昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
昨日聴いたのはフォーレの「レクイエム」。
今回からはフランスの声楽曲・合唱曲をとりあげる。
1877年から作曲された「レクイエム」が現在の形になるのは、
かなりの年数がかかっているのだが、
それだけ、彼がレクイエムにかけた情熱は、
尋常ではなく、何度も書き直しをしているようである。
従来のレクイエムの形式とは違い、「怒りの日」がなく、
「リベラ・メ」と「楽園にて」が入っているのが、
彼独特のスタイルであり、だからこそ平穏な曲となっている。
高校時代にこの曲を知ったのは、
同じく音楽好きの友人からこんな曲があるという情報を
手に入れて、レコードを探したことに始まる。
当時はジャン・フルネが指揮するレコードを買った。
今回はCDで以前発売されたフルネ盤を久しぶりに聴いた。
フォーレの信仰への純粋な気持ちが伝わってくるようで、
曲の美しさとともに、死への恐れではなく、
死を迎えた者の、やすらかな境地を伝えるような曲である。
聴いていて随処にフランス音楽らしい音づくりがみられる。
「サンクトゥス」のような曲をどうして生み出せたのか、
不思議に思うとともに、すばらしい曲だと思う。
死は恐れるものではなく、受け入れるものということだろうか。
まあ、拒むことはできないものだから、
そう考えた方が幸せなのかもしれない。
なお、前回までの声楽曲・合唱曲の
ドイツ・オーストリア編に関するCD等の情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/vocal-music-cd-shoukai.html
を参考にしていただければ幸いです。
昨日聴いたのはフォーレの「レクイエム」。
今回からはフランスの声楽曲・合唱曲をとりあげる。
1877年から作曲された「レクイエム」が現在の形になるのは、
かなりの年数がかかっているのだが、
それだけ、彼がレクイエムにかけた情熱は、
尋常ではなく、何度も書き直しをしているようである。
従来のレクイエムの形式とは違い、「怒りの日」がなく、
「リベラ・メ」と「楽園にて」が入っているのが、
彼独特のスタイルであり、だからこそ平穏な曲となっている。
高校時代にこの曲を知ったのは、
同じく音楽好きの友人からこんな曲があるという情報を
手に入れて、レコードを探したことに始まる。
当時はジャン・フルネが指揮するレコードを買った。
今回はCDで以前発売されたフルネ盤を久しぶりに聴いた。
フォーレの信仰への純粋な気持ちが伝わってくるようで、
曲の美しさとともに、死への恐れではなく、
死を迎えた者の、やすらかな境地を伝えるような曲である。
聴いていて随処にフランス音楽らしい音づくりがみられる。
「サンクトゥス」のような曲をどうして生み出せたのか、
不思議に思うとともに、すばらしい曲だと思う。
死は恐れるものではなく、受け入れるものということだろうか。
まあ、拒むことはできないものだから、
そう考えた方が幸せなのかもしれない。
なお、前回までの声楽曲・合唱曲の
ドイツ・オーストリア編に関するCD等の情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/vocal-music-cd-shoukai.html
を参考にしていただければ幸いです。