バーデンバーデンの祝祭劇場が記者会見を開いた。木曜日に3月8日付けの封書を受け取っていたので内容は知っていた。来年のプログラムと、今年の復活祭が中止になり一部5月に移されるという内容である。
支配人の手紙には、今後も難しい局面が続いて、それどころか年を越えて影響が出るだろうという事だった。一方ではミュンヘンではまさしくその復活祭初日翌日から新制作「ばらの騎士」で再開しようという計画になっている。その差がどこにあるかは説明の必要がある。場合によっては支配人の責を質さなければいけないと思った。しかし金曜日の会見では、ネットでベルリンと結んで、キリル・ペトレンコとツェッチマン支配人の言葉が伝わるともう何も言えなくなる。
「丁度一年前には先ずはっきりしたのは、今までやってきたような復活祭は出来ないという事でした。そしてそれゆえに今年は臨機応変に対処しました。殆ど ― 愚公山を移す* ― 様に、2021年にはオペラを一つバーデンバーデンで上演するという事に専心しました。その為にカレンダーを引き延ばして、復活祭を五月に動かすのです。」
先月のハウスシュピール時に機会があったので質問状を出した。合唱はどうするのだ、奈落に何人入るのだと、それ程ピットで演奏して舞台で演じることは困難であるとともに重要であった。であるから、本格的な舞台がならず、恐らく4月初めに計画通りベルリンで演奏された後に二番煎じでバーデンバーデンで演奏されることは復活祭のエクスクルシーヴ性を失わせてただのツアーの様になり決して良くない。何よりも期待されたのはあの奈落で演奏されるその響きだった。
勿論舞台を組んで500人程しか入場出来なく、更に開催の可能性までが危ぶまれるとなると昨年並みの損害が出る。前者は多くの篤志家で財政的にカヴァーできたとしても、後者は毎年繰り返す訳には行かない。
会見の結果は、5月6日木から「マゼッパ」を二回コンツェルタンテ方式で舞台上で演奏、二日間二回の交響楽演奏会を行って、最終日5月9日に二度目の「マゼッパ」を演奏となった。その間に三回の室内楽演奏会を行う。
DWなどは5月2日からの開催を予想していたが、なぜかそうでは無かった。スペイン旅行が中止になる前からの日程のようである。あとは、演奏会のプログラムが何になるか?一つは20日にベルリンの再開で演奏されるラフマニノフ交響曲二番のプログラムか。
支配人ツェッチマンは、「フェスティヴァルと同じように魅力的でコムパクトなプログラムを、バーデンバーデン祝祭劇場のチームと一緒に五月にお見せ出来てとても幸せだ」と語り、「今年の幾らか短い滞在が、ベルリナーフィルハーモニカーに、バーデンバーデンの忠誠な聴衆にお会いできること機会を与えてくれます。」とホームページを閉じている。
結果としては、ミュンヘンの支配人でもあるバッハラーがザルツブルクで行おうとしていた短縮版のプログラムと同等である。バーデンバーデンの場合は入場者が500人に絞られる可能性が高いことだ。つまり、券の入手もそれ程容易ではない。勿論既に入場券を購入した人が優先であるが、単純倍率は結構高くなる。私自身も全日行きたいと思うが流石に二日とも「マゼッパ」とまではいわない。希望も制限する可能性があるが、そうなると今度は不満も高まる。
芸術的な質に関しては、ペトレンコを信用すれば良いだろう。更に密かに期待したいのは、少なくとも一つのプログラムでベルリンでは指揮しないエクスルシーヴ性を示して貰いたいということぐらいか。
*Berge versetzen は文字通り山を動かすこと、どこから来ているかと言えば新約聖書コリントの信徒への手紙一 13:2 で、「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」とある。同様な言葉は毛沢東が戦国時代の典籍『列子』湯問編に載せられた説話から引いた「愚公移山」であろうか。
参照:
想像する本物のパトロン 2020-03-16 | 文化一般
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般
支配人の手紙には、今後も難しい局面が続いて、それどころか年を越えて影響が出るだろうという事だった。一方ではミュンヘンではまさしくその復活祭初日翌日から新制作「ばらの騎士」で再開しようという計画になっている。その差がどこにあるかは説明の必要がある。場合によっては支配人の責を質さなければいけないと思った。しかし金曜日の会見では、ネットでベルリンと結んで、キリル・ペトレンコとツェッチマン支配人の言葉が伝わるともう何も言えなくなる。
「丁度一年前には先ずはっきりしたのは、今までやってきたような復活祭は出来ないという事でした。そしてそれゆえに今年は臨機応変に対処しました。殆ど ― 愚公山を移す* ― 様に、2021年にはオペラを一つバーデンバーデンで上演するという事に専心しました。その為にカレンダーを引き延ばして、復活祭を五月に動かすのです。」
先月のハウスシュピール時に機会があったので質問状を出した。合唱はどうするのだ、奈落に何人入るのだと、それ程ピットで演奏して舞台で演じることは困難であるとともに重要であった。であるから、本格的な舞台がならず、恐らく4月初めに計画通りベルリンで演奏された後に二番煎じでバーデンバーデンで演奏されることは復活祭のエクスクルシーヴ性を失わせてただのツアーの様になり決して良くない。何よりも期待されたのはあの奈落で演奏されるその響きだった。
勿論舞台を組んで500人程しか入場出来なく、更に開催の可能性までが危ぶまれるとなると昨年並みの損害が出る。前者は多くの篤志家で財政的にカヴァーできたとしても、後者は毎年繰り返す訳には行かない。
会見の結果は、5月6日木から「マゼッパ」を二回コンツェルタンテ方式で舞台上で演奏、二日間二回の交響楽演奏会を行って、最終日5月9日に二度目の「マゼッパ」を演奏となった。その間に三回の室内楽演奏会を行う。
DWなどは5月2日からの開催を予想していたが、なぜかそうでは無かった。スペイン旅行が中止になる前からの日程のようである。あとは、演奏会のプログラムが何になるか?一つは20日にベルリンの再開で演奏されるラフマニノフ交響曲二番のプログラムか。
支配人ツェッチマンは、「フェスティヴァルと同じように魅力的でコムパクトなプログラムを、バーデンバーデン祝祭劇場のチームと一緒に五月にお見せ出来てとても幸せだ」と語り、「今年の幾らか短い滞在が、ベルリナーフィルハーモニカーに、バーデンバーデンの忠誠な聴衆にお会いできること機会を与えてくれます。」とホームページを閉じている。
結果としては、ミュンヘンの支配人でもあるバッハラーがザルツブルクで行おうとしていた短縮版のプログラムと同等である。バーデンバーデンの場合は入場者が500人に絞られる可能性が高いことだ。つまり、券の入手もそれ程容易ではない。勿論既に入場券を購入した人が優先であるが、単純倍率は結構高くなる。私自身も全日行きたいと思うが流石に二日とも「マゼッパ」とまではいわない。希望も制限する可能性があるが、そうなると今度は不満も高まる。
芸術的な質に関しては、ペトレンコを信用すれば良いだろう。更に密かに期待したいのは、少なくとも一つのプログラムでベルリンでは指揮しないエクスルシーヴ性を示して貰いたいということぐらいか。
*Berge versetzen は文字通り山を動かすこと、どこから来ているかと言えば新約聖書コリントの信徒への手紙一 13:2 で、「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」とある。同様な言葉は毛沢東が戦国時代の典籍『列子』湯問編に載せられた説話から引いた「愚公移山」であろうか。
参照:
想像する本物のパトロン 2020-03-16 | 文化一般
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般