有名なブロガー・ノンチさんの「そんなに食べたら走らんと」の逆です。
ランニングで皇居へ行って、近くのパン屋さん「シェ風間」で、新宿に戻ってラーメン屋さんの「桂花」で、腹一杯食べた。
新宿の外側から皇居往復すれば20km近くあります。
ちょっとショートカットしたので今日は18kmのランニング。
そんなに走ったら腹へったーーー。
師走なので皇居ランナーも少し減り気味かな。
街を歩く人も心なしか少なくなっている。
新宿のパズタやターミナル駅は大混雑でした。
東京の街には外人さんが多くなって、変なところを歩いている。
普通、サラリーマンは歩いていないな、、、というところを平気で数人で歩いている。
外人さんは、東京の街の距離感を持ち合わせてい無いから、辺鄙なところでも歩いているのだ。
快晴で、信号待ちなどで止まると寒かった。
防寒ウエアーとスイカはザックの中。
何があるかわからないからねー。
スイカ1枚持っているだけで、くたばっても電車かバスで帰れるでしょ。
くたばって歩きになったら、寒くなるのでウエアーが必要でしょ、、、歳をとると用心深くなるのです。
そうそう、走り始めた頃は無謀にも。500円玉1つで遠くまで走って行って、疲れ果ててお腹が空いても500円玉1つだし、電車が頭の中に浮かんでも500円じゃ帰れない、、、なんてことがあった。
社会人たる者は数千円ぐらいは常時持っていなければと痛感しました。
同じことをノンチ(昔ランニング仲間だった)さんからも聞いたことがあった。
桜田門側の内堀では水鳥が何羽も浮かんでいました。
こちらは日比谷側(丸ノ内側)のお堀。
正月の参拝客用のテントを組み立て始めていました。
私が今立っているところはランニングのメッカで平日でも休日でも大勢のランナーが走っています。
大きな広場になっていて、ランナーの溜まり場です。
写真に写っていところは砂利が敷き詰めてあり、そこは神社と一緒で神聖な聖域でランニングは禁止です。
だからランニングなどの短パン・ランシャツでほっつき歩くのは、ここでは恥ずかしいことなのです。
陛下は神様じゃないけど、人の家の玄関を裸同然で走り回っちゃいけないということで、、、。
今日はデジカメは持参していなかったが、スマホがあれば鬼に金棒でしょ。
新宿の西側から走ってきて皇居を一周すると12kmを超えるくらい。
ちょっとショートカットしたから11kmかなーーー。
それから、皇居に来たら必ず立ち寄るパン屋さん「シェ風間」にお邪魔虫。
パン好きならば知る人ぞ知る、、、TV選手権でパン部門で優勝したことのある風間さんのお店です。
小綺麗なサンドイッチを発見。
900円したが、シェ風間のサンドイッチの美味しさはよく知っているので「これください、、、。」
「これ、店内で食べていいですか?」
お店の中にテーブルが一つあるのです。
指差して聞いてみました。
「お飲み物はいかがいたします?」
そう聞かれちゃコーヒーでも頼まないわけにはいきません!
まったりしていると。厨房のなかからシェ風間ご本人が出てきて、「その新作サンドイッチは人気なんだ」と仰るじゃありませんか。
以前からサンドイッチで挟むパンをトーストしたのがあって、それがえにも言われぬ美味しさだったと話したら、、、「ちょっと待って」。
奥からお皿に持ってきた「これ食べてみて」と新商品を試食させていただいた。
日本を代表するようなパン職人さんにおごっていただいて、、、恐縮だった!
