人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

緩慢な死よりもガラガラポン

2011-07-19 07:20:00 | 時事/金融危機
 

■ 池田先生がリフレ論支持に??!! ■

池田信夫先生が、リフレ論支持者になった?

「いろいろ考えたけどやっぱリフレ論を支持します---池田信夫」
http://agora-web.jp/archives/1052119.html

よくよく読んでみると、

「日銀が民間の有価証券や不動産を1000兆円規模で買い取って、
 資金を供給すれば数%のインフレ(あるいはバブル)が起こり
 実質賃金も実質政府債務も減少し、
 年金の実質支給額も大幅に減って、
 老人から現役世代に大幅な所得移転が起こり
 日本経済の問題は一挙に解決します。」

「日銀は無責任な行動にコミットし
 ブレーキを壊す必要があります。
 白川総裁が約束しても誰も信用しないので
 大多数に人々の予想を変えるには
 白川氏を更迭して亀井静香氏が総裁に就任し、
 三橋貴明氏を副総裁にして
 理事を全て金子洋一氏や勝間和代氏などの
 リフレ派に交代させるくらいのショックを与える必要があります。」

「大インフレによって一時的には大規模な倒産が起こり、
 失業率は数十%に達するでしょうが、
 日本には生きている意味の無いゾンビ企業が多すぎるので
 この際それを一気に清算すれば
 政府が「構造改革」なんかするよりは
 はるかに早く問題が片付きます。」

「最終的には。亀井氏を更迭して「新円」に機影変えれば
 インフレは止まります。
 そいれには数ヶ月から数年かかり、
 物価がオーバーシュートして
 数百倍のハイパーインフレになって
 日本経済が壊滅するリスクもありますが、
 今のようにゆるやかに衰退するよりはましです。
 終戦の焼け跡から、
 日本は世界最高の成長を実現したのです。」


池田先生、大丈夫です。
アメリカ発の崩壊が、世界をさらなる成長軌道に乗せてくれる事でしょう。

同じ誘惑に駆られているのは、日本もアメリカもヨーロッパも一緒です。


■ 池田先生はリフレ論に宗旨変えしたのか ■

池田先生はこれまで「反リフレ論者」でした。

「日銀がマネタリーベースを増やしても、
 国内に資金需要が無いので
 資金は海外に流出し、
 国内の景気浮揚には寄与しない。」

「公共投資など政府部門の支出は
 効率が悪く、乗数効果が低いので、
 有効では無い」

「規制緩和による産業構造の変革こそ
 長期的景気回復に繋がる。」

これらが池田先生の持論でした。

「むやみにお金をばら撒けば、
 ゆるやかなインフレが発生して
 景気が回復する。」

という「成り行き主義」のリフレ論者を
池田先生は批判されてきました。

しかし上の文書を一読すると、
池田先生がリフレ論に宗旨変えしたように読み取れます。

■ 日本に対する諦観 ■

池田先生のこの文章は
リフレ論者に対する強烈な皮肉と、
日本人に対する捨て台詞と読み取る事が出来ます。

原発問題で論理的思考を展開する池田氏に対して
社会の反応は感情的で幼稚です。
日本人はあまりにも情緒的です。

これは一種社会の「優しさ」とも受け取れますが、
「甘さ」の社会と取る事も出来ます。

現在の日本にはゾンビ企業が沢山あります。
これは企業の規模によらず、
様々な業種に及びます。

本来なら、倒産してしかる企業を
国や銀行が支え続け、
雇用を確保する為に、
雇用助成制度で本来仕事の無い社員を研修に通わせます。

企業にすれば、むやみに解雇するよりマシで、
政府にすれば、見かけの失業率を低く抑え、
失業の急増による社会負担よりも安上がりという事にります。

このような中途半端は甘えの構造は
社会福祉を始め、日本のあらゆる分野に
構造的に組み込まれています。

今回の福島原発事故でも同様な構造が露呈しています。
武田邦彦先生も、「エコポイントを貰う」という表現で
婉曲に批判しています。

「自分の生命の判断を国家に預け、
補償金と自分や子供の生命を測りに掛ける」

とかつての武田先生ならば露骨に批判しますが、
現在の武田先生は「エコポイント」などと
分かり難い表現をしています。

池田先生の本意は、「責任ある成長戦略」でしょうが、
官僚も、政治家も、国民も責任を回避して
甘えの構造に沈溺する日本に
明るい未来を見出す事を諦めたのでしょう。

これこそが、「成長の限界」であり「緩慢な死」です。
「成長の限界」どんな社会システムでも発生します。
戦後60年以上を経過して、
先進国の多くは既に「緩慢な死」の途上にあります。

だからこそ、ハードランディングを
イルミナティーが模索するのだというのが
私の持論です。

リスクとは何か・・・ドル終焉の可能性

2011-07-17 18:29:00 | 時事/金融危機
 




■ 机の上に100円玉が置いてある ■

机の上に100円玉が置いてあります。
あなたは、それを見てどう思いますか?

