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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

保留付の意味とは

2020-07-16 | ワイン
ベルリンの秋の音楽祭の改定プログラムが出た。先ずすっぱり欧州の大管弦楽団の客演が消えた。多くはルツェルンなどと共通するものだったりする。大だけでなく中のレシエクルなどとフランスからのそれも無くなっている。理由は分からないが、入場制限が大ホールでも750人までなので精々三席に一人しか座れない。足代顎代を出すのは難しいだろう。一方でフランクフルトからアンサムブルモデルンやヴィーンからクラングフォールムなどは客演する。あとはベルリンの六つぐらいの管弦楽団とイゴール・レヴィット、タベア・ツィムマーマン、ゲルハーハーなどの人気ソリスツが参加する。

注目のベルリナーフィルハーモニカーは二回演奏するが、三日間続けてのキリル・ペトレンコ指揮のプログラムはスーク作とクセナキスの作品が無くなりその代りのドヴォルジャークの交響曲五番が演奏される。もう一つのベルクのヴァイオリン協奏曲は其の侭変わらず。

こうしたプログラムの変更が少なくとも12月までは続きそうで、如何に編成の大きさの制限の中で多彩な音楽をやるかである。同時に全面禁止になっているRIAS合唱団メムバーの演奏会は保留付となっている。

カタリーナ・ヴァークナの近況が伝えられた。インタヴューに答えて管理協会の理事長が先週電話して話したとその状況を伝えた。リハビリが進んでいて月内に次の段階に行くかもしれないというものだ。すると秋には職務に戻れるかもしれないという意思表示があったとするものである。

なるほど具体的な事象を語ってはいる。意識が確りあって、自身のリハビリと今後を語ったのは間違いないであろう。しかし業務に関しての決済に関してや今後に関しての情報は以下の通りで、何が具体的に両者で話されたかは全く明らかではない。

次期取締役を9月、10月で人選を決定する。また、2021年のヴァークナーフェスティヴァルは、券の発売遅らすことで、7月中にプログラムを発表する事を模索とある。先週電話で確認をとったのはこの件であろうが、それほど細かな事では無くやはり大まかな変更の必要性が確認されたのだろうか。恐らく、電話確認したことで個人的にも一任を得たという事だろう。

本来ならば代理の取締役の役柄だが、代わりに誰かが決裁という事には変わりないので、秋には復帰と流したと思われる。そこが本当の病状に関してはアヤフヤになっている感じがする点でもある。

グロースゲヴェックスのリースリング「フリューリングスプレッツュヘン」を開けた。また若飲みで二年を切っている。だから最初の試飲の時との差を把握することでしかない。魅力的な果実風味は堅調だが同時に若干苦みを感じる。恐らくこれは最初の酸が落ちたからだと思われる。今後の瓶熟成で期待されるのは苦みの中に隠れているミネラル要素が果実風味と共に開いてくることである。次開けるならばやはり二年ほど待ちたい。練れてくると良いと思った。



参照:
合唱するための必要条件 2020-07-15 | 文化一般
紫の華には猛毒が 2020-06-29 | 雑感
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合唱するための必要条件

2020-07-15 | 文化一般
先週のベルリンでの合唱実験の発表が大きな話題だ。既にミュンヘンでも行われていて、今更と思ったが、コロナのエアロゾール感染でベルリンでは十月まであらゆる室内での合唱行為が六月末に一方的に禁止された。それを受けて今月末の会合に向けての合唱活動における基準作りとしての重要な使命を受けていたからだ。

結果は、エアロゾール感染が否定されない限り、室内での合唱行為は大きな感染の危険があることが証明された。同時によりその細かなパーティクルの挙動から室内での合唱への規則を定めることで、合唱行為の可能性を見出したことに価値があるとされる。

先ず基準は、左右に1メートル半、前後に2.5メートル開けて、最大30分まで。そしてパーティクルの密集を招かないように人数当りの充分な容積と強制的な換気が必要とされる。自然換気では外気温や状況が異なるので安全が保障されない。

恐らくこれで正しいと思う。人数を減らしてバロックや古楽並みにするしか現時点では難しいと思う。その点ではザルツブルクの第九は非知性主義の試みだろう。残念ながらそれを良しとするムーティ氏は幾らいい格好をしても駄目である。フィンリーを含む豪華独唱陣は楽団の前に立つのだと思うが、練習から更に三回も公演をして舞台上での集中度はかなり激しい。指揮者の判断で合唱団をどこまで切り詰めるか、ヴィーナーフィルハーモニカ―を小さくするかなど、最高金額の収入のムーティ氏の評価に繋がる。それどころか下手をすると曝露するかもしれない。若い医者でも曝露すると亡くなる、もう少し警戒すべきお年頃だと思う。93歳でルツェルン祝祭管弦楽団デビューするというブロムシュテットという指揮者には誰も勝てないが、こちらはなにがあっても神の思し召しと誰もが納得する。

楽劇「エレクトラ」の楽譜を落とした。短い作品であり、それほど厄介とは思わないが、沢山変化記号がついているのをどう読むかだろうか。前回生で聴いたのはザルツブルクの大劇場公演だったと思う。浅利慶太があまり意味の無い演出をして盛んにブーイングを受けていた。指揮者はロリン・マゼールだった。プログラムを開けるとキャストを思い出した。1996年8月1日の初日だった。
Leonie Rysanek last performance _ (Clytemnestra) 25/8/1996 -1/5

Leonie Rysanek last performance Clytemnestra 25/8/1996 2/5

Leonie Rysanek last performance - Clytemnestra 25:8:1996 3:5

Leonie Rysanek last performance Clytemnestra 25:8:1996 4:5

Leonie Rysanek last performance - Clytemnestra 25/8/1996 5/5


その公演で引退したレオニー・リザネックがクリテムネストラ、タイトルロールをヒルデガルト・ベーレンス、今回アスミク・グリゴーリアンが歌うクリソテミスはカレン・フフシュトットと言う人だった。もう引退しているようだがヴァージンレーベルでサロメを歌っているようだ。正直全く思い出せない。両ヴェテランに関してはリザネックはもうボロボロだったような記憶がある。ベーレンスは声は出ていたように思うが細かった記憶が微かにある。お勉強しているうちに思い出すかもしれないが、当時はシュトラウスの楽譜なんて無料ではダウンロードできなかったので、記憶がそれ程定着していることはないだろう。

マゼールの指揮は悪くはなかったと思う。だから演出がただ単にエーゲ海のような光を出していて、一言で言えば全てが白昼の元に晒されるというような塩梅だった。それとマゼールの指揮はよくあっていて、ヴィーナーフィルハーモニカーも精緻な演奏をした印象がある。衣裳は森英恵だったようだ。失念していた。

