peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

鳥海柵(とのみのさく)跡国史跡指定記念式典に参加! 2013年11月10日(日)

2013年11月11日 | 町のイベント

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2013(平成25)年11月10日(日)、金ケ崎町中央生涯教育センター(岩手県胆沢郡金ケ崎町西根南町22-1)で開催された「鳥海柵跡国史跡指定記念式典」に妻と共に参加させていただきました。

(上の画像に記載されている”安倍氏12柵の中で唯一場所が特定された柵です。”という文章は誤りだと思います。岩手県考古学会第45回研究大会の冊子にも”「陸奥話記」には、安倍氏方の施設である「柵」が12カ所登場する。この中で、発掘調査により、その所在地が明らかになっているのは、「鳥海柵」、「河崎柵」の2ケ所のみ。”と記載されております。)

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受付で立派な冊子(上・A4判13枚24ページ)などをいただきまし。この冊子には、式次第をはじめとして、主催者の挨拶、祝辞、鳥海柵跡が国史跡指定を受けるまでの調査経緯、史跡の範囲と立地、鳥海柵跡遺構全体図、年代ごとの柵の様子、安倍氏関連文献、安倍氏略系図、鳥海柵の主・安倍宗任についてなど鳥海柵(跡)に関する事柄が詳しく記載されていました。

私は2013年10月19日、20日に開催された岩手考古学会の「第45回研究大会」に参加して「安倍氏の柵~十二柵の擬定地の検討~」という冊子を良く読んでいたので、「鳥海柵(跡)」についても良く理解することができました。立派な冊子だと思います。

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「開会のことば」(金ケ崎町副町長)の前の「オープニング」で、捕虜として都(京都)に連行された貞任の弟・宗任が、公家の一人から梅の小枝を花を見せられて「これは何というか?」と聞かれて、「わが国の梅の花とは見たれども 大宮人はいかがいふらん」(これは我が国の梅の花ではありませんか。それとも都の人たちは別の言い方をしているので私に尋ねたのでしょうか。)と 和歌を詠んで返したという説話を寸劇で披露しました。(この話は「平家物語」に収められているものだそうです。)

(下)はその説話を描いたとされる一之倉邸所蔵の尾竹國観(おたけ・こくかん)画「北梅之図(はくばいのず)」

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(下)このエピソードと村尾泰造氏が模写した表紙絵が記載されている本。岩手県金ケ崎町(金ケ崎町西根南町22-1)、平成23年9月30日発行

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(上)鳥海柵の主・安倍宗任:前九年合戦絵巻(国立歴史民俗博物館所蔵)より

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(下)主催者挨拶:金ケ崎町長 高橋由一

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(上)祝辞 文化庁文化財部記念物課長 榎本剛氏(冊子に記載)

(上)祝辞 金ケ崎町議会議長 伊藤雅章氏(冊子に記載)

(上)祝辞 岩手県教育委員会事務局生涯学習文化課文化財課長 佐々木一成氏(冊子に記載されている岩手県教育委員会 教育長 菅野洋樹氏のメッセージを代読。

(上)内閣総理大臣、安倍宗任44代目末裔 安倍晋三氏(冊子に記載されているメッセージを進行係の女性が朗読)


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