それが、これ。
あんこかなーと思ったら求肥だという。
揚げパンの中に求肥とあんこが入っていた。
、、、何だかわからない、、、。
こちらは900円でゲットしたサンドイッチ。
左からサーモン、チーズ、イチゴクリーム、ハムとトマト、卵、牛肉と具がそれぞれ違うし、パン生地まで微妙に違います。
なんとも手間暇かけたサンドイッチです。
コンビニの180円でもいいけど、たまにはパン職人が全身全霊をかけたサンドイッチもいいでしょー。
贅沢といっても車道楽に比べたらお安いものです。
都内は駐車場代が3万円以上しますから、、、山手線の内側だったら10万円というところだってあります。
でも、ここは番町といって都内でも超高級な土地。
そんな住人や会社人がお客さんだから。
高価な物を所有するより、行為にお金をかけるほうが粋ってもんでしょ。といってもギャンブルじゃ元も子もなくなるけどねー。
すぐ近くにはイギリス大使館があって、私らランニングクラブ南蛮連合は忘年会をそこでやらしてもらっていました。
現在は大使館員がメンバーにいないので他所で忘年会はやっています。
つまり、シェ風間の客層がお金持ちなんでしょう。
パン屋さんの「シェ風間」のURLは
腹に少し入れて一服してランニングを再開したら、、、あらーーー足が軽やかになっていた。
そりゃ良いものを食べて、良いお話が聞けて、コーヒーでも飲んだら疲れは飛びます。
タカタカ20号線(甲州街道)を新宿方向へ走って行きました。
とその時、、、ふと頭の中を「桂花ラーメンの丼」がグルグル回り出したのです。
うーむ、これは「新宿の桂花ラーメンを食べよ」という神のお告げなのだーと思い、足はその方向へ、、、。
トイレタイムを伊勢丹で用足ししてお店に向かった。
このコースではトイレの場所は完全把握しています。
千駄ヶ谷駅前の交番裏の公衆トイレ、同じく千駄ヶ谷の東京体育館の綺麗なトイレ、外苑周回路には公衆トイレが2つあります。それから皇居まではしばらく無いが、桜田門側のランナーズ広場に一つ、皇居を挟んで反対側の毎日新聞社前の竹橋に一つ、20号線で戻るなら四ツ谷駅前に公衆トイレがあります。新宿まで戻れたら各デパートや映画館などの施設には綺麗なトイレがあります。
一応、大混雑の伊勢丹で用を済ませてから、いざいざ桂花ラーメンへーーー。
新宿東口店が東京の一号店だと思っていたら、末広店が最初だったとは〜〜〜。
年末だしスペシャルなラーメンということで、大奮発して特製ラーメン1000円。
じゃーん
桂花ラーメンの特徴は生キャベツと太肉(たーろう)かな。
チャーシュウはどこでもあるけど角煮を入れるところは少ない。
1階が混雑していたので2階で食べました。
階段が狭いので2階に上がることは少ない。
今回はそれが良かったのだ、、、。
店内に張り出してあったメニューやパンフレットには、昭和43年に熊本から東京へ進出してきたと書いてあった。
それで、店内にいらしたおジジに「その頃」といえば私が大学生になったので、それから桂花ラーメンを食べていますよーと自慢した。だって桂花のお客として私だって40数年、、、そんじょそこらの店員さんより詳しいぞーて意識あるでしょーーー。
すると、接客されていたおジジが、、、桂花ラーメンのいきさつを詳しくお話になられるので「えらく詳しいですねー」と”褒めて”やったら「私は創業者の久富サツキさんの親族です」と、、、仰天してしまった。なんと無礼な態度だったか、、、とびっくり仰天。
「あんた詳しいね!」
あーーーはずかしいことを言ってしまった。
久富サツキ(女性、今でも存命)が昭和30年に日本国民が戦後で満足に食べれなくて、桂花ラーメンはいっぱいのラーメンでそれなりの栄養価が取れる食事をとの思いで作ったと言います。
豚骨ラーメンは九州のもので、当時、桂花ラーメンは熊本市内に3店舗展開していたそうです。
それで、福岡や鹿児島など九州の各地に店舗を構えようかという時に、どうせなら東京へうって出てみようということに。
福岡に出るのも東京に出るのも一緒じゃないか〜ということでした。
東京に進出するにあたってお味をさっぱり系に変えたと。豚骨スープはどうしてもギトギトになりやすいので、そこに注意したと言っていた。
東京に出て1年目は、九州ラーメンの豚骨臭が受け入れられなくて散々だったと、、。
2年目に入って、東京のお客さんが慣れてきたのか、あの味をもう一度ということで、急に爆発的に人気店になった。
当時のマスコミと言っても今みたいに媒体が複雑で多かったわけじゃ無いけど、あちこちから取材が来て、、、なんと今話しているおジジが「取材陣を私が対応したんです」と、、、なんと、なんと。
45年前のことを話していただきました。
「でも、、、熊本本店でも食べたけどお客がいなかったぞー、東京店は繁盛していますね」、、、とまた失礼なことを私が言ったら「あれは何年の頃かな、桂花ラーメンが東京に進出する前が、熊本店が一番繁盛していたんです。お昼の頃に熊本市役所に出前を100杯届けましたよー」「エレベーターがなかったから5階まで出前するとそばが伸びちゃってねー、うまくなかったんじゃ無いかなー」と遠くを見るように、懐かしそうに思い出を語ってくれた。
それで東京進出が大成功して、熊本が本店だけど東京の桂花ラーメンは大人気店になった。
ということは、、、このおジジは桂花の東京進出の立役者なんじゃないかーーー。
なんてことを、、、言ってしまったのだ、、、。
お店の飾ってあったお写真を見ると、創業者の久富サツキ さんは中々美人なかたです。
桂花ラーメンは2010年あたりに会社再生法が適用されて、同郷のかたが援助したと言います。
いい話を聞けて、お腹もいっぱいになったことだし、あとちょっとの距離だったので元気に走り出しました。
ランシモがここのところ、「乗り鉄てつちゃん」になっていたので、たまには長距離を走らなきゃーーーと今日は頑張りました。
18km走っても、シェ風間のサンドイッチと、桂花特製ラーメン(850キロカロリー)を食べたら、、、オーバーだーーー。
そんなに走ったら腹へった、、、の巻きでした。
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