「誰のだろうと思う?」
「やった、頂き。って思う」
「仕舞わなきゃって思う」

回答は色々でしょう。

「次に振り向いたら、無くなっているかも」

私はそういう心配をしてしまいます。

誰かが盗ってしまうかもしれない。
机から転がり落ちてしまうかもしれない。
そもそも、机の上に100円玉が放置されているのは怪しい・・。

人々がリスクと感じる事柄は様々です。

現状のヨーロッパやアメリカの経済情勢を
ありふれたリスク(景気循環)と取るか、
あるいは、100年に一度の世界の大転換点と取るかは、
100円玉の命題に似ています。

テーブルの上の100円にリスクを感じる人は、
安全な場所に資産を逃がせば良いでしょう。

むしろ、100円玉ゲットっと思う人は、
この機会に勝負を挑むのも良いでしょう。

■ 1ドル紙幣の裏に、真実の目と、13段のピラミッドが印刷してある ■

「真実の目」と「13段のピラミッド」と言えば
イルミナティーのシンボルです。

こんな分かり易い象徴が、
1ドル紙幣の裏に印刷されています。
さて、この事象にどれだけの人がリスクを感じるでしょうか。

私には「傾いたテーブルの端に100円玉が立っている」
これと同程度のリスクを感じます。


■ イルミナティーが2012年に世界を変革するという噂がある ■

ユーロはきっと大丈夫。
ドルが崩壊するはずは無い。
米国債のデフォルトなどあり得ない。

これは「テーブルの上の100円が消えない」と同程度の思い込みです。
実際にテーブルの上の100円は、様々な事象で消える可能性があります。

「イルミナティーは2012年に世界を変革する」という噂があります。

陰謀論を信じない人には、全く信じがたい噂です。

陰謀論を信じる人にとっては、充分注意するに足る噂です。

■ イルミナティーの存在はリスクか? ■

イルミナティーの存在を信じない人には
イルミナティーはリスクでは無いのでしょうか?

これは多少「進学論」めいてきます。

「神を信じるか、神を信じないかは自由である。
 神が存在しなくても、神を信じる者は損はしない。
 しかし、神が存在した場合、
 神を信じない者は、最後の審判で救われないので損をする」

「イルミナティーの存在を信じるかどうかは自由である。
 イルミナティーが存在するとして対策を講じた場合、
 イルミナティーが存在しなくても、危機的損失は発生しない。
 イルミナティーが存在しないとして対策を取らなかった場足、
 イルミナティーが2012年に崩壊を仕掛けたら、危機的損失が発生する」

放射線に対するLNT仮説に似ています。

しかし、人々は目に見えない放射線のリスクは過大に評価しますが、
1ドル紙幣でその存在を暗示される「イルミナティーのリスク」は軽視します。

■ 最悪のリスクはイルミナティが存在し行動を起こすケース ■

私がこのブログで訴えるリスクは、
イルミナティーが存在し、
彼らが2012年に変革を行う事を想定したリスクです。

普通に考えれば、ユーロやドルの崩壊は誰もが防ぎたい事です。
仮にアメリカの財政破綻が中期的には不可避であっても、
ぎりぎりまで、回避を試みるのが、
基軸通貨国としての当然の責務です。

しかし世界の変革こそが目的であるならば、
アメリカのデフォルトやドルの崩壊は、
世界変革の原動力として充分なパワーを有します。


■ イルミナティーの目的 ■

イルミナティーの目的は世界政府の樹立と言われています。

イルミナティーという組織が設立時の目的を失わずにいるならば、
彼らは「世界政府を通して、人類をより良く導く」という
一種狂信的とも言える理想を有している可能性があります。