どうでもよいことだが、ドルトムントに履いて行ったお出かけ用靴を漸く磨いた。本当は直ぐにでも手入れしておかないといけないのだが、誰もやってくれず無精者だから仕方がない。そう言えば全く何もしない父親が靴だけは気が向くと自分で磨いていたことを思い出した。人に上げる程イメルダ夫人の様にまでは行かないが、男性としてはなぜか沢山の靴を持っていた。恐らく愛用の靴屋で購入を趣味としていたのだろう。公式のプロフィールには茶の湯とか書いていたようで笑わせる。



参照:
壊滅に向かうか墺音楽界 2020-07-14 | 文化一般 
音楽祭百周年記念番組 2020-07-13 | 文化一般

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壊滅に向かうか墺音楽界

2020-07-14 | 文化一般
ザルツブルク音楽祭の券を入手した。明け方眼が覚めて試しに覗いてみると既に開いていた。何時にセットしてあったかは分からないが、午前零時という事は無かったと思う。こちらは早めに就寝して早起きして走って戻って来てからと考えていた。購入後に宿まで予約してまだ時間があった。宿泊代52ユーロは嬉しい額である。

前夜には幾らか安いところが売れた。入り口があったのは既に券を購入している人だった。最後に落穂ひろい的に漁ったのだろう。それで目玉の新制作「エレクトラ」の200ユーロの券は大分出てしまったようだ。当方の最終的な狙いは、これ一本釣りで、初日は売れ切れているので別として、第一希望10日(月)の生放送日、第二希望16日(日)、第三に21日(金)、6日(木)と24日(月)の安く確実に入手できる日時を第一とした。宿の空き部屋状況から6日は比較的込んでいそうだと見込んだ。

そして実際は、その4時半ごろの状況では200ユーロは21日しか出ておらず、他の催し物も一泊で序でに寄れるムーティの第九も前日に85ユーロが売り切れていた。要するに「コジファンテュッテ」など二つ目の催し物を狙わない限り、16日や21日に出かける価値は無かった。また第一希望日は345ユーロしか残っておらず早速断念 ― 数時間経過後に再び200ユーロが出ていたが、最初の三回の公演を全て聴けるのでそれも悪くはない。初日なら出しても流石に中継録画は15日にゆっくり観られることもあり、やはり高過ぎる。

そして何よりもコロナで音楽祭が中断になるかもしれないので、出来る限り早い日時を狙った。初日前のゲネプロから二週間もすれば内部でのコロナ騒動も避けがたいとみた。10日頃は一先ず分水嶺ではないかと思う。という事で200ユーロの券を捨てて、6日の275ユーロを購入した。あとはアスミク・グリゴーリアンに休まずに歌って貰うしか希望は無い。新制作の二日目はどこでも概ね避けられる傾向がある。それは二回の生中継の間に矢張り調整に来るからだが、収録前という事で色々とやって欲しい。

さて座席は、列はそれほど後ろではないが端なので音響的にはなんとも言えない。千四百人の会場に半分ぐらい詰めるのだろう。千人まで許可されていても、それ以上詰める訳には流石のオーストリアの自己責任社会でも難しい。今回の残券状況を見ていると明らかにドイツから控えた聴衆が少なくない。

長椅子なので場所が開くと反響は強くなるだろう。傾斜はあるので客席ともの俯瞰的な視野は得られる。そもそもヴィーナーフィルハーモニカーが刈り込まずに演奏するのかどうかもまだ定かではない。

兎に角、こちらのタクティクスはラッシュで如何にザルツブルク滞在時間を短くするかである。公演中は仕方がないが、ビールはトスカニーニ広場でシュティーグルぐらいを一杯引っ掛けられるならばいいが、あまり長居はしたくはない。まあ、特別に飲むほどのビールでもないと思う。

ベルリンでは月末にあらゆる合唱行為が禁止された。それに対してミュンヘンに続いて追加実験が行われた。エアルゾールへの影響はレーザー探知でも再確認されたが、同時に空調や空間でその集中を避けることが重要とされて、前後2.5m左右1.5mを推奨として月末に再び再検討が養成される。ザルツブルクの第九は列をずらすぐらいで到底この範疇に収まらない。オーストリアのオペラと音楽界の壊滅は時間の問題だろう。

今回のザルツブルク音楽祭のごり押し開催もまたこれぐらいの売れ行きで経済的な価値があるのだろうか?半数入れたとしても到底儲けは出ないのではないか。地元観光にしてもいつものように長期滞在するだけの出し物もない。やはり海外からの旅行者が来ないと駄目だろう。



参照:
音楽祭百周年記念番組 2020-07-13 | 文化一般
百周年ザルツブルク祭計画 2020-07-09 | 雑感
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音楽祭百周年記念番組

2020-07-13 | 文化一般
ザルツブルク音楽祭百周年記念番組、1988年フォンカラヤン指揮アンネゾフィームター演奏のチャイコフスキー協奏曲。テムポは晩年のカラヤンらしいもので、先に亡くなったベームよりも最後までスタイリッシュさを失っていなかった印象があったが、やはりベルリンのフィルハーモニカーでは取れなかったテムポで、ヴィーナーフィルハーモニカーの演奏と合わせて嘗てのチァイコフスキー演奏の表現力が無い。個人的にも関心を失っていたので、この演奏会中継の記憶が無かった。

ムターの演奏も年寄りに合わせて流石とも思わないではないが、後年の技術的な安定にまでは至ってはいない。やはり90年代からの彼女のそれとは大分違う。身体も心も巨匠風になった。

前夜にはヴィーンの歌劇場のアーカイヴ録音から「アラベラ」全曲をデラカーザやローテムベルガーの歌で聴いた。1964年6月24日の実況中継録音の様でモノラルだが音は綺麗に捉えられていた。同じカイルベルト指揮のミュンヘンでの録音などは有名のようだが、ヴィーナーフィルハーモニカーのシュトラウスには欠けるものがあるように感じた。その欠けるものこそが今後ともシュトラウス解釈の真骨頂となるのだろう。

ザルツブルクの会場を研究している。中ホールは新しくなってからは知らないが古い時はフォンドホナーニ指揮で「コジファンティッテ」などを聴いた。大ホールは何度通ったか知らないが平土間は殆ど覚えていない。座ったことが無いかもしれない。屋根の下だけは苦になりそうだが、馬蹄形で何処も近い。バルコンは特に後半は若干遠い感じがしていた。反対にフェルゼンライトシューレは上があったのは忘れていた。そもそも前の方にしか座ったことが無いからだ。

舞台の上が開くようになっていて半野外にもなるのだが、公演中に開けたのは記憶にない。その代りベリオが自作自演したオペラの時は屋根の上から半開きの音などを聴いていた。今年は楽劇「エレクトラ」がここで上演される。演出はヴァリコスキーのようなのでコロナ換気も含めてこの屋根をどのように使うのだろうか。少なくとも天気さえよければ自然光は使える。夕立だけは致し方が無い。

