■ 今期アニメのダントツは『ココロコネクト』 ■
今期アニメのダントツは何かと聞かれたら、
『ココロコネクト』で多くの皆さんと意見が一致するでしょう。
先日、アニメの出来栄えの良さについては、
記事を書きましたので、参照いただければと思います。
「定型化された中でどうやって差別化するか・・・『ココロコネクト』に見る定型の活用法」
http://green.ap.teacup.com/pekepon/843.html
この時、いい加減に原作について憶測を書いてしまいましたが、
『人格入れ替り』編(カコランダム)に続きく
『欲望開放』編(キズランダム)がアニメ版で始まるに至り、
我慢できずに本屋へGOしてしまいました。
家内には「鍛冶屋さんが感想を聞いてきたから、いい加減な事は書けないじゃん」って
鍛冶屋さんをすっかりダシにしてしまいしたが、
アニメを観て話の続きが知りたくて原作ラノベを買いに行くなんて、
「ハルヒ」や「トラドラ」や「化物語」以来、久し振りです。
■ 『文化研究部』に集う5人の男女の「非日常的」日常 ■
高校生男女が「わけの分からぬ部活」に集い、
「ぬるーい日常」を繰り広げるのは、
『ハルヒ』以来のラノベの常套ともなっています。
その意味において『ココロコネクト』は現代ラノベの王道的作品です。
アニメの太一のモノローグによる人物紹介を引用するならば、
「例えばそれは、プレレスをこよなく愛し、
入部届けのプロレス研究会という存在しない部活を書いてしまう俺であったり」
「例えばそれは、カワイイものが大好きで
既に消滅しているファンシー部に入部を希望した、桐山 唯であたり」
「例えばそれは、遊びサークル部などありもしない部活が
あると信じ込み入ろうとした、青木 義文であたり」
「例えばそれは、これだけいいろんな部活があると選ぶのも面倒だし
逆に運を天に任せた方が新鮮な驚きがあるのでは無いかと
部活を担任に一任した、永瀬 伊織であったり」
「例えばそれは、パソコン部の入ろうとしたが
たちまち部長と衝突し別の道を模索しようた稲葉 姫子であったり」
というバラバラな嗜好の5人の高校生男女が、
集まって作った「文化研究部」という部活の日常が
ある日突然、「非日常」へと急転直下するという物語。
■ そんあバカな事あってたまるか!!って事態が次々に5人を襲う ■
第一作の『ヒトランダム』では、5人の「人格」と「体」がランダムに入れ替わる。
第二作の『キズランダム』では、5人の「欲望」が突然押さえきれずに行動として現れる。
第三作の『カコランダム』では、5人のうちの誰かが突然「過去」の姿になってしまう。
(ここまでしか読んでいなにので後は不明)
エー、そんなバカな事ってあってたまるか!!展開ですが、
そこは、ライトノベルだけに突っ込むだけヤボってもの。
一応、「フウセンカズラ」と自称する謎の知性体が、
自分が「興味がある」という理由だけで彼らを翻弄するという設定になっています。
■ 自分の「悩み」とはこんな事だったのかと気付く高校生 ■
第一作の『ヒトランダム』では、突然、誰かと自分の「体」と「心」が入れ替わってしまいます。
それが、5人にランダムに発生するのだから、もう大変。
女子の格好で男子トイレに入ってしまうわ、
入れ替わりに間に、あんな事やこんな事をしていないかと疑われるわ、
家族には、「最近なんか変」と思われるわ・・・。
そして、当然、入れ替わりの最中に、
他人の家族関係などのプライバシーが覗けてしまいます。
この入れ替わりによって、彼らは自分のヒトに知られていない面が覗かれる事に怯えます。
稲葉 姫子は自分の体で誰かが「悪事」を働かないかと恐怖します。
高校生としては少々早熟な稲葉は、自分の殻に閉じこもり他人を寄せ付けない性格。
しかし、「文研部」の4人は、そんな稲葉が始めて大切にしたいと思える友人です。
ところが、そんな友人に対して、無用な猜疑心に囚われる自分に
稲葉は自己嫌悪に苛まれます。
自分はどうしようも無くイヤな奴だと、自分を追い詰めます。
そんな稲葉に太一は、友人に言えない事なんて誰にでもあると言います。
だから稲葉に自分の秘密を教えると・・・
「これを知られてしまうと、自分の高校生活が終わってしまうというか、
社会的に終わってしまうというか、人として終わってしまうというか、
とにかくそんな事が危惧される狂気じみた超危険物なんだ・・・」
それ程までの秘密とは一体・・・・
友人の知られざる恐ろしい一面を告白されると身構える稲葉に太一はこう言い放つ。
「俺は稲葉を------オカズにした事がある。」
・・・・何年もライトノベルを読んで来ましたが、
この展開にはもうビックリだ!!