■ 世界の統合は自然な流れ ■

歴史的に見れば、世界は根源的に統合に向うバイアスを有しています。

村々は争いの末に、地域の国へと修練し、
小国は集まって、大国を形成しています。

ヨーロッパに至っては、
近代国家の枠組みを外して
域内での政治、経済の統合を目標としています。

その過程の中で、かつて合い争い、
流血を繰り返してきた地域は、
戦乱の無い地域へと変化します。

とかく「管理社会」と同義的に用いられ
「人の家畜化」と揶揄されるイルミナティーの目的も、
実際に人間が安全に生活する上では
決してマイナスの事ばかりではありません。

■ 変化は意識的に起こされる ■

歴史は「合理的なストーリー」を要求します。

太平洋戦争の開戦は、「日本軍の成長主義が欧米を刺激した」という
合理的理由が用意されました。

しかし実際には「日本軍は石油を奪われた為に南方に進出した」
という歴史の見方も存在して良いはずです。

その様な「裏の歴史感」に基づけば、
歴史は「事件の結果」なのでは無く
目的の歴史の為に「事件が仕掛けられる」という解釈が成り立ちます。

「世界の大きな変革は、自然発生するのでは無く、
 ある目的をもって起こされている」


そう解釈すれば、歴史は至ってシンプルで合理的な姿を現します。

■ 現在のリスクと向き合う ■

もしイルミナティーとその目的が確固として存在するならば、
彼らが望めば、米国債のデフォルトもドルの崩壊も予定されて事柄となります。

これは不可避なリスクです。

世界をさらなる成長と、力の均衡に誘う為に
金融危機の第二波の発生や、ソブリン・クラッシュが用いられるならば、
これは避けられない事実となって出現するでしょう。

少なくとも8月にアメリカがデフォルトする確立は
常識的には0%だと思います。

しかし、それが意図的に仕掛けられるならば、
その確立は100%になります。


ここからは、神学論争です。

信じる方がリスクが少ないのか、
信じない方が、リスクが少ないのか・・・。

私は前者の立場で行動します。
誰に笑われようが、
「それ」が起きた時のダメージは少しでも減らしたいからです。




遊びとしての文学・・・西尾維新・「化物語」

2011-07-16 09:29:00 | 
 



■ 「ライトノベルの文化的位置付け ■

ライトノベルは中高生が読むものと思われています。
確かに大人が電車の中でライトノベルを読みふける姿は、
ほとんど見ることが出来ません。

かつては、電車の中で大人がマンガを読む事は恥ずかしい行為でした。
現在は子供よりも大人が車中でマンガを読む姿を見かける方が多くなりました。
子供達は携帯電話を操作しているか、
DSやPSPでゲームをしている事の方が多いようです。

マンガやゲームは文化として市民権を得ていますが、
ライトノベルが文化としての市民権を得るには未だ時間が掛かるようです。

■ 古典を読めない子供と、ライトノベルを読めない大人 ■

西尾維新の「化物語シリーズ」の一冊、
「偽物語」の中でこの様な会話が為されています。

「子供が古典小説を読めないのと、
 大人がライトノベルを読めないのは、同じかもしれない」

そう、大人はライトノベルをバカにしているから読めないのでは無く、
ライトノベルを読む能力が欠如しているのです。

同様に一般的な現代の子供達には、古典小説を読む能力が欠如しています。


■ ビジュアルイメージが実写かアニメか ■

大人が小説を読む時に、脳内に喚起されるイメージは「実写」でしょう。
一方、子供がライトノベルを読む際にイメージする映像は「アニメ」です。

例えば「チームバチスタの栄光」をアニメで想起する大人は居ないはずです。
「涼宮ハルヒの憂鬱」を、実写で想起する子供も皆無でしょう。

ライトノベルの表紙はアニメ絵で、挿絵もアニメ調です。
ですからライトノベルを読む上で、
既に実写的イメージはブロックされています。

言うなれば、ライトノベルの中身と挿絵は不可分な存在です。

■ 急激に薄れつつつある境界 ■

かつて明確に存在した「ライトノベル」と「小説」の境界が
現在急激に薄れつつあります。

現在、書店に並ぶ「大人向けの小説」の表紙に
アニメ絵が使われる事が多くなりました。
これは、「ライトノベル世代」に一般小説を買わせる
出版社の作戦として始まりました、