先日録音し直したキリル・ペトレンコがヴィーナーフィルハーモニカーの定期公演デビュ―した時の録音を流している。カラヤン晩年の指揮とのその差は大きい。なにも出来ないような管弦楽団からここまでの音楽を引き出している。生放送の時は後半に失望の方が大きかったが、今こうして聴き直すと限られた練習時間内でやはり立派な音楽にしている。

ヴィーナーフィルハーモニカーが今後の指揮者についてのリストアップで最後のキリル・ペトレンコを挙げていた。よく考えると、ヴィーナーフィルハーモニカーで当面オペラを振ることはないかもしれないが、定期以外にもミュンヘンでの七月の出番が無くなると、八月にはザルツブルクで振ることも予定されているのかもしれない。つまり再来年以降となる。



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二泊三日は必要ないか 2020-07-12 | 生活
オペラが引けて風呂と酒 2019-07-11 | 歴史・時事
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二泊三日は必要ないか

2020-07-12 | 生活
再びザルツブルク行の計画である。色々と見ると二泊三日で四回ぐらいの出し物を訪問することが可能だった。しかし、その前提は安い席が入ることである。現在見るところ安くて450ユーロの券購入と宿泊などで総額600ユーロほどになる。勿論その価格で全てが手に入ることは難しいので、万が一という事で、その案は第一希望とはならない。それならば最悪どのような券がどの公演で入手可能かという事で見て行くと、確実に宿泊とも手頃な価格で収まるのは一発狙いだと分かった。

ザルツブルクまでの走行距離は500㎞超えで、ハムブルクよりも近く走行時間も三十分ほど短い。それならば嘗てのように日帰りは慎むとしても一泊で事足りる。上手く行けば一泊で翌日のマティネーも立ち寄って、夕刻には帰宅可能だ。その場合、宿泊費も50ユーロほどで充分で、往路にピクニック、公演後に一杯飲んで軽食で充分だ。往復の燃料代も110ユーロぐらいなので、入場券以外の全支出は250ユーロ程で落ち着く。その場合入場券への上限が少し上がるので先ず都合のよい晩の上演が入手可能となろう。第二希望としてマティネーを組み合わせる。要するにあれやこれやとすると二兎を追うものは一兎も得ずとなるので、焦点を定めた。高くつくぐらいなら断念する。これで方針が決まった。TV放送中継や収録などの日も調べた。

そもそもモルティーエ時代以降初めてそこを訪問するかと言えば、やはり今年は空いているだろうというのが一番大きい。夏の暑い時期に観光客が埃を上げている喧噪のところに行っても少しも芸術的な感興が生じない。なるほどカラヤンの自宅のアニフ辺りまで行くと観光客がウロウロしていても自然が大きいので清々しかった。車で裏山に上がると直ぐに800mほど近くまで上がれた。

その点、今回出かけるとしても往路の途中でチェックインして、会場の横に車を停めて、一杯ひっかけて宿に戻る位だから、ミュンヘンの街中を走るよりは気楽である。そして何よりもコロナ期間中の様子を見て来れる。ヴィーナーフィルハーモニカーの馬鹿さ加減を観察して来れる。殆ど野次馬である。自動運転機能が完備した車ならば18時間ぐらいで往復してくるのだが、やはり一日に千キロの旅は交通違反しか待ってはいない。往時とは異なって安く手頃な宿がそして今年だからこそ容易に見つかる。これが大きい。来年になるととてもこんなに安い旅は出来ないであろう。

駐車場も以前はトンネルの裏側に停めていたが、他にもあるのが分かった。確かに雨の時などは洞穴の中でも足元が悪い時があった。細かく見ていると当時は感覚だけで走っていた道筋が分かる。大まかな事だけは分かったので、あとは席が予約出来てからだ。その為にログインして、クレディットカードまで登録すると1ユーロ取られた。それで問題なく会計できれば仕方がない手数料だろうか。

そこに拘ることはないのだが、目星をつけていた宿はドイツ側だった、そして高速道路から外れていた。だから安かったのだ。それでも遠回りは十キロ十分ほどで、アウトバーンの国境前が込んでいるときは都合がいいかもしれない。そこから祝祭劇場裏までも十キロほどである。今回はそれほど通わないが、国境によってはオーストリア側に嫌がらせを受ける。それほど小さな国境ではないので問題はないと思う。



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マスクを素早く着脱 2020-07-11 | 文化一般
百周年ザルツブルク祭計画 2020-07-09 | 雑感
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マスクを素早く着脱

2020-07-11 | 文化一般
ベルリンから新シーズンへの情報が流れて来た。先ず当局の定めは、八月中は500人まで、九月中は750人まで、十月一日から1000人までの入場が可能となる。また合唱は許可されない。それに準じて、ベルリナーフィルハーモニカーは新シーズンのプランBのプログラム、入場券発売の日程を今月末に発表すると連絡があった。

要するに上の条件で年内のプランBが定まった。先ず、明らかなのは合唱曲は年内は全て除かれるという事だろう。そして、舞台上は、ツェッチマン支配人が語ったように、60人までの編成となる。その基準でジルフェスタ―コンツェルトを除く年内の全ての公演が八月中に発売される。

更に具体的に推測すると、オープニングは四人に一人掛け、九月中の座席は三人に一人掛けとなる。十月からも一席づつ開けてでは1.5mの間隔が取れないので、精々三人に一人掛けで850人収容ぐらいが限度となるだろう。

プランBに関しては一部の大編成の曲が入れ替えられる。またプログラムが休憩無しで短くなる。それ以外は変わらないとなる。個人的に関心があるのは、十月末のアメリカ旅行の為のプログラムが入れ替えられることになりそうなので、エロイカ交響曲が入るのではないかと想像する。少なくとも「フィデリオ」全曲の可能性は無くなった。町人貴族やプルチネッラが入る可能性がある。するとそのプログラムとブラームスプログラムの二種でバーデンバーデン、フランクフルトは回れる。

兎に角、先ずはザルツブルクである。ベルリンでのオープニングの翌朝出発してザルツブルク入りだ。例年の如く条件が悪い。それゆえかブラームスの四番の売れ行きがあまり良くない。個人的にも同一プログラムは毎年ルツェルンでも演奏されるのであまり価値が無いが、今年はどうなるかよくわからない。しかし、上のバーデンバーデンで演奏するぐらいならばルツェルンまで足を延ばす可能性もあるだろう。もう一つのピアノ協奏曲はソリストも日程があるので何とも言えない。少なくともアルテオパーで予定されているので収容人数をどのように合わせてくるかだけだ。

