○作曲家、パイヤール・フランセ(P)デルヴォ指揮ORTF室内管弦楽団(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP
芸術とは存在しないものの模造品、とはラヴェルの言葉だが、フランセの美学においては存在しそうなものの模造品、ということになる。この作品はいつものフランセのように小規模編成ではあるが、長さは一般的なピアノ協奏曲並の長々しいものとなっている。WERGOに別録の自演CDがあったと思うが、親しみやすい主題をひたすら機械でいじくりまわしたような、退屈な印象があった。この古い録音でも印象は変わらない。より狭い音場で親密なアンサンブルが繰り広げられているあたり残響の多い新しいものより聴き甲斐はあるのだが、主題がどこかで聞いた様なものばかり、それも半端にいじくられて机上論的なリズムの組み換えを施され、弾き辛そうだなあピアノ以外、とか思わせる余裕を与える冗長なかんじがある。終楽章などフランセがフランク(のシンフォニー終楽章の主題)を模しているんだなあ――あるいはドビュッシーの幻想曲でもミヨーのピーコンでもプーランクの何かでもいいが――と思ってから終わるまでが長い長い。いや、楽しい曲で、気軽に聴けるのだが、本領はもっと短くスッキリまとめる手際のよさにあり、二台のピアノが必要なのかすら疑問に思わせる「疎」なスコアにも、「らしくなさ」を感じるのであった。○。
※2010-07-12 12:11:40の記事です
芸術とは存在しないものの模造品、とはラヴェルの言葉だが、フランセの美学においては存在しそうなものの模造品、ということになる。この作品はいつものフランセのように小規模編成ではあるが、長さは一般的なピアノ協奏曲並の長々しいものとなっている。WERGOに別録の自演CDがあったと思うが、親しみやすい主題をひたすら機械でいじくりまわしたような、退屈な印象があった。この古い録音でも印象は変わらない。より狭い音場で親密なアンサンブルが繰り広げられているあたり残響の多い新しいものより聴き甲斐はあるのだが、主題がどこかで聞いた様なものばかり、それも半端にいじくられて机上論的なリズムの組み換えを施され、弾き辛そうだなあピアノ以外、とか思わせる余裕を与える冗長なかんじがある。終楽章などフランセがフランク(のシンフォニー終楽章の主題)を模しているんだなあ――あるいはドビュッシーの幻想曲でもミヨーのピーコンでもプーランクの何かでもいいが――と思ってから終わるまでが長い長い。いや、楽しい曲で、気軽に聴けるのだが、本領はもっと短くスッキリまとめる手際のよさにあり、二台のピアノが必要なのかすら疑問に思わせる「疎」なスコアにも、「らしくなさ」を感じるのであった。○。
※2010-07-12 12:11:40の記事です