夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

明治期伊万里 倣?献上錦絵窓絵舟形大鉢

2020-07-13 00:01:00 | 陶磁器
最近読み直している本が下記の本です。高峰秀子氏の著書ですが、著名な女優であった高峰秀子氏が骨董に造詣が深く、骨董店の店主であったことは意外に知られていません。



何気ない(小粋な)作品を小粋に使う、そんなに高いお値段の作品ではないものをうまく使うことには長けていたようです。むろんこれぞという時にはさすがにお値段構いなしに購入したようですが・・。

本日の作品はそのように使いたい作品・・・??



明治期伊万里 倣?献上錦絵窓絵舟形大鉢
誂箱
最大幅331*奥行195*高さ57



江戸初期の揺籃期を経て幕府や諸藩の政治・経済の基盤が固まり、文化が発展した元禄時代(1688~1704)。それは経済力を蓄えた町人を中心とした奢侈逸楽の文化でもありました。贅を好む風潮の中で、伊万里焼にも絢爛豪華な様式、“古伊万里金襴手様式”が成立します。



染付の青い文様をベースに、赤・黄・緑・紫・黒に加え、金をたっぷりと使った華やかな古伊万里金襴手の鉢は「型物」と呼ばれ、高級食器として豪商たちの間で珍重されました。



17世紀後半以降、伊万里焼は重要な貿易品目でもありました。元禄頃には、ヨーロッパの王侯貴族の趣味を反映し、大型で華美な室内装飾用の瓶や壺が作られ、海を渡っていきました。このような作品が日本に里帰りしてきたりしており、コレクターの努力により栗田美術館などの美術館に多くが収納、展示されています。



元禄期の献上錦手の作品は数も少なく、古伊万里の中でも非常に高い人気を保っていますが、古伊万里の献上錦絵の作品は元禄の頃が最盛期であり、時代の下がった幕末、さらには明治期まで脈々と続き、絵が簡略化されて一般庶民にいきわたるようになりました。



残念ながら本作品は元禄期の作品ではなく、幕末頃から明治期にかけての作品と推察されますが、一応「献上錦手」としての売り先の言い分です。絵の出来から元禄期などの最盛期には程遠いというのが当方の見立てです。ただ献上錦手にしても、大聖寺焼にしても、一般の古伊万里にしても、これだけの大きさの舟形の鉢は珍しいかと思います。



近代になって阿蘭陀人を描いた有名な作品の献上手作品のコピー作品が出回っており、古伊万里作品はまったく油断のならない分野になってきました。藍九谷などの染付の古伊万里、色絵の柿右衛門手などのコピー作品は素人にはまったく判別できないそうです。中国からのコピー商品のようですが、骨董商向けに講習会が開催されたほど見分けが難しいようです。中国に日本人が依頼して作ったらしいという風評がありますが、真実は解りません。



時代云々よりも本作品を含めて古伊万里にはそのようなコピー商品の恐れがあるようです。当方も一度そのような作品(錦手)を若い頃に入手し、飲食店のオーナーに普段使いとして差し上げてことがありますが、本物と勘違いされて往生したことがあります



最終的には本作品は幕末から明治にかけてのに錦手の作品と判断していますので、気軽に洗面台の石鹸入れなどが妥当かな?



ネクタイピンや財布などの小物入れ、筆入れなどとして机に置くのもいいでしょう。入手値段もそのようなものです。

高峰秀子は当方の亡き母と同じ名前でで親近感が湧きますが、骨董に関しては中島誠之助の師のひとりでもあります。このことも知らない方が多いかもしれません。夫は松山善三、画家で親交があったのは藤田嗣治や梅原龍三郎・・・、ちょっと当方とはレベルが違うようで・・・・



ともかく何にでも使えそうな使い勝手のよい器のようです。



舳先の花はなんの花?



そう使うこともそうですが、見ているだけで楽しくなるのも良き作品の条件ですね。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。