人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

マンガやアニメと実写の境界・・・「うさぎドロップ」

2011-08-06 13:29:00 | マンガ
 



■ 「でかした!! 息子よ」 ■

子供は成長する。

「お父さん、オレこのマンガ、オレの子供が出来た時読み直すんだ。」
高3の息子がこんな事を言った。

ビックリだ!!
だって、ついこの間までは子供だったよな・・こいつ。
それこそ、保育園の送り迎えだって、
私には、つい先日の事の様に思えるのに・・・。
子供は成長する。

嬉しいようで、ちょっと寂しい。

高3の息子に、こう言わしめたのは「うさごドロップ」というマンガである。
先日からTVアニメがスタートしたこの作品、
息子は翌日には、マンガを全巻「大人買い」していた。
勿論、自分のバイトで稼いだお金でだ。

でかした、息子よ。
君が立派な大人のオタクに育ってくれて、父はウレシイ!!

■ 

■ 「うさぎドロップ」を見ずして、今期のアニメは始まらない ■

「うさぎドロップ」は同名のマンガ原作の今期のTVアニメです。

祖父の葬式にやってきた大吉は、そこで女の子に出会います。
従兄弟の子と思ったその子は、実は祖父の隠し子だという・・。
突然の事態に当惑する親族、突然出来た妹に戸惑う大吉の母。

アニメは「お葬式」という人間のエゴがむき出しになるイベントを
良作の日本映画の様なタッチで淡々と描いていきます。

身寄りを無くした5歳の少女の、子供ながらの不安を、
そんなリンを放っておけない、30独身男の大吉の視線を、
アニメは様々なシーンの断片で綴ってゆきます。

そして大吉はこう言うのです。
「りん、俺んち来るか」
答えは、ふわりと大吉に寄り添う、小さな靴を履いた足。

30分の一話目で、昨今の日本映画の水準を軽々と越えるこのアニメ、
今期のアニメは「うさぎドロップ」を見ずに何を見るというのだろうか?

■ 子供は親を育てる ■


注意) ここからはネタバレ

リンを施設に預けようとする伯父達の大人の判断に
子供の様な直情さで、リンを連れ帰った大吉ですが、
そこは独身三十路男。
何をどうして良いのやら、皆目見当も付きません。
従姉妹に電話して、保育園の緊急一時保育に入れるには入れたものの
会社と保育園のお迎えで、彼の生活は一変します。

アパレルメーカーの営業として、それなりの実績を持つ彼は
思案の末に、配置替えを上司に嘆願します。
始めは、「勢い」で始まった奇妙な「子育て生活」でしたが、
大吉の中で価値観が大きく変化して行きます。
「リンの為」が大吉の中で一番大切なものになっていきます。

保育園、小学校、高校と「リン」は大吉の元で成長します。
保育園の男友達、その母親、育児パパ達との交流を交えながら、
2人の時間は次第の積み重なってゆきます。

「リン」が高校を卒業するまでの15年間を
マンガは丁寧に9巻を費やして描いてゆきます。

父子家庭としての大変さを、
片親で子供を育てる大人同士の連帯と、臆病な恋を。
リンと幼馴染の恋の行方を、
そして、リンの心の成長を、
ちょっと離れた視線で柔らかに作者と読者は見守ります。

決して派手では無く、むしろオーソドックスな表現ながら、
そこには、仮の親としての意地も、愛情も、
そしてリンを捨てて仕事を取った母親の
身勝手ながらも、女性らしい子供を気遣う視線も
ハッとする様な新鮮さで、詰まっています。

■ かつて経験した事 ■

共働きの家庭の子育ての大変さは・・・などと書くと
専業主婦の方達から反発があるのでしょうが、
子供が熱を出した時に、夫婦のどちらが迎えに行くかのバトルは
今思い起こしても熾烈なものがありました。・・我が家でも。

でも、近所のオバサンや、母親仲間、パパ仲間の協力で、
我が家の子供達も危機を乗り切ってきました。
とにかく、保育園に通う子供が熱を出す事は
親の仕事にダイレクトに影響します。
ですから、冬は恐怖のシーズンでした。
ましてや、インフルエンザの流行は、ゴジラの襲来に近い恐怖でした。