安い席も空いているので考慮はするが、態々ザルツブルクまで行って聴く価値があるかどうか?やはりザルツブルクは芝居でもなくてオペラである。室内楽もベルチャ四重奏団などはチュリッヒに行った方が音響も良くて客層も良い。オペラは、「エレクトラ」と「コジファンテュッテ」の二作品で、両方と大劇場で上演される。両方とも手頃な券が買えれば二泊三日で片づけたい。例年よりも観光客も少なく、宿泊費もお得なので資は取れるだろう。上手く日にちが合えばとは思うが、ムーティ指揮の第九などは両方のオペラからの歌手が出るので連日では上演されない。

まだ来週ぐらいにザルツブルクの舞台袖で感染が広がって、準備が出来ずに、開催断念になる可能性も小さくはない。券を購入するならば支払い方法も返金が受けやすいように考えておこう。

ミュンヘンからの中継を観た。バイエルンの放送交響楽団をザルツブルクから駆け付けた指揮者メストが振って、ベルリンからピアノのイゴール・レヴィットが弾くというものだ。ベートーヴェンの第二は昨年ペトレンコ指揮でランランのピアノで聞いた。極力テムポを落とすとピアノ以上に楽団の弦楽器陣が悲鳴を上げていた。やはりこうした表現力となると特に間隔を開けているのでとても厳しい。

しかしなによりも最初のナレーションであったように、バイエルン州初だろうか、会場内でマスクをとることが許されていて、着席するまでのマスク着用義務へと他の州並に変わっていた。署名運動をやろうかと思ったほどのポピュリズム政治家の掛け声でワクチンが出来るまでマスク着用と叫んでいたが漸く馬鹿が修正された。規制を強化するのも緩めるのもポピュリズム政治家にとっては見せ所で、ヴィーンの首相もそれを実践している。これで秋のミュンヘンのオペラ訪問なども可能性としては再び浮上してくる。

ガスタイクの広い会場には百人の入場しか許されておらず、その分反響があっていつもよりもいいかもしれない。それに引き換え昨晩のパリのフィルハーモニーの情景は人を詰めてマスクをさせるという最悪のものだった。あれでフランス人が我慢しているのには感心する。



参照:
最後までの憎まれもの 2020-07-10 | 雑感
すわ、コロナ吐血か 2020-06-23 | 雑感
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最後までの憎まれもの

2020-07-10 | 雑感
ザルツブルク音楽祭で感染者が出た。月曜日に喉の調子が悪かった事務所の女性がテストを受けた。陽性者が二人見付かり、同僚の十人ほどとあるのでメンヒスベルクの事務所内ではなかろうか。小ホールの楽屋入り口もトスカニーニプラッツで皆同じだ。勿論彼女だけが感染していたならば問題はないが、十万人程の人口の市街地でこの二週間で19人も出ていて、指数は11を超えている。因みにフランクフルトが3で、ベルリンが7なので可成り高い。

そこで追跡調査としてメモのあった全ての人を洗ったという。本人と接触2m以下15分以上の濃密、更に2m以上15分未満と二種類の人物を十人ほど検査した。二名だけが陽性で、その他は再検査となるようだが、ドイツから夏の間だけ働きに来ている女性がどこでうつったかは分からない。陽性者数からすれば街中で感染した可能性もある。

これだけの条件で舞台の上や裏で感染が広がらないなんて言うことは珍しい。先週の百周年記念放送がオンデマンドになっていて取締役ヒンターホイザーが語っているのを聞くと、少々感染者が出てきてもやる覚悟でいる。問題は隔離をしているうちにパーソナルに不都合が出来てくることではないかと思う。

なによりもおかしいと思ったのは、感染者、接触者の調査対象範囲を広めての「2m以上」は、まさしく客席にも舞台上にも当てはまらない程の非濃密接触である。接触が長く同じ場所でというのがオペラや演奏会であって、一体演奏家や聴衆を何と思っているのだと言いたくなる。これで足の遠のく人が増えるだろう。

ザルツブルク音楽祭に出かけるにしても、いつどれに行こうかと考えている。そもそも再開後もあまり売れていないという話しをベルリナーフィルハーモニカーのツェッチマン支配人が英語のインタヴューに答えて語っている。券の販売からの収入が全予算の六割となっていて、席の支配は五六割が定期会員だとしている。

ドイツの他の管弦楽団の定期会員は今回二三割減少したのに比較して、大ホールで僅か3.8%の減少に留まり、室内楽ホールで解約無しとなったとされる。それゆえに、オープニングの収容人員四分の一までの制限で、また舞台上では年末までは最大60人編成でのプログラムしかできないことで、その反応を見たいとしている。よって、八月冒頭に発表されるプランBに於いてはプログラムを其の侭に一部マーラーとか合唱曲などの大編成の楽曲が不可能となって、休憩時間無しに行われるということだ。

また、「先日のドルトムントにおいても一人陽性者が出ると多くの人が隔離されなければいけないなどと話されていた」など、一部にはお構いなしに出かけるという人がいる一方、安全になるまで待とうという慎重な人が常連さんにも少なくないというのである。

これは実際にヴィースバーデンとドルトムントへと出かけて、またフランクフルトでの売れ方などを見ていて、既に確認している。反対にミュンヘンなどでは一気に売れたことなど、需要と供給の関係が興味深い。前記ザルツブルクでの第一次第二次の残券状況はその事情を示している。

「ゲルンュペル」2017年産の二本目を開けた ― 一本目はコルクで判断がつかなかった。十年先を愉しみたいリースリングであるが、酸がもう一つ弱く魅力的ではないのであまり期待できない。開けるワインが無いからであるが、やはりまだ果実風味が強く、飲み頃からは遠かった。若過ぎる。しかし、酸がやはりもう一つ愉しめない。全く欠点は無いのだが、繊細さにも欠けて面白くない。その味を反映して色も濃い。これは何十年経っても最後まで変わらない。

お隣さんが亡くなった。百歳を過ぎていた。最後まで一人で生活していた。十数年前にはまだ自転車を走らせていた。最後に挨拶したのはコロナ開放後の五月だと思う。近くには寄れなかったので元気はなかったが、会釈する程度だった。その前はコロナ前で、いつものように何かを苦情していたと思う。そして車を運転していた。同じ屋根の下に住んでいるのではないので、いつ病院に運ばれたかも知らない。少なくとも死後腐るまで見付からなかったのではなくてよかった。憎まれ者世に憚るの爺さんだったが、最後まで老人ホームに行くのを拒んでいたのは大したものだ。昨年までは市役所に行って苦情していた筈だ。あそこまで憎まれ者でなく、とてもあそこまでの覇気は自分自身には無いと思う。故人は帰来の憎まれ者だった。三十年程前に一度は他のお隣さんに殴られていた筈だ。勿論殴った方は裁判で散々虐められたと思う。



