男の隠れ家から探し出してきて、自宅での初釜に使用した有田焼(伊万里焼)の器です。たいした器ではありませんが、本ブログに幾度か投稿されています。
伊万里 捻八角草花文錦手大小鉢 (大20客揃:小30客揃い)
房右衛門造 合箱入
大:20客(内4客 2020年1月破損 補修跡有) 幅80*奥行75*高台径38*高さ40
小:30客(24客+6客) 幅80*奥行75*高台径38*高さ40
大小の揃いで大きな鉢が20客揃い、醤油皿のような小さな鉢が30客揃っていますから、もともと30客以上揃っていたのでしょう。今回の運搬でも4客ほど破損し、自分で補修しました。ほとんど補修跡が分からないように修理できました。
おそらく明治期から昭和初期の作と思いますが、伊万里焼というより有田焼と言われる時代の作品かと思います。高台内に銘のある「房右衛門?」については詳細は不明です。
小鉢には銘はありません。
今回の破損には懲りて保存方法を見直しました。
10客ならまだしも20客や30客揃っている器は簡単には入手できませんから、大切に保管しておきたいと思います。
さて本日は寺崎廣業の作品の紹介です。
袋和尚図 寺崎廣業筆 明治35年(1902年)頃
紙本水墨軸装 軸先 鳥谷幡山鑑定箱
全体サイズ:縦2040*横590 画サイズ:縦1125*横400
描いているのは「指月布袋図」と呼ばれる画題で、禅の根本を説いた教訓「指月布袋」の図でしょう。寺崎廣業の同図の作品が幾点か存在しています。頼まれて描くことが多かったのでしょう。
この図柄は「月は円満な悟りの境地を、指し示す指は経典を象徴していますが、月が指の遙か彼方の天空にあるように、「不立文字」を説く禅の悟りは経典学習などでは容易に到達できず、厳しい修行を通して獲得するものであること」を説いています。この画題の意図が解っていないとこの作品の鑑賞はできませんね。
寺崎廣業の作品を描いた時期の推定は見慣れてくると判別できるようになりますが、本作品は落款から明治35年初期頃の作と推定しています。印章は朱文白円印でこの当時に数種の円印が押印された作品が存在していますが、本作品の印章は他の所蔵作品「牡丹に蝶」と同一印章であり、描いたのは明治35年頃と思われます。
鑑定箱書には「昭和己巳仲夏」とあり昭和4年(1929年)の鑑定と推定されます。
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鳥谷幡山:日本画家。青森県生。名は又蔵、別号に宗山。東美校中退。寺崎広業の下で野田九浦と学び、また橋本雅邦の指導を受ける。広業門下の青年画家を中心に美術研精会を結成し、主任幹事として活躍。昭和41年(1966)歿、90才。
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「禅の悟りは経典学習などでは容易に到達できず、厳しい修行を通して獲得するもの」、これは骨董も同じ教えのよう・・・、鑑識眼などは厳しい修行を通して獲得するもの、悟りは容易に到達できず つい最近も本ブログを読まれた方から本ブログで紹介した堆朱の作品に「粗悪品」というご指摘を受けました。これもまた修行・・・ その作品の記事は非公開にさせていただきました。
伊万里 捻八角草花文錦手大小鉢 (大20客揃:小30客揃い)
房右衛門造 合箱入
大:20客(内4客 2020年1月破損 補修跡有) 幅80*奥行75*高台径38*高さ40
小:30客(24客+6客) 幅80*奥行75*高台径38*高さ40
大小の揃いで大きな鉢が20客揃い、醤油皿のような小さな鉢が30客揃っていますから、もともと30客以上揃っていたのでしょう。今回の運搬でも4客ほど破損し、自分で補修しました。ほとんど補修跡が分からないように修理できました。
おそらく明治期から昭和初期の作と思いますが、伊万里焼というより有田焼と言われる時代の作品かと思います。高台内に銘のある「房右衛門?」については詳細は不明です。
小鉢には銘はありません。
今回の破損には懲りて保存方法を見直しました。
10客ならまだしも20客や30客揃っている器は簡単には入手できませんから、大切に保管しておきたいと思います。
さて本日は寺崎廣業の作品の紹介です。
袋和尚図 寺崎廣業筆 明治35年(1902年)頃
紙本水墨軸装 軸先 鳥谷幡山鑑定箱
全体サイズ:縦2040*横590 画サイズ:縦1125*横400
描いているのは「指月布袋図」と呼ばれる画題で、禅の根本を説いた教訓「指月布袋」の図でしょう。寺崎廣業の同図の作品が幾点か存在しています。頼まれて描くことが多かったのでしょう。
この図柄は「月は円満な悟りの境地を、指し示す指は経典を象徴していますが、月が指の遙か彼方の天空にあるように、「不立文字」を説く禅の悟りは経典学習などでは容易に到達できず、厳しい修行を通して獲得するものであること」を説いています。この画題の意図が解っていないとこの作品の鑑賞はできませんね。
寺崎廣業の作品を描いた時期の推定は見慣れてくると判別できるようになりますが、本作品は落款から明治35年初期頃の作と推定しています。印章は朱文白円印でこの当時に数種の円印が押印された作品が存在していますが、本作品の印章は他の所蔵作品「牡丹に蝶」と同一印章であり、描いたのは明治35年頃と思われます。
鑑定箱書には「昭和己巳仲夏」とあり昭和4年(1929年)の鑑定と推定されます。
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鳥谷幡山:日本画家。青森県生。名は又蔵、別号に宗山。東美校中退。寺崎広業の下で野田九浦と学び、また橋本雅邦の指導を受ける。広業門下の青年画家を中心に美術研精会を結成し、主任幹事として活躍。昭和41年(1966)歿、90才。
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「禅の悟りは経典学習などでは容易に到達できず、厳しい修行を通して獲得するもの」、これは骨董も同じ教えのよう・・・、鑑識眼などは厳しい修行を通して獲得するもの、悟りは容易に到達できず つい最近も本ブログを読まれた方から本ブログで紹介した堆朱の作品に「粗悪品」というご指摘を受けました。これもまた修行・・・ その作品の記事は非公開にさせていただきました。