そんな保育園に子供を通わせていた頃の思い出が
このマンガにはギッシリと詰まっています。

■ 子供を見る、東西の視線の違い ■

ダスティン・ホフマンの映画、「クレーマー・クレーマー」は、
奥さんが家出して突然育児を任された父親の話で秀逸でしたが、
ダスティン・ホフマンの父親が子供を見る視点は
「エイリアン」を見る視点でした。
「大人の論理の通用しない怪物の面倒を見る男の悲劇」が
コミカルに描かれていました。

一方、「うさぎドロップ」の大吉の視線は
もっと情緒的です。
子供の一挙手、一投足に一喜一憂する様は、
まさに日本の親の日常です。

子供の思考を分からないながらも、
子供の気持を分かち合おうとする姿勢も
もしかすると、日本人独自のものなのかも知れません。
自分の延長としての子供、子供に繋がれた大人・・・。

「自立した個人」という近代西洋の視点に立てば、
限りなく未成熟な親子関係ですが、
ある意味、切れない紐で結ばれたような関係は、
何とも心地よく、子は親に甘え、親は子に甘えます。
それが、たとえ血の繋がりの無い子供であっても、
日本人はそのような繋がりを結ぶ事が、この作品から伝わってきます。

たとえ育児を放棄した母親であっても、
心のどこかで、子供に依存していたりもします。

■ マンガやアニメでしか伝わらない事 ■

この何ともぬるま湯的な世界は、
小説や実写映画では伝わり難い内容です。

実写映画では、どこにでもある日常を越えられませんし、
小説では、「普通の事」を表現して読者に読ませる事こそが難題です。

ですから、現在のメディアで、「普通」を伝える手段として
マンガやアニメの果たす役割は無視出来ません。

キャラクターとしてイメージを外在化出来るからこそ、
マンガやアニメは「客観視」や「観察」に適しているのでしょう。
自分達の日常は、こんあにも素晴らしい事を、普通に表現出来ます。

最近の子供向けのマンガやアニメは、とにかく日常指向です。
敵も無く、イベントも無く、仲間内の日常がダラダラと展開します。
それこそ最近は恋愛も非日常として排除されていたりします。

エヴァンゲリオンの様に、時空を越える壮大な作品を排出したアニメやマンガは、
現在はエントロピーが拡大しすぎて「熱死」の状態にあるのかも知れません。
そして、先鋭的な現代小説がかつて辿った様に、
例えばコップの中の水を表現する事(確か、高橋源一郎だったか)から
やり直しているのかもしれません。

■ 実写で見たい 「あの日見た花の名前を僕らは知らない」 ■



前期のアニメの代表作に
「あに日見た花の名前を僕らはまだ知らない」という作品があります。

「とある魔術師の超電磁砲」で素晴らしい演出手腕を見せた
長岡龍雪の作品で、中高生を中心にかなりの支持を受けた作品です。

小学校の遊び仲間6人の一人が、ある日、川で溺れて死にます。
残された5人は、それぞれのトラウマを抱えて高校1年生に成長しています。

登校拒否に陥っていたリーダー格の「じんたん」の前に
死んだはずの「めんま」が成長した姿で現れます。
・・しかし「めんま」が見えるには「じんたん」だけ。
ところが、その「めんま」の存在が
離れ離れになっていた5人に心を結び付けて行きます。
5人は、「めんま」が成仏できる様に、
必死で「めんま」の願いを叶えようと奮闘します。

秩父の小さな街を背景に、5人の若者の成長が
アニメらしい瑞々しい表現で描かれてゆきます。

・・とても素晴らしい作品です。
最後は46歳の大人の目に涙が溢れました。

しかし・・私はあえて言いたい。
私はこの作品を実写で見たい。
監督は徒然、岩井俊二。

もちろん「めんま」は最後まで1カットも出なくいい。
居るのか、居ないのか、
「じんたん」の虚言なのか、妄想なのか、分からない・・・。
そんな存在を軸にした、5人の若者の姿を
秩父の自然を背景に、実写映画で見たい。

