くときにもついてきた。もうすぐというところで、少年はちちゃな川にかかった木の橋をわたった。そしてふりかえるとホーマーの姿が見えない。探してみると、橋の一枚の板が腐って、穴が開いていた。そこから川の中をのぞくと、ホーマーが溺れてしまって 浮いていた。
「黄色いリボン」「ひねくれもののエイトジョン」など、アメリカには、ヨーロッパとは別系列の話も多い。
世界ではじめての 女性大統領のはなし/ラウン・フリーゲンリング・作 朱位昌併・訳/平凡社/2024年
世界で男女間の平等がいちばんすすんで国とされているアイスランド。世界初の女性大統領を生んだのもこの国でした。
自称作家のひとりの子が、アイスランドの大統領だったヴィグディスをたずね、幼いころからの話をきいていきます。
何年もフランスで生活したあと、高校とテレビ番組でフランス語をおしえはじめたヴィグディスが、大統領候補に推されたのは、女性がみんな仕事をやめて、家の外に出て行って、男性と同じ権利を訴えた1975年の「女性の休日」から5年後。それから4期16年間大統領を務めます。
印象的なエピソードは、地方にまねかれるたび、カバノキの若木を3本もっていったこと。一本は女の子のため、一本は男のため、そしてもう一本はこれから生まれてる子どものため。このためか、ヴィグディス植林財団、アイスランド植林協会との協力で、この絵本のアイスランド語版が一冊売れるごとにカバノキの若木が一本植えられています。
この絵本では、1944年2024年まで、大統領になった女性は、ヴィグディスのほかいないとありますが、この8月1日から、ハトラ・トウマスドッティルが二人目の女性大統領として就任予定です。
最近、女性の大統領や首相は珍しくありませんが、まだまだ女性が国のリーダーになるのが話題になるのは、裏返して言えばまだまだ男女平等でないことかもしれません。
日本では政治家が絵本で取り上げられるのは皆無?。それだけ政治に信頼がないのかも。
アイスランドについて調べてみるきっかけにもなりました。
おすわりやす いすどっせ!/長野ヒデ子:脚本・絵/童心社/2018年(8場面)
女の子が小さないすに座って「♪おすわりやーす いすどっせ あんまり のったら こけまっせ!」とうたうと、くまさんが・・
また、「♪おすわりやーす いすどっせ あんまり のったら こけまっせ!」とうたうと、こんどは うさぎさん
たこちゃんが やってきて むりむり すわると
ぐらぐら こけちゃった!
びっくりしても もういっかいと 「♪おすわりやーす いすどっせ あんまり のったら こけまっせ!」と みんなで うたいます。
繰り返しうたいながら 楽しそうです。京都弁のシナリオでしょうか。
かじ屋と妖精たち/イギリスの昔話/脇明子・編訳/岩波少年文庫/2020年
ヒルトン屋敷に住みついているブラウニーは、いたずら好き。塩壺に砂糖を入れるやら、ビールのコショウを入れるやら、椅子はなげたおし、テーブルはひっくりかえすやら、まったくなにをしでかすか見当がつかない。
ところが召使いたちが、ボールにクリームを入れとくか、パンにハチミツを塗っとくかすれば、皿洗いを全部やって、台所をきれいに片づけといてくれた。
ところがある晩、召使たちが夜更かししておったら、なんとブラウニーが 焼きぐしを回す鎖につかまって、ぶらんぶらんやりながら、こんな歌をうたっていた。
悲しや、悲しや、どんぐりは
さっぱり木から、落ちてこん
そのどんぐりが、芽を出して
それが大きな木になって
それで作ったゆりかごで
ゆ-らりゆらりと、赤んぼが
育って大人になったらば
おいらを放してくれように
悲しや、それは、いつの日か
みんなは、そのブラウニーのことをかわいそうに思って、近所にいたたニワトリ飼いのばあさんに、どうすればそいつを放してやれるかのと、たずねてみた。ばあさんの話によれば、仕事をしたのに対して、食べ物や飲み物なんかでなく、もっと長持するお礼をもらったら、すぐにいってしまうのだそうだ。そこで、みんなは、緑色の布で、フードのついたマントを作り、それを暖炉のそばにおいて、かげからこっそりようすを見ていた。するとブラウニーがやってきて、フードつきのマントをみると、さっそくそれを着こみ、片足で立って、ぴょんぴょん跳ねまわりながら、歌をうたった。
マントを、もーらった
フードも、もーらった
これでおしまい おいらの仕事
ヒルトン屋敷に、おさらばさ
そして、それっきりいなくなり、二度とその姿をみることはなかったということだ。
ところで、ブラウニーって?