さらに一般的には「大人向け小説」と思われている作品も、
ライトノベルの影響を無視できなくなっています。

先述の「チームバチスタの栄光」の白鳥のキャラ設定などは、
明らかにライトノベルの乗りで書かれています。
私には彼を実写でイメージする事が出来ません。
彼の言動は、従来の小説の作法からは逸脱するものに思えます。

同じシリーズの「ナイチンゲールの沈黙」はさらにライトノベル的です。
「歌による共感現象で映像を見せる能力」などはSF的設定で
従来の小説では敬遠されるはずですが、作者は躊躇無くそれを採用しています。

「異能」の存在は、極めてライトノベル的設定と言えます。

■ 京極堂シリーズこそ、大人版ライトノベル ■

京極夏彦の「京極堂シリーズ」はエンタテーメントとして最高の出来栄えです。
しかし、その構造は実は極めてライトノベル的です。(ファンに怒られますが)

その証拠に、「姑獲鳥の夏」も「魍魎の箱」も実写映画は極めて駄作です。
ところが「魍魎の箱」のTVアニメは非常に素晴らしい出来です。

京極堂や、薔薇十字探偵社の榎木津は小説のキャラクターとしては
エッジが立ちすぎています。
特に榎木津の「異能」はライトノベル的設定です。

■ 知識の奔流としてのライトノベル ■

ライトノベルの一つの特徴として「異能」の他に
アンバランスな情報量があります。

一部の作家は自分の興味や知識を登場人物の口を通して
滔々と語らせます。

京極堂も凡そ知らない事は無い思われる程の知識の持ち主です。
そして京極堂を通して、京極夏彦は自身の知識を誇し気に開陳します。

「姑獲鳥の夏」では量子力学と認識論
「魍魎の箱」では幻想小説
「狂骨の夢」では真言立川派
「鉄鼠の檻」では禅宗

京極夏彦は興味を抱いた事象を徹底的に調べ、
その知識を京極堂の口を通して披露する事を喜びとしている様です。
これは、ライトノベルの一部の作家達に共通するメンテリティーです。

さすがに京極堂シリーズは作品の世界感と情報開示を高い次元で融合し、
さらには推理小説本来のトリックも織り込むというウルトラC小説ですが、
その根本的な創作意欲は、「知識を披露したい」という個人的欲求にあるようです。

■ 京極堂のライトノベル版、「化物語」 ■

ようやく本日の主題の西尾維新に辿りつきます。

西尾維新の「化物語」は妖怪(怪異)がテーマの小説です。
怪異とは存在するし、存在しない者として描かれます。
社会が、あるいは個人が作り出す幻想でありながら
確固とした影響を持つ存在・・・。

「世の中には、不思議なことなど何もないのだよ」

これは京極堂が作品の中で繰り返してきた口癖です。
「不思議」とは社会や個人による幻想なのだと陰陽師は看破します。
「化物語」の怪異の解釈は、これを踏襲しています・・・というかパクリです。

「何でもは知らないわよ、知っていることだけ」

これは「化物語」の主要登場人物の一人「羽川翼」の口癖です。
不思議とは「知らないこと」であり、
「知っていれば」不思議は存在しないのです。

この様に、ライトノベルである「化物語」は、
京極堂シリーズの中高生向けコピーと思われがちです。

■ 趣味の二次作品としての「化物語」 ■

確かに「化物語」の着想の原点は「京極堂シリーズ」でしょう。
作者の西尾維新は、この作品を個人の趣味として執筆し、
一般に公開するつもりは無かったと言っています。

多分、京極堂シリーズのパロディーとして、
個人の楽しみとして書かれた作品なのでしょう。

同人誌でアニメの二次作品を楽しむ事と同様の作品なのでしょう。

しかし、出来が良かったので出版され、そしてヒットしてしまった。

・・・これには作者も戸惑いがある様で、
勝手に書いた「化物語」と「傷物語」はクォリティーの高い作品ですが、
続編として出版社が企画した「偽物語」以降は、
作者は積極的に作品世界を破壊し、
人気キャラクターや主人公達のイメージを徹底的に壊していきます。