アニメが不出来なのでなく、
この手のファンタジーはアニメでは見えすぎてしまうのです。
アニメでは「めんま」は、絵として描かざるを得ません。

しかし、「めんま」は最後まで見えない方が、
この素晴らしいコンテンツが引き立ちます。

リアルなアニメが成立するとして、
実写とアニメの何処い線を引くかは、難しい問題です。

これは原恵一の作品にも言える事です。
表現としてアニメを選んだという説得力に、
「あの日見た・・・」は乏しいと思うのは、私のワガママなのでしょうが・・。

■ 「うさぎドロップ」と「あの日見た花の・・・」は必見 ■

いずれにしても、TVで普通に放送される作品が
これ程までに高クォリティーを有している事は驚異的です。

この2作品のアニメと、そして「うさぎドロップス」の原作マンガは、
現在のアニメやマンガの水準を知る上で、
必見の作品では無いでしょうか。

<再掲載> 通貨クライシス・・・世界が落ちた罠

2011-08-06 02:31:00 | 時事/金融危機
2010年10月8日の記事を再掲載します。




■ 為替介入がもたらす円高 ■

9月1日のこのブログで「日銀のジレンマ」と題して書いた内容が実際に起きているようです。
http://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/20100901/archive

<ロイターより引用>
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-17572920101007

[東京 7日 ロイター] 財務省が7日発表した9月外貨準備状況は、政府・日銀が9月に為替介入で得た多額のドル資金を即座に米国債購入に充てていたことを示唆する内容となった。
 同時に米連邦準備理事会(FRB)の統計からも、同様の可能性が推測される。わずか2週間で多額のドルを売却して米債を購入したなら、米国債市場での金利低下を通じてドル相場を押し下げる方向で働いた可能性がある。運用の詳細は明らかにされていないが、円高回避の介入を実施しながら、一方で介入資金の運用でドル相場を押し下げる方向の行動があったのであれば、疑問だとの声も招いている。 

 9月末の外貨準備状況は円売り/ドル買い介入などにより過去最大規模に増加した。政府・日銀は9月15日に6年半ぶりの介入に踏み切ったが、財務省によると9月28日までの介入額は2兆1249億円。これにユーロ建て資産のドル換算額の増価なども加わった。

 中でも、外国証券残高は8月末に比べて379億ドル近く増加し、外貨準備増加のほとんどを占めた。1ドル85円で換算すれば約3兆2215億円程度となる。他方で、外国通貨預金は11億ドル減少した。このため、介入額のほぼ全てが外国証券に回った可能性もありそうだ。

 運用対象の詳細は明らかにされていないが、過去の例からみて、外国証券の大半は米国債と見られ、財務省筋は「基本的に運用はドル債が中心だ」と述べている。野村総研・金融市場研究室の主席研究員の井上哲也氏は「2週間弱で379億ドルもの規模で米国債を購入したとすると、1国の中央銀行が購入する額としてはかなり大きい規模」と指摘。

 東短リサーチ・チーフエコノミストの加藤出氏も、同様に米連邦準備理事会(FRB)が毎週発表している資料で、海外当局のFRBに対する預金残高やレポでの資金運用残高の増加額が小幅だったことからみて、日本政府が介入で得たドルの大部分を民間銀行預金に置いたか、米国債の購入に充てた可能性が高いと指摘している。

 こうした介入資金による大規模な米債購入があったなら、米債市場での金利低下方向に働きやすいとの指摘が浮上。野村総研の井上氏は「短期的には日米金利差を縮小することで為替介入の効果を減殺する可能性もある」とみている。市場全体のドル売りの流れはもちろん大きいが、さらなるドルの押し下げの一因として働いたことは否定できないというわけだ。

