訃報が流れたアメリカの純正オペラ指揮者ジェームス・レヴァインの事が書いてある。速報で流れたフランクフルタールントシャウの内容がもっとも纏まっていて良かった。「クリーヴランドで高名なジョージ・セルの下でアシスタント」をして、「やや二流の劇場管弦楽団を演奏会でも弾ける一流にした」指揮者とある。これ以上付け加える必要が無い。
しかし、ミュンヘンでの活動やその裏の事情を読みたい。アルゲマイネ紙にコッホ氏の文が載っている。故人が権力を維持してその裏でハラスメントを働いた事情は上の一行で明らかだが、そのMeTooで訴えられた以前に1990年代から問題になっていて、ミュンヘンでも結局CSUとSPDの政治的な判断としてペドフィラーを市の公的な立場に置いておくのは不味いとなっていたようで、大陸間の横断を嫌ってボストンへと行って呉れたことでほっと息をついたという。
当時の新聞などの情報ではそこが分からず楽団との関係の悪化かと思っていた。当然その後のベルリンでの喧噪の印象と合致するもので、余程ドイツとは相性が悪かったのかと思っていた。しかし。事実は結局ものに出来なかったブルックナーを世界一のブルックナー楽団とやろうとしていたという事で、チェリビダッケの後を継げなかったのは両者にとって不幸だったのかもしれない。
音楽の喜びに満ちた指揮で、クライバーのような鬱とかに関係しないサヴァリッシュやバーンスタインに近いとしている。シカゴを振ったラヴィニアでの音楽祭での指揮から室内楽、ピアノまでの活動が最も優れた活躍であったとしている。ザルツブルクでのバランスの取れた「魔笛」、オペラでは「ホフマン物語」でリズムの良さで劇場的に発しとしていての反面、バイロイトでの代表的な「パルジファル」を挙げて、最高速で走った後でとても寛いだ中で殆どミスティックなの色彩感と柔軟性はあそこではなかなか得られない成果だったとしている。それをして演出家のロバート・ウィルソンとの芸術的な近親性に言及している。マーラーの九番の四楽章の演奏時間。
個人的には、ドミンゴとの「ホフマン物語」に実演ぐらいしか記憶にはないが、新聞にあるように大スターを立てる指揮は正しくカペルマイスタ―的で、どなたかが書いていたように「あまり記憶に残らなかった」様な指揮はそのもの真骨頂だろう。本来ならばそのMETの楽団がバーデンバーデンの今夏の音楽祭に出る予定だったが中止になった。ネゼセガンなどがその領域を継ぐかどうか。合唱出身で歌に合わせるのは上手だがオペラ指揮者としてはまだ評価が出来ないでいる。
レヴァイン指揮の録音はフィラデルフィアとシカゴのマーラーで出合い、その後もドミンゴの歌う「オテロ」も最も素晴らしい録音の一つかもしれない。後年のパールマンとのモーツァルト協奏曲集のCDボックスやストラヴィンスキーのLPのほかスコット・ジョプリンを弾いたLPもある。その他はこれまたあまり思い出せない。
参照:
Mystiker und Machtmensch, Gerhard R. Koch, FAZ vom 18.3.2021
Zum Tod von James Levine: Vom Firmament, Stefan Schickhaus, FR vom 17.3.2021
久しぶりのオテロ感 2018-11-16 | 生活
復古調の嘆き節の野暮ったさ 2010-03-30 | 文化一般
しかし、ミュンヘンでの活動やその裏の事情を読みたい。アルゲマイネ紙にコッホ氏の文が載っている。故人が権力を維持してその裏でハラスメントを働いた事情は上の一行で明らかだが、そのMeTooで訴えられた以前に1990年代から問題になっていて、ミュンヘンでも結局CSUとSPDの政治的な判断としてペドフィラーを市の公的な立場に置いておくのは不味いとなっていたようで、大陸間の横断を嫌ってボストンへと行って呉れたことでほっと息をついたという。
当時の新聞などの情報ではそこが分からず楽団との関係の悪化かと思っていた。当然その後のベルリンでの喧噪の印象と合致するもので、余程ドイツとは相性が悪かったのかと思っていた。しかし。事実は結局ものに出来なかったブルックナーを世界一のブルックナー楽団とやろうとしていたという事で、チェリビダッケの後を継げなかったのは両者にとって不幸だったのかもしれない。
音楽の喜びに満ちた指揮で、クライバーのような鬱とかに関係しないサヴァリッシュやバーンスタインに近いとしている。シカゴを振ったラヴィニアでの音楽祭での指揮から室内楽、ピアノまでの活動が最も優れた活躍であったとしている。ザルツブルクでのバランスの取れた「魔笛」、オペラでは「ホフマン物語」でリズムの良さで劇場的に発しとしていての反面、バイロイトでの代表的な「パルジファル」を挙げて、最高速で走った後でとても寛いだ中で殆どミスティックなの色彩感と柔軟性はあそこではなかなか得られない成果だったとしている。それをして演出家のロバート・ウィルソンとの芸術的な近親性に言及している。マーラーの九番の四楽章の演奏時間。
個人的には、ドミンゴとの「ホフマン物語」に実演ぐらいしか記憶にはないが、新聞にあるように大スターを立てる指揮は正しくカペルマイスタ―的で、どなたかが書いていたように「あまり記憶に残らなかった」様な指揮はそのもの真骨頂だろう。本来ならばそのMETの楽団がバーデンバーデンの今夏の音楽祭に出る予定だったが中止になった。ネゼセガンなどがその領域を継ぐかどうか。合唱出身で歌に合わせるのは上手だがオペラ指揮者としてはまだ評価が出来ないでいる。
レヴァイン指揮の録音はフィラデルフィアとシカゴのマーラーで出合い、その後もドミンゴの歌う「オテロ」も最も素晴らしい録音の一つかもしれない。後年のパールマンとのモーツァルト協奏曲集のCDボックスやストラヴィンスキーのLPのほかスコット・ジョプリンを弾いたLPもある。その他はこれまたあまり思い出せない。
参照:
Mystiker und Machtmensch, Gerhard R. Koch, FAZ vom 18.3.2021
Zum Tod von James Levine: Vom Firmament, Stefan Schickhaus, FR vom 17.3.2021
久しぶりのオテロ感 2018-11-16 | 生活
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