
■ 夏休みの読書感想文が終わらない君達に ■
夏休みも残り10日となってきました。
この時期になると「拍手」が増える記事があります。
「夏休みの読書感想文が終わらないお子様に・・・カラフル」
http://green.ap.teacup.com/pekepon/277.html
という記事です。
「ありがとう」とか、
「為になったゼ」という拍手コメントが寄せられるので
不精な子供達が丸写しして、
学校に提出しているのではないかと邪推しています。
この記事をきっかけとして、
原作を読んだ子供が居れば良いのですが・・・。
■ 「読書感想文」には向かない小説 ■
本日は「読書感想文」には向かない小説の紹介です。
「読書感想文」から検索して、
この記事にたどり着いた横着な君達、
勇気があれば、この記事を丸写しにしてみなさい。
きっと国語の先生に呼び出される事、間違いなし!!
・・・でも、高校生の読書好きのあなたなら、
大人の読書の世界の扉を開けてみるのも良いかも。
少なくともBL小説よりは、人生の糧になります。
■ 「少女には向かない職業」から一貫して「父」に拘る桜庭一樹 ■
作家には二種類の人種が居ます。
あくまでも冷静に社会や人間を分析し、
読者像を想定して、
読者受けする小説を書くタイプ。
伊坂幸太郎や、東野圭吾、宮部みゆき
恩田陸、など人気作家の殆どはこのタイプでしょう。
一方、自分の中にある妄執を文章にして排泄しないと
自我が保てない様な作家も存在します。
桜庭一樹はその代表的な作家でしょう。
彼女はライトノベルでそのキャリアをスタートさせますが、
「GOSIC」シリーズを除けば、
「少女」と「父親」の関係に囚われ続けています。
初期の名作「荒野」では、
作家の父は愛すべきダメ人間として描かれます。
娘は女クセの悪い父を嫌いつつも、
父には普通の娘の愛情を抱いていいます。
「少女には向かない職業」では、
父は娘の憎悪の対象となっており、
娘は父をバトル・アックス(斧)で殺害します。
「砂糖菓子の弾丸では撃ち抜けない」では
父親の歪んだ愛情の対象となる
海野藻屑という少女が、父親に殺されます。
桜庭一樹は「父と娘の愛」を、
ある種の妄執に取り付かれた様に書き続ける作家です。
そのどの作品でも際立っているのが、
思春期の少女達の、子供とも大人とも付かない
曖昧な存在感です。
濡れたネコを思わせる様な、
体臭と、湿り気と、温もりを感じさせる
この時期の少女独特の存在感を
これ程までに上手に表現出来る作家は他には見当たりません。
そして、彼女達は大人になる過程において
父親を「男」として意識します。
ある者は「愛する存在」として。
ある者は「憎むべき存在」として・・・。
■ 「私の男」は父と娘の到達点 ■
「・・・この十五年間ずっとそうであったように、降り続く雨の様な湿った臭いがした。それが、この男の体臭なのだ。」
桜庭一樹の小説は、湿った臭いに満ちています。
「私の男」でも、腐った様なオホーツクの海の臭い、
父親の雨の様に湿った臭いなどが、ページがら漂います。
雨の臭いをさせる父親、淳悟と腐野花は、父と娘です。
娘の結婚式直前から始まるこの小説は、
強い絆で結ばれた「父と娘」の歴史を遡る形で語られます。
各章で語り部を変えながら、
父と娘の歴史と秘密が徐々に明かされて行く様は
どんな推理小説よりもスリリングです。
嫁ぐ娘、花のモノローグが父の異常な関係と
過去の事件をを想像させる
「2008年6月、 花と、ふるいカメラ」
娘の婚約者の美郎の視点から、異常な父娘を観察する
「2005年11月、 美郎と、ふるい死体」
父淳悟の目から花との肉体関係がストレートに語られ、
