人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

高校生の為の読書ガイド・・・勝手に10冊セレクト

2012-08-14 08:27:00 | 
 





■ 同じに育てても、「読書嫌い」の息子と、「読書好き」の娘 ■

毎年、夏休みになると娘が「お父さん本買って」とせがみます。

我が家の子供達は、小学生時代はマンガや児童書を読ませ、
中学からはライトノベルと、平易な普通の小説を読ませています。

なるべく「課題図書」や「名作」と呼ばれるものは避け、
子供が共感を覚えやすい作品を読ませて育ててみました。
大人の小説でも同時代性を持った作品に、子供は抵抗を覚えない様です。


長男は中一の時に「亡国のイージス」を読んで面白いと言っていたのですが、
そこから親離れが始まり、読書の傾向も次第に周囲の友人の影響を受け、
ライトノベルの王道的な作品ばかりを読む様になりました。
(私がライトノベルを読むのは、息子の本棚から拝借したからです。)
それも次第に興味が薄れ、だんだんと本自体を読まなくなってしまいました。

そんな息子も「ハルヒ」と「化物語」シリーズは貪る様に読みますから、
やはり子供は「面白い」ものを直感的に嗅ぎ分ける習性がある様です。


一方、娘は、読書のセンスが良い。

三崎亜紀の「となり町戦争」は、何故か小学校の学級文庫にあったのですが、
小学校6年生にして「となり町戦争」を面白いと言う子供も珍しい。
その後、「バスジャック」や「失われた町」を中学時代に何度も読み返えす程の
三崎亜紀の大ファンとなります。

「何処が良いの?」と聞いても、答えは要領を得ませんが、
彼女なりの「面白い」のツボに嵌るらしく、
読み返す度に、新しい発見をしては報告して来ます。

彼女が好きな作家は以下の通り。

三崎亜紀・・・文庫化された作品はどれも一番好きだとか
桜庭一樹・・・さすがに「私の男」は読ませていませんが、「赤朽葉家の人々」もOK
恩田陸 ・・・「夜のピクニック」「ネバーランド」は大好き
乙一  ・・・「失われた物語」は本がボロボロになる程読んでいます。
有川浩 ・・・「塩の街」が好きみたいです
伊坂幸太郎・・・「アヒルと鴨とコインロッカー」だけがマスト。

これらの作家の特徴は、文章が平易であるという事でしょうか。
一方、文章が難しくなると途端に読めなくなります。

西尾維新は「化物物語」「傷物語」で中断中。
福井晴敏は「ターンAガンダム」を読ませて見ましたが100ページで挫折。

一方、J・G・バラードの「結晶世界」は面白いと言うし、
小川洋子の「猫を抱いて像と泳ぐ」は大好きだと言うのだから、
どこに「読める、読めない」の基準があるのかは全く不明です。

さらには、女子高生らしく「携帯小説」も夢中で読んでいるから、
ジャンル自体にヒエラルギーは存在しないのでしょう。

ただ、面白いのは「一般書籍の振りをしたラノベの類似品」には否定的で、
「謎解きはディナーの後で」よりは
「文学少女」の方が余程面白いと言います。

ここら辺は、編集者の腹の中を見透かした様な発言で、小気味がいい。

■ 2012年の夏読書10冊 ■

毎年、夏になると娘や息子の為に10冊ほどの本をまとめ買いします。
中学生や高校生でも、さらには親の私達が読んでも楽しめるセレクトにする事で、
親子の会話も弾みますし、本をのコストパフォーマンスも上がります。

2012年の夏読書の10冊は、以下の通り。

有川浩・・・「レイツリーの国」
      「海の底」
      「図書館戦争」
      「図書館内乱」

恩田陸・・・「ねじの回転 上/下」
      (これに合わせて、226事件繋がりで宮部みゆきの「蒲生邸殺人事件」
       を読ませたかったのですが、引越しの際に図書館に寄贈してしまいました)