参照:
百周年ザルツブルク祭計画 2020-07-09 | 雑感
脱ガイストシュピール 2020-05-25 | 文化一般

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百周年ザルツブルク祭計画

2020-07-09 | 雑感
ザルツブルクに出かける計画をしている。音楽祭にモルティェ時代以降初めて出かけることになる。手頃な券が入るかどうかは分からないが、準備しておかないと券が買えない。嘗てなら日帰りで二三回行けたが、流石にその元気も意欲も無い。つまり宿泊が大切だ。ざっと調べると特に市内はキャンセルで大分安く出ている。世界中からツーリストが来ないので当然であろう。勿論条件が良ければ泊まったことが無い市内に泊まっても良い。街中も静かだろう。

しかし郊外も矢張り安いオファーが結構ある。嘗てネットで調べた事とが無いので比較はできないのだが、価格からすれば決して高価では無く、ドルトムント周辺よりも安いぐらいだ。つまりドイツを中心とした近郊からのツーリストも少ないという事だろう。これが音楽祭のティケットがまだ買えそうな雰囲気をよく反映している。

先日の音楽祭百年周年記念番組で、指揮者のヴェルサーメストが語っていた。メスト家のお爺さんの別荘があってザルツブルクではそこで過ごしていて、終演後車で三十分ほどで帰宅、湖畔の自然の中で朝を過ごして、再び街へ戻ると話していた。そうした定宿のある人は毎年同じようにそこで過ごすのだろうが、それ以外のツーリストが少ないだけでも静かだろうと思う。

バイロイトとは違って幾らかは涼しい土地なのでその点はそれほど構える必要は要らない。但し道中が長くなるので、ヴァカンス客を避けて走ることが重要である。その点では土曜日往や日曜日復を避けたい。それでも今夏はイタリア方面への交通量はぐっと少ないので、平素渋滞するところがましになるであろう。入場券は多少高くなっても宿泊代を落とせると特になるかもしれない。距離とか出し物を考えれば二泊三日だろうか。

ギューターローのロックアウトが行政裁判所で違法となった。既に指数が三十台になっていたからで、五十の基準よりも下がっていて、基本て権利に反するというものだった。今やデュッセルドルフが次を窺っている。

マスク義務を止めたオーストリアが再び州によって義務化へと戻した。ケルンテン州などは夜間のマスク義務が出来たようだ。またバルカン半島の感染拡大から国境を絞るようになっている。現在のところは上オーストリア州とヴィーンでの新感染があるらしいが、今後の動きが注目される。薄氷の上を行くようなツーリズム興業がこれで止まるようなことがあれば壊滅的な結果を招くのではなかろうか。



参照:
薄氷の上での千羽鶴 2020-06-11 | 文化一般
武漢で病人が出た遠征 2020-07-06 | 文化一般
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サージカルマスク品定め

2020-07-08 | 生活
予約通り床屋に行った。結局10分ほど待たされたが満足だ。何よりもサマーカットが嬉しい。お蔭で一日中涼しく寒いぐらいだった。明日からは摂氏27度まで上がるので嬉しい限りである。床屋は六週間臨時休業したので夏休み返上らしい。それならばとも思わなくはなかったが、サマーカットが冴えるのはここ四週間ほどで、そのあとになるとあまり意味が無い。汗を掻きにくくなるので身体も喜んで動かせることになって、新陳代謝も進む。健康的なのである。

前回使ったマスクを持って行ったら、うちのを使ってくれと言われた。マスクが一つ増えるのでそれもいいなと思った。掛け心地ももう一つで、鼻に付くというか、何かが違う。持ち帰って、我がコレクションと比較してみた。

先ずは不織布の生地自体が異なっていた。所有のものは起毛風で生地が確りしている。床屋から持ち帰ったのは紙みたいな生地で立体感が無い。実際に掛けていても上手に鼻の所も捌けない。サージカルマスクでもこれだけの違いがあるとは思わなかった。使い捨てであるからこのようなものなのかもしれないがやはりお粗末だ。

兎に角、一つ予備が出来たので、どのように利用しようかと思った。髪の毛はついていたが、手で取れたので、問題はない。これといった場所は思い浮かばないが、空いているスーパーや短時間の買い物に手軽に使おうと思う。要するに車のダッシュボードに放り込んで置く。いざという時に使える。但し警察や国境警備に停められてマスクをしようとして手を運ぶと射撃される恐れがある。

車のラディオはルーブル美術館が開放になって、中国人やアメリカ人が居ない静かな観賞が出来るとしている。それでもモナリザの前で一人でというぐらいの入場制限をして、ナヴィシステムを使っているので、予約が取るののが難しいだろう。パリがそれ程安心できる場所ではないからいけないが、広々としたところで観賞できるならそれは羨ましい。

去る日曜日の再放送を録音した。ベルリンでのフィルハーモニカーの一月末の定期演奏会中継で、DCHでもまた時差生中継もされた演奏だ。初の国内演奏旅行でハムブルクのエルブフィルハーモニーとフランクフルトのアルテオパーで二度聴いた。だから、その後このベルリンでの演奏は録音も耳にしていなかった。そして中継も殆ど聴かずに録音だけしておいた。録音も生中継時に比較すると冴えないと思ったが、そのよう音響技術的なことを越えて、このプログラムの演奏は今迄の頂点に達していたことも再確認した。そしてアルテオパーの後、ドレスデンのクルテューアパラストの演奏でコロナ中断となった。その後フィルハーモニカーは公開演奏会は開けずに、八月末の新シーズンのオープニングを迎えることになる。それも大編成とは中々ならないので、この演奏会へとは中々続かないことになる。

一年ぶりに蚊取り線香を焚いた。一昨日辺りからチクリとすると思ったが、床屋で待っている間に腕を見ると虫さされのようになっていた。特に蚊という確認は出来ていないが、その手のものを追い払ってくれるだろうから焚いた。これもサマーカットと同じで刺される前ぐらいに焚いておかないと意味が無い。一度二時間ほども焚いておくと部屋中に匂いが広がるので効果的な駆除になる。



参照:
最高品質のメードインシナ 2020-04-30 | 生活
理髪師協会のコロナ対策 2020-05-06 | 生活 
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注目する親子関係

2020-07-07 | 文化一般
ルツェルンから連絡が入っていた。来週の券の発売の前宣伝としてそこの管弦楽団でデビューを果たす93歳になろうとしている指揮者ブロムシュテットにインタヴューをしている。初めての楽団でどうかと尋ねると緊張しているというのだ。更にやってみないと分からないのは、初めての1.5mの間隔を開けた管弦楽団の指揮である。ベートヴェンに合わせて35人編成という事で、それは管のバランスに注意すればよいが、やはり間隔だという。