個人的趣味で作ったキャラクターが、
多くの若者達に共有される事に我慢出来なかったのでしょう。

■ 無限の自由を手にしたライトノベル ■

西尾維新は。「偽物語」以降は自主的な創作の動機を失っています。
出版社のリクエストで書かれた作品です。

当然、作品おクォリティーは低下するのですが、
ところが、その投げやりな態度が、
今まで読んだ事もも無いようなジャンルを世の中に生み出してしまいました。

一般的に作品中の人物は、作品世界の外を認識する事は出来ません。
それは小説というジャンルが守るべきルールの一つです。

しかしポストモダンの小説の登場人物達は、
作品世界の外枠を認識する能力を獲得します。
これは「メタフィクション」とか「メタ構造」と呼ばれます。

「簡単に言ってしまえば「ヤッターマン」でボヤッキーが
「全国の女子高生諸君!!」とブラウン管から語り掛けた事を
小説家がやってしまっただけとも言えます。

「偽物語」以降の西尾維新は、このメタ構造のオンパレードです。
作中の人物がアニメ化に言及し、
作者の諦観をダラダラと語り、
ロリコン的展開には、「石原知事に怒られるぞ」と突っ込む。

既にここには「小説」として作中と現実を隔てる壁は存在しません。
友達同士の日常的な会話が、作品の枠を超えて現実世界に流れ出してきます。
西尾維新は「ノーフレーム小説」とも言える新ジャンルを作り出してしまいました。

ポストモダンの小説にも、
キャシー・アッカーの「血みどろ臓物ハイスクール」の様な
パンク小説と呼ばれる異端小説の分野がありますが、
それが読んでいて楽しいかと言われれば、
前衛作品独特の「つまらなさ」を覚えざるを得ません。

ところが、西尾維新は小説という構造をここまで徹底的に破壊しながらも
それをしっかりエンタテーメントとして成立させています。
これこそが、日本のオタク文化の強度だとも言えます。

■ ゲームとしての小説 ■

「化物語」シリーズは、ほとんど会話でストーリーが展開してゆきます。
一人称文学は、主人公の視点で世界が描かれますから、
「会話」によって、作品を描き切る事が容易なジャンルですが、
西尾維新にいたっては、職人的な手際でそれをこなしています。

多分、西尾維新はギャルゲーをプレーする感覚で執筆しているはずです。

次はこの女の子に何と言わせよう?
次はどんなイベントを用意しよう?
このフラグは何処で回収しよう?

まったくもって登場人物達が「フラグを立てる」や「そんなイベントはいらない」
なんて言ってしまう事からして、既に文字で書かれたゲーム状態です。

さらには、攻略されたキャラクターは「デレ」ます。
攻略してしまえば、作者はそのキャラクターに興味を失ってしまうのです。

■ 消費としての文学の最終形態 ■

ほとんどギャルゲー状態の西尾維新作品に比べれば
谷川流の「涼宮ハルヒ」シリーズは、古典的で保守的です。

若者の文字離れが言われて久しいですが、
ライトノベルは売れています。
それは、戦略的にこのジャンルが読者のニーズに応えてきた結果です。

読者の望む「女の子」を提供し、
読者の望む「イベント」や「ストーリー」を提供してきました。

そして「読者皆の宝物」である登場人物の「女の子」は、
決してSEXなんてしません。(子供向け小説だから当然か・・・)

そう、ライトノベルは究極のインタラクティブ構造を創出したのです。

■ プラットフォームの共有が不可欠 ■

「ライトノベルは大人には読めません」


同じ文化的土壌の共有は無くしては楽しむ事が出来ないのです。
「ノンフレーム小説」であっても、プラットフォームの統一は不可欠です。

かつてMACのソフトがWINDOWSで使えなかった様に、
オタク文化というOS無くしては、西尾作品は楽しめないのです。


■ 西尾維新の作家としての力量 ■

こう書いてくると、ライトノベルの作家はレベルが低いと思われるでしょう。

桜庭一樹、有川浩、乙一・・・今をときめく作家達はライトノベル出身です。
乙一は違うだろうというご指摘もありあそうですが、
彼はデビュー当時、「スレイヤーズ」(ライトノベル)しか読んだ事が無かったそうです。