そして過去の殺人の存在を暗示する
「2000年7月、 淳悟と、あたらしい死体」
花の視点から、第一の殺人が語られる
「2000年1月、 花と、あたらしいカメラ」
淳悟の恋人、小町の視線で父娘の異常な関係が描かれる
「1996年3月、 小町と凪」
小学校4年生の花が体験した奥尻島の津波と、
そして家族と淳悟との秘密が明らかになる
「1993年7月、 花と、嵐」
6章に分けて語られる父娘の関係は、
一言で言ってしまえば、「禁断の愛」です。
しかしその言葉が陳腐に感じられる程、
父娘の絆は純粋で、
断ち切る事など到底出来ない因果を含んでいます。
奥尻島の津波で家族を失った小学4年生の竹中花の前に現れた
背の高い切れ長の目をした青年腐野淳悟は
花をみつけると、嬉しそうに微笑んで彼女を抱き上げます。
花は初めて会う青年に、何故か自分と共通したものを感じ、
青年にしがみ付きます。
兄と妹、父と母の5人家族の中で
疎外感を感じていた花は、
淳悟の腕に抱きかかえられて、
始めて自分の居場所を見つけた気がします。
父は自分をトラックの荷台に放り込み
「花、生きろ」と言うと、家族の下に戻り、
そして家族は一緒に津波に呑まれてしまいます。
花だけが、家族から引き離されて、一人生き残ります。
花の中に、家族から阻害された恨みが黒く沸き立ちます。
ところが、淳悟の存在が花の心を満たして行きます。
遠い親戚というこの海上保安官のこの青年は、
花を引き取り、男手一つで育てると言います。
花も淳悟に安心して全てを任せます。
少し恥ずかしくても、津波で泥だらけになった体や髪を洗ってもらい、
淳悟の選んでくれたワンピースを喜んで着ます。
新しく父となった青年の父の手をしっかりと握り、
一緒のベットで、寄り添って寝ます。
「花は淳悟の物」である事を受け入れ、
「血の人形」としての自分の存在を受け入れます。
父である淳悟は、花を求め、
花は母の様な愛情で、淳悟を受け入れます。
父と娘の血の繋がりが、円環を無し、
娘は母として、父親を受け入れます。
北国の小さな街の人達は、
かわいそうな娘を温かく見守り育てていきます。
街の世話役の大塩のおじいさんは、
花と淳悟の関係を知る人物です。
彼は2人をずっと見守り続けますが、
ある日、2人の異常な関係に気づきます。
流氷が覆うオホーツクの海で、
花は自分と父親の関係を知るこの老人と対峙します。
そして、父と娘以外の世界を守る為に花は行動します。
父と娘は逃避行を続け、
東京でひっそりと暮らします。
花が働く様になってからは、
淳悟は仕事もせず、ひたすら花を守ります。
何時か父の元を離れる事を心に決めながらも、
花は心の底では、「骨になっても一緒」にいる事を願います。
血で繋がれた父と娘は、
離れても、決して断ち切る事の出来ない思いを抱きながら、
新たな一歩を踏み出してゆきます。
■ モラル・ハザードでありながら、不思議と不快感は無い ■
直木賞を獲った「私の男」は、
圧倒的な表現力と、圧倒的な構成力を持つ、
近年稀に見る傑作小説です。
しかし、その内容がインモラルな事から、
審査員の間でも、この作品に直木賞を与える事は
躊躇されたと言われています。
娘を持つ父の身からすれば、
実の父と娘の肉体関係を描いた小説などは
嫌悪感を抱かずに読む事が難しいはずです。
しかし、桜庭一樹作品に一貫する父娘の関係は、
不快感を覚えません・・・。
これは桜庭作品の父娘が実は不可分な存在である事に
拠るのでは無いかと私は考えます。
桜庭作品での父娘の間に他者性は希薄です。
娘は父の所有物であり、娘はその関係を受け入れています。
娘は父の外在物であり、娘は父に取り込まれる事で安息を得ます。
