Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

コロナ禍は夏までに終息

2021-03-07 | 料理
朝は大変冷えた。既にアーモンドの花は咲き始めていたが、周りには霜が降りているようだった。外気温は零度前後だった。パン屋では勝ち合った子供がぐずぐずしていたので外に並ばずに入れた。日の出過ぎだったが、寒いので人が少ない。そこから山道に入ると外気温は零下三度まで下がっていた。陽射しは気持ちよかったが流石に裸にはならずに持ってきた手袋で暖を取った。もしかすると現行の腕時計で走るのは最後かと思ったが、結局注文の配達を月曜日まで待つことになった。いつもとは異なってフランス国境のザールブルッケンからこちらへ動けなかったようだ。二時間近くかかるので配達は大変だと思う。

ジャガイモなどが切れていたので、下りて来てから八百屋にも向かった。コロナ以前は夏時間中は日曜日もパン屋が開いていたことから、土曜日に八百屋に向かったのだが、走って来てからその足で出かけることは少ない。ステーキでも食しようと思ったのでどうしても付け合わせが欲しかったのだ。

ベルリンの首相官邸の話しによると、ドイツにおけるコロナ禍は夏に終了して、新学期からは完全平常化するとあった。その前提条件は、約束通りワクチンが配送されることと、どのワクチンも効かなくなるような変異が現れない事としている。何種類ものワクチンを重ねて発注しているのでどれかは効くだろう。

といういう事で、あと四ヶ月ほどでコロナ禍は終わる。それまでは徐々にではあるだろうが、少しづつ平常化へと向かっていくのだろう。但し夏の休暇の海外旅行などは先方の国の状況があるので難しいとされている。

18時からミュンヘンよりの中継を観た。第一部はムジカヴィーヴァの新曲などの演奏でチェコのアダメックと言う人の声楽付きの作品が演奏された。指揮のラトルの奥さんが歌っていたが、直ぐにこの選曲は夫婦のものだと思った。なにも夫婦が協演をする機会を増やすのは悪い事ではないが、その作品が酷かった。可成り頭の悪そうな作曲家だと思っていたら、会場で聞いていてインタヴューに出てきた。

サイモン・ラトルは、このシリーズでもベルリンに続いてアダムスを取り上げていて、現代曲の古典に関しては得意としていても、新曲に関しては全くセンスが無い人だと、ルツェルンでアブラハムセンの曲を振る時にも分かった。その時はメシアンも準備不足の様で客を舐めたような指揮をしていたが、少なくとも今回は楽譜を調べていない範囲では良かったと思う。

しかしそれにしてもムジカヴィーヴァは、SWFのドナウエッシンゲン音楽祭までは至らなくとも、ドイツ有数の大管弦楽による新曲発表の場である。やはり話しを聞くと奥さんのコジェーナの関係で引っ張って来て旦那に紹介してロンドンからも依頼されていたのである。サイモン・ラトルがそうした音楽監督業をするとやはり楽団の芸術的価値が下がる。BRの価値まで下がってしまう。前任者のヤンソンス指揮に於いて限度を見せてしまう事になっていたのだが、ラトル体制になると以前にはなかった安物臭さが加わる。やはり奥さんが漏れなく付いてくるのがガンである。ミュンヘンの聴衆があれで満足するのだろうか。(続く



参照:
先を見通す下調べ 2021-03-06 | 雑感
指数50から100の狭間 2021-03-04 | 歴史・時事

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