高校生男子としてあまりにも普通な行動は、
しかし、他人に知られたら絶対にヤバイ秘密です。
それを本人を前にして言うとは
これはスゴイ、スゴ過ぎる告白だぁーーーー。
この告白には稲葉もビックリです。
自分の複雑な悩みが知られるよりも、
男子の単純な秘密が知らされる事の破壊力にも唖然とします。
さらに、部員に自分の悩みを告白した稲葉に
永瀬 伊織はサラリとこう言います。
「稲葉ん、つまりそれは-----心配性ってことだね。」
自分の「たいそう」な悩みが一言で片付けられて
稲葉は脱力してしまいます。
自分の悩みはいったいなんだったのかと・・・・。
TVで放映されたシーンなのでネタバレ全開で書いてしまいましたが、
これこそがライトノベルの醍醐味です。
世の中の小説が、難解な事件や複雑な人物描写をひたすら重ねて
ようやく最後の結末で、主人公のトラウマなんて、些細な事だったと気付く、
そんな展開を、「オカズ」発言一つで、分かり易く表現してしまう。
これは大人の小説には許されませんが、
ライトノベルやアニメでは頻繁に用いられる手法です。
そして、この簡潔さこそが、ライトノベルの魅力とも言えます。
■ 書かない事に意味がある小説と、書く事に意味があるライトノベル ■
ライトノベルと一般小説の大きな違いは、
表現しようとする事象を「書いてしまう」か「書かずに留めるか」にあります。
集団生活の中で高校生がお互いの秘密を打ち明ける話には、
恩田陸の『ネバーランド』がありますが、
大人の小説である『ネバーランド』の中では、
主人公達の直接的な心情の吐露は控えめです。
彼らの行動を通して、あるいは周囲の人達との関係性を通して、
読者が主人公の心を推察するのが、大人の小説の手法です。
これは、人生をある程度経験してきた大人だから出来る事で、
ライトノベルが対象とする様な読者は、
「悲しい」のか「楽しい」のかはっきり言ってくれなければ理解出来ません。
だからライトノベルやアニメのの主人公達は、
自分の心の中を、明け透けに言葉にして相手にぶつけます。
この「書いてしまう」事が、
ライトノベルが一般の小説よりも低く見られる原因にもなっています。
■ 「書いてしまう」事によりより自由度を獲得したライトノベル ■
しかす一部のライトノベルは「書いてしまう」事を逆手に取り始めます。
『涼宮ハルヒの憂鬱』では、主人公のキョンは
ひたすら自分の意見をモノローグでたれ流します。
ところが彼のモノローグは彼の本心とは微妙にズレています。
いえ、キョンは絶対に自分の本心を語らないのです。
そして、実は自分の本心に彼自身が気付いていない。
こんな重層的な構造は、「語らない」小説ではあまり見つかりません。
唯一、ハードボイルドが例外では無いでしょうか。
スタイルを重視するハードボイルドの主人公の言動は、
いつも本人自身を欺いています。
そして、ハードボイルドの伝統は、SF小説を経由して、
『涼宮ハルヒの憂鬱』に流れ込んでいます。
一方、一般のライトノベルでも、「語りながら語らない」手法が見受けられます。
それは「主人公が未熟で、自分の感情を理解出来ない」設定として用いられます。
「自分の恋心に無頓着な主人公」はライトベルの定石です。
恋心に気付いてしまったら、シリーズが終わってしまうからです。
これは、ハルヒのキョンとて例外ではありません。(キョンはかなり自覚的ですが)
■ 書かれている事と、低層が食い違う『ココロコネクト』 ■
『ココロコネクト』ではさらに「気付かない恋」のさらに先を模索しています。
「気付いてしまった恋」をどう処理するのか?
