ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】神社の由来がわかる小事典

2009年10月06日 22時01分54秒 | 読書記録2009
神社の由来がわかる小事典, 三橋健, PHP新書 469, 2007年
・神社の定義、歴史、祭神、参拝、建築などについて300頁ほどでコンパクトにまとまった書。巻末に『神社略年表』と索引を収録。
・最近多く訪れるようになった神社についての知識を得たく、本書を購入。このように明確な目的を持って本を買うのは久しぶりのこと。本書により大雑把なことは分かったが、普段から抱く小さな疑問にはあまり答えてくれず、少々不満が残る。「新しい土地に神社を作る時の手続きは?」、「場所の決め方は?」、「言い出しっぺは誰?」、「建設業者はどこにいる?」、「賽銭の行方は?」などなど。「明治以前には神社と寺院の違いはそれほど明確ではなかった」という記述が意外だった。
・書中で紹介される、紀元前を含む古より伝わる由緒ある大きな神社の数々を見ていると無性に行きたくなってしまう。
・「このように、神社といっても多種多様であるので、「神社とは何か」と問われても、これに答えるのは容易ならぬことである。」p.16
・「神社を古くは「もり」と称した。そのことは、『万葉集』に「神社」の二字を「もり」と読んでいることからも明らかである。」p.20
・「「さかき」は神の占有する聖なる空間と人間が住む俗なる空間の境に植えられた境木(境を示す木)である。」p.26
・「「やしろ」という語の意味は諸説がある。一般にいわれているのは、「やしろ」は「や」と「しろ」からなっており、「や」は「弥(永遠に)」であり、「しろ」は「知り」「領り」の古い名詞形で、「域」「代」「代」という意、つまり「やしろ」とは神が領有する地で、そこへは神以外のものが立ち入ることのできない一定の区域である。  また、一説に「やしろ」は「屋代」ともいわれる。「屋」は「建物」のこと、「代」は「そのものの代わりのもの」という意味で、実際に建物を必要としないのであり、「建物の代わりのもの」があればよいとの説である。」p.33
・「なぜ神社のご神体は見ることができないのか、なぜ神前や鳥居などにしめ縄を張ってあるのか、なぜ斎垣(いみがき)をめぐらしているのか、さらには鳥居が建っている理由、榊とそれにつけられた木綿(ゆう)や白香(しらか)、四手(しで)、そして狛犬などの意味を知ることは、所詮、神社の本質を問いただすことになる。」p.34
・「神社(もり・やしろ)も同じことで、人間や鳥獣がみだりに踏み込むことを厳禁とした聖地である。これが神社の本質であり、そのような神社の本質は古代から現代に至るまで不変である。その本質を守るため、神社には榊・しめ縄・鳥居・玉垣などが設けられ、ご神体の披見も厳禁してきたのである。」p.36
・「さほど神社に関心のない人々にとっても、わが国に、いったい全体、どのくらいの数の神社が祭られているのか、その総数を知りたいのは共通的な要素であるらしい。」p.43
・「翌明治27(1894)年は19万802社、同28(1895)年は19万753社と減少を続けたが、同29(1896)年には19万1999社と再び増加した。以後、増減を繰り返すが、同35(1902)年に19万6398社と最高潮に達している。おそらく、これは日本の歴史上でもっとも多い神社数であると思われる。  ところが、それ以降、神社数は減少を続けるのである。その大きな原因は、明治末年の神社合祀によるものである。」p.49
・「そして昭和21(1946)年2月2日に神祇院が廃止され、翌3日には神宮(伊勢神宮)を本宗と仰ぎ、全国の神社を統合包括する宗教法人神社本庁が設立された。そのとき、神社本庁に所属した神社数は8万7218社である。  それでは現在はどうかといえば、詳しい調査報告がなされている。平成14(2002)年7月に神社本庁が発行した『全国神社名簿』によると、全国の神社の総数は7万9116社とある。」p.50
