【ロンドン便り】大規模抗体検査が変える新型コロナウイルス対策
英国の強みは「変わり身の早さ」と「科学的な施策」
オピニオン 2020年3月27日 (金)配信渋谷健司(英国キングス・カレッジ・ロンドン教授)
イタリアをはじめ欧州での急速な蔓延を尻目に、3月上旬までの英国の新型コロナウイルス対策は対岸の火事を見るかのごとくのんびりしたものであった。報告感染者数も少なく、首席科学顧問のもとに集まった精鋭の科学者たちによる対応シナリオは完璧のはずだった。死者が10人になった3月12日(木)のボリス・ジョンソン首相の記者会見では、リスクの少ない若者らに自然感染を緩やかに広げていく戦略が披露され、科学的分析に基づき学校閉鎖や大規模イベントの中止はしないと宣言した。
しかし、その週末に急遽発表されたインペリアル・カレッジの数理モデルによる分析は大きな衝撃を与えた。政府の方針のままでは、約25万人が死亡し、NHS(英国国民保健サービス)の受け入れ可能な患者数の最大8倍の患者が殺到する可能性を示した。週明けの3月16日(月)、ジョンソン首相は早々に大幅な方針転換を打ち出した。そして、症状のある人は自宅待機、高齢者の外出自粛、イベント中止、学校閉鎖が立て続けに打ち出されると、街から一気に人が消えた。
方針転換後の英国はまさにスクランブル体制で、国家を挙げて次々に大胆な政策を打ち出している。 首相をはじめ各閣僚は首相官邸で毎日記者会見を開いている。ランセット誌のリチャード・ホートン編集長は、「8週間もの時間を無駄にした」と嘆いたが、これまでの遅れを取り戻すべく、急ピッチで医療体制の確保や大規模な経済支援策を打ち出す。検査の拡充、オンライン・電話診療の徹底、酸素供給・ベッド・集中治療の確保、旧オリンピック会場を野戦病院に改装、医学生や退職医師のリクルートや専門性に関係なく呼吸管理のトレーニングも行われている。プライマリ・ケアにおいてはDNR(do not resuscitate)やACP(advanced care planning)の確認も進められている。
そして、翌週の3月23日(月)午後8時30分、ついにジョンソン首相は全国民に向かってロックダウン(都市封鎖)を宣言した。変わり身の早さと、次々に科学的な施策を打ち出せるところは英国の強みであろう。筆者もいくつかの委員会に呼ばれたが、国民も医療者も危機感を共有し、この荒波を乗り越えるべく知恵を出し合っている。先週末の英国保健省との検査戦略電話会議では、PCR検査拡大に加えて、抗体検査キットによる在宅検査や大規模調査による感染の把握のためのプロセスを議論した。日本では「検査が感染を広げる」「医療崩壊につながる」、さらには、専門家会議のメンバーは「検査数を抑えていることで感染が防げている」と発言しているが、国際的な論調は全く逆である。
その議論を後押しするような数理モデル研究が、今週3月25日(水)にオックスフォード大学から発表され、今大きな波紋を投げかけている。その研究によると英国では今年1月から既にウイルスが広がっており、今では人口の約半数が新型コロナウイルスに感染しているという驚きの結果が示されている。これはインペリアル・カレッジの数理モデルと正反対の結果を示し、英国の当初の緩やかな集団感染を目指す戦略を後押しするものであった。オックスフォード大学の分析が正しいとすれば、ほとんどの患者は軽症か全く症状がなく、医療需要もはるかに低い。そして、感染はピークをもう越えようとしていることになる。モデルに用いる変数や仮定、そして用いるデータ(その多くは不完全なもの)によって全く異なる結果が出るのは数理モデルの宿命である。どちらが妥当であるのかは実証しなければならない。
現在の感染状況を把握するためにも、そして、この理論を確認するためにも、英国は早急に大規模な抗体検査を実施する。先日の検査に関する議論後に、英政府は既に350万の検査キットを確保し、さらに増やしていく予定である。検証後にはアマゾンや大手薬局で自宅検査キットとして販売されるようになるという。米国も既に大規模抗体検査を実施する予定だと聞く。抗体検査はまさにゲームチェンジャーだ。日本も大規模サンプルの抗体調査を早急に実施すべきだ。感染状況を把握できなければ、今何をすべきか、そして、どの介入が効果があったのかを知ることはできない。日本は積極的疫学調査を中心としたクラスター対策と水際対策を軸に蔓延を防ごうとしている。しかし。クラスター対策が有効なのは流行早期であり、ある程度国内で流行してしまったら様々なルートで感染は拡大し、その効果は限られてしまう。また、国内感染が広がってからの水際対策にはほとんど効果はない。
日本では、3月中旬からの自粛解禁ムードから一転して、3月24日には五輪延期が決定。その直後、東京をはじめとした大都市における感染者数の急増に伴い、3月26日には小池都知事が「感染爆発の重大局面」、専門家会議は「蔓延の恐れが多い」と、いよいよ日本でも感染フェーズが変わったことが示された。英国のここ2週間の出来事は、今回のコロナウイルスの恐ろしさと迅速かつ大胆な対応の必要性を十分に伝えている。日本も今こそ対応を急ぐ時だ。
