*紹介作品「アッシーヂの寺 原精一画」について画集に同じ構図の作品があり、描かれた年代などの推測ができましたので、ブログ原稿をリメイクして投稿します。本ブログは当方の資料としての存在ですので随時判明したことは追記されていますのでご了解ください。
**追記以外は以前に投稿された内容と同じです。
最近、お気に入りのマスクです。解りにくいですが上の文様は蝶です。家内が作ってくれたもので、不要になったハンカチで作っています。
さて絵画については日本画の作品の多い本ブログでの投稿記事ですが、時には洋画を紹介したいと思っています。そこで本日は高いデッサン力で、裸婦画や人物画を数多く描いた画家「原精一」の作品の紹介です。本日は人物画ではなく風景画の作品です。
アッシーヂの寺 原精一画
油彩額装 誂タトウ+黄袋
画サイズ:縦227*横158 未測定
アッシージとは下記の場所のようです。
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アッシ―ヂ:アッシジ イタリア共和国ウンブリア州ペルージャ県にある都市。 フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。
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フランチェスコの名を冠した聖堂やフランシスコ会関連施設は「アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群」として世界遺産に登録されているそうです。
改めてまして原精一の画歴は下記の通りです。
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原精一:1908年に生まれた昭和期に活躍した洋画家。原精一は高いデッサン力で裸婦画や人物画を多く描き、独特のタッチに繊細な写実力が特徴。
画家を志した原精一は万鉄五郎に師事し、高い絵画技術とその精神を、その後の作品に活かしています。また、戦中画家で2度の招集を受け、戦場をさまよっていた記録があります。しかし、そんな状況の中スケッチを描き続け、その数は数百枚に及び、個展が開かれる程の高いクオリティを保っています。
そんな原精一は師事していた鉄五郎の唯一の弟子と言って良いほど個性的な画家でした。通常、師事する画家の影響を受けることが一般的なのですが、原精一の場合、作風はまったく別です。鉄五郎の特徴あるフォ–ビスム、キュビスムとした作風とは違い、独特な油彩独特のタッチを写実的に描く原精一はこの師弟関係を精神的なつながりと表現しています。
強い精神力を宿した原精一は“書く”という作業に取り憑かれ、時間さえあれば作品を作っていました。原精一の作品の代表作は「裸婦」ですが、憂いのあるような顔つきの女性が果敢なげに遠くを見つめている姿が特徴的で、暖色系を基本とした色彩のバランスや、明るい光りの使い方などで爽やかな印象すらも受けます。ガッチリとした骨太なラインで描かれる女性の姿も独特でインパクトを与えます。まさに、たおやかな人柄ながら芯の通った原精一の人間性を表していると言えるでしょう。
戦後、帰国した原精一は画家として大きく評価を得ていきます。1948年には図画会に会員として迎えられ、1964年まで在籍しています。その期間も同展に自らの作品も出品しています。
フランスをはじめとするヨーロッパにも渡り、生涯自らの芸術の真髄を追求していきます。デッサンを通じ、全ての対象物の核となる真実を見出してきた原精一の作品と生き様に、未だなお多くの人々が憧れ、尊敬している画家でしょう。
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本作品は黄袋とタトウを誂えるために市内の額縁店に預けてあるのですが、この度のコロナウイルスの影響で作品が返ってきません。この投稿予定日まで返却されていないので展示室での撮影写真はまだありませんので、ご了解ください。
「フランスをはじめとするヨーロッパにも渡り、生涯自らの芸術の真髄を追求していきます。」という記事にあるようにイタリアに渡航した際に描いた作品と推定されます。
原精一が得意とする裸婦の作品ではなく、この風景画に強く惹かれるものを感じたのは力強い筆致です。小さな作品ですので飾る場所が限定されるでしょうから、その空間に合うのには裸婦よりも風景画だろうという理由もありました。
本ブログでは原精一の作品では下記の作品を紹介しています。
婦人像 原精一筆
紙本水彩額装
画サイズ:縦370*横270
この作品には「於南京 昭和十五年(1940年)一月二十日」と記されてあり、最初の中国大陸への従軍し、1941年に召集を解かれる直前の南京に従軍していた時のスケッチではないかと推察されます。
洋画にはあまり縁のない当方の蒐集ですが、飾っての愉しむのには日本画も洋画も特にこだわってはいません。
追記
同構図の作品として原精一展出品作が判明しました。
1977年に鎌倉近代美術館において行われた展覧会の図録で主催は神奈川県立美術館と読売新聞社のようです。
この作品は1958年作であり、大きさでは本作品(画サイズ:縦728*横606)よりずっと大きな作品のようです。
