夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

大黒図 松村景文筆

2012-12-04 05:16:38 | 掛け軸
人が生きるにあたって一番重要なことはきっと家族だと切実に思うことがあります。孤独なときほど世をはかなく思うときはないでしょう。時には人生は残酷なもので、好むと好まざるとにかかわらず、孤独という切符を突然渡されることがある。それなりの覚悟は必要であろうが受け入れれるには時間という薬が必要である。名誉や地位、金銭では買えないもののひとつが家族であろう。もしかしたら松村景文はそのことをきちんとわきまえていた画家からもしれません。

大黒図 伝松村景文筆
紙本水墨軸装 合箱入 
全体サイズ:横400*縦1108 画サイズ:横376*縦272



表具はなかなか・・・。




松村景文は弟子が窮乏により、贋作を製作することを黙認し、印章まで与えた記録があります。それゆえ亡くなった後も贋作が絶えなかったようです。

高弟の前川文嶺も墓参りに際して、贋作を製作していたことを謝罪した記録が残っています。それゆえ弟子達が師の贋作を互いに作らないことを確認し合った誓約書が残されることになったのでしょう。

市場には弟子によるとは思えない稚拙な贋作まで数多く存在しているが、出来のいい作品は一応は真作として認められているようです。ただ、価値としてはあまり高額にならないのは止む得ません。

貧乏に喘ぐ弟子への思いやりからの黙認・・、賛否両論があり、基本的には許されないことでしょうが、なにやらそんな画家がいてもよいではないかと思うことがあります。



実におおらかなで単純明快な作品を描く松村景文を伝える作品です。印章は合う、合わないは2次的な検証となる珍しい画家です。

ただ東京美術倶楽部の正札会でさらりと描いた席画のような椿の作品が20万円・・。

   

さすがに落款は体の悪い贋作はこのような流麗な字体にはなっているものは贋作には少ないようです。

以前に投稿した「宝巳図」のような色を使った作品はすぐに贋作の判断はつきますが、本作品のように墨一色の作品の真贋は難しいです。真贋合い半ばは贋作とするのが妥当な画家の一人ですが・・。

宝巳之図 松村景文筆絹本金泥淡彩絹装軸二重箱 
画サイズ:横292*縦242


松村景文:安永8年生まれ、天保14年没(1779年~1843年)、享年65歳。字は子藻、号は華渓。松村呉春の末弟。画法を兄に学んで、写生の花鳥画に長じている。四条派をさらに軽快に描写的に変化させたので、呉春の後に四条派は大いに栄えた。妙法院宮の近侍になっており、山水襖絵が京都の妙法院に残っている。


松村景文補足説明

日本画の一派「四条派」の祖「呉春(松村月渓)」の異母末弟にして弟子で、早くから呉春について学んだ。呉春(松村呉春は歳の離れた異母兄弟です)の画風を受けつぎながらそれを一層洗練させ、デッサン力をしっかりと堅持しつつ、筆致は軽く、余白を増やし、柔和で淡白な作風が特徴である。

・・・ん~、うまい表現とも思われますが、要は簡単に描けるようにしたということ。

より装飾的、耽美的になった景文の作品は、大衆層に床うつりが良い無難な掛物として非常な人気を得ることになった。景文の死後あまりに多くの贋作が世に出回ったため、これを憂いた有力な門人たちが互いに師の偽筆を作らないことを確認し合った誓約書が残されている程である。

また、呉春が日本的山水画に長じたのに対して、景文は日本的花鳥画の写生を得意にし、同門の岡本豊彦と対比されて「花鳥は景文、山水は豊彦」と呼ばれるようにまでなった。


参考作品

二見ノ浦 松村呉春筆絹本水墨淡彩金泥絹装軸二重箱 
画サイズ:横362*縦1018

この作品については新たに判明したこともあり、後日再撮影後、機会があれが再投稿したいと思います。


四条派が日本画壇の中で大きな位置を占めるようになったのも、同門の岡本豊彦とともに景文の力が大きかったと思われ、四条派は呉春を経て景文によって様式が確立したといわれる。反面、大画面は不向きな絵師で、景文は呉春の一部分しか受け継ぐことが出来なかった。

参考作品

武陵猟夫 岡本豊彦筆絹本金泥着色絹装軸二重箱 
画サイズ:横234*縦315

天保14年4月26日(1845年5月25日)に歿し、京都北山金福寺に呉春のそばに葬られた。はてさて、この兄弟は仲が良かったのか悪かったのか・・。

大黒図・・、目尻の下がったにこやかさ・・、円満という願いが込められた作品です。誰かに頼まれて描いた作品でしょう。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。