peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市博物館の「開業90周年記念・大船渡線ツアー」(その7) 2015年8月23日(日)

2015年08月25日 | 町のイベント

 

2015(平成27)年8月23日(日)一関市博物館主催の「大船渡線開業90周年記念ツアー」(その6)。陸中松川駅の次は猊鼻渓(げいびけい)です。

猊鼻渓(げいびけい)[一関市東山町長坂字町裏393] ホーム:1面1線、一ノ関駅からの営業キロ:23.3㎞、1986(昭和61)年11月1日、旧国鉄が最後に行ったダイヤ改正と同時に開業。「名勝・げいび渓の玄関口として町中心部に新駅を!」と10年以上にわたる地域を挙げた取り組みが実を結んだ「請願駅」である。始めから無人駅。(国鉄は翌昭和62年4月に民営化してJRになった。)この駅からげいび渓船着場までは5分ほど。 

 

(上)げいび渓がある砂鉄川に架かる鉄橋。(下)猊鼻渓の船着場が見えます。また、この川の水を松川まで運ぶ農業用堰の取水口も見えます。

(上)この辺りは砂鉄川から100mほどの高低差があるそうで、柴宿駅あたりが最高部のようです。現在80歳に近い人たちが若い頃、「未だ蒸気機関車の時代、歩くほど遅くなった汽車のデッキから跳び下りて家に帰ったことがある。」と聞いたことがあります(降りなければ摺沢駅まで連れて行かれる。)

この大船渡線の右手には岩手県住宅供給公社が昭和43年から分譲開始し、今や町内一番の住宅街となった「久保・柴宿住宅団地」があります。(下)現在の県道19号線(今泉街道)の跨線橋と跨道橋。

柴宿(しばじゅく)駅 [一関市東山町長坂字柴宿] この駅ができるまで37年間、柴宿地域は列車が通過するだけだったことから、隣接する大東町猿沢地区を含む地域を挙げた運動の結果実現させた東山町最初の「請願駅」。1962(昭和37)年5月15日開業。一ノ関駅からのキロ:26.1㎞、ホーム:1面1線。初めから無人駅

 


一関市博物館の「開業90周年記念・大船渡線ツアー」(その6) 2015年8月23日(日)

2015年08月25日 | 町のイベント

2015(平成27)年8月23日(日)一関市博物館主催の「大船渡線開業90周年記念ツアー」(その6)。

「太陽と風の家」の「風のホール」でDVDを観賞した後、宮沢賢治が活躍した頃の施設や機械類が残され保存されている旧東北砕石工場の見学を終え、旧県道(旧今泉街道)を歩いて石と賢治のミュージアム(太陽と風の家、双思堂文庫)に戻ります。

(上)旧東北砕石工場は東亜産業(株)として現在も操業を続けています。

(上)東山町の下水道の蓋には、名勝・げいび渓がデザインされています。

(上)書籍類が沢山収蔵されている双思堂文庫の裏側には、’ここが『賢治デクノボーの道』と標示された所がありました。タンカルなどのサンプルが入った重いトタンクを提げて賢治が歩いた道(陸中松川駅~旧東北砕石工場)です。

(上)上の地図に描かれている陸中松川駅からセメント工場までの「引き込み線(専用線)」は、現在は撤去されています。

(上)旧県道(旧今泉街道)からの出入口。駐車場があります。(下)「太陽と風の塔」

(上)「太陽と風の家」チケット売り場、ペネタ雲の広場

 

(上と下)鉱物展示室:石ッコ賢さんをキーワードに、賢治の見ていた自然の不思議な秘密を遊びながら見学できます。叩くと美しい音が出るサヌカイト、昔なつかしい鉱石ラジオやテレビ石などの体験展示コーナーがあります。星のかけらである隕石の実物にも触ることができます。

 (下)お土産品

(上)賢治の死後、トランクのポェットから発見されたという手帳に書かれていた「雨にも負けず」の詩。戦時中は勝手に一部書き換えれれて教科書に掲載されたりしたので、誤解されていたが、この詩は賢治の心からの願いだったようです。

(上と下3つ)昼食と休憩に利用させていただいた「太陽のホール」。素敵なパッチワークの作品が飾られていました。

 

(下)13:05時、「石と賢治のミュージアム」を出発して、陸中松川駅まで歩きます。

(上)無料駐車場(ここなら沢山の車が駐車できます)

「石と賢治のミュージアム」から陸中松川駅までは5分もかからずに到着。(下)大船渡線下り列車が到着しました。13:15時発(1番線)に乗り摺沢駅まで(運賃は210円)行きます。ここで上り列車(2番線)と交換です。

(下)一ノ関駅行きの上り列車が到着しました。

(上)旧東北砕石工場の直ぐ脇を通って次の駅・げいび渓へ。(下)東磐井郡東山町時代に誘致した国策会社・東北開発(株)岩手セメント工場(現在は三菱マテリアル岩手工場)。

沢山並んでいるのはセメント輸送用のタンクローリー。(昔はセメント専用タンク車で遠くまで運んだ。)