英国の強みは「変わり身の早さ」と「科学的な施策」
オピニオン 2020年3月27日 (金)配信渋谷健司(英国キングス・カレッジ・ロンドン教授)
イタリアをはじめ欧州での急速な蔓延を尻目に、3月上旬までの英国の新型コロナウイルス対策は対岸の火事を見るかのごとくのんびりしたものであった。報告感染者数も少なく、首席科学顧問のもとに集まった精鋭の科学者たちによる対応シナリオは完璧のはずだった。死者が10人になった3月12日(木)のボリス・ジョンソン首相の記者会見では、リスクの少ない若者らに自然感染を緩やかに広げていく戦略が披露され、科学的分析に基づき学校閉鎖や大規模イベントの中止はしないと宣言した。
しかし、その週末に急遽発表されたインペリアル・カレッジの数理モデルによる分析は大きな衝撃を与えた。政府の方針のままでは、約25万人が死亡し、NHS(英国国民保健サービス)の受け入れ可能な患者数の最大8倍の患者が殺到する可能性を示した。週明けの3月16日(月)、ジョンソン首相は早々に大幅な方針転換を打ち出した。そして、症状のある人は自宅待機、高齢者の外出自粛、イベント中止、学校閉鎖が立て続けに打ち出されると、街から一気に人が消えた。
方針転換後の英国はまさにスクランブル体制で、国家を挙げて次々に大胆な政策を打ち出している。 首相をはじめ各閣僚は首相官邸で毎日記者会見を開いている。ランセット誌のリチャード・ホートン編集長は、「8週間もの時間を無駄にした」と嘆いたが、これまでの遅れを取り戻すべく、急ピッチで医療体制の確保や大規模な経済支援策を打ち出す。検査の拡充、オンライン・電話診療の徹底、酸素供給・ベッド・集中治療の確保、旧オリンピック会場を野戦病院に改装、医学生や退職医師のリクルートや専門性に関係なく呼吸管理のトレーニングも行われている。プライマリ・ケアにおいてはDNR(do not resuscitate)やACP(advanced care planning)の確認も進められている。
そして、翌週の3月23日(月)午後8時30分、ついにジョンソン首相は全国民に向かってロックダウン(都市封鎖)を宣言した。変わり身の早さと、次々に科学的な施策を打ち出せるところは英国の強みであろう。筆者もいくつかの委員会に呼ばれたが、国民も医療者も危機感を共有し、この荒波を乗り越えるべく知恵を出し合っている。先週末の英国保健省との検査戦略電話会議では、PCR検査拡大に加えて、抗体検査キットによる在宅検査や大規模調査による感染の把握のためのプロセスを議論した。日本では「検査が感染を広げる」「医療崩壊につながる」、さらには、専門家会議のメンバーは「検査数を抑えていることで感染が防げている」と発言しているが、国際的な論調は全く逆である。
その議論を後押しするような数理モデル研究が、今週3月25日(水)にオックスフォード大学から発表され、今大きな波紋を投げかけている。その研究によると英国では今年1月から既にウイルスが広がっており、今では人口の約半数が新型コロナウイルスに感染しているという驚きの結果が示されている。これはインペリアル・カレッジの数理モデルと正反対の結果を示し、英国の当初の緩やかな集団感染を目指す戦略を後押しするものであった。オックスフォード大学の分析が正しいとすれば、ほとんどの患者は軽症か全く症状がなく、医療需要もはるかに低い。そして、感染はピークをもう越えようとしていることになる。モデルに用いる変数や仮定、そして用いるデータ(その多くは不完全なもの)によって全く異なる結果が出るのは数理モデルの宿命である。どちらが妥当であるのかは実証しなければならない。
現在の感染状況を把握するためにも、そして、この理論を確認するためにも、英国は早急に大規模な抗体検査を実施する。先日の検査に関する議論後に、英政府は既に350万の検査キットを確保し、さらに増やしていく予定である。検証後にはアマゾンや大手薬局で自宅検査キットとして販売されるようになるという。米国も既に大規模抗体検査を実施する予定だと聞く。抗体検査はまさにゲームチェンジャーだ。日本も大規模サンプルの抗体調査を早急に実施すべきだ。感染状況を把握できなければ、今何をすべきか、そして、どの介入が効果があったのかを知ることはできない。日本は積極的疫学調査を中心としたクラスター対策と水際対策を軸に蔓延を防ごうとしている。しかし。クラスター対策が有効なのは流行早期であり、ある程度国内で流行してしまったら様々なルートで感染は拡大し、その効果は限られてしまう。また、国内感染が広がってからの水際対策にはほとんど効果はない。
日本では、3月中旬からの自粛解禁ムードから一転して、3月24日には五輪延期が決定。その直後、東京をはじめとした大都市における感染者数の急増に伴い、3月26日には小池都知事が「感染爆発の重大局面」、専門家会議は「蔓延の恐れが多い」と、いよいよ日本でも感染フェーズが変わったことが示された。英国のここ2週間の出来事は、今回のコロナウイルスの恐ろしさと迅速かつ大胆な対応の必要性を十分に伝えている。日本も今こそ対応を急ぐ時だ。