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確実に存在しながら、存在しないもの・・・『PSYCHO-PASS』に見る警戒心の麻痺

2013-01-31 10:03:00 | アニメ
 



■ 「近未来の管理社会」というSFのステロタイプ ■

前期と今期の2期連続アニメ『PSYCHO-PASS・サイコパス』。
Production I.Gが制作するスタイリッシュな近未来SFアニメです。

無類のアニメ好きとして知られる『踊る大捜線』の監督、本広克行が
現代版『パトイレイバー』を作りたくて、Production I.Gとタッグを組み、
『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵玄を脚本に迎えた話題作です。

『パトレイバー』の劇場版と言えば、『攻殻機動隊』と共に
押井 守の名を、一躍世界レベルに押し上げた名作中の名作です。

『踊る大捜線』の劇場版『レインボーブリッジを封鎖せよ』は、
その『機動警察パトレイバー the Movie』への熱い思いが込められた作品です。
(『踊る大捜線』の劇場版は、スピンオフも含めて良作だと思います)

本広克行が描く「現代版パトレーバー」とは如何なる作品か・・・
興味深々で見始めましたが、実はツマラナイ作品でした。


「エーーー、人力さん、『PSYCHO-PASS』がツマラナイのなら、
 世の中に面白い作品って無いんじゃないの!!」
という鍛冶屋さんの突っ込みが聞こえてきそうですが・・・。

実は、『PSYCHO-PASS』は非常に良く出来た作品です。
ストーリー、作画、キャラクター、SF的ギミック、
どれ一つとっても、水準を遙かに超えています。

では、何故私がこの作品を評価し兼ねていたのか・・・・
それは、あまりに「良く出来過ぎている」から。

高度に管理された近未来社会の歪と言えば、SFの題材の定番です。
これまでも、海外国内問わず、映画やアニメに何回と無く取り上げられたテーマで、
SF作品のステロタイプとも言えます。

そんな題材を豪華な制作スタッフでアニメ化するのですから、
面白く無くない訳が無い。

しかし、一方で、あまりにも「表現され過ぎた」世界感なので、
どの場面もどうしても「既視感」みたいなものが付きまといます。

さらに、サイコ(猟奇的)な犯罪がクローズアップされる事で、
虚淵玄のエグイ面がどうしても前面に出てしまいます。

そう、カッコイイけど、新鮮で無い。
第12話までは・・・・。


■ シビュラシステムに管理された平和と繁栄 ■

ネタバレ御免!!

シビュラシステムが人間の心理状態や性格傾向を管理しる近未来。

サイマティック・スキャンという装置でシビュラシステムは人々を管理しています。
サイマティック・スキャンは人々の感情の起伏を絶えずモニターしています。
精神的不安やストレスが高まると、サイコパスと呼ばれる人々の感情や心理の指数が上昇します。

すると、シビュラシステムは適切なストレスケアーを指示する事で、
人々は健全な精神状態を維持する事が出来ます。
健全な精神は、社会に安定と平和をもたらします。

シビュラシステムはサイコパスの数値が高い人間を「潜在犯」と認定し、
実際に犯罪を行う前に、この様な人々を社会から隔離して犯罪を未然に防ぎます。
さらには、性格や適性を判断して、個人の職業を決定する役割まで担います。

この世界では、全てがシビュラシステムによって決定され、
人々は、安全で平穏な日常を送っています。

人々の平安を守るのは、公安の仕事です。
公安の捜査官は、「管理官」と「執行官」に分かれています。

「管理官」は一瞬の官僚で、「執行官」を管理しています。
そして、「執行官」は実は、サイコパスの濁った「潜在犯」です。
「執行官」は、犯罪予備軍として日常の自由な外出も禁止されています。
しかし、「犯罪者の心理が予測出来る」という理由で、犯罪捜査にたずさわています。