共演するマルタ・アルゲリッチとは何回も共演しているので心配はいらないと胸を張り。最後に共演したのはバーデンバーデンでベルリナーフィルハーモニカーとで、その前にベルリンでと、完全にノルウェーのピアニストアンセルヌと勘違いしている。3月にベルリンで共演して、準備をしていながら復活祭が取り止めになったので幻の演奏会となったのである。その共演者がアルゲリッチだと完全に錯乱してしまっている。ピアニストの顔を見て挨拶すれば正気に戻るだろう。

秋のベートーヴェンプロジェクトに関しては11月20日から22日となっている。もしここにベルリナーフィルハーモニカーを入れるとすれば23日からはバーデンバーデンに準備していた筈だから無理で、前はアメリカ旅行で無理だった。その前は、11月4日がアルテオパーなので、時間がなかった。初めから言及されていた秋とは9月以外にない。しかしアメリカツアーが無くなったので日程的には19日までに入れれる。

つまりザルツブルクに続いての開催しかない筈なのだが、未だにその予定は発表されていない。フェスティヴァルを8月一杯に定めたのは人数制限では、9月のそれを一緒に扱えない事と、又元来のプログラムを補うものは他にないという意味かも知れない。少なくとも秋に何かをというのはこれで終わる筈はないのだが。

そのザルツブルクも良く分からないが、既に一部初日とか放送日とかは完売しているが、あまり売れていないとみている。理由は、ヴィーンやザルツブルクやリンツ近郊からの聴衆を除くと圧倒的に多いバイエルン州からの聴衆は限られると思われるからだ。今までの公演の様子を見ていても、慎重になる人が多く、特にバイエルン州ではザルツブルクのクラスターからコロナを持ち帰ったなどとなると大変面倒なことになるからだ。人口比からも全体の三分の一の発券のなかで三分の二ほどはバイエルン州からだと思う。八万席中六万席ほどはドイツからに違いない。バイエルンから五万席ほどが出るかどうか?

指揮者カルロス・クライバーの誕生日に因んで三時間以上の番組が流された。放送を書いているのは上のブロムシュテットの自伝を筆記したスピノーラ女史である。昨年はキリル・ペトレンコの番組がSWRで流れた。音楽を流しながらでもとても長く、その一生を網羅していて内容が満載である。特にそれほど熱心に調べたことが無い者などにはその活動自体が不定期だったので時制が繋がらなかったが、それが上手に綴られていた。

先ず唯一の30歳当時のインタヴューが聞きものだった。人見知りするような青年で、デュセルドルフの音楽監督になった時のもので、バロックを指揮している録音が流された。ヴィーンのフォルクスオパーやバードイシュールなどでのオペレッタの指揮経験から最も指揮が難しい分野としている。そこでは身元がばれないようにケラーと名乗っていたらしい。全ては親の威光から逃れるためだが、最初から音楽の世界に進むことを拒絶されていたが結局チュッリッヒの工科大学で化学を一ゼメスターでアルゼンチンに戻っても父親の協力を得ている。

この辺りの親子関係も番組の終わり近くに出てくるカルロスはエーリッヒ・クライバーの子供では無くて、ユダヤ系のアメリカ人母親とエ-リッヒが初演した「ヴォッツェク」の作曲家アルバン・ベルクの子供ではないかとされる所である。証言として姉か妹かの証言として、カルロスの机にはベルクの伝記が置いてあったことが紹介されている。もしベルクと母親ルートとの間に生まれた息子とすれば色々とすっきりと腑に落ちることが沢山ある。

重要な録音が、「こうもり」、「ばらの騎士」、「ラトラヴィアータ」、「トリスタン」、「コリオラン」、交響曲、「大地の歌」などが流されて、ミュンヘン、ドレスデンなどの楽団員がエピソードを語り、惚れていたかもしれないというファスベンダ―や研究伝記作家などがその意味合いを説明した。



参照:
マスク着用のあれこれ 2020-06-27 | 雑感
紫の華には猛毒が 2020-06-29 | 雑感
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武漢で病人が出た遠征

2020-07-06 | 文化一般
ザルツブルク音楽祭の二次発券が始まる。パトロンやスポンサーなどを除いた段階で、今年の券を購入していた人向きである。既に傾向は出ていると思うが数を減らした分がどこまで売れるか?丁度発売日前でNDRで特番をやっていたのでちょこちょことBRと切り替えながら聞いていた。ヒンターホイザーという人はピアノも弾く営業の取締役だが、その話しを聞いてなるほどとも思った。

何だかんだとごてごて話していたが、結局お好きなジョージ・クラムのように雲をつかむようなお話しだった。なぜこの人が場違いなポジションにいるのか分からなかった。益々ザルツブルク開催への不安に襲われた。

ざっと今までの経験からすると通常の入場者の三分の一が上限で、実際に八万席のみが売られる。需要は高くてというが、地元近辺やヴィーンからはまだしもバイエルン州からどれほどの人が押し寄せるのかはとても疑問である。

元々券を持っていた人がどれほど取り返していくのか、オペラでは「エレクトラ」しかないが、その管弦楽の規模もまだ発表になっていない。縮小しなければ最終的には無理だと思う。「コシファンテュッテ」も短縮版である。

そのザルツブルクで中心となるヴィーナーフィルハーモニカーがインタヴューに答えている。とても興味深いのは、昨年の10月に武漢で演奏していて、団員の多くが病気になったという事だ。あれだけドサマワリを専門にしている楽団が体調を崩すのは珍しい。それゆえに今回抗体テストを全員にしたという。しかし期待したような結果では無くて一人も抗体を持ち合わせなかったとある。

どのような抗体を検査したのかは分からないが、その手のコロナに感染している人がいなかったという事なのだろうか。そしてこの10月に再び極東旅行が予定されているようだ。そもそも旅行が可能になるかどうかが分からないが、呼び屋さんの方が3分の1とかしか入場を許されなかったら困難だろうと憂慮する。8月25日に最終判断をするという。

フィルハーモニカーはヴィーンの歌劇場の公務員だが8割の給与を得ているというからいい。そして劇場はアルプスの小国にとっては重要な観光資源となっている。そして辞めた前音楽監督のヴェルサーメストが口火を切った。支配人のマイヤー氏が交代するにあたって、その確執からの守秘義務から解放されたと判断したからだ。

経験の薄い可愛い歌手などを起用したことから、国立劇場が世界的に価値を失ったと支配人を激しく非難している。それが監督辞任の真相だったとなっている。そして、外交官のような表向きだけの人間とは付き合えないとしている。

ヴィーンの国立劇場がその芸術音楽的な価値を失ったとする糾弾に異議を申し立てる者は殆どいないだろう。勿論メスト氏が語るように、そのアンサムブルを保証するのは経験のある専属歌手であって、いちいちトレーニングするようなところではないというのは正しい。