「気付いてういる恋」ははたして本物だろうか?
そうやらここら辺は、4巻目あたりから明らかになて行くテーマの様です。
■ ラノベらしい荒唐無稽な設定で、現代高校生の悩みにダイレクトに訴える ■
『ココロコネクト』は、「人格入れ替わり」や「欲望開放」や「時間退行」という
「超あり得ない」事態に直面した現代の高校生達が、
自分の本当の姿を直視する物語であり、
あるいは、自分の本当に姿を他人に曝さざるを得ない状況になる物語です。
それぞれの主人公は、現代アニメやラノベのテンプレートとしての役割を最初は与えられています。
ところが、事件の進行と共に、そのテンプレートの輪郭は不明確になり、
そこに等身大の悩みを持った高校生達の姿が現れてきます。
そして、一見、本当の自分はコレだと気付いた様に見えても、
まともやその輪郭は曖昧に薄れてゆき、新たな悩みが現れます。
一言で言ってしまえば、それこそが「成長」なのでしょう。
現実の高校生達も、自我の確立に戸惑う年頃です。
自分に自身が持てない彼らは、分かり易い「キャラクター」を被る事で、
本当の自分をなるべく友人から隠して日々を過ごしています。
ところが、自分自身も装っているというキャラクター自体、
本当の自分である事に、ココロコネクトの5人の高校生は、
「信じられない体験」を積み重ねてゆく中で、気付いてゆきます。
大人になった今の私が、かつての高校時代を振り返る時、
その当時、どんなに見せたい自分を演じていたにしても、
やはり、それは自分自身の本当に姿だったのだと、今だからか確信できます。
そういった自己肯定の大切さを読者達はこの小説から感じ取って行くのでしょう。
そして、説教臭くならずに、エンタテーメントとして高いクォリティーを持つ
『ココロコネクト』は、ご家族みんなで楽しめるライトノベルの名作では無いでしょうか。
『時をかける少女』や『俺がお前でお前が俺で(転校生)』など
元祖ライトノベルの名著の正等な後継として、絶対にお勧めの作品です。
もっとも、こんなのを父親が読んでいたら、娘さんに、
「オヤジ、てめぇー、キメェーんだよぅ!!」と言われるのがオチですが・・・。
<追記>
ちなみに作者の「庵田定夏(あんだ さだなつ)」が女性なのか男性なのかは
私には分かりません。
「あんだていか」と読めば「アンダーテイカー」となり、
これってプロレスラーですよね。
藤原定夏とも繋がる、結構面白いペンネームですね。
そういえば、アニメ版で部室の壁にアンダーテイカーのポスターが貼ってありますよね。
<追記>
『ココロコネクト』は8巻発売されています。
3巻目の『カコランダム』は唯と青木の物語、
4巻目に『ミチランダム』は伊織と稲葉、そして太一の物語と言えます。
5巻目の『クリップタイム』は短編集なので、
4巻目でひとまず、第一期の話にある程度終止符が打たれます。
『ココロコネクト』の主人公は太一ですが、
4巻までの隠れた主題は、伊織の自己肯定の様です。
その意味において4巻目の『ミチランダム』までは一連の作品であり、
是非とも、4巻目までを読まれる事をお薦めします。
『ミチランダム』での伊織は結構ショックですが、
それにも増して、稲葉のデレ具合がカワイイ!!