親戚の方が亡くなり、その娘さんが遺品にと言われて譲られたものの中に「備前茶碗 藤原啓作」がありました。縁があって一時期、預かっていたのですが、その品格のよさに惹かれて、いつか機会があれば藤原啓のお茶碗が欲しいなと思っていました。
インターネットオークションに幾つか出品されていましたが、今回落札して入手できました。お値段も以前より、だいぶお安くなったようです。本作品は小ぶりなせいもあるでしょうが・・。
備前緋襷茶碗 藤原啓作
共箱
口径108*高さ82*高台径57
藤原啓:岡山県伊里村に生まれ、岡山市で歿(1899~1983年)。少年の頃より文学を志し、1919年郷里を離れ上京。博文館編集部に勤めるかたわら早稲田大学英文科に入り、1年余りシェークスピアを学んだのち中退。川端洋画校にてデッサンを3年間勉強、また西岡八十に師事し詩の教えを受ける。1930年博文館を辞め独立して作家活動に入るが、強度の精神衰弱により1937年文学から離れ帰郷。陶芸に新たな希望を見出して、1939年三村梅景の指導の下初窯を焚く。陶芸の道に入ったのは40歳の時。備前焼の中興の租といわれる金重陶陽の志と技法を引きつぎながら彼とは対照的な素朴で実直な作風で多くの人々から親しまれた。桃山期の備前の研究を重ね鎌倉備前にあった素朴な逞しさを加味し、伝統的な備前焼に一石を投じた。1962年プラハ国際陶芸展で受賞。昭和45年に、備前焼の国指定重要無形文化財保持者に認定された。昭和51年、喜寿を迎えた藤原啓は備前市から名誉市民の称号をうける。
備前のお茶碗には違和感がありました。御存知のように釉薬が掛かっていないこともあり、熱伝導率が高いので熱いお湯を注ぐと、熱くてもてないので、お茶碗にはどうかな?と思っていました。
また備前は夏向きだろう・・とも。
でも薄茶の冷たいお茶には最適かもしれませんね。
まだ、このお茶碗ではお茶をいただいていませんので今夜にでも
小ぶりで女性向きの器です。
ところで備前焼にはどうして釉薬が掛かっていないか御存知ですか?
灰被りや緋襷、餅等の文様はありますが・・。
ん・・・専門的過ぎる?? 用語も??
はてさて・・明日からお休み・・どんな出会いがあるかな
インターネットオークションに幾つか出品されていましたが、今回落札して入手できました。お値段も以前より、だいぶお安くなったようです。本作品は小ぶりなせいもあるでしょうが・・。
備前緋襷茶碗 藤原啓作
共箱
口径108*高さ82*高台径57
藤原啓:岡山県伊里村に生まれ、岡山市で歿(1899~1983年)。少年の頃より文学を志し、1919年郷里を離れ上京。博文館編集部に勤めるかたわら早稲田大学英文科に入り、1年余りシェークスピアを学んだのち中退。川端洋画校にてデッサンを3年間勉強、また西岡八十に師事し詩の教えを受ける。1930年博文館を辞め独立して作家活動に入るが、強度の精神衰弱により1937年文学から離れ帰郷。陶芸に新たな希望を見出して、1939年三村梅景の指導の下初窯を焚く。陶芸の道に入ったのは40歳の時。備前焼の中興の租といわれる金重陶陽の志と技法を引きつぎながら彼とは対照的な素朴で実直な作風で多くの人々から親しまれた。桃山期の備前の研究を重ね鎌倉備前にあった素朴な逞しさを加味し、伝統的な備前焼に一石を投じた。1962年プラハ国際陶芸展で受賞。昭和45年に、備前焼の国指定重要無形文化財保持者に認定された。昭和51年、喜寿を迎えた藤原啓は備前市から名誉市民の称号をうける。
備前のお茶碗には違和感がありました。御存知のように釉薬が掛かっていないこともあり、熱伝導率が高いので熱いお湯を注ぐと、熱くてもてないので、お茶碗にはどうかな?と思っていました。
また備前は夏向きだろう・・とも。
でも薄茶の冷たいお茶には最適かもしれませんね。
まだ、このお茶碗ではお茶をいただいていませんので今夜にでも
小ぶりで女性向きの器です。
ところで備前焼にはどうして釉薬が掛かっていないか御存知ですか?
灰被りや緋襷、餅等の文様はありますが・・。
ん・・・専門的過ぎる?? 用語も??
はてさて・・明日からお休み・・どんな出会いがあるかな
安くなったとはいえゴマ垂れや、メロン肌に緋色の景色などの一級作品なら今でも百万は下らないでしょう。
啓さんは人間国宝ですが、小柄な啓さんの本当にすごいところは、啓さん本人の器の大きいところです。偉大な方です。それ以降の備前の人間国宝とは格が違います。啓さんのお茶碗を手にして啓さんの人物を偲んでみて下さい。啓さんの人となりが、見えてきます。
楽しんで使って下さい。
本当にネットで購入する時はかなりのリスクを負いながらの購入となりますね。
いろんな機会で本物を見た資料をもとに判断していますが失敗もあります。チャレンジして失敗した分、大きな勉強になります。
備前は藤原啓、藤原優、そして金重陶陽のものに限って収集しています。機会がありましたらまた投稿したいと思います。
収集を啓さん、雄さん、陶陽、に限定されている理由はどのようなところに?
私は地方を転勤して歩いたので、最初は骨董市で購入しましたが、骨董市では日常品を買うならいいでしょうが一流のものはなかなかありません。そこで県庁所在地の骨董店のトップのお店で購入しました。たいがいしっかりとしたご主人がいますので買ったお店で、また新たに買う時に前の購入作品を引き取ってもらいました。良心的なおお店なら80%で引き取ってもらえます。ですから20%の損です。他の店で売ってはいけません。それでも悪いものを買う時がありますが、そこは勉強です。それを繰り返して所蔵品のレベルを上げていいものを持つことです。売らないと資金に限界がありますのでいつまでも同じレベルものしかありませんし、いいものが解りません。
私は骨董では常に迷い道にいるようなものです。数が増えると処分するのも面倒になったり、あまりのガラクタさに自己嫌悪になり、仕事が忙しくなると放り出したり・・、結局は素人の趣味と割り切っています。