新任管理官の常守 朱(つねもり あかね)は、
執行官の狡噛 慎也(こうがみ しんや)と、征陸 智己(まさおか ともみ)とチームを組みます。

執行官を「人間」として扱う朱に、先輩管理官である宜野座 伸元(ぎのざ のぶちか)は、
彼らを人として扱うなと言います。
彼らは、管理官の猟犬だと・・・。

しかし、宜野座自身は、それを自分に言い聞かせている様にも見えます。
何故なら、狡噛はかつての宜野座の同僚の監視官でした。
ある犯罪捜査の過程で、部下の執行官を無残にも殺された事から、
狡噛は犯人を追いつめる為に、自分を追い詰めてしまいます。
その結果としてサイコパスが濁り、
管理官という立場だけでなく、「潜在犯」になる事で普通の人間性をも喪失します。

一方、年配執行官の征陸は、実は宜野座の父親です。
征陸は、古い考え方の刑事です。
シュビラシステムがサイコパスだけを判断基準に犯罪者を認定する事に納得が行きません。
そうしたワダカマリが日々蓄積していった結果、
いつしか、征陸のサイコパスは曇り、「潜在犯」として執行官へと落ちてしまったのです。

宜野座は彼らを「猟犬」と言いながらも、
彼らの推理や捜査に信頼を置いています。
素っ気ない素振りを装いながらも、彼らの意見に耳を傾け、
彼らの身を案じまています。

新米管理官の朱は、そんな先輩達に助けられながら、
犯罪捜査という世界に身を投じます。

■ 1話目にして、既に下手な映画を軽々と凌駕する出来 ■

冒頭で「ツマラナイ」と書きましたが、
『PSYCHO-PASS』は一話目から下手な映画など軽々と凌駕する出来栄えです。

街頭スキャンでサイコパスの濁りが発見された容疑者が、
人質を連れて、雑居ビルに逃げ込みます。

新人管理官として初めて現場に出た朱の前に
執行官達が「護送」されてきます。

「彼らを同じ人間と思うな」とい言う宜野座の助言とは裏腹に、
執行官達は、ごくごく一般的な人達の様に見えます。
緊張する朱を気遣って、「俺たちに任せとけばいいんだよ」と言う細やかさも持っています。
しかし、捜査官達が手にするドミネーター(犯罪者だけを撃つ銃)は、
執行官達が「潜在犯」である事を朱に告げます。

一方、犯人に連れ去られた若い女性はパニック状態に陥り、
彼女のサイコパスも異常値を計測します。
「サイコハザード」という現象です。

犯人に至っては、サイコパスは極めて高い数値に上昇し、
ドミネーター(銃)は犯人を「殺害対象」と判断します。
既に、犯人は社会から必要とされない、いえ、抹消すべき対象と判断されたのです。

目の前で射殺された犯人を見て、人質の精神も限界に達します。
本来、麻酔銃で人質を眠らせて安全を確保する所ですが、
朱が躊躇する間に、人質のサイコパスは、「殺害対象」にまで上昇します。

何の感情も見せずに人質に銃を向ける狡噛に対して、朱の取った行動とは・・・。

「とんでもねえじゃじゃ馬が来たもんだ」と征陸はボヤキます。


・・・・イヤー、凄い作品ですね。
30分の一話が一時間にも感じられます。

そして、たった一話で、だいたいの社会背景をサラリと描き出しています。
素晴らしい脚本です。さすがは虚淵玄といった所でしょうか。

でも、この作品、出来過ぎです。
何だか、あまりに完成度が高過ぎて、かえってドキドキしない。
作者の意図が先読み出来るというか・・・。

2話目以降は、様々な犯罪と執行官の過去が描かれて行きます。
どの話も安定して面白いのですが、
ある意味、この手のSF作品の予定調和の中から出る気配はありません。

■ 繋がった点と線 ■

物語は中盤から俄然面白くなってきます。
今までバラバラに発生していたと思われた犯罪は、
一人の犯罪者が計画した物だという事が分かって来るのです。

槙島 聖護(まきしま しょうご)
こそが、事件の点と線を繋ぐカギだったのです。

槙島は、犯罪性向のある者達をたきつけ、
その犯罪をバックアップします。

そうして彼が目を付けたのが、執行官の狡噛です。

かつて、同僚の命を無残にも奪った事件の背後に槙島の存在を嗅ぎつけた狡噛に、
槙島は、自分と同じ者の匂いを感じ取ったのかも知れません。

■ シビュラシステムが人々から奪ったもの ■

槙島は朱達を嘲笑うがごとく、残虐な犯罪を繰り広げます。
そして、朱の友人を誘拐し、彼女を朱の目の前で殺害します。
朱が槙島に照準したドミネーターは彼を、「潜在犯」と判定する事はありませんでした。
凶悪な犯罪を実行しつつも、槙島のサイコパスは曇る事が無いのです。

