働くということ 実社会との出会い, 黒井千次, 講談社現代新書 648, 1982年
・「一生の大部分をかけて自分は何をやりたいのか、何になりたいのか。いったい何のために働くのか。たとえ給料はあまり上がらなくとも、自らの意志で、納得のいく仕事がしてみたいと望むのはなぜか。何かをなしとげた時に味わう手応え、自己実現の欲求こそ、労働の本質である。会社勤め十五年の体験を振り返りつつ、働くことの意味と意義を考える。」カバーより
・「企業の選びかた」、「面接の受けかた」などのいわゆる就職マニュアルが多く出回っているようですが、就職を考える学生さんにはそのような本に併せて、「就職するとはどういうことか」という根本的な問題についても考えてみる必要があるのではないかと思います。そんなときの考えるヒントとして、良い本なのではないでしょうか。 ・・・とかエラそうなことを言いながら、自分の場合は、よく考えもせず、就職活動もせず、「気がついたら今の職場にいた」という状態。
・この著者、作家を目指しているというだけあって、新書ではあまり見かけないタイプの文章です。もっとも今では「作家」として名のある方のようですが。
・「こんなふうに言えるのではあるまいか。現代の学生にとっては、就職とは職業に就くことを指すのではなく、むしろこれから職業をさがし始めることを意味するのだ、と。」p.20
・「大学の卒業予定者が胸に抱く就職の条件とは、多分に一方的で身勝手なものである。そんな夢を描けるのはこの時期の特権なのだから、それはそれで一向に構わない。ただ、その夢がどれほど脆いものであるかは、就職試験に失敗していくにつれてみるみる明らかになる。当初の希望が一つ一つ押しつぶされ、最後にはどこでもいいからとにかくはいれねばならぬ、との焦りに駆り立てられるに至る。」p.24
・「経済原論や経済学説史や経済政策論の講義などを受けていた大学と、従業員として働くことになった会社なるものとが、どれほど異質の存在であるかということを、そのソロバンは痛いほどぼくに教えてくれた。ここにあるのは教科書や研究論文ではなくソロバンなのであり、高邁な理論ではなく実務なのであるということを――。」p.31
・「つまり、企業内で働く人間にとっては、時間とは金に他ならないのである。「時は金なり」という諺を、本来の「時」の貴重さにウェイトをおいた形ではなく、「金」への欲求の方にウェイトをかけた形で奇妙に実感させてくれる場所が会社であった。」p.34
・「毎日毎日、繰り返し改札口でキップを切っている人間が、ある時ふと、俺は一体何をしているのだろう、と我が身を振り返る。」p.52
・「会社勤めの生活を少しでも経験した人なら誰でも身に覚えがあるはずだが、職場で仕事がないほど辛いことはないのである。」p.67
・「私が悪かったために欠陥のある商品が世に出てしまったのだ、と心から痛みを感じ得るような人間がメーカーの内部に果たして存在するものなのであろうか。」p.77
・「仕事の出来の悪口を言われることが自分自身の悪口を言われることとして感じられてしまう」p.103
・「それが実情ではあったとしても、会社で働いている人間が自分の「職業」はなんであるかと考えた時、「サラリーマン」と自答してはならない。「会社員」と答えてはならない。もしそう答えるなら、彼は自らの置かれている状況をすべてそのまま認め、一切の異議申し立てをせず、ただ命じられたことを唯々諾々と受け入れて働く存在に過ぎなくなるだろう。」p.120
・「「二足の草鞋を穿く」とは、もともと両立しがたい仕事を一人の人間が行うという意味であり、本来は博徒などが十手をあずかる場合を指すのである。いわば、これは絶対的な矛盾の表現である。」p.147
・「会社が求めているのは職場にいるときだけの人間ではなく、二十四時間の企業人なのだから、と。」p.149
・「彼等が身を委ねている猶予の中の自由が、真の人間的自由であるとは思えない。きわめて意識的に就職への道を拒絶し、自らの独自の進路を模索している少数の人々を除けば、彼等はただ怯んでいるのであり、面倒臭がっているのであり、遊びたがっているのであり、そして親の側に彼等の猶予の生活を支える経済力があるに過ぎぬのだ、とはいえまいか。 人間の自由は不自由を避けたところに生ずるのではない。不自由の真只中をくぐり抜け、その向こう側に突き抜けた時にはじめて手にすることが出来る。さもなくば、現在享受しているものが本当の自由であるか否かも確かめられないだろう。」p.159
・「企業に就職することが生きていく上の必要条件だといいたいのではない。労働に出会うことが、労働の中で自己を確かめようとすることこそが人間の成長にとって不可欠の要件であるといいたいだけなのだ。」p.162
・「企業で働く人間にとって、収入の安定は生活の安定を生みはするけれど、一方でそれが真の労働の姿を見失わせる力として絶え間なく自分に働きかけている危険が忘れられてはなるまい。」p.165
・著者の出した最終回答→「働くということは生きるということであり、生きるとは、結局、人間とはなにかを考え続けることに他ならない。」p.180
~~~~~~~
?かんよう【涵養】 徐々になじませて養い育てること。「道徳心(読書力)を涵養する」
?しかつめらしい【鹿爪らしい】
1 いかにも道理にかなっているようである。もっともらしい。しかつべらしい。
2 堅苦しくまじめくさった感じがする。まじめぶっている。形式ばっている。
うああ!!!「しかめつらしい」だと思ってた!!!