西尾維新の実力はどうかと言えば、
彼は天才の部類に属します。

ポップで薄っぺらな登場人物が
一瞬でシリアスモードに突入し
深遠な思索を披露します。

現代の人気作家達が1冊掛けて作り出す価値観を、
1ページで作り出します。

世界の深遠を覗くような洞察を、一言でさらりとこなします。

その読書量や知識量は想像を絶するものがあります。

ただ、彼は「自分の遊びとして小説を書く事」にしか興味が無いようです。

プラットフォームを違える一般小説の分野では
彼の作品が成立しない事にも自覚的です。

■ 読者に課せられるハードル ■

世界的な最重要作家の一人とも言える西尾維新を大人が楽しむ為には、
オタク文化の習得という、高いハードルを越える事が必要です。

電車の中でライトノベルを平気で読める私は、
既に、このハードルをクリアーしています。

・・・って単なるオタク・オヤジなんだけど・・。




<追記>

近代文学はリアリティーの追求にその存在意義を求めてきました。
登場人物や情景の描写が現実的で、
かつ洗練されている事が良しとされてきました。

しかし、神話をも含めた文学の歴史の中では、
近代文学とて、一つのジャンルに過ぎません。

「本を読む」と「勉強する」がイコールで結ばれる様な狭量の社会では、
ライトノベルは子供世代のサブカルチャー的地位に縛られえてしまいます。

しかし西尾維新が得意とする言葉遊びは、
万葉の時代から日本人が好んで行ってきた知的遊戯であり、
眉ねに皺を寄せながら読むような、社会派の小説よりも
日本文学の伝統に忠実であるとも言えます。

実際にリアリティーを価値基準とする近代・現代文学は閉塞しており
80年代以降のポストモダンの流れの中では
様々な再構築やクロスオーバーが試みられてきました。

南米幻想小説の一群の作家がフューチャーされたり、
スティブン・エリクソンやスティーブン・ミルハウザーの様な
「マジック・リアリズム」と呼ばれる作家達が注目されたりしました。

しかし、それらは皆、自家中毒的な閉塞性に取り込まれいます。

ライトノベルの作家達は、文学の歴史など知らない若者達がほとんどです。
しかし、本が好きで、積み上げて乱読する様な若者が少なくありません。

彼らオタク世代の作家達の理想の世界は、
アニメなどの中にあり、
彼らは、その創作において、彼らなりの理想郷を追求します。

その作品の殆どが、駄作以外の何者でもありませんが、
西尾維新や那須きのこなど、
水準を遥かに超える作家を輩出する豊かな土壌をライトノベルは提供しています。

彼らにとってのリアリズムとは、作品に注す影の様な存在で、
人物や情景が薄っぺらにならない様に振り掛けるスパイスでしかありません。

これは日本のアニメが得意とする手法で、
ホロっとさせる台詞を入れる事で、
ギャグアニメでも妙に深遠な世界感を有している様な錯覚を与えます。

西尾維新の作品は、全くもって言葉遊び以外の何者でも無いのですが、
彼もリアリティーというレトリックを巧みに利用する術を身に付けています。





資金の逆転が始まる・・・欧州発のアジア危機に注意

2011-07-15 07:08:00 | 時事/金融危機
 


■ 韓国の裁判所がドイツ銀行の資産を凍結 ■

<ブルームバーグより引用>

ドイツ銀、韓国の裁判所による資産凍結に不服申し立て-中央地方法院


http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&sid=aMn5q0LdaNPo

7月14日(ブルームバーグ):ドイツ銀行は、韓国の裁判所が同行の一部資産の差し押さえを命じたことに対し、不服の申し立てを行った。ソウル中央地方法院の広報担当、コン・ドイル氏が明らかにした。これについては韓国紙ヘラルド経済が先に報じていた。ドイツ銀の広報担当マイケル・ウェスト氏(香港在勤)は電子メールで、コメントはないと述べた。

<引用終わり>

これだけ読むと、何だか分からない記事です。

■ 欧州の銀行がヤバイ ■

BNPパリバ、バークレイズ、ドイツ銀行、クレディ・アグリコル、
ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド・グループ(RBS)


いずれも欧州を代表する銀行です。
実はこれらは13日にブルームバーグがすっぱ抜いた
破綻リスクの高い銀行です。

リーマンショック直後の情報では、
「デリバティブ商品の6割は欧州が所有している」
と言われていました。

欧州の銀行は高いレバレッジを掛けて
これらの取引を行っていた様です。

■ アジアから投資を引き上げる ■

欧州では現在、銀行のストレステストが進んでいます。
上記銀行は、金融危機が再発した場合、
自己資本比率の5%を維持出来ないと予測される銀行です。

欧州の銀行は高いレバレッジを掛けてきました。
ドイツ銀行に至っては52倍のレバレッジを掛けている様です。

一旦資金の逆転が始まれば、
巨大なデレバレッジが各銀行に襲い掛かります。

欧州の銀行の投資先の少なからぬ比率がアジアです。
現在は好調に見えるアジア経済ですが、
投資の引き上げが始まれば、
アっという間に、アジア危機が発生し、
通貨が暴落します。