槙島は朱に猟銃を渡し、それで自分を撃ってみろと迫ります。
しかし、朱には彼を撃つ事が出来ません。
シビュラシステムが犯罪者と認めない者を、彼女は撃てなかったのです。
例え友人の命がの前で断たれる事になっても・・・。

この回から、この作品の主題が明らかになり始めます。
人々に平和と安心を与えると思われていた神にも等しいシュビラシステムも絶対では無いのです。

ところが、人々はシュビラに全ての判断を託しているので、
自分で判断し、行動する能力を失ってしまったのです。

■ 目の前で行われる殺人に、「何が起きているか分からない」と答える人々 ■

14話の「甘い毒」では、さらに主題が掘り下げられます。

シュビラシステムを欺くヘルメットを装着した犯罪者が、
群衆の前で女性を殺害します。
ハンマーで滅多打ちにするという、極めて異常な犯行です。

しかし、シビュラシステムは被害者女性のストレス値の高まりにしか反応しません。
そして、群衆も、ただただ、目の前で行われている凶行をポカンと眺めています。
中には、携帯で動画を撮影する者も居ますが、
助けようとする人は誰も居ません。
それどころか、通報すらしないのです。

誰もが口をそろえたように「目の前で何が起きているのか分からなかった」と言います。

高度なセキュリティーによって犯罪が事前に排除され、
社会の中から暴力が隠蔽された世界に住む人達は、
目の前で行われる殺人に対して、正常な恐怖感を持つ事が出来ないのです。

日常的でない事が行われている事は理解できても、
それが自分や誰かの身に危険をもたらすという当然の認識が欠如しているのです。

これは、生まれてから一度も熱い物を触った事の無い子供が、
平気でストーブを触って火傷する事に似ています。

本来、人間には本能的に危機を察知しますが、
極度な安全に身を置く人達は、生き物としての当然の本能を失っているのです。

作品は今後、「人間とは何か」という主題を掘り下げて行くのでしょう。
シュビラシステムに支配された存在を果たして人間と呼べるのか、
槙島は様々な恐怖を人々に突きつけて、人々に問うて行くのでしょう。

■ 安全に慣れ過ぎた現在の人々 ■

シュビラシステムに管理される人々の姿は、
そのまま、現代の私達の姿に重なります。

TVや新聞が疑われるようになったとは言え、
私達の想像力は、メディアによって大きく損なわれています。

経済危機が表面化しても、アナリストや経済学者がTVに登場して、
尤もらしく、いずれは経済は落ち着きを取り戻すと言えば、それを信じます。
今は危機の直後だから混乱しているが、
世の中のシステムが崩壊する事は無いと言われれば、何となく納得してしまいます。

FRBが金融緩和を続ければ、米経済は回復すると言われればそれを信じます。

一方で、実際のアメリカのGDPは、FRBのQE3にも関わらずマイナスに転じています。
その理由は冷静に考えればいたって単純で、
米経済は80年代以降実体経済では無く、
バブル経済の連続で成長していたに過ぎないのです。

ですから、新たなバブルを作らなければ、実体経済が回復する事は不可能なのです。
ところが、米国民がいくら楽天的とは言え、
職も安定しない状況では夢を見る事すら出来ません。

ヨーロッパにしても、中国にしても似たり寄ったりです。
ただ、ヨーロッパは財政規律が日本やアメリカよりも守られていますから、
財政統合によってユーロが安定すれば、回復は早いはずです。

この様に、報道とは裏腹に、世界はゲームセットに向けて着実に歩んでいます。
ただ、誰も「そこから先は崖から落ちる」と言わないので、
多くの人達が、崖の存在にすら気づきません。


『PSYCHO-PASS』というアニメが我々に警告しているのは、
精神異常者の猟奇的な犯罪の危機では無く、
考える事を放棄した人々の陥るであろう危機なのかも知れません。