何故ヴィーナーシュターツオパーもフィルハーモニカーも音楽的な程度が下がってしまったかというと、それはあまりにもの商業主義に走ったからでしかない。そして新体制もその興行のコンセプトを強化していく。

先の計画をしようにも定まらない。ヴィースバーデンとドルトムントで生演奏を二回聴けたことは良かった。九月までに相当するようなものはなかなか見つからない。もし出かけていなければ二月のアルテオパーでの交響的舞曲が最後の曲となっていた。幻聴を聴きそうになるところだった。同曲のベルリンのフィルハーモニーでの録音を聴いてもあの瑞々しい響きとは似ても非なるものだ。曲によってはやはりHiFiでも補えない響きがそこにある。



参照:
薄氷の上での千羽鶴 2020-06-11 | 文化一般
手袋つけての館内移動 2020-06-10 | 文化一般
大胆不敵なヴィーナー 2020-06-08 | 雑感
あまりにも壊れ易い世界 2020-02-23 | 音
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その時は未知の人だった

2020-07-05 | 
朝一番で走った。天気は良かったので森の一部は寒々していた。しかし二十メートルも進むと蒸し暑さもあり、陽射しがあって空気が淀んでいた。車外温度は12.5度だったので、冷えているところは10度に近かったと思う。午後は温度が上がって26度だから、その温度差は大きい。

週明けの床屋の予約が取れていなかったならば憂鬱だったかもしれないが、サマーカットすればどんと来いという感じだ。髪の毛が短くなると衛生的にも良い。

歯のブリッジを入れて暫く歯間ブラシを切らしていたら炎症を起こした。それを治していくのにそれ以上に時間が掛かかる。歯を抜いたところの顎の骨が合わせてくるのには半年ぐらい掛かるらしいが、歯茎も時間が掛かるのだろう。歯科衛生士さんに最初からその隙間の事を話していたので思いっきり指で潰された。その後遺症も何週間もあった。だから歯茎が確りしてくるまではどうしてもバクテリアが溜まりやすいのだろう。当分は歯間ブラシを手放せない。

医療保険は契約通り半分を支払ってきた。これは助かる。その額で眼鏡を作れるだろう。但し濃密接触になるので考えものだ。少なくともマスクなどをしている限りは小売り経済は簡単に戻らないだろう。

ネット放送を見ていたら、東京都知事候補宇都宮の最終放送がとても面白かった。以前から候補になっているときの演説やら話しを見聞きしていたが、今回は大分印象が良かった。なによりも具体的なことをよく研究しているのかとても詳しい。様々な業種の人と話していてもその内容が痛いところに手が届くようなもので、弁護士でもその都度にもそこまで立ち入れるかと思うほど事情通だ。すると番組の内容自体がとても高度になっていた。以前は築地の事にでもその党派性を強く感じたが、そうした党派性霧消させる程に具体的になった。

選挙制度にも批判を呈しているようだが、やはりこうした態度を吟味できるような選挙活動でなければ意味が無い。たとえ東京がメガシティーとしてその規模がどれほど大きくても市井の実情に対しての対応が出来ない限り共同体の行政にはならない。地方行政の首長としての勉強を飽くなくしていることがよく分かった。流石伊達に日弁連の会長を務めていた人ではないと分かった。

ミュンヘンのオペルンフェストのアーカイヴ録音から2004年の「ラトラヴィアータ」を聴いている。デビュー当時のアンニャ・ハルテロスが流石にしっかり歌っている。2001年にコンクールの審査委員を務めていて先ごろ亡くなった劇場の支配人ピーター・ヨーナスの推挙で登場が決まったようだが、その体格だけの声も出ている。2015年のバーデンバーデンのマルシャリンも悪くは無かった。未知の歌手だったのでこんなに立派に歌う人がいたのかと思った。やはりここ数年の疲労感が強く、技術的に失望することの連続だった。しかしそのインタヴューを聞くとなるほどミュンヘンでは人気が衰えないのも頷ける。来年はイゾルテを歌うので、その役へ上手く合して行って欲しい。

しかし、演出のヴァリコフスキーもそうだが、キリル・ペトレンコのコンセプトはハルテロスとヨーナス・カウフマンの二人の期用という事で大分定まってくるのではないかと思う。問題なく上演できることへの期待が膨らむ。



参考:
やはりライヴに来て 2018-12-11 | 音
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音

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殆ど平常の夏の生活

2020-07-04 | 生活
床屋のアポイントメントをとった。来週ぐらいから暑くなって夏休みに入って仕舞いかねないからで、毎年機会をとり逃す。今年は前回が床屋開放になって直後だったので二月前になる。伸びた、知らぬ間に伸びた。今週は涼しかったので少々鬱陶しいだけだったが、来週はサマーカットにして気持ちよく夏を過ごしたい。

今晩はインゲルハイムに行って鱒を聴く予定だった。リサ・バティシュヴィリの演奏だったがコロナで中止になった。翌々日に演奏する分は昨晩アウディ―のショールームから中継されていた。ラインガウウアーフェスティヴァルは地元のホールとの協力で開催は可能だった。券も大分出ていたが少なくとも定員の三分の一には出来たであろう。採算は室内楽であるから足りなければ寄付を集めれば実行可能だった。州もラインラントプファルツ州なので間隔さえ開ければ問題がなかった。要するに主催者にはそこまでの意欲が無かったという事に尽きる。そう言う連中には文化的なマネージメント流行らせておけない。

懸案のベルリナーフィルハーモニカーのアメリカお披露目ツアーが全てキャンセルされた。同時に次の日程も既に話されたようで、遅くとも2022年か2023年には行われるのだろう。2021年は日本旅行がどのようになっているかである。

これで十月末三日間のベルリンでの定期のプログラムが変わるだろうことと、そのあと十一月がどのようになるのか?少なくともそこでのプログラムもどこかで演奏されるのではなかろうか。十一月四日のアルテオパーは本来のヴェーベルンからメンデルスゾーン、ブラームスプロが演奏される可能性もある。ヴェーベルンが舞台に乗るかどうかだけだろうか。売れ行きは相変わらず悪いのでまだまだ削減可能である。

バーデンバーデンは別枠かも知れないが、キャンセルされた欧州ツアーが入って、ルツェルンなどが入っているのではなかろうか?新たにロンドンのプロムスがキャンセルされていることも分かった。兎に角発表まではまだ四週間ほどある。さてどうなるか。

