Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

殆ど移民の為に酸素吸入

2021-03-08 | 歴史・時事
コロナ禍は終息に向かいつつある。そのような時に出てきたロベルト・コッホ研究所ヴィ―ラー所長の発言は注目される。

「方々の病院医師が、人工呼吸器をつけている九割は移民の患者で、多くはコミュニケーションに困っている、そしてそれはタブー化している。」というもので大衆紙ビルドに掲載されたものだ。そのように語ったことは間違いないようで、根も葉もない事ではないのだろう。

その見出しを見た者は、誰でももうそれなら規制などに協力する気持ちが失せると思うに違いない。なにも移民の人の命を軽く扱うという事では無くて、更にイスラム信仰とモスクでの礼拝などが係っているとすれば、それ以外の人々が幾ら努力しても死者を減らすことは難しいと考える。

コッホ研究所の見解としては、然したる数字のある事での発言では無くて、幾つかの大都市の病院では過半数がそのような人で溢れているという事は事実としている。

そしてそれは先日流れていたようにネアンデルタール人のDNAの受け継いでいるかどうかで南アジアの人種には危険なコロナとかあったが、その地域の死亡率は決して高くない。ターゲットとされるトルコなどはドイツの三分の一である。

要するに人種的な問題ではなさそうで、社会層の問題だというのは、合衆国における死亡率などでも表れているように、ホームオフィースも儘ならない人には感染の危険が高いのは当然である。しかし人工呼吸器をつけて死亡する様な年齢で働き続けている人は流石にそれほど多くはない筈で、その見解も辻褄が合わない。あり得るとすればやはりモスクに集う人たちなのだが、それに対してはモスク協会長が強く反発していて、モスクに集う人々は世界的に模範的に衛生が保たれているとしている。

ヴィ―ラー所長は、問題を解決する為に政治家に働きかけたが、微妙な問題として誰も動かないという事が言いたかったようだ。同時にそうした発言がどのような社会的な渦を巻き起こすかも知っている筈だ。

するとなぜこの時期に敢えて発言したかが様々に憶測を呼ぶことになっている。やはり社会的な緩和施策と相応しているとしか考えられない。毎日死亡者が300人も出るような時点で、それを無視するような施策は取れないが、欧州の他国の様に国民がそれを受け入れられるかどうかによる。同時に社会的なコロナ耐性の格差があることを認知させることはとても重要だったも思われる。それは死亡者数が減少することで解消されるものでは無いだろう。

(承前)土曜日のミュンヘンからの中継の第二部が断然良かった。出演は、次期監督に決まってから最初の登場のサイモン・ラトル指揮BR交響楽団にその合唱団が加わり、場所をガスタイクからもう一つのホームグラウンドヘラクレスザールに移して行われた。最初にコロナ条件によってプログラム変更のパーセルの合唱曲を持ってきて、それもメアリ女王の為の葬送曲と後半にハースの成功作「無駄に」を組み合わせるとても気の利いたプログラムだった。

先ずはなによりも活躍の無い合唱団をしっかりと使う事だけでも素晴らしく、又その歌を活かしつつ自分自身の得意の領域で指揮するというものだ。ハースは今最も多くの曲で成功している作曲家で、そのアイデアだけでなく音楽作品としての支持も強い。今回の曲は演奏途中に暗闇で続けられるというもので、前半の曲と合わせて今日の時点でのプログラミングとしてもお見事だった。こうしたところはサイモン・ラトルの右に出る者はいないであろう。曲と演奏に関しては何度か堪能してから改めて触れたいと思うが、BRも一晩に場所を移動して生中継するという予算を掛けただけのことはある。こうした企画を実施できるのは正しくBRのような大きな組織のある放送交響楽団で、サイモン・ラトルがやりたくてもベルリナーフィルハーモニカ―などの保守的な私立楽団では到底できなかったことなのだ。(続く



参照:
録画録音した中継もの 2017-08-31 | 音
暗黒に射す一条の光が 2020-12-23 | 暦
コメント
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