桜庭一樹・・「ブルースカイ」

三崎亜紀・・「鼓笛隊の来襲」

乙一  ・・「平面いぬ。」

辻村深月・・「太陽の坐る場所」

筒井康隆・・「時をかける少女」

藤原伊織・・「テロリストのパラソル」


シリーズ物や上下巻が含まれるので、正確には10冊ではありませんが、
ちょっと大人の本を混ぜておくのが「ミソ」。

意外な作品に子供は食いつくものです。

でも、ここに「嵐が丘」を混ぜておくと、
絶対に読まないのが不思議な所。

近代の名作って、サービスが足りないのか、
それとも私達がサービス満点の書籍に慣れ過ぎてしまたのか・・・。


本日は、夏休みの高校生にお薦めの「夏読書10冊」を紹介しました・・・。
これらのタイトルは、高校生が読んでも、大人が読んでも面白いハズ。

読書から遠のいてしまった大人の方のリハビリにもお薦めです。




お盆休みの時間を持て余しているアナタにとっておきの読書を・・・有川浩「海の底」

2012-08-14 01:53:00 | 
 




■ 何万匹の巨大エビの大群が横須賀を占拠 ■

一般公開で混雑する横須賀米軍基地を、
イキナリ数万匹もの体長3mにも及ぶ巨大エビが襲います。
逃げ惑う人々を、巨大なツメで攻撃し、次々と餌食にして行く・・・。

これだけ書くと、子供向けのパニック小説の様ですが、
この荒唐無稽な設定を、どう料理するかが作家の手腕とも言えます。

「空の中」「塩の街」「海の底」という有川浩の初期作品3作は
女性の作家には珍しい、ハードSFの名作です。
俗に「自衛隊3部作」と呼ばれています。


「空の中」は少年と知的生命体の交流を描く、瑞々しい作品。

自衛隊の実験機が空中で事故を起こし、
衝突した相手が何と、空中に浮ぶ巨大な知的生命体だったという「空の中」。
知的生命体の破片を偶々拾った少年は、事故機のパイロットの息子。
太古の地球に生まれ、人間とは異なる進化を歩んだ生命体と人類の接触は、
人類の存在を危機に陥れます。
しかし、少年の拾った生命体によって事態は思わぬ展開に!!

「塩の街」は少女と元自衛官の切ない恋物語

東京湾に突如出現し謎の物体を見た人達は、体が徐々に塩になってしまいます。
人々が次々に塩化して、都市機能を失った街で、
元自衛官が一人の少女を保護します。
やがて、二人に間には強い絆が生まれ、
少女を守る為に、腕利きにパイロットが謎の物体に挑みます。
塩の塊の様に、強く握ればサラサラと壊れてしまいそうな
少女と自衛官の切ない恋は、若い女性読者の圧倒的支持を獲得しています。

「海の底」は、潜水艦に逃げ込んだ子供達と自衛官の話。

横須賀に出現した巨大エビの大群に、警察はなす術もありません。
機動隊はジュラルミンの盾でエビを打撃して必死に非常線を死守します。
一方、逃げ遅れた子供達を収容した潜水艦「きりしお」では、
若手自衛官二人が、子供達相手に手を焼いています。
中三の男子は反抗するし、小さな子供の相手はどうすれば良いか分からないし・・・。
そんな中、一人、高校3年生の女の子が、自衛官を必死に補佐します。
少女への接し方に戸惑う、不器用な自衛官にやがて少女は心を寄せて行きます。