韓国の裁判所がドイツ銀行の資産を凍結した背景には、
今、韓国から欧州の資金が逃避したら、
韓国経済が崩壊するからに他なりません。

ドイツ銀行の投資は不当なものではありません。
投資の引き上げも、当然違法性を持ってはいません。
しかし韓国の裁判所は資産を凍結してしまいました。
こんな違法な手を使うまで、
既に韓国は追い詰められているのです。

■ 朝日の経済面の解説は正しい ■





本日の朝日新聞の経済面は、
欧州危機の今後の展開を比較的正しく分析しています。

「欧州危機はMMFとCDSによって拡大し、
 リーマンショック直後の様に
 欧州からドルが流出して
 欧州は再び流動性の危機に陥る」

■ 金融兵器としてのMMF ■

MMFはマネー・マーケット・ファンドで一種の信託投資です。
公債や公社債など比較的安定的な債権で運用されています。

日本の老人達が、「定期預金よりも利率が良くて、安全」と騙されて
この様な投資ファンドを沢山購入しています。

上の表はいつもながらのゴールドマン・サックスの「妖精物語」の投資先です。
6月30日の日付で公開されていますが、
5月30日の日付のものから何故か更新されていません。

内容を見ると「欧州投資銀行」「イタリア国債」
「イギリス国債」「フィンランド国債」と
欧州の債権が上位を占めています。

だいたいユーロ危機が煽られる2~3ヶ月前に
こおチャートの上位にヨーロッパ債が並びます。

多分今頃は、これらの債権をゴールドマンが売り浴びせています。

日本の老人達の老後の資金が
無残にも金融兵器の実弾として使われているのです。
この投資ファンドの基準価格は、下がり続けています。

■ 金融兵器としてのCDS ■

一方、利益はCDSの方で確保するのでしょう。

CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)も金融兵器です。
債権のデフォルトリスクに投資する商品ですが、
ギリシャやイタリアの様に国債危機が表面化すると
そのスプレットが急上昇して、
危機を数値化する事で、さらなる危機をあおります。

CDSは債権を発行する際に、
債権のデフォルトリスクを元に組成されます。
債権の購入者がリスクに見合う金額を定期的に払う商品で、
デフォルト時に債権の元本や損失分をを保証する商品です。

CDSの購入者は債権の購入者に限らず、
保険会社であったり、あるいは第三者であったりします。
又、CDSをバラバラに切り分けて寄せ集めたような商品もあります。
これらのCDSの発行元はJPモルガンが多いのでは?

もしCDSを組成した再建が破綻した場合、
CDSの購入者が儲かる仕組みです。

MMFで集めた庶民の金で危機を煽り、
危機の結果のリスクはCDSの購入者が受け取ります。

■ 韓国国債が何故登場するのか ■

上述の「妖精物語」の運用先の平均格付けはAAです。
ところが、チャートの上位にA+の国債が登場しています。
イタリア国債と韓国国債です。
さらにAAのイギリス国債も他のAAA格よりも劣ります。
(ファニーメイの債権がAAAなのは笑うしか無いですが)

これらの国債は明らかに今回のターゲットでしょう。
イタリア国債は見事に売り浴びせられています。

アイルランド問題はイギリスに飛び火しますから、
イギリス国債の危機も時間の問題でしょう。

そうして、韓国・・・。
韓国はドイツ銀行の資産を凍結した様に、
投資資金の流出に脆弱です。

韓国は過去の危機においても
真っ先に通貨危機に陥る国です。

今回も韓国は狙われています。

■ アメリカの延命策? ■

欧州危機がアメリカの延命策になる事は、
リーマンショックでも明らかです。

資本は不安定な欧州を回避して、
アメリカに避難してきます。

しかし今回は国債の上限問題で
ドルもアメリカ国債も回避されています。

欧州も、アメリカも、アジアも、そして世界全体が
どうやら怪しい雰囲気になってきました・・・。

グローバル化の名の下に、
世界中に張り巡らされた金融の蜘蛛の巣によって
危機は世界の瞬く間に伝播して行きます。

この蜘蛛の巣から逃れる手立てはあるのでしょうか?