 2003─04年にかけて日本政府が実施した為替介入に比べ、今回は預金から外国証券購入までの期間が短い。米金利低下を招きドル安の流れを加速させるような方向での政府のドル運用姿勢に対し、井上氏は「少しでも円高回避に寄与するためには、介入で得たドル資金を放出して米債を購入するよりも、そのままFRBのドル預金に置いておくべきだった」と指摘。加藤氏は「憶測の範囲を超えるものではないが、市場介入に対する反発が米政権内から生じることを警戒して、日本政府は懐柔策として米国債の購入を9月中に積極的に行ったのかもしれない」とみている。

 (ロイター日本語ニュース 中川泉記者 伊藤純夫記者)

<引用終わり>

今回の日銀の為替介入の結果などはプロ中のプロである日銀には予測の範囲内だったはずですから、介入規模が2兆円程度で留まっている事は、国民にとって幸いな事だと言えるでしょう。

■ 勝間氏もたまには良い事を言う ■

リフレ派の旗手である勝間氏ですが、お金さえばら撒けば有効需要が喚起されると無邪気に信じているような言動が目立ちます。その勝間氏が日銀の量的緩和の弊害に気付いているようなので引用します。

<引用はじめ (出展不明) >

なお、私は今回のオペでも私のある仮説に日銀が従って動いており、やはりそうなのか、と思ったことがあります。それはなにかというと

「日銀はデフレ脱却はしたいとは思っているが、市場に出回っている国債の流通価格を大きく引き下げるようなリスクとってまではやりたくない」

という呪縛があるのではないかということなのです。

例えは「インタゲを1%」とか「2%」と明確にコミットしてしまうと、いまの国債利回りはそれよりも小さいものばかりですから、もしマーケットが「長期利率も1%以上、ひょっとしたら2%も越えてくる」と考えた瞬間、国債の見切り売りが流通市場で始まり、収集がつかなくなる可能性があるためです。

そして、政府系金融機関や、民間金融機関、年金ほか、さまざまな金融機関が大量に保有をしてる国債が、たとえば日銀のインタゲコミットにより、利回りが1%以上上昇して評価損を大きくくらって、銀行によってはBIS規制にひっかかったりしたら、日銀が守りたい「金融システムの安定性」を自ら揺るがせてしまいます。それこそ、日銀が守りたいと思っている庭先の人たちに対して、親分自らはしごを外すわけですから、非難囂々でしょう。そういうことを恐れているのではないかと思う節があります。

なお、金融機関がインタゲで保有国債が評価損を食らったとしても、他の資産、たとえば保有株式が値上がりしたり、不良債権が回復して回収できるようになったり、新規の優良貸出債権が増えれば、銀行の資産全体は痛まないはずです。100%国債の資産ポートフォリオでない限り。ただ、多少のタイムラグができたり、そのときにうまく乗りきれる銀行、乗りきれない銀行が出てくることもあるでしょう。

「手許の物価は上げたいけれども、長期金利は現状よりできるかぎり上げたくない」

この「Mission Impossible」のようなバランスを取ろうとする限り、よほどクリエイティブな施策でないと、今後も日銀の緩和策は歯切れが悪くなるし、マーケットの実効性もなめられてしまうのではないかと思います。

デフレは脱却したいが、あまり強い薬を打つと、長期の名目金利も大きく上がってまうので、漢方薬でもいいから打ち続けながら、なんとか現状の国債(しかもそのほとんどを国内金融機関が保有している)の大きな評価損も避けながら、せめて「1%」までいけないか。

そんな日銀の苦悩を感じ取った包括緩和でした。いずれにしても、「タダ飯はない」ということに早く気付いて欲しいです。


参考~残存10年、クーポン1%の実効利回りごとの価格めやす

1%・・・100円(基準と考えた場合)
2%・・・91円(評価損9%)
3%・・・83円(評価損17%)
4%・・・75円(評価損25%)

残存年数が小さければ、評価損はもっと小さくなります。2009年12月現在、国内金融機関が保有する国債残高は631兆円、全体の76%のシェアです。5%の評価損だけでも31兆円、10%になると63兆円の負担です。

