夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

源内焼その8 三彩天橋立長方皿  

2011-02-08 06:02:21 | 陶磁器
源内焼その8 三彩天橋立長方皿  
 長さ233*奥行き128*高さ27

源内焼も早くも8作目になりました。
その1その2その3その4その5その6その7・・・。
9作目もアップ予定です。そこで打ち止め・・・かな(笑)

本作品と同じ作品が五島美術館の「源内焼」という展覧会を開催した時に作成された刊行本に掲載されています。(作品番号24)




縁に文様がなく、歌が陽刻されているなど源内焼には珍しいもののひとつです。「波たてる 松のしづ枝を くもてにて かすみわたれる 天の橋立(源俊頼)」と歌が添えられています。 





10枚組とかで使用された皿かどうかは不明です。保存箱等が存在すれがその辺が明らかになると思います。基本的には源内焼は観賞用に製作されたものと文献には記載されていますが、茶托なようなものも存在し、実用的な器として製作されたものも多く存在するのではないかと考えています。

しかし、いつもながら汚れがひどいのには閉口します。


洗浄前





洗浄後:汚れを落としたあとの写真を掲載しました。源内焼は柔らかい焼き物(軟陶)なので洗浄には気を使います。








それほど大きくない皿ですが、陽刻されたデザインは素晴らしく、鑑賞するものを飽させないものをもっています。





当時の画の主流であった南画の影響が色濃く窺える作品です。





源 俊頼(みなもと の としより):天喜3年(1055年) - 大治4年1月1日(1129年1月29日))は、平安時代後期の官人・歌人。宇多源氏。大納言・源経信の三男。

官位は従四位上・木工頭。10歳代より一時期修理大夫・橘俊綱の猶子となる。篳篥に優れ、はじめ堀河天皇近習の楽人として活動し、承暦2年(1078年)の『承暦内裏歌合』には楽人として参加している。

嘉保2年(1095年)に父・経信が大宰権帥に任ぜられたため、父ともに大宰府へ下向するが、承徳元年(1097年)経信の死去に伴い帰京する。

その後は、堀河院歌壇の中心人物として活躍し、多くの歌合に作者・判者として参加するとともに、『堀河院百首』を企画・推進した。

天治元年(1124年)、白河法皇の命により『金葉和歌集』を撰集。藤原基俊とともに当時の歌壇の中心的存在であった。歌風としては、革新的な歌を詠むことで知られた。『金葉和歌集』以下の勅撰和歌集に201首入集。『金葉和歌集』(35首)・『千載和歌集』(52首)では最多入集歌人となっている。右近衛少将・左京権大夫などを歴任し、長治2年(1105年)に従四位上・木工頭に叙任、天仁3年(1110年)越前介を兼任。天永2年(1111年)以後散位。


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3 コメント

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小さな器に (米吉)
2011-02-09 00:04:38
広がりのある豊かな世界!
然も俯瞰のように。
色合いも深みがあり、見れば見るほど
奥深いのでしょうね。
この器は機会があれば是非拝見致したく!
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お持ちいたします (夜噺骨董談義 )
2011-02-09 09:36:09
了解しました。
引越し完了後、お持ちいたします。
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Unknown (米吉)
2011-02-09 22:13:50
器の文字は、いったいどのようにして形にしているのか?に興味がありますし、また色味を目の当たりに見させていただきたく。
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