今、出雲市役所は大変。出雲保健所も、大変。
病院も大変。
この間、ナースのお父さんのお話が聞けた。娘ナースは、ある大きな病院のナース。コロナ重症者が入院できる病院。お産をして、10カ月になるけど、現場復帰した。
今は、コロナ看護についてないが、いずれ、着くことになる、コロナ軽症者看護師のメンバーになっているから、とのこと。聞いてびっくりした、産後まだ1年も経たないし、家に乳児がいる。
まだ、深夜勤務はついてない、子どもは職場の保育所に預けている。
それにしても、乳児をかかえて、まもないナースを、コロナ看護メンバーに入れるなんてやはり、そんなに、緊迫しているんだなと、実感する。
ヤングママ、初めての育児、それなのに、容赦なく、コロナ看護のチームメンバー? 核家族で頑張っている。
びっくりだ~
77歳の昔ナースは、言葉なし。
ほんとにお疲れ様。
ナースたちは「私たちは、業務でやっている(コロナ看護を)だけなんです。」とおっしゃっています。
もし私が現役のナースだったら、「仕事ですから」というと思う。
そんなナースさん達に、足を向けて寝られないと、病気をされた医師の方が言っておられました。日頃は仕事メンバーで、当たり前に感じてきた看護を、ありがたいと思って下さった。病気をして初めてわかる、看護師のありがたさかな。
ナースたちの、社会的地位は外国に比べて低く、ベースの賃金も、年齢がいくほどに事務職より低くなり、部長クラスで退職して、同病院の同年代の事務長と比べて、年金がえらく低く、驚いたという看護の同級生がいた。
私は、若い頃、体質的に、夜勤ができなかった。眠気を押さえることができなかった、ミスをしてはいけないので、ナースは止め、日勤だけの看護職、保健師になった。
40代で、またナースになって、2交代勤務をしたけれど、心臓症状、息切れ、動悸が出たので、退職し、事業所巡回の保健師になった。
夜勤平気な看護師もいたけど、40代になると、誰も、限界を感じ、日勤だけの臨時ナースに変わる人もいたし、早期退職で、病院からクリニックに変わったりした。子ができると、外来勤務を希望した。今は職場保育所も充実して、夜勤もしやすくなったかもしれないけど、子どもの病気で休まざる得ない状況のなかで、やっぱり、退職者や、パートになる人もいる。勿論、収入は減るけれど、家計的に、収入0では、やっていけないから。