ドルトムントに出かける日にバルコンで虫の息になっていた鳥の写真を写していた。戻ってきたら影も形も無かった。その様子からすると回復して飛んで行ったものと思われる。ドルトムントもコロナ新感染の状況はあまり良くないが、近くの日本人街のあるデュッセルドルフは倍以上の指数21を超えている。連邦共和国の基準では50を超えるとロックアウトが検討される。東京は2から3へと上がったと聞く。因みに我がワイン街道の地区は殆ど零で稀に1台に上がる。計算すると三月の酷い時は50を超えて何倍かになっていた時があっただろう。あのような状況はもう御免である。

先日この暑くなってから何人かがマスクを着けて街を歩いていた。殆ど初めてワイン街道沿いでマスクを着けた人を見た。薬局の近くだったから偶々だったのか、それともなにか新たな情報が流れたのかは不明だが気持ち悪かった。スーパーもワゴン無しで買い物が可能になって逆戻りすることはない。買い物の時のマスクだけが異常状態で、人込みを避ければなんら平常の生活と変わらなくなってきている。



参照:
デルジュスの音を堪能 2020-06-02 | 文化一般
お見通しの僕の思惑 2020-06-14 | 女
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ドッペルレーゲンボーゲン

2020-07-03 | 雑感
ルツェルンから二日続けて封書が入っていた。招待状か何かと思ったら最初のは寄付のお礼だった。そこには一部とか書いてなかったので、これは全額取られたかなと思って様子を見ようと思ったら、翌日に返金のお知らせが入っていた。金子にきっちりしていることは良いことだ。そこはバーデンバーデンもまだまだ見習うべきところがある。

東京だけでなく世界の各地でのクラスター騒ぎが絶えない。第二波に近いのは合衆国の南部や西部なのかもしれない。ドイツでも場からクラスターはロックアウトへと至った。そしては先日訪れたドルトムントも良くないが日本の植民地デュッセルドルフも指数20を超えたので下手をすれば50を超えてロックアウトも考えられなくはない。間違いなくそれだけの理由がある筈だ。日本食のお店か何が原因かは分からないが、衛生状態が良くないのだろう。

7月1日付けでEUは14カ国に国境を開いた。そこに日本も含まれていた。基準はEU平均の指数14を上回わらない国で、相互に国境を開く国のみとある。二週間ごとにリストが更新されるので、落ちるところも出てくるかもしれない。

ヴィースバーデンからのシェーンベルク編曲「大地の歌」の生中継を聴いた。フォークトがどのように歌うかと思っていたら意外に悪くはなかった。月曜日のカウフマンが頭声を使うぐらいならフォークトの声の方が男性的に強く響くので違和感が無いと思った。もう一人のフォレの歌に興味があったのだが、やはり巧いなと思った。キャラクターとしてはそれほど親しみが無いが、確かに技術程度も高く、マーラーも上手に歌いこなしていた。興味深かったのはシェーンベルクの編曲で、日曜日のハムブルクからの生中継は聴き逃したが、これはとても価値があると思った。よくもあそこまで上手に鳴らせるなと感心する編曲だ。なるほど座付管弦楽団で技術的にも限度もあるが、ハムブルクの地方交響楽団比較して方向は異なってもそれほど悪くはないと思った。

ミュンヘンの劇場も早めに夏休みに入って九月に早く新シーズンとなる。ベルリナーフィルハーモニカーも早く夏休みに入って、予定通りのオープニングである。その分こちらはクルツアルバイト申請されていて、労働保険上の救済処置が取られている。当然ベルリナーフィルハーモニーの組織が負債過多にならないようにの手段である。解雇失業ならば失業保険が受けられるが、その手前の処置としてもよいだろうか。



参照:
マスク着用のあれこれ 2020-06-27 | 雑感
藤四郎の国立劇場 2020-05-31 | 文化一般

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バーデンバーデンの調印

2020-07-02 | 文化一般
バーデンバーデンの2021年復活祭上演二つ目のオペラがモーツァルト「ツァイーデ」から今年中止になったハルトマン「馬鹿物語」に変わった。理由は既に準備が出来ていたからというものだが、当然のことながら「ツァイーデ」のベルリンでの公演が無くなったという事になるのだろう。演奏はアカデミーの奏者で指揮者はレニヴだった。ベルリナーフィルハーモニカーのアメリカ演奏旅行の直前である。

都合に二枚を押さえていた。初日は殆ど売り切れ状態だったので天井桟敷を購入しておいた。そしてもう一日は比較的良い席を抑えた。それで交換という事なので、差額料金は戻ってくるのだが、二枚入らない。一枚は返上して初日だけにしたが、統一料金なので四月の為に特等席を取ってあった。それが無効になって、天井桟敷では情けないので、よい席に交換して貰った。それほどの席ではないが、仕方がない。損をしたようなものである。差額が戻って来るだけで良しとしよう。

そのバーデンバーデンの祝祭劇場がニュースになっている。祝祭劇場の不動産がバーデンバーデン市の所有になったという事である。元々は債務不履行になってオープン後直ぐに債権者の手に落ちたようだが、既に市が購入するクレディットも償還して、リーシング期間を過ぎて、所有者になった。同時にバーデンバーデン祝祭と25年間の賃貸契約が結ばれた。同時に年数億円の維持費も市が支出する。今迄も同じような家賃契約であったが、これで基盤が安定することになる。

コロナ禍で喘いでいるところなので、仕切り直しとしてはいいニュースである。市にとっても、バイロイト、ザルツブルクに並ぶ三大祝祭としての欧州チャムピオンを狙い、それら同様の経済効果を見込んでいる。それが公金を十数億円支出して、更に維持費を支払っていく根拠となっている。要するにバーデンバーデン祝祭にはそれに見合うだけの催し物を提供していくという事になる。

他の二つの音楽祭と異なるのは年間を通しての催し物の提供と大都市圏にあるという事で、宿泊などをしない日帰り訪問者も少なくはないであろうが、それは出し物の出し方や周辺事情によって変わってくるだろう。例えば復活祭での室内楽も計画されている小劇場が併設されれば、又ブーレーズ音楽祭などが始まれば宿泊の必要にも迫られるようになるだろう。上の小オペラも昼の出し物としてそのような役割も受け持っている。

兎に角、祝祭劇場は七月、八月にホテルや美術館で数回の室内楽演奏会を開いて、新シーズン九月、十月の既に休業しているロンドン交響楽団などに代わる新プランを六週間ごとの基準変化に合わせて八月後半に発表する。先ずは500人規模での演奏会となるようだ。つまり五分の一で、厳しいバーデンヴュルテムベルク州の状況に合わせてある。

既に250人までが許可になって、八月からは499人までとなっている。九月からは更に限界が上がる筈だ。つまり、八月一日の時点では十一月の入場制限数は500人からどれだけ上昇しているのか?



参照:
お見通しの僕の思惑 2020-06-14 | 女
怖くないコロナ第二波 2020-06-12 | 雑感
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