小さくておかしなやつで、半分人間、半分コブリンのようで、もじゃもじゃと毛深くて、とがった耳。宝を埋めて、それを守りたいなら、埋めたところに殺したばかりの子ヤギか子羊の血を、ちょっぴりまいとくといい。宝とそのからだをまるごと埋めると、ブラウニーが 近づくものを脅かして、あんたの宝をまもってくれる。
日本の貧乏神どうよう、外国にも屋敷に住みついている存在があるという話。いなくなったあとも気になります。グリムの「こびとのくつ屋」も、服やくつを手に入れると、いなくなる存在です。
ニャーとようかいねこ/脚本・絵 武田美穂/童心社/2023年(12場面)
ねこのニャーは、お母さんにしかられたけんたくんから、やつあたりされ、尻尾を乱暴に ひっぱられ、おまけに、「なんだよ、可愛くないな。ニャーなんて、ひろわなきゃ よかったよ!」といわれ、かなしくなって おうちを とびだしました。
いつもけんたくんといっしょにくる公園で、灰色のねこと会い、ようかいねこにならないかと さそわれ、おばけやしきといわれるいえに、つれられていきました。
むかえてくれたのは、だいだいいろのねこ。しっぽが ふたつに わかれています。おうちのなかでは、たくさんの ねこが わかくても ようかいねこなれるからと、輪になって踊って修業中でした。ニャーも たってみましたが、たってはころび、たってはころびで いやになりました。(かえりたいな・・)と 思いましたが どこへ。
そのとき、だいだいいろのねこから、「あなたは、けんたくんを ゆるしてあげられないの?」ときかれ、けんたくんのなまえがでてきて びっくりしました。
ニャーは、うまれて すぐ すてられていましたが、けんたくんが、お母さんやおとうさんに ないたり、せがんだりして かってもらえることに なったのです。
だいだいいろのねこから、「おもしろいものを みせてあげるよ。」といわれ、窓の外を見ると、屋敷の前に あおい、傘をさした けんたくんがいました。けんたくんは、恐ろしいのか、屋敷にははいらず、「ニャー でてこいよ! でてこないと、もう うちに いれないぞ!」とさけびました。だいだいいろのねこは、けんたくんの気持ちがわかるのか、「あのこは あんな いいかたしかできないのよ。でも ほら かおを見て。泣きそうじゃないの」。ニャーも かなしくなって にゃー とさけぶと、.けんたくんのもとへ。
どうやら、だいだいいろのねこは ねこがみさま だったようでした。
ときどき、すれちがいもあるけれど、ほんとは 仲の良い ニャーとけんたくんです。けんたくんも 八つ当たりを 反省していたのかな?
さるとつばめの やおやさん/ジャン=ミシェル・ギルシュ・作 ゲルダ・ミューラー・ 絵 ふしみ みさを・訳/バロル舎/2003年
森の中のかわいい八百屋は、つばめのエルヴィールが 仕入れ担当、おさるのバブーンは、お店番でした。ところが困ったことがひとつ。バブーンが ものすごい食いしん坊で、いつでも なにか 口に入れていなければ、きがすみません。エルヴィールに 叱られているときも、こっそり木の実を くすねるしまつ。とうとう、お店には、ほうきとブラシと、毛糸 石鹸だけ。
「これから どうしたらいいのよ!」といわれ、バブーンは したをむいたきり。
お店には、でっかい おばけキュウリが一本のこっていました。「舟があったら、一度に品物を運んでこられるのに」。困りはてたエルヴィールの言葉に、バブーンはおばけキュウリで舟を作ることを思いつきました。バブーンはキュウリを 二つに切り、なかみをくりぬいて舟をつくり、ふたりで 仕入れにいくことにしました。
キュウリの舟に、ふくろ、かごをつめこんで 出発。ところがバブーンはおなかがすいて、がまんするほど おなかは ますます すいてきます。ちょっとだけと 舟のはしを、ちょっぴり、きりとり たべると、ものすごく おいいしいではありませんか。
ちょっと、ちょっと ひとくちづつ 食べていくと・・・。
つばめとさるという珍しい組み合わせのお話。
おぼれたバブーンが エルヴィールの優しさに触れ、風邪もなおったあとは、食いしん坊も治るという おさまるところに おさまります。
つばめの翼が帆になり、さるのしっぽが 舵の役目というのも楽しい。
7ひきのこうさぎ/ジョン・ベッカー・文 バーバラ・クーニー・絵 岸田衿子・訳/好学社/2022年
7匹のこうさぎが友達のカエルに会いに ひょこひょこ。
行く途中、1匹がくたびれてしまい、たまたま見つけたモグラの家で ねむって しまった。
残りの6匹のこうさぎが友達のカエルに会いに ひょこひょこ。
行く途中で、1匹がくたびれてしまい、そのたびに またモグラの家で ねむって しまった。
おなじように こうさぎが 一匹 また 一匹 モグラの家で ねむって しまい・・
とちゅう、なんびき?と 数え歌風
詩?それとも歌?
絵の部分にあるセリフが秀逸。
二匹目のところでは、モグラが 「あれ、もうかえってきたのかい?」と、おでむかえ。
そろそろくるかなと カエル。
五番目のこうさぎには、モグラが 「ねるまえに チョコレートクッキー いかが?」と、モグラ。
原著は1973年。小型本で、繰り返しが多いので、ねむるまえに読んであげると ぴったり。