■ ベタ甘な恋愛と、緻密な戦闘描写のギャップがタマラナイ ■

有川浩の「自衛隊3部作」の魅力は、
「ベタ甘」な恋愛と、「緻密な戦闘描写」のアンバランスにあります。

これこそが、彼女が自作を「大人のライトノベル」と呼ぶ所以です。

ライトノベルの作家達の多くが若者です。
ですから彼らの描く恋愛は、瑞々しい。
読者もグズグズにただれた男女関係など求めていません。

相手にどう告白したら良いのか分からずに戸惑う主人公に
読者達は自分を投影して、ドキドキ感を共有するのです。

ところが、ライトノベルの主人公達は少年少女ですから
30歳を超えた大人が自己投影するには、
相当な妄想力が必要になります。

そこで主人公の男性を「大人の男」にしたのが
有川浩の「大人のライトノベル」です。

これと自衛隊の緻密な戦闘描写を組み合わせる事で、
大人の男性が楽しめる「ライトノベル」を作り出したのです。

これは単に「軍事オタク」で「年上好き」という
作者の嗜好を反映しただけなのかも知れませんが(憶測)
世間は見事に「大人のライトノベル」の魅力に嵌ります。

そして、若い女の子と大人の男性の不器用な恋は、
自衛隊や軍事なんて興味も無い
多くの女性読者の心を、何故だかワシ掴みにしてしまいます。

これは大学生くらいになってライトノベルやアニメを卒業した女性のニーズに
見事に合致したのかも知れません。

■ 「海の底」は社会派作品である ■

ここまで読まれた方は、有川浩の作品を
「なんだ、オタク向けか」と誤解されている事でしょう。

しかし「海の底」は「亡国のイージス」に匹敵する作品です。
「亡国のイージス」がアメリカの属国としての日本や自衛隊を露にした様に、
「海の底」は、平和憲法によって機能を失った自衛隊の姿を露にします。

「巨大エビ」を「テロリスト」と読み替えれば、
この小説のは、途端に現実味を帯びて来ます。

日本の現行法では、「テロリスト」に対向するのは警察です。
警察の機動隊は、集団による暴動やテロに備えた組織です。
しかし彼らの装備は、あくまでも対人装備で暴徒に対処するのが限界です。

基本的に、棍棒、ピストル、ガス弾、放水が装備の中心ですが、
これは、鎮圧が目的で、殺傷を極力避ける為と言えます。
唯一、殺傷力を持つのが狙撃を生業とするSATです。

警察では、重武装した敵には太刀打ち出来ません。

しかし、自衛隊は法律でがんじがらめにされています。
PKOでイラクなどの戦闘地域に派遣されても、
重機関銃などの殺傷力の高い装備を持つ事が許されません。

「海の底」の巨大エビは、警察の太刀打ち出来る様な相手ではありません。
自衛隊の投入が現場から官邸に要求されますが、
官邸は自衛隊の武器使用の決断が出来ません。

機動隊が総崩れする段階においても、
人が存在する方向への射撃は禁止されます。
これでは、エビに追われる機動隊を援護する事すら出来ません。
射撃も水平方向以下に規制されるなど、
極力、軍事行動と受け止められない様な配慮がされます。

エビの出現に際して、自衛隊も早期に投入されますが、
それは「災害支援」の出動で、
防護柵を設営したり、避難所を運営したり、物資の輸送をするといった
まさに、地震などの自然災害の時の自衛隊の役割しか果たせないのです。

外的から国民を守る為の「防衛出動」のハードルは限りなく高いのです。

「自衛隊の出動」のお膳立てをすいる県警警備部の警部と、
警察の現場指揮を取る、切れ者の警視庁参与の苦労がこの作品の読みどころです。

「海の底」は社会派小説として、大人の読書に耐える作品です。

■ だってエビでしょう? そりゃダメだわ ■

「『海の底』、面白いよ。読んでみたら?」と軽く粗筋を説明した私に
「だって、エビでしょ。そりゃ無いわ」とは家内の返答。

SFって、「架空」を受け入れるかどうかで「読める」「読めない」が決まるのですが、
「現実的」な事しか許容しない脳みその家内には、
エビが暴れまわる小説は「あり得ない」ものとなってしまいます。

同様な理由で家内は、私や娘が見ているアニメは「あり得ない」ものみたいです。

オタクと一般人の線引きって、意外と単純なんですね。


本日はなるべくネタバレしない様に書いてみました。
興味を持たれた方は、是非、本屋さんか図書館にGO


PS

管元総理は、東日本最震災の直後、
自衛隊員5万人と、予備自衛官(退役自衛官)の投入をトップダウンで即決します。

5万人の自衛官を被災地に派遣する事は、
日本の防衛を手薄にすると同義で、
防衛庁幹部には抵抗もあった様です。

防衛庁と言っても慣例に縛られる役所です。

地震直後に、大した準備も無く、被災地に投入された自衛官の方には頭が下がりますが、
彼らの活躍で、救われた命も少なくないはずです。

阪神淡路大震災の時には、社会党の村山首相だった為、
自衛隊の「災害派遣」が遅れた為、
多くの命が瓦礫の下で失われ、生きながらにして火災に焼かれました。

東日本大震災での管元総理の決断は、英断だたと思います。
現場の自衛官の方々も、ご苦労はあったとは思いますが
基本的には元総理の決断を指示するのでは無いでしょうか?

「海の底」を読みながら、そんな事をふと考えてしまいます。