・「ちなみに、神社と寺院の数を比較すると、神社のほうがやや数が多いようである。」p.51
・「神社の格式、すなわち社格は、律令制度下において神祇制度が整備されるに伴って確定されていった。古くは『日本書紀』崇神天皇7年の条に「天社・国社」を定めたとあり、これを社格の始まりとする見方もある。(中略)しかし、このような社格制度は昭和21(1946)年2月に廃止された。」p.59
・「つぎに神名と神号、そして社名と社号について述べておこう。例えば、稲荷大明神、稲荷明神、稲荷神を例として説明すると、「稲荷」が神名、「大明神」「明神」「神」が神号である。神号はその神に与えられた尊称としての呼び名である。(中略)つぎに社名と社号へと視点を移すと、例えば、東京大神宮、熱田神宮、諏訪大社、北野神社、天満宮、稲荷社などさまざまな神社がある。この東京、熱田、諏訪、北野、天満、稲荷を社名といい、大神宮、神宮、大社、神社、宮、社を社号という。」p.60
・「神社の起源については諸説があり、いまだ定説をみない。」p.64
・「ところで、『御成敗式目』は全51ヵ条からなる。第1条には「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」とあり、続いて「神は人の敬ふに依りて威を増し、人は神の徳に依りて運を添ふ、然らば即ち恒例の祭祀陵夷を致さず、如在の礼奠怠慢せしむること莫れ、云々」と述べている。このように神社に修理を加え、祭祀を怠らず執行すべきを第一としている。さらに、神は人が崇敬すればおのずから威勢も強くなり、人は神徳によって運を開くと述べ、恒例の祭祀がすたれないよう、ここに神いますがごとく清浄にし、供物を怠ることがないように祭祀にいそしむべきと定めている。  また、第2条では「寺塔を修造し、仏事を勤行すべき等のこと」と記し、「寺社異なりと雖も、崇敬是れ同じ」と述べている。この条には、寺院と神社とは異なる存在であるが、それらに対する崇敬は同じとある。  つまり、敬神と崇仏とを衆人に示し、それによって国を治めていくことを根本思想としたのであり、その精神は江戸時代に至るまでみられた。」p.85
・「明治元(1868)年、明治政府は神仏分離令を公布した。これによって各地で神官・国学者らが中心となって廃仏毀釈運動が湧き起こり、神社の中の仏像や仏具類が破壊された。」p.88
・「明治時代になると、行政基盤を氏神・氏子区域としたことから、それが制度として固定化する。それ以前の徳川幕府が寺請制度・檀家制度を採用していたのに対して、明治政府はそれに代わる戸籍把握方法として積極的に氏子制を採用した。そして、この制度は国教としての神道を教化するための連動システムとしても機能した。」p.97
・「稲荷神を祭る稲荷神社は、神社の中でもっとも多く、その総数は未詳であるが、四万社以上といわれている。屋敷神や企業神としての稲荷社を含めるとそれこそ無数ということになる。」p.117
・「稲荷神の稲荷は「稲生(いねな)り」の意と説明されるように、稲の神である。」p.118
・「稲荷神のつかわしめ(神使)を狐とすることは広く知られているが、その理由は必ずしも明らかでない。一説に、稲荷神として祭られた食物神の御饌津神(みけつかみ)を「三狐神(みけつかみ)」と解釈したことによるという。」p.120
・「天神は雷神のことであるが、天神信仰といえば、菅原道真に対する信仰を意味する場合が多い。道真は一般に「天神様」と呼ばれている。」p.121
・「ちなみに、雷が鳴りだしたら、自分のところへ落ちないように「くわばら、くわばら」と唱えるのは、道真の屋敷跡が桑の原になっていて、そこだけは落雷したことがないという説話に基づく一種の呪文である。」p.122
・「「祈年」の「年」は、豊年の「年」と同意であり、その年の穀物がみのること、つまり「稔」の意味である。」p.136