徐々にいろんなことが解りますが、贋作と判明するときや意外に筋の良い作品となる時と五分五分ですね。
**追記以外は以前に投稿された内容と同じです。
最近、お気に入りのマスクです。解りにくいですが上の文様は蝶です。家内が作ってくれたもので、不要になったハンカチで作っています。
さて絵画については日本画の作品の多い本ブログでの投稿記事ですが、時には洋画を紹介したいと思っています。そこで本日は高いデッサン力で、裸婦画や人物画を数多く描いた画家「原精一」の作品の紹介です。本日は人物画ではなく風景画の作品です。
アッシーヂの寺 原精一画
油彩額装 誂タトウ+黄袋
画サイズ:縦227*横158 未測定
アッシージとは下記の場所のようです。
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アッシ―ヂ:アッシジ イタリア共和国ウンブリア州ペルージャ県にある都市。 フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。
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フランチェスコの名を冠した聖堂やフランシスコ会関連施設は「アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群」として世界遺産に登録されているそうです。
改めてまして原精一の画歴は下記の通りです。
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原精一:1908年に生まれた昭和期に活躍した洋画家。原精一は高いデッサン力で裸婦画や人物画を多く描き、独特のタッチに繊細な写実力が特徴。
画家を志した原精一は万鉄五郎に師事し、高い絵画技術とその精神を、その後の作品に活かしています。また、戦中画家で2度の招集を受け、戦場をさまよっていた記録があります。しかし、そんな状況の中スケッチを描き続け、その数は数百枚に及び、個展が開かれる程の高いクオリティを保っています。
そんな原精一は師事していた鉄五郎の唯一の弟子と言って良いほど個性的な画家でした。通常、師事する画家の影響を受けることが一般的なのですが、原精一の場合、作風はまったく別です。鉄五郎の特徴あるフォ–ビスム、キュビスムとした作風とは違い、独特な油彩独特のタッチを写実的に描く原精一はこの師弟関係を精神的なつながりと表現しています。
強い精神力を宿した原精一は“書く”という作業に取り憑かれ、時間さえあれば作品を作っていました。原精一の作品の代表作は「裸婦」ですが、憂いのあるような顔つきの女性が果敢なげに遠くを見つめている姿が特徴的で、暖色系を基本とした色彩のバランスや、明るい光りの使い方などで爽やかな印象すらも受けます。ガッチリとした骨太なラインで描かれる女性の姿も独特でインパクトを与えます。まさに、たおやかな人柄ながら芯の通った原精一の人間性を表していると言えるでしょう。
戦後、帰国した原精一は画家として大きく評価を得ていきます。1948年には図画会に会員として迎えられ、1964年まで在籍しています。その期間も同展に自らの作品も出品しています。
フランスをはじめとするヨーロッパにも渡り、生涯自らの芸術の真髄を追求していきます。デッサンを通じ、全ての対象物の核となる真実を見出してきた原精一の作品と生き様に、未だなお多くの人々が憧れ、尊敬している画家でしょう。
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本作品は黄袋とタトウを誂えるために市内の額縁店に預けてあるのですが、この度のコロナウイルスの影響で作品が返ってきません。この投稿予定日まで返却されていないので展示室での撮影写真はまだありませんので、ご了解ください。
「フランスをはじめとするヨーロッパにも渡り、生涯自らの芸術の真髄を追求していきます。」という記事にあるようにイタリアに渡航した際に描いた作品と推定されます。
原精一が得意とする裸婦の作品ではなく、この風景画に強く惹かれるものを感じたのは力強い筆致です。小さな作品ですので飾る場所が限定されるでしょうから、その空間に合うのには裸婦よりも風景画だろうという理由もありました。
本ブログでは原精一の作品では下記の作品を紹介しています。
婦人像 原精一筆
紙本水彩額装
画サイズ:縦370*横270
この作品には「於南京 昭和十五年(1940年)一月二十日」と記されてあり、最初の中国大陸への従軍し、1941年に召集を解かれる直前の南京に従軍していた時のスケッチではないかと推察されます。
洋画にはあまり縁のない当方の蒐集ですが、飾っての愉しむのには日本画も洋画も特にこだわってはいません。
追記
同構図の作品として原精一展出品作が判明しました。
1977年に鎌倉近代美術館において行われた展覧会の図録で主催は神奈川県立美術館と読売新聞社のようです。
この作品は1958年作であり、大きさでは本作品(画サイズ:縦728*横606)よりずっと大きな作品のようです。
徐々にいろんなことが解りますが、贋作と判明するときや意外に筋の良い作品となる時と五分五分ですね。