昨日はウォーキングを休みました。
昨日聴いたのはマーラーの「リュッケルトの詩による歌曲集」。
高校時代にレコードで買った演奏で、
ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウが歌っている。
オーケストラはベルリン・フィルハーモニー。
指揮はカール・ベームである。
この演奏は気に入っているものである。
「真夜中に(Um Mitternacht)」は、
その中でも好きな曲である。
高校時代の多感な時期、
孤独感に襲われたり、将来のことが不安に感じたり、
そんなときに聴いたのがマーラーの歌曲であった。
曲も孤独や虚無・絶望を感じさせる雰囲気で始まるが、
最後は神への強い信仰と信頼で終わるところが、
何か救いになっていて、いいのである。
かと思うと「私はこの世に忘れられ
(Ich bin der Welt abhanden gekommen)」のような
厭世的な世界も気に入っていたところもあった。
音楽は心のカタルシス。
実際に厭世的な気分になった時も、
そんな厭世的な曲を聴くと、
それ以上厭世的な気持ちにならないところがいい。
音楽が存在する意味はそこにあるんだなあと
つくづく感じてしまうのである。
昨日聴いたのはマーラーの「リュッケルトの詩による歌曲集」。
高校時代にレコードで買った演奏で、
ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウが歌っている。
オーケストラはベルリン・フィルハーモニー。
指揮はカール・ベームである。
この演奏は気に入っているものである。
「真夜中に(Um Mitternacht)」は、
その中でも好きな曲である。
高校時代の多感な時期、
孤独感に襲われたり、将来のことが不安に感じたり、
そんなときに聴いたのがマーラーの歌曲であった。
曲も孤独や虚無・絶望を感じさせる雰囲気で始まるが、
最後は神への強い信仰と信頼で終わるところが、
何か救いになっていて、いいのである。
かと思うと「私はこの世に忘れられ
(Ich bin der Welt abhanden gekommen)」のような
厭世的な世界も気に入っていたところもあった。
音楽は心のカタルシス。
実際に厭世的な気分になった時も、
そんな厭世的な曲を聴くと、
それ以上厭世的な気持ちにならないところがいい。
音楽が存在する意味はそこにあるんだなあと
つくづく感じてしまうのである。