・「しかしながら、死者の国は生者の国でもある。そのことは熊野が死んでよみがえる聖地と信じられてきたことからも明らかである。これは換言すれば「生きながらにして死ぬということ」であり、これが熊野信仰の本質といえよう。」p.175
・「しかも熊野神社は秋田県から沖縄県まで散在しており、その数は3000社を超えるといわれている。」p.179 室蘭の隅っこにも『熊野神社』あるのですが。。。
・「神社を参拝するには、一定の作法がある。神社参拝は神社へ参拝しようと思い立ったときから始まる。(中略)鳥居の前では軽く首を垂れて一礼をするのが作法である。神職の間では、これを揖(ゆう)といっている。(中略)賽銭を入れ、鈴を鳴らし、拝礼を行なう。拝礼はまず一揖(いちゆう)(一回軽くおじぎをする)をし、つぎに二拝(二回深いおじぎをする)、二拍手(二回手を打つ)、一拝(もう一回深いおじぎをする)をするのが標準的な参拝の作法である。」p.210
・「現在の神社の参拝作法は、二拝・二拍手・一拝が一般的である。つまり二回おじぎをしたあと、二回柏手を打ち、最後に一回おじぎをするのである。このような作法の中での柏手の意味は、両手(左手と右手)を合わせて打つことにより心を統一し、神に敬意を表することにあるといえよう。さらにいえば、柏手を打つことにより左と右という対立する世界を打ち消して一つの世界に入るのである。 ところで、両手のことを左右手(まて)という。したがって、両手を開くのは「まて」から「かたて」になってことを意味している。しかし、これでは「かたこと」つまり不完全な世界であるので、それを完全な「まこと」の状態にするために柏手を打つのである。これが柏手の真義であると思う。」p.218
・「鳥居が日本古来のものか、外来のものか、それが定まらないため鳥居の起源はより複雑となる。」p.233
・「鳥居の形式は大別すると、神明(しんめい)鳥居と明神(みょうじん)鳥居、その他に分類できる。」p.233
・「千木(ちぎ)や賢魚木(かつおぎ)の本儀は、まだ十分な説明がなされていない。今後は建築面だけでなく、神道思想からの考察が必要であろう。」p.240
・「狛犬は左右一対であり、向かって右が口を開けた阿形、左が口を閉じた吽形の「阿吽」形式が一般的である。狛犬と寺院の山門に置かれている仁王とは相通ずるものがある。また「子取り」と「玉取り」で対をなしている狛犬もある。前足で子どもあやしているのが「子取り」、玉(まり)を押さえているのが「玉取り」である。」」p.241
・「繰り返して述べてきたように、『万葉集』では「神社」の二字を「もり」と読んでいる。このことからも神社と森とは一体の関係にあることがわかる。また、神社の「森」を「杜」とも書く。この「杜」は閉ざされた場所を意味しており、そこは必ずしも樹木を必要としないのである。人間がたやすく足を踏み入れることを禁じられた聖地、そこが「杜」であり、これが「神社(もり)」の本義なのである。」p.242
・「仏像に性別はないが、神像には人間と同じように性別がある。」p.251
・「最後に、先師が常に口にしておられた言葉を引用しておくことにする。  神道を研究するのに、だれも神道家・神道学者のそれからはじめるようであるが、それは手っ取り早い方法であるかもしれないものの、これだけではいけないので、神社の研究を詳審にして、そこにうかがれる一般民衆の神道信仰を把捉しなければならない。神道家・神道学者の所説は、要するに一流・一派のドグマに過ぎず、一般の民衆の神道信仰とは常に大きく乖離していることを知っておかねばならない。それと同時に、『古事記』『日本書紀』を、従来の学説にとらわれることなく、一般の民衆の心を心として、自分自身でじかに読むことである。」p.267

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