市場にぶん投げられた国債を思考実験的にはひたすら日銀が買い取ることも可能は可能でしょうが、それはかなりの物量作戦になるリスクがあります。

それよりは、その評価損が他の資産で吸収されるかいなかを考えた方が、健全でしょう。

<引用終わり>

・・・日本国債の保有率が80%を越える郵貯は国債暴落で破綻します。同じく日本国債での運用割合の多い日本生命を筆頭とする生保各社も破綻するでしょう。勝間氏の提言が実現不可能な事は誰でも分かります。

結局日銀は国家破綻のその日まで、低金利政策を維持するしか無いのです。

■ 通貨安戦争の本質は低金利戦争 ■

日本に限らず、リーマンショック後の財政の大判ふるまいで、各国政府は巨大な財政赤字を抱えてしまいました。

リーマンショック以前の世界は、通貨を維持する為に、アメリカを筆頭に高金利政策を取っていました。ところが、リーマンショック後に民間の赤字を政府が肩代わりする為に大量の国債を発行したので、各国の長期金利は軒並み低下しました。

低金利は国債の発行コストを抑える効果を生じ、さらなる国債増発を可能にしました。しかし、ギリシャ危機以来、世界各国はある不安を抱えています。

それは金利上昇による国債の暴落です。

① 金利上昇によって低金利の国債が売却される
② 国債の売り圧力によって、国債価格が低下する
③ 国債利回りが上昇する
④ 長期金利が上昇して国債の発行コストが財政を圧迫する
⑤ ソブリン危機が発生して経済が破綻する

日本がバブル崩壊以降陥った罠に、世界全体が陥っています。「通貨安戦争」などと報道されていますが、それは結果であって、本質は「低金利戦争」です。

■ 輸出国と輸入国で異なる「通貨安」 ■

第二次世界大戦直前の「通貨安戦争」になぞらえる向きもありますが、今回の通貨安は異質です。第二次世界大戦前は、アメリカを始め先進各国は輸出に経済が依存していましたから、現在の中国や韓国の様に通貨安は国益でした。

しかし、内需型に転換した現在の先進国、特にアメリカやイギリスなど輸出産業が衰退した国では通貨安は輸入コストの増大によるインフレ圧力しか生み出しません。

景気が低迷している現在、企業は販売価格を据え置いて価格上昇を抑制していますが、それにも限界があります。輸入コストの増大が価格転嫁された時、景気低迷にも関わらず金利が上昇し始めます。「悪性インフレ」の発生です。

財政赤字をパンパンに膨らめた状況での金利上昇は、国債暴落の引き金になりかねません。

■ 通貨クライシス ■

日本の財政赤字はGDPの200%に迫りますが、日銀の低金利維持(不景気政策)で、国家破綻を20年間先延ばしにしてきました。輸出産業が健全な日本は、それでも経常黒字を維持し続けています。

「円」が買われる理由は、20年の低成長時代を生き抜いた実績を世界が評価している現れです。しかし円高は確実に日本経済に悪影響を与えています。

「ユーロ」は「拡大マルク」ですから、ドイツとPIGSなど後進ヨーロッパの収支によって評価が左右されます。ギリシャ危機で減価したユーロですが、PIGSを切り捨てるという荒業が残されています。尤も、その場合はPIGSの国債が暴落してヨーロパの銀行の健全性は大きく損なわれます。

「ドル」の通貨安は寄生政策です。ドル安にもめげず、日本の政府と民間は粛々と米国債を買い続けています。ドル安によって、米国債の購買力は何割か水増しされ、償還コストは軽減しています。
さらに「ドル」は「元」に対して減価する事で、中国の米国債購買余力を増やそうとしています。(投資回収時に為替差益を積み増す目的もあります)

どれを取っても、持続不可能な状況がいずれは訪れます。

結局現在の「通貨安戦争」は「通貨クライシス」を生み出すマグマの様なエネルギーを貯め続け、いつかそれが一気に噴出すのでしょう。


<追記 2011.08.06>

今回の日銀の介入は1日で4.5兆円。

・・・8月第一週の米国債の償還資金は、
又もや日本によって、立替られた様です・・・。