?えいい【営為】 人が意識的に行なうこと。いとなみ。
チェック本:ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』木村浩訳 新潮文庫
・「一生の大部分をかけて自分は何をやりたいのか、何になりたいのか。いったい何のために働くのか。たとえ給料はあまり上がらなくとも、自らの意志で、納得のいく仕事がしてみたいと望むのはなぜか。何かをなしとげた時に味わう手応え、自己実現の欲求こそ、労働の本質である。会社勤め十五年の体験を振り返りつつ、働くことの意味と意義を考える。」カバーより
・「企業の選びかた」、「面接の受けかた」などのいわゆる就職マニュアルが多く出回っているようですが、就職を考える学生さんにはそのような本に併せて、「就職するとはどういうことか」という根本的な問題についても考えてみる必要があるのではないかと思います。そんなときの考えるヒントとして、良い本なのではないでしょうか。 ・・・とかエラそうなことを言いながら、自分の場合は、よく考えもせず、就職活動もせず、「気がついたら今の職場にいた」という状態。
・この著者、作家を目指しているというだけあって、新書ではあまり見かけないタイプの文章です。もっとも今では「作家」として名のある方のようですが。
・「こんなふうに言えるのではあるまいか。現代の学生にとっては、就職とは職業に就くことを指すのではなく、むしろこれから職業をさがし始めることを意味するのだ、と。」p.20
・「大学の卒業予定者が胸に抱く就職の条件とは、多分に一方的で身勝手なものである。そんな夢を描けるのはこの時期の特権なのだから、それはそれで一向に構わない。ただ、その夢がどれほど脆いものであるかは、就職試験に失敗していくにつれてみるみる明らかになる。当初の希望が一つ一つ押しつぶされ、最後にはどこでもいいからとにかくはいれねばならぬ、との焦りに駆り立てられるに至る。」p.24
・「経済原論や経済学説史や経済政策論の講義などを受けていた大学と、従業員として働くことになった会社なるものとが、どれほど異質の存在であるかということを、そのソロバンは痛いほどぼくに教えてくれた。ここにあるのは教科書や研究論文ではなくソロバンなのであり、高邁な理論ではなく実務なのであるということを――。」p.31
・「つまり、企業内で働く人間にとっては、時間とは金に他ならないのである。「時は金なり」という諺を、本来の「時」の貴重さにウェイトをおいた形ではなく、「金」への欲求の方にウェイトをかけた形で奇妙に実感させてくれる場所が会社であった。」p.34
・「毎日毎日、繰り返し改札口でキップを切っている人間が、ある時ふと、俺は一体何をしているのだろう、と我が身を振り返る。」p.52
・「会社勤めの生活を少しでも経験した人なら誰でも身に覚えがあるはずだが、職場で仕事がないほど辛いことはないのである。」p.67
・「私が悪かったために欠陥のある商品が世に出てしまったのだ、と心から痛みを感じ得るような人間がメーカーの内部に果たして存在するものなのであろうか。」p.77
・「仕事の出来の悪口を言われることが自分自身の悪口を言われることとして感じられてしまう」p.103
・「それが実情ではあったとしても、会社で働いている人間が自分の「職業」はなんであるかと考えた時、「サラリーマン」と自答してはならない。「会社員」と答えてはならない。もしそう答えるなら、彼は自らの置かれている状況をすべてそのまま認め、一切の異議申し立てをせず、ただ命じられたことを唯々諾々と受け入れて働く存在に過ぎなくなるだろう。」p.120
・「「二足の草鞋を穿く」とは、もともと両立しがたい仕事を一人の人間が行うという意味であり、本来は博徒などが十手をあずかる場合を指すのである。いわば、これは絶対的な矛盾の表現である。」p.147
・「会社が求めているのは職場にいるときだけの人間ではなく、二十四時間の企業人なのだから、と。」p.149
・「彼等が身を委ねている猶予の中の自由が、真の人間的自由であるとは思えない。きわめて意識的に就職への道を拒絶し、自らの独自の進路を模索している少数の人々を除けば、彼等はただ怯んでいるのであり、面倒臭がっているのであり、遊びたがっているのであり、そして親の側に彼等の猶予の生活を支える経済力があるに過ぎぬのだ、とはいえまいか。 人間の自由は不自由を避けたところに生ずるのではない。不自由の真只中をくぐり抜け、その向こう側に突き抜けた時にはじめて手にすることが出来る。さもなくば、現在享受しているものが本当の自由であるか否かも確かめられないだろう。」p.159
・「企業に就職することが生きていく上の必要条件だといいたいのではない。労働に出会うことが、労働の中で自己を確かめようとすることこそが人間の成長にとって不可欠の要件であるといいたいだけなのだ。」p.162
・「企業で働く人間にとって、収入の安定は生活の安定を生みはするけれど、一方でそれが真の労働の姿を見失わせる力として絶え間なく自分に働きかけている危険が忘れられてはなるまい。」p.165
・著者の出した最終回答→「働くということは生きるということであり、生きるとは、結局、人間とはなにかを考え続けることに他ならない。」p.180
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?かんよう【涵養】 徐々になじませて養い育てること。「道徳心(読書力)を涵養する」
?しかつめらしい【鹿爪らしい】
1 いかにも道理にかなっているようである。もっともらしい。しかつべらしい。
2 堅苦しくまじめくさった感じがする。まじめぶっている。形式ばっている。
うああ!!!「しかめつらしい」だと思ってた!!!
?えいい【営為】 人が意識的に行なうこと。いとなみ。
チェック本:ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』木村浩訳 新潮文庫