Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

見事な手綱の捌き方

2021-03-23 | マスメディア批評
老舗新聞ノイエズルヒャー新聞が新制作「ばらの騎士」を批評している。爺さんキューピッドが最高のアンサムブルを全編に亘って喰ってしまっていた言うのはその通りだ。時間の意味を恋人たちの永遠では無い時間としていて、それはあまりに想像力に欠ける。

反面二幕のルーベンスの絵からのアルゴリー表現にはここでも注目している。またオクタヴィアンが乗って来る馬車はそのものノイシュヴァンシュタイン城へのルートヴィッヒ二世の馬車そのものだとしている。

ここで最も判断を試みようとしているのは新音楽監督のヴラディミール・ユロウスキーに関してである。なぜならばキリル・ペトレンコがナガノの後任として2010年に推挙された時は管弦楽団一同が湧き上がったのだが、2018年に正式に次期監督が決まった時にはそのような全会一致では無かったとされる。そして時と共にそうした疑念は少なくなってきて、今回の演奏での見事な手綱の捌き方が絶賛されている。

二幕でのヴァイオリンの勇み足になったのは指揮者の責任では無くて、間隔の大きさに機縁すると恐らく管弦楽団員からの情報をそこに明かしているのだろう。書いているのは、日本にも同行したファイ氏だが、演奏における熱量もあってと、やはり奈落の中の人の声を参考にしているのがよく分かる。音楽ジャーナリストとしてはそれも大切なジャーナルなのだが、やはりこれだけの高級紙になると芸術活動としてのそれを客席または社会からジャーナルしなければいけない。

恐らくプレス用に同じ資料を貰ってバイエルン放送協会のノイホッフ氏も批評している。こちらでは、カルロス・クライバー指揮で歴史的になっているオットーシェンクの演出への惜別が余りにも遅れたが、これで過ぎ去ったとしている。それだけ保守的な聴衆をも裏切ることの無い解決としている。

ルツェルンから便りが来た。五月に延期されていたピアニストのアンドラーシュ・シフの祝祭が中止になるという事である。理由は、まだ当局の態度が決まらないという事だ。しかし夏の音楽祭は確実にすると、その形式や最終的なプログラムは五月になってから発表するとしている。

要するに入場人数が決まらないという事だろう。テストをしても満員入れれるかどうかは、週末のベルリンなどの実験結果を待ってという事に違いない。入場人数が決まらなければ、券も発売できない。恐らく先行予約の配券ももう少し遅れるのではないかと思う。もし減員しても半数が最低線と見ているのだろう。

4月18日までロックダウンが延長されると情報が流れた。更にコンタクト制限などを強化しないと爆発的な感染になるようで制限をつけていくしかないとの数理計算になったようだ。その一方若干陽性者指数の低い州は州内滞在旅行の許可などをするという。ザール州では既に商店が開かれている。そうした事情差によって統一が難しい状況で会議が長引いた。いずれにしても、指数百で三日間でシャットダウンは課されるようだ。



参照:
Amor hält die Uhren an: ein neuer «Rosenkavalier», Marco Frei, NZZ vom 22.3.2021
BARRIE KOSKY DREHT AN DER UHR, Bernhard Neuhof, BR-Klassik vom 22.3.2021
夢のような倒錯した舞台 2021-03-22 | 音
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