一昨日はウォーキングを休みましたが、
昨日は鶴ヶ峰から二俣川まで歩きました。
途中聴いたのは、1928年生まれのスヴェトラーノフの作品。
指揮者として有名な彼は作曲家でもあり、
いくつか自作自演による録音を残している。
「前奏曲集(6つの交響的映像)」は1966年に作曲年代された。
聴いたCDはエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、
ソヴィエト国立交響楽団の演奏によるもの。
第1曲アンダンテは、弦楽器によりさざ波のように
奏する音型の上に木管楽器が絡んでいき、
金管楽器も加わり、いったん盛り上がりをみせ、
そのあとは幻想的な音楽となり、オーボエが入る。
そしてホルンが響き、平和な感じで最後終わる。
第2曲ラルゴは、オーボエが民謡風の旋律を奏でていく。
それをフルートが引き継ぎ、やがて弦楽器全体で奏し、
金管楽器も加わり、盛り上がりをみせて壮大な感じになる。
いったん静まったあと、再び木管楽器が主題を奏で、
ホルンや低弦がそれを引き継ぎ、最後はおだやかに終わる。
第3曲ヴィーヴォは、軽快で荒々しい旋律で始まる。
舞踏的な旋律が金管楽器と木管楽器が奏される。
中間部は弦楽器で叙情的な旋律が奏でられ、
再び冒頭の荒々しい旋律が現われて終わる。
第4曲レントは、オーボエによる歌うような旋律で始まり、
それはクラリネット・フルートなど木管楽器に受け継がれていく。
その叙情的な旋律が奏でられる一方で、
「怒りの日」の聖歌の旋律が顔を出す。
第5曲アダージョ・レシタンドは、
重々しい感じの悲愴的な雰囲気の曲である。
金管楽器も加わり、徐々に盛り上がりをみせる。
そのクライマックスが過ぎると最後穏やかに終わる。
第6曲ヴィーヴォは、木管楽器により民謡風の旋律が奏でられ、
軽快なテンポで展開されるリズミックな音楽である。
途中ストラヴィンスキーのペトルーシュカの音楽の一部が現われる。
そのあとは再び主題が奏され、別の旋律と絡みながら展開していく。
「怒りの日」の聖歌を思わせるような音型も顔を出しながら、
そのあとは回想的な感じの音楽となり、最後静かに終わる。
昨日は鶴ヶ峰から二俣川まで歩きました。
途中聴いたのは、1928年生まれのスヴェトラーノフの作品。
指揮者として有名な彼は作曲家でもあり、
いくつか自作自演による録音を残している。
「前奏曲集(6つの交響的映像)」は1966年に作曲年代された。
聴いたCDはエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、
ソヴィエト国立交響楽団の演奏によるもの。
第1曲アンダンテは、弦楽器によりさざ波のように
奏する音型の上に木管楽器が絡んでいき、
金管楽器も加わり、いったん盛り上がりをみせ、
そのあとは幻想的な音楽となり、オーボエが入る。
そしてホルンが響き、平和な感じで最後終わる。
第2曲ラルゴは、オーボエが民謡風の旋律を奏でていく。
それをフルートが引き継ぎ、やがて弦楽器全体で奏し、
金管楽器も加わり、盛り上がりをみせて壮大な感じになる。
いったん静まったあと、再び木管楽器が主題を奏で、
ホルンや低弦がそれを引き継ぎ、最後はおだやかに終わる。
第3曲ヴィーヴォは、軽快で荒々しい旋律で始まる。
舞踏的な旋律が金管楽器と木管楽器が奏される。
中間部は弦楽器で叙情的な旋律が奏でられ、
再び冒頭の荒々しい旋律が現われて終わる。
第4曲レントは、オーボエによる歌うような旋律で始まり、
それはクラリネット・フルートなど木管楽器に受け継がれていく。
その叙情的な旋律が奏でられる一方で、
「怒りの日」の聖歌の旋律が顔を出す。
第5曲アダージョ・レシタンドは、
重々しい感じの悲愴的な雰囲気の曲である。
金管楽器も加わり、徐々に盛り上がりをみせる。
そのクライマックスが過ぎると最後穏やかに終わる。
第6曲ヴィーヴォは、木管楽器により民謡風の旋律が奏でられ、
軽快なテンポで展開されるリズミックな音楽である。
途中ストラヴィンスキーのペトルーシュカの音楽の一部が現われる。
そのあとは再び主題が奏され、別の旋律と絡みながら展開していく。
「怒りの日」の聖歌を思わせるような音型も顔を出しながら、
そのあとは回想的な感じの音楽となり、最後静かに終わる。