○フランシス指揮バーゼル放送交響楽団(CPO)CD
全集の一部。ミヨーもこの頃には依属による作曲が多くなり、最終的に交響曲の名を捨てて「~のための音楽」という露骨な皮肉な?題名の曲を量産することになるわけだが、これはダラス交響楽団とダラス・パブリックライブラリーの共同依属作品である。当然初録音だが初演はクレツキ。内容はけして過度にロマンティックに寄っているわけではない。アメリカ新ロマン主義に近い表現はあっても複調性による独特の響きと、これは新たな試みの一つとして投入されているようなダンサブルなリズムがミヨーという未だ挑戦的な作曲家の刻印を刻んでいる。もっとも、型にはまった戦後様式、という主として「内容」にかんする評は変わらない。3楽章制をとっている。演奏は立派である。ちょっと硬くて冷たい感もあるが、ジュネーブで亡くなったミヨーが目指したものに近いところがきっと、この演奏にはあらわれている。○。
全集の一部。ミヨーもこの頃には依属による作曲が多くなり、最終的に交響曲の名を捨てて「~のための音楽」という露骨な皮肉な?題名の曲を量産することになるわけだが、これはダラス交響楽団とダラス・パブリックライブラリーの共同依属作品である。当然初録音だが初演はクレツキ。内容はけして過度にロマンティックに寄っているわけではない。アメリカ新ロマン主義に近い表現はあっても複調性による独特の響きと、これは新たな試みの一つとして投入されているようなダンサブルなリズムがミヨーという未だ挑戦的な作曲家の刻印を刻んでいる。もっとも、型にはまった戦後様式、という主として「内容」にかんする評は変わらない。3楽章制をとっている。演奏は立派である。ちょっと硬くて冷たい感もあるが、ジュネーブで亡くなったミヨーが目指したものに近いところがきっと、この演奏にはあらわれている。○。