「荒野」では、父を他者の目で見始める事で物語を終わらせていますが、
「少女には向かない職業」では父を殺害する事で、その関係を断ち切ります。
「砂糖菓子の弾丸では撃ち抜けない」では、父による娘の殺害を娘が受け入れます。
「私の男」では、父との一体化から話は始まり、そして離別によって物語は収束します。
一見、「私の男」は異常から正常への回帰の様に見えますが、
時制を逆転する事で、やはり物語は父との一体化の構造を反復します。
「父の一部である娘」というテーマに桜庭一樹は妄執します。
このインモラルなテーマは反復され、
「私の男」では、見事に昇華の域に達しています。
ひたすら一体化を求める魂の姿が、
世のモラルなどツマラナイ事の様に思わせる程の強さを獲得しています。
■ 作家の成長を楽しめるライトノベルの素晴らしさ ■
実は私は「私の男」に至るまでに3年間を要しました。
このセンセーショナルな名作をイキナリ読んだら、
多分、拒否反応を示すのでは無いかと心配だったのです。
ですから、「GOSIC」を除く桜庭作品を
ライトノベルの時代から順番に読んできました。
丁度、角川が初期作品を文庫化し始めたので、
タイミングが良かったとも言えます。
「荒野」や「少女には・・」は古本屋で入手しました。
「砂糖菓子・・・」はなかなか手に入らなかったのですが
角川の文庫化に救われました。
桜庭の初期の作品は、父娘の物語だけでは無く
「推定少女」や「赤・ピンク」の様な少女の生態を描く作品や
「少女七竈と七人の可愛そうな大人 」の様な婉曲な父娘関係を描く作品もありますが、
やはり、グロテスクでありながら切実な父娘の愛を描く作品群が秀逸です。
■ ちょっと娘には読ませられない ■
私の娘は、理解しているのかは別として、
ちょっと難しい本を平気で読みます。
中一で三崎亜記や乙一を面白いという子供も変ですが、
中三の現在はJGバラードの「結晶世界」も平気で読みます。
(理解はしていないのでしょうが・・・)
一時、父娘ともに初期桜庭作品に没頭した時期がありました。
中学生には「荒野」当たりが共感を覚えるでしょうし、
「荒野」は思春期の女の子が読むには、最適な小説と私は思います。
ですから、初期桜庭作品は中学の図書館に全部寄付してしまいました。
奈須きのこの「空の境界」をオマケに付けて・・・。
これは梶井基次郎の「檸檬」に似たイタズラです。
果たして、これらの本が中学の図書室の書架に収まっているのか、
それとも有害図書扱いでゴミ箱に姿を消したのか、
ちょっと興味があります。
さて、こんな私ですが、「私の男」はさすがに娘には読ませれません。
18才以下はNGでしょう。
まあ、最近の女の子達は、ケイタイ小説やBL小説で、
かなりエゲツ無い読書に耽っていますが、
そんな表面的なイヤラシサとは根源的に異なる、
人間のケモノとしての一面を、「私の男」は切ない程に描いています。
さあ、夏休みの読書感想文にこの記事を書き写す勇気を持ったヤツは
はたして居るのでしょうか?
■ 「うさぎドロップ」との相違点 ■
漫画「うさぎドロップ」のラストは、
息子や私には少々以外でした。
家内は予想の範疇だったと言います。
「うさぎドロップ」の記事でも書きましたが、
漫画やアニメは、以外に普通の事を、普通に描く事が出来ます。
一方、小説で同じ題材を扱うと「私の男」になってしまいます。
構造としては同じ話なのですが、
小説と漫画やアニメとの相違点が明確です。
しかし、根っこの部分では通じる所もあり、
「私の男」は「裏うさぎドロップ」とも言えます。
いや、「うさぎドロップ」が「表・私の男」と言った所でしょうか。
この2作品、以外と同時に読むと、味わいが深いかも知れません。