大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

チクホウフォーカス 2014 9月4日、5日開催

2014年08月28日 08時28分09秒 | 日記

 地方の映画祭開催が盛んです。

大牟田と同じ炭都「筑豊」を掲げた新しい映画祭「チクホウフォーカス」が9月生まれます。

ただし、会場は地元ではなく福岡市中央区赤坂の福岡市立中央市民センターです。(下:2014年8月27日西日本新聞・塚崎謙太郎「『映画祭』筑豊発信 チクホウフォーカス2014」より)

何故カタカナ「チクホウ」?なぜ福岡市でデビュー? 福岡市が毎年9月に開催している「アジアフォーカス」の<向うを張るように>と形容されていますが、、。趣旨は?<福岡がアジアを発信するように、映画でチクホウを発信したい>とありますので、、。

 グローバル化に飲み込まれた消費文化映画界の中にあって、アジアフォーカスの上映作品は作品の発見自体がドラマです。それだけ時間、人ネット、熱意、と経費がかかってます。上映当日も監督や出演者との対談、通訳、ボランティアスタッフとたいへんな体制です。(観客にもわかります)福岡市はお金持ちです。(が又、お金に見合う実入りも要求されるでしょう?)

 向うを張る必要はないと思います。厳しい生産現場から生み出された炭都文化の一つとして映画を掘り起し地域・「チクホウ」を再発現、発信してほしいです。お金のかからない方法で、長く続くことを期待します。山本作兵衛さんのように、仕事や生活現場を刻み込み、表現した映画を大事にしてほしいです。


福岡を舞台に~映画製作進む

2014年08月27日 09時13分49秒 | 日記

ご当地ソングが流行っています。ご当地映画はどうでしょうか? 

 先ごろ、<糸島>を舞台に自主製作映画「Sea of Love~糸島に魅せられて」の上映会が開催されました。NPO法人「博多映画道場」のプロデュースで福岡県内を舞台にした映画の3作目だったそうです。

 そして今、<能古島>を舞台にした映画・「なつやすみの巨匠」が製作されています。7月の現地ロケに続いて、9月より能古島を中心に福岡市内各地で撮影がされるそうです。この映画は福岡市出身の入江信吾さんが製作・脚本を手がけ、主役のシュンちゃんを務める野上君など主要子役が福岡、長崎出身です。(下:2014年8月17日西日本新聞「世松撮影 子役『頑張る』より)もう一つ、ジャッキー・チェンさんがプロデュースするアクション映画も福岡でロケがされるそうです。来年の予定ですが、福岡市で活動するアイドルグループ出演や博多祇園山笠や筥崎宮の玉取祭(玉せせり)なども取り上げられるそうです。(下:2014年8月18日西日本新聞「来年、県内で映画ロケ」より)

*「寅さん」シリーズのような楽しいご当地映画の誕生を期待してます。大牟田にも映画になる景観が沢山ありますし、大牟田を舞台にした小説も生まれてますが、。入江さんいかがでしょうか?

 


大牟田市石炭産業科学館~8月31日まで夏の企画展

2014年08月26日 09時18分07秒 | 日記

やっと雨が上がった!と思ってたら、また土砂降り、、、。

もう夏休みが終わってしまいます。天気に振り回された方~

大牟田市石炭産業科学館の夏の企画「変わりゆく鉄道の旅」展は8月31日までです。(下:チラシより)

 *石炭と鉄道はどんな関係があるの?石炭を運んだ鉄道、石炭で走った鉄道、仕事をした方々の思いは?電気機関車になって~石炭はどこに行ったの?列車の旅の楽しみ~駅弁とお茶(飲み物)大牟田にもある名産駅弁知ってる?記念切符持ってる?沢山の??をしてみましょう。

 

 


シベリア抑留犠牲者追悼の集い開催 23日千鳥ヶ淵戦没者墓苑

2014年08月25日 12時00分14秒 | 日記

 第2次大戦後、中国東北部から旧ソ連に連行され、死亡した人を悼む「第12回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」が、23日、東京・千鳥ヶ淵戦没者苑で行われました。政府の推計によるとシベリアとモンゴルに約57万人が抑留され、強制労働などで5万5千人が死亡されたそうです。祖父をシベリアで亡くした長崎・諫早の圍さんは集いに参加して、「シベリア抑留は学校で習わない。祖父と同じ境遇だった方の話が聞けてよかった」と話されています。追悼のつどいは、旧ソ連の指導者スターリンが抑留指導を出した1945年8月23日に合わせて開催されているそうです。(下:2014年8月24日朝日新聞・神屋由紀子<戦後70年へ>欄「シベリア抑留継承を」より)


対馬丸の悲劇70年 不戦の誓い新たに

2014年08月25日 10時52分28秒 | 日記

 1944年8月22日、学童疎開船・対馬丸が米潜水艦間の魚雷攻撃で撃沈され、約1800人の乗船者のうち~氏名が分かっているだけで子供780人を含む1500人近くの方が亡くなられました。

 それから70年を迎えた今年8月22日、沖縄・那覇市の慰霊碑「小桜の塔」では、慰霊祭が行われ、生存者や遺族が犠牲者を追悼、平和の象徴とされる蝶のオオゴマダラを放し、不戦の誓いを新たにされたました。(下:2014年8月23日西日本新聞「対馬丸撃沈70年 不戦の誓い新たに」より)対馬丸記念館理事長の高良正勝さんは「年々、遺族、生存者、語り部が少なくなっている。記念館の充実に一層努力したい」と追悼の言葉を述べられました。(2014年8月23日朝日新聞・岩田正洋/木村司「対馬丸 悲劇語り継ぐ」より)

 6月下旬には、天皇、皇后両陛下が「小桜の塔」に供花され、沖縄・対馬丸記念館を初めて訪問されています。記念館に展示されている遺影や遺品等について高良理事長に説明を受けられ、疎開船についていた護衛艦について質問されました。「護衛艦は救助に向かわなかったのですか」と重ねて問われました。続いて両陛下は遺族、生存者の15人と懇談され、「奇跡のように生き残ってくださって。亡くなった方のことを伝えてくれて本当にありがとう」と言葉をかけられています。(2014年7月20日号サンデー毎日P16~18「護衛艦は救助に向かわなかったのですか」より)

 戦後70年の節目にあたって、各メディアの特集が組まれています。全然知らなかったことが多いのに驚きです。戦前生まれ、どさくさ紛れ生まれで後期高齢者の部類に入りつつある年齢でも、当時は0~10歳前後。戦争の惨劇を知ってるようで知リません。身近に語る人も少なく、今になってやっと聞けた話も多いようです。