世界危機劇場・・・怪しい芝居小屋

2011-07-14 10:02:00 | 時事/金融危機
 

■ 何かが始まっている ■

先週から「何かが始まっている」。

1) ギリシャは一部デフォルトを視野に入れている
2) イタリアの銀行株から始まった攻撃は、国債に波及
3) ポルトガル、アイルランドの格付けが「投機的」に格下げ
4) スペインの国債金利も急上昇

そして本日

5) ムーディーズがアメリカ国債や政府関係債の格下げを示唆

■ 「危機」の始まりなのか、「危機のふり」の始まりなのか ■

世界の資金がドルとユーロを回避して
円とスイスフランに流れ込んでいます。
円は78円台に上昇しています。

これら「危機」の始まりなのか、
あるいは「危機のふり」の始まりなのか、
判断は微妙です。

■ ドル安は、強制的な米国救済手段? ■

円売りドル買い介入を促す為、
あるいは中国のドル買いを促す為のドル危機ならば、
またもや私達のお金がアメリカに流れてゆきます。

もうこれはほとんどヤクザの揺すりの手口です。
政府・議会・FRB・格付け会社が一体となって、
日本やドルにペックする国々を恐喝しています。

「オラ、オラ・・・デフォルトしちゃうぞー」
「ドル買えやぁー。」

■ ユーロは欠陥通貨 ■

ヨーロッパはしたたかなのもで、
ユーロ危機を演出する事で
ドルと足並みを揃えています。

ユーロは元々欠陥通貨です。

ユーロという共通通貨を採用する限り
景気が後退しても、通貨はある程度強いままです。
結果、経済が悪化した国から資金が流出し、
財政赤字を膨らめる事になります。

これが財政を一つにしている国ならば、
ギリシャの財政赤字はドイツやオランダなどの
税金によって補填されます。

東京の税収が、全国に還元されるのと同じです。

しかし財政が異なるEU諸国の間では
ギリシャ一国の救済とてままなりません。

ユーロはこのまま崩壊の淵を覗く事になります。

■ 危機を利用する欧州 ■

ヨーロッパの悲願は、ヨーロッパの政治統一です。

先ず手始めに通貨と労働市場を統合しました。
しかし、これではユーロは危機に脆弱です。

そこで危機を利用して一気に財政統合の動きに出るでしょう。
ユーロのメリットはスケールのメリットですから、
全世界の通貨が危機の遭遇する時に、
あえてユーロを離脱する事にメリットはありません。
結局、ヨーロッパはユーロ危機を起爆剤に
統合の道を模索していくのでしょう。

■ 日本の経済のファンダメンタルが強い訳では無い ■

ドルやユーロに対して円が値上がりする事に対して
次の様な説明をする方達が居ます。

「やはり日本の経済は基礎体力があるから円が上昇する」
「債権国で貿易黒字国の日本は危機に強い」

円高を仕掛けられているのに暢気なものです。
きっとこの方達は最近居酒屋にも行った事が無いのでしょう。
都心はともかくとして、
郊外や地方都市の居酒屋はガラガラです。

■ スイスフランは特別である ■

円と一緒の挙動を示すスイスフランになぞらえて、
円とスイスフランこそが最強国通貨と勘違いする向きもあります。

スイスフランは特別です。
大した産業も無いスイスの通過が何故強いかと言えば、
やはり世界の怪しいお金が集まっているからです。

「ヤバイ時にはスイスフランで仕舞っておこう」の法則です。

スイスは「したたか」な国です。
過去にも「マイナス金利」を採用した事があります。

銀行にお金を預けておくと、「金利を取られる」のです。
たとえマイナス金利でも安全ならば資金はどんどん逃避してきます。

スイスフランの新券発行が2010年から2012年に延期されたのは、
スイスフランの切り上げが起こる可能性を示唆しています。


■ クサイ芝居には飽き飽きした ■

アメリカもヨーロッパも、役者の質が落ちています。
小物達が繰り広げる学芸会レベルのクサイ芝居には飽きてきました。
そろそろ幕引きとして欲しい所です。

客席に明かりが付いた時、
ポケットの中の財布が摺られていた・・・
そんな、怪しい芝